第二十話 五百人の敗残兵と、三千人の農民が激突した
夜明け前、アルト村の周囲に農地防衛隊が展開した。
戦闘に出るのは訓練を受けた三百人。
残る二千七百人は、避難路の確保、負傷者の搬送、消火用の水運びを担う。
「三千人で五百人を倒す戦いじゃない」
カールは隊長たちに告げた。
「村人を逃がし、種麦を守る。そのために必要な戦いだけをする」
エリクは最後の交渉文を掲げた。
「ドラン隊長! 武器を置けば食事を分けます。村人を解放してください!」
柵の向こうから答えが返った。
「お前の言葉を信じて、部下を飢えさせろというのか!」
ドランの声には怒りだけでなく、恐怖が混じっていた。
交渉は決裂した。
正門へ進んだ盾兵に矢が降った。
最初に倒れたのは、昨夜まで畑の耕し方を話していた青年だった。
盾の隙間に矢を受け、仲間の腕の中で息を引き取った。
「前へ!」
誰かが叫んだ。
「待て、負傷者を下げろ!」
カールが怒鳴り返した。
敵の五百人は戦場を生き延びた兵士たちだった。
数で劣る防衛隊は、畦道の狭い入口を使ってようやく持ちこたえた。
エリクは後方で担架を運んだ。
「水を!」
倒れた兵士が呼ぶ。
水袋を差し出すと、その兵士は飲まずに隣の負傷者へ渡した。
「こいつのほうが先だ」
エリクは何も言えなかった。
村の裏では、ガルムが荷車を並べて避難路を作っていた。
「村人はこっちだ! 畑へ入るな、畦を通れ!」
老人と子供が走り出した。
母親が転び、抱いていた赤ん坊が泣いた。
ガルムは荷車から飛び降り、母親を起こした。
その背後で矢が車輪に突き刺さった。
「ガルムさん!」
「俺はいい! 先に子供を運べ!」
正門の戦いは昼まで続いた。
村人が逃げたことで、敗残兵の徴発できる食料はなくなった。
もともと空腹だった兵士たちは次々と膝をついた。
「倉庫の麦を出せ!」
ドランが命じた。
副官が答えた。
「残っているのは種麦だけです」
ドランは倉庫を見た。
あれを食えば、今夜は部下が生きる。
だが、村は春に播く麦を失う。
彼が命令を出せずにいると、白い布を掲げたエリクが近づいた。
戦場に残ったのは勝敗の印ではなく、収穫に戻れない手の数だった。
エリクは倒れた者たちのためにも、畑を再び耕さねばならないと思った。
「ドラン隊長。種麦を食べないでください」
「俺の兵を見殺しにしろと?」
「違います。こちらの食料を分けます。まず負傷者に。それから全員に少しずつ」
「そんな余裕があるのか」
「ありません」
エリクは正直に答えた。
「だから、明日から一緒に畑を守ってほしいんです」
ドランは剣を握り直した。
部下の一人が、その足元に座り込んだ。
「隊長……もう、戦えません」
長い沈黙のあと、ドランは剣を地面に置いた。
「降伏する。だが、部下には食わせてくれ」
「約束します」
戦いは終わった。
勝利を告げる声は上がらなかった。
夕方、双方の死者は合わせて七十人を超えた。
村人にも犠牲が出ていた。
名前の分からない者は、着ていた服の特徴を記録した。
カールは戦死者の数を数え、エリクに報告した。
「こちらも、敵も、もう畑へ戻れない者がいる」
エリクは朝に倒れた青年の手を思い出した。
あの手は剣より鍬に慣れていた。
「俺が、戦うと決めました」
「決めたのは俺たちだ」
カールは答えた。
「だから、勝ったという言葉だけで終わらせるな」
翌朝、エリクは村人と降伏兵を集めた。
「まず死者を埋葬します。それから倉庫の種麦を数え、村人の立ち会いで封をします」
誰も歓声を上げなかった。
ドランが黙って鍬を取った。
ガルムも隣に並んだ。
畑の端には、昨日の戦いで折れた畝があった。
エリクは土を起こしながら思った。
七十人以上が死んだこの場所で、来年、麦が実らなければならない。
死者を正当化するためではない。
残った人々を、同じ畑で再び死なせないためだった。




