第二十四話 五千の軍勢を、たった一本の石橋で止めた
夜明け。
ローデン伯爵の五千の軍勢が、アルト村へ続く古い石橋に達した。
橋幅は馬車二台分。
対岸ではカールの兵百五十人が盾を並べ、木の障害物を組んでいた。
「押し潰せ!」
石橋の幅を測ったカールは、兵を増やす案を退けた。
「増やせば守れるとは限らん。増えた兵の食い扶持が先に尽きる」エリクは橋を守る人数と、畑へ戻す人数を分けて記した。
伯爵の号令で歩兵が前進する。
しかし、橋へ一度に入れるのは十数人。
後続は身動きが取れず、先頭の兵士だけが矢を浴びた。
「退け! 負傷者を踏むな!」
カールが叫んだ。
橋の上に倒れた敵兵を、仲間が引き戻そうとしていた。
エリクは弓兵へ伝えた。
「後退する者は射ないでください。渡ってくる者だけを止めて」
「甘いぞ」
ガルムが言った。
「そうかもしれません。でも、死者を増やしても麦は増えない」
昼までに三度の攻撃を退けた。
双方に負傷者が出た。
村の救護所には敵の矢傷を負った兵も運び込まれ、包帯は足りなくなった。
そのとき、南の村から駆けてきた農夫がエリクを掴んだ。
「歩けない婆さんが二人いる。荷車を寄越してくれ!」
ガルムが顔をしかめる。
「荷車は橋の障害物を運ぶのに使ってる。抜けば守りが薄くなる」
「婆さんを置いて逃げろってのか!」
橋を守れば村人が取り残される。
村人を救えば橋が危うくなる。
エリクは荷車を二台出すよう命じた。
「石は俺たちで運びます。守るために残した人を、見捨てるわけにはいきません」
兵たちは文句を言いながら石を担いだ。
クリスも小石を運ぼうとしたが、エリクは救護所の水運びを頼んだ。
夕刻、避難の荷車が戻った。
毛布にくるまった老婆が、エリクの手を握る。
「畑を焼かないでおくれ。息子が帰る場所なんだ」
「守ります」
答えたものの、エリクには勝算を言い切れなかった。
橋を守れば時間を稼げる。
だが時間だけでは腹は満たせない。
エリクはその一刻を、避難と食料の移動に変えなければならなかった。
夜。
敵は松明を消して橋へ近づいた。
だが、昼間に掘った浅い溝と障害物で足を取られ、夜襲は失敗した。
石橋を守る農民は、敵の数を見ないようにしていた。
足元の石が揺れ、盾の縁に矢が当たる。
エリクは橋の向こうではなく、背後の畑を振り返った。
ここを通せば、守るべき麦がなくなる。
「敵の食料は明日で尽きる」
カールが報告した。
「こちらも配給を減らして三週間。だが、追い詰められた敵は南の村を襲うかもしれない」
エリクは地図を広げた。
橋の南には三つの村がある。
「今夜のうちに避難を知らせましょう。食料を隠せても、家までは運べない。焼かないでほしいと伝えるしかない」
「伯爵が聞くと思うか」
「聞かなくても、村人を逃がす時間は作れます」
橋を守った兵士が、川面を流れる壊れた盾を見つめていた。
「これで終わりですか」
カールは首を振った。
橋を塞げば敵の足は止まる。
だが食料のない軍勢は、別の村へ向かうだけだ。
エリクは対岸の村々へ使者を出すことを提案した。
勝ったという知らせではなく、避難の準備を促すためだった。
カールは斥候を呼んだ。
石橋の上には、血を洗い流した跡が残っていた。
五千人を止めたのは橋の狭さだった。
しかし、橋を守っただけでは、その向こうに暮らす人々を救えない。
石橋の守備を終えた夜、カールは地面に石を並べて説明した。
「橋を守っただけでは、村を守ったことにはならない。敵が上流へ回れば、明日の朝には背後を取られる」
ガルムは拳を握った。
「なら、追いかけて倒す」
「追えば畑が空く」
エリクは橋の下を流れる川を見た。
敵軍を止めた狭い地形は、味方が撤退するときにも逃げ道を塞ぐ。
そこで彼は村ごとに避難順を決めた。
歩けない者を先に渡し、最後に兵士が渡る。
麦袋は一人一袋まで。
積み残した袋には印を付け、後日回収できるようにする。
「全部は守れないのか」と少年が尋ねた。
「守れない」とエリクは答えた。
「だから、人を先に守る」
勝ったはずの橋で、誰も喜ばなかった。
橋の向こうには、退却する敵兵の背中が見えた。
こちら側では、助かった人々が互いの名前を呼び合っていた。




