第十話 飢えた一万人が、城門の前に集まった
ベルンの街に噂が広がって四日目の朝、城門へ続く坂道が人で埋まった。
西の倉庫には麦が五千袋ある。
軍の食料が商人へ売られている。
領主も知っている――。
真偽の分からない話に、一万人近い飢えた人々が最後の望みを託していた。
「お兄ちゃん、あの人、立てないよ」
クリスが指さした先で、幼い男の子が母親の腕から滑り落ちた。
母親は抱き直そうとしたが、膝が震えている。
エリクは列の間を抜け、ガルムと二人で子供を壁際へ運んだ。
「昨日から何も飲んでないんです」
母親の声は掠れていた。
エリクは水筒を渡した。
中身はわずかだったが、子供の唇を濡らすには足りた。
「どうして城門まで来たんですか」
「ここなら麦があるって……あの子に一口でも」
広場の端でエリクは出身村を聞いた。
北は徴税、南は干ばつ、西は軍の略奪。
飢えの理由は一つではない。
彼は炭で板に「人数・必要な麦・明日運べる量」と書いた。
倉庫を開けるだけでは終わらないことを、忘れないためだった。
城壁の上に弓兵が並ぶ。
群衆の先頭に戻ったエリクは、使者に向かって声を張った。
「倉庫の麦を配ってください!」
「配給は規定通りだ。解散しろ!」
「全部を配れとは言いません。
来年の種麦は残してください。
でも、今食べなければ、その畑を耕す人がいなくなります!」
後ろから怒号が上がった。
「種麦なんて、明日死ぬ俺たちに何の役に立つ!」
エリクは振り返った。
痩せた老人が杖を振り上げている。
怒る気持ちは分かった。
エリク自身、母を埋めたばかりだった。
「だから今日の分を求めています。来年の分も、残すために」
ガルムが横に立った。
「押すな! 前には子供がいる!」
後列には声が届かない。
人が一歩動くたび、前列は城門の鉄鋲に押しつけられた。
倒れた者を起こす隙間さえない。
城門の前に集まったのは数字ではなかった。
抱かれた子供、立っていられない老人、空の鍋を握る母親。
その全員に明日の朝が必要だった。
城壁の上では領主が副官に尋ねていた。
「兵は何人だ」
「五百。ですが、下に家族がいる兵もおります」
一人の弓兵が弓を下ろした。
「母がいる。あの青い頭巾だ」
隣の兵も弓を下ろす。
領主の顔が歪んだところへ、アコギ商会の使者が進み出た。
「暴徒には一粒も渡してはならぬ、と主人から」
「ここは私の街だ!」
「では、明日から兵に食わせる麦はどなたが?」
領主は答えなかった。
食料を握る者の命令は、剣よりも重かった。
やがて城内の奥から、街に縁のない雇い兵たちが現れた。
重い盾を並べ、槍を構えている。
「群衆を散らせ」
命令とともに門が内側へ開いた。
「下がれ!」
エリクは叫んだ。
だが、背後には一万人がいた。
さっきの母親は子供を胸に抱き、門に背を向けることすらできない。
エリクはガルムに水筒を押しつけた。
「クリスとあの子を、壁際へ!」
「お前はどうする!」
「前を止める!」
エリクは前列の男たちに腕を広げた。
「押すな! ここで倒れた人を踏んだら、麦をもらっても生きて帰れない!」
男の一人が怒鳴り返した。
「じゃあ、俺の子をどうやって食わせる!」
「分からない。だから、今ここで話を終わらせたくないんだ!」
答えになっていないことは分かっていた。
けれど、嘘の約束をすれば、この男は明日も城門へ来るしかない。
群衆の端で誰かが転び、ガルムが子供を抱き上げた。
兵士の盾が一歩前へ出る。
エリクは人の波を押し返すのではなく、横の荷運び路へ少しずつ流そうとした。
その細い道へ、歩けない老人を先に通した。
槍の穂先が、朝日に白く光った。
エリクは退路を探した。
後ろは押し寄せる群衆、左右は石壁。
荷運び路は細く、一度に通れるのは数人だけだった。
そして最初の槍が突き出された。




