第三十八話 飢えた農民が、国王に会いに来た
王都南門。
エリクたちは、王宮からの使者を待っていた。
やがて、騎士が十人ほど現れた。
先頭の騎士が尋ねた。
「エリクという者は誰だ?」
エリクが前に出た。
「私です」
騎士は驚いた。
「……お前が?」
「はい」
「まだ若いな」
「十七歳です」
騎士はしばらくエリクを見つめた。
「国王陛下がお会いになる」
エリクは息を呑んだ。
「……本当ですか?」
「ああ」
カールが一歩前に出た。
「護衛として同行したい」
騎士は首を振った。
「許可されたのは、代表者一名のみだ」
エリクはカールを見た。
カールは頷いた。
王宮へ向かう廊下には磨かれた燭台が並んでいた。
エリクの靴には門前の泥が残り、床に小さな跡をつけた。
侍従が顔をしかめる。
エリクは謝ろうとしてやめた。
門の外では泥の上に眠る子供がいる。
ここで泥を消しても、子供が温かくなるわけではない。
彼は靴を拭い、持参した配給表を握り直した。
「……行ってこい」
ガルムが肩を叩いた。
「王様に、ちゃんと言ってこいよ」
「何をですか?」
「俺たちが腹を減らしてるってことをだ」
エリクは頷いた。
そして、騎士たちに案内されて城門をくぐった。
王都の中は、別世界だった。
石畳の道。
大きな商店。
立派な建物。
だが、よく見ると、異様な光景があった。
店には商品が少ない。
市場には兵士が立っている。
路地裏には、痩せた人々が座り込んでいた。
王都もまた、飢え始めていた。
やがて、王宮に到着した。
巨大な扉が開いた。
大広間。
その奥に、国王アルベルト三世が座っていた。
エリクは膝をついた。
「……陛下」
国王は静かに言った。
「顔を上げよ」
エリクは顔を上げた。
国王は尋ねた。
「お前が、農地防衛隊の代表か」
「はい」
「何を望む?」
エリクは答えた。
「……食料です」
国王は目を閉じた。
「やはり、それか」
「はい」
「王都にも余裕はない」
「分かっています」
国王は少し驚いた。
謁見の間に入る前、農民は泥のついた靴を拭こうとした。
エリクは止めなかった。
靴についた土こそ、王国が生き延びるために必要なものだった。
王宮の磨かれた床に、エリクの靴の泥が残った。
侍従が眉をひそめる。
「門の外には、この泥の上で眠る人がいます」
エリクは謝罪の代わりにそう言い、王に見せる名簿を握り直した。
王の前に進み出た農夫の手は震えていた。
礼儀を知らないからではない。
昨夜、息子に自分の粥を譲ったからだ。
エリクはその手を見て、用意した言葉を変えた。
「陛下、必要なのは私たちへの褒美ではありません。明日も畑に立てるだけの食事です」
国王は初めて、報告書の数字ではなく農夫の顔を見た。
王の前に立つエリクは、自分の言葉がどれほど小さいかを知っていた。
それでも、村で聞いた名前を一つも消さずに伝えようとした。
国王に会った農民は礼法を知らず、泥のついた靴で床を汚した。
国王は靴ではなく手の傷を見た。
「……分かっている?」
「はい」
エリクは続けた。
「十万袋あっても、十万人を長く養うことはできません」
国王は頷いた。
「その通りだ」
「ですが、地方では農民が死んでいます」
国王は黙った。
「農民が死ねば、来年の麦が作れません」
「……分かっている」
「種麦も奪われています」
「知っている」
「畑が焼かれています」
「知っている!」
国王が声を荒らげた。
エリクは黙った。
国王は立ち上がった。
「私が何も知らないと思っているのか!」
大広間に声が響いた。
「地方で何万人が死んでいるか、報告は毎日届いている!」
国王は続けた。
「だが、王都の食料を配れば、王都も飢える!」
エリクは静かに答えた。
「……それでも、農民を守らなければなりません」
国王はエリクを見つめた。
「……どうやって?」
エリクは答えた。
「種麦を守るんです」
国王は黙った。
「食料を配るだけでは、飢饉は終わりません」
エリクは続けた。
「畑を守り、農民を守り、来年の収穫を増やす必要があります」
国王はしばらく考えた。
「……それは、分かっている」
「ならば、なぜ?」
国王は答えた。
「軍隊が足りない」
エリクは顔を上げた。
「……軍隊?」
「地方を守る兵士がいないのだ」
国王は続けた。
「軍を派遣すれば、その軍に食料を送らなければならない」
エリクは黙った。
「だが、食料を送る道は盗賊と敗残兵に襲われる」
国王は苦笑した。
「食料を守るために兵を送る。その兵を食わせるために、さらに食料が必要になる」
沈黙。
エリクは初めて、国王の苦悩を理解した。
だが、諦めるつもりはなかった。
「……陛下」
「何だ?」
「私たちには、兵士がいます」
国王は顔を上げた。
「……何?」
「農地防衛隊です」
エリクは続けた。
「数千人の農民と兵士がいます」
そして、深く頭を下げた。
「私たちに、種麦をください」
カールは国王の前に、農地防衛隊の兵の名簿を置いた。
「ここに載る者の半数は、以前は農民でした。全員を街道警備に回せば、畑を耕す者が消えます」
国王が問うた。
「では、何人を出せる」
「交代で三百人。護衛する荷車の数に合わせます。約束以上は出せません」
エリクはその数字を聞き、胸が痛んだ。
三百人で守れる道は一本だけだった。
エリクは、そこから外れる村の名も国王に読み上げた。
国王は地図の上で、最初に開く街道を一本だけ指した。




