第三十三話 国王は、地方の民を見捨てる決断をした
王都アルディア。
人口十万を超える巨大都市。
高い城壁。
石造りの建物。
王宮。
そして、巨大な穀物倉庫。
王都の中心にある王宮では、緊急会議が開かれていた。
国王アルベルト三世。
宰相。
軍務大臣。
財務大臣。
そして、穀物管理官。
全員が重苦しい表情をしていた。
「……地方の状況は?」
国王が尋ねた。
宰相が答えた。
「南部では、飢饉による死者が増加しています」
「どれほどだ?」
「正確な数は不明ですが、数万人規模と推定されています」
国王は目を閉じた。
「……北部は?」
「国境軍が崩壊し、一部の砦が放棄されました」
「西部は?」
「農民反乱が続いています」
沈黙が落ちた。
国王は穀物管理官を見た。
「備蓄は?」
「十万袋です」
「それで何日もつ?」
管理官は帳簿を開いた。
「現在の配給量を維持すれば、王都は約半年です」
国王は頷いた。
「地方へ送れる余裕は?」
管理官は首を振った。
「ありません」
国王は黙った。
宰相が言った。
「陛下。地方からの救援要請が増えています」
「分かっている」
「ですが、王都の備蓄を放出すれば……」
「王都が飢える」
国王は静かに答えた。
長い沈黙。
やがて、国王は命じた。
「……王都の備蓄は、王都のために使う」
宰相が顔を上げた。
「陛下……」
「地方への穀物輸送を停止せよ」
軍務大臣が頷いた。
「承知しました」
「王都の城門は引き続き閉鎖」
「はい」
「難民の流入を禁止する」
宰相は震える声で尋ねた。
「……地方の民は、どうなるのでしょうか」
国王は答えなかった。
しばらくして、静かに言った。
「……全員を救うことはできない」
その言葉が、会議室に響いた。
国王は続けた。
「王都まで失えば、王国は完全に崩壊する」
国王の命令を写す書記の筆が止まった。
見捨てる村の名前を一つ書くたび、紙が重くなる気がした。
国王の机の上には、王都を守るための数字が並んでいた。
地方の村の名は、地図の小さな印に過ぎない。
だが印の一つ一つに、今夜食べるもののない子供がいる。
国王は王都の人口と地方の飢餓報告を並べた。
どちらかを救えば、もう片方から恨まれる。
大臣は「王都が落ちれば王国は終わる」と言った。
だが地方の村が消えれば、来年の麦を作る者も消える。
国王は命令書に署名する前、筆を置いた。
「誰がこの決定の犠牲になるのか、名を隠さず報告せよ」
国王の机には、王都の人口と地方の人口が別々に記されていた。
どちらの欄にも赤い不足の印がある。
「地方を切り捨てれば王都は助かるのか」
問いに答えられる役人は、誰もいなかった。
王都を守る決断は、王都の外にいる者を見捨てる決断でもあった。
国王の前に置かれた地図には、どの村にも人が暮らしていた。
誰も反論できなかった。
その頃。
王都の城門の外には、数万人の難民が集まっていた。
老人。
女。
子供。
兵士。
農民。
商人。
彼らは城壁を見上げていた。
門は閉ざされていた。
食料は、壁の向こうにあった。
だが、手に入らなかった。
そして、城門の前では、毎日人が死んでいた。
その夜。
王都から南へ数百キロ離れたアルト村。
エリクは出発の準備をしていた。
カールが尋ねた。
「……本当に行くのか?」
エリクは頷いた。
「はい」
「国王は、簡単には考えを変えないぞ」
「分かっています」
「王都の門も閉ざされている」
「それでも、行きます」
エリクは妹のクリスを見た。
クリスは小さな袋を抱えていた。
「お兄ちゃん、私も行く」
エリクは首を振った。
「危険だ」
「でも……」
「ここにいてくれ」
クリスは俯いた。
エリクは妹の頭を撫でた。
「必ず戻る」
クリスは顔を上げた。
「……本当?」
「ああ」
「約束?」
「約束だ」
クリスは小さく笑った。
「……待ってる」
翌朝。
エリクは王都へ向けて出発した。
同行するのは、カール、ガルム、ドラン。
そして護衛の兵士百人。
彼らが目指すのは、王国最大の都市。
十万袋の麦が眠る王都アルディア。
だが、彼らはまだ知らなかった。
王都の外には、すでに五万人を超える難民が集まっていることを。
そして、その難民たちが、飢えに耐えきれず、王都を包囲し始めていることを。
王都の城壁の上。
国王アルベルト三世は、遠くの難民たちを見つめていた。
「……五万人か」
宰相が頷いた。
「はい」
「さらに増えるだろうな」
「おそらく」
国王は目を閉じた。
そして呟いた。
「……王国が、飢えている」
その言葉に、誰も答えなかった。
王都の倉庫には、十万袋の麦があった。
だが、王国には数百万の民がいた。
すべてを救うには、あまりにも足りなかった。
そして、最も恐ろしい事実があった。
王都の備蓄をすべて配ったとしても、翌年の麦が実らなければ、王国は滅びる。
飢餓戦争は、まだ終わらない。
その晩、王都では宰相が地方の死亡報告を三つに分けていた。
飢え、疫病、戦闘。
「分類しても、死んだ者は戻らぬ」と国王が言う。
「分類しなければ、次に何を止めるべきか分かりません」
宰相は震える指で、街道の封鎖を示した。
食料がある村でも、橋を越えられずに死者が出ていた。
「城門を開くか閉じるか、それだけではないのだな」
国王は初めて、王都の外の道路を守る兵力まで数えるよう命じた。
その命令が届くころには、すでに何人かが死んでいる。
国王は命令書に署名したあと、門外で待つ人々の数を尋ねた。
宰相は答えられず、調べるために席を立った。




