【7】偶像〈客 真田幸村 前編〉
【地獄待庵にて 真田幸村と利休】
「利休殿」
「真田幸村殿、お久しぶりですね」
「俺のことを、覚えているのですか?」
「もちろんですよ。私が覚えている幸村殿より、かなりお年を召したようですが…」
「はい。まあ それでも、利休殿には到底 追い付けませんがね」
「私はただ年齢を重ねただけのことです」
「ああ……いや、それよりもまず、お詫びがあります。この席には、父の真田昌幸を招かれたのですよね。なのにあの親父は、メンドくせえなんて わがままを言いまして、代わりに俺が来ることになりました。
天下一の茶人の利休殿のお招きを、メンドくせえで断るなんて、あのクソ親父は高野山に流刑にしてやってもいいくらいです」
「いえ、構いませんよ。茶の湯という、あってもなくても良いもので天下一などと言われても、大して偉くもないのですよ」
「おそらく利休殿本人は、本心からそう思われているのでしょうが、周囲の評価は違うと思いますよ。茶の湯は世の中にあったほうが良いものだし、そこで天下一と評されることには、大きな意味があります」
「そうですか。そう言って頂けるのでしたら、素直にお礼を申し上げておきます。
正直に言えば、現世では我こそが、この道で比類なき者という自負もあったと思います。同時に、虚飾と佞言に長けた、悪徳商人扱いされたことも何度もありましたがね」
「人は、自分にないものを持った存在を、敬う者と貶める者に別れるのでしょう。人の評価が別れるのは、それだけ優れていたからこそです。
ああ ちなみに真田昌幸は、貶める傾向が強いタイプですね」
「それは感じました。現世で一度、茶を振る舞ったことがありますが、嫌悪感を露骨に見せてい ましたよ」
「そんなことが あったのですか」
「はい。ですから実は、お招きしても、来られないこともあり得ると思っていました」
「でも親父は、本当に気に食わないなら、それを露骨に見せはしませんよ。多分、嫌ではなかったけれど、どういう反応をすれば良いか分からず、とりあえず不機嫌な態度を見せただけだと思いますよ」
「なるほど。そういえば、表裏比興の者でしたね」
「捻くれているだけです」
「しかし時代を代表する智恵者であり、戦上手でもありました」
「それには、過大評価されている部分もあると思いますよ。まあ 俺よりはマシでしょうがね」
「私も幸村殿も、自己評価と後世の評価との、ギャップを感じているのでしょうかね。私からすれば、自分が持っていない、幸村殿の軍略や武勇を、敬う気持ちしかありませんがね」
「元々真田家は、滅んだ武田家の家臣でした。領地は三郡与えられていましたから、武田家中では有力なほうだったでしょう。もし本能寺の変が起きなければ、織田家の支配下で、目立たず生きたはずです」
「信長様の死は、多くの人たちの運命を変えましたね」
「そうですね。親父の名が知られるようになったのは、徳川軍を寡兵で退けたからです。それも 、同じ上田で二回もです」
「武田家の遺領争いの時と、関ヶ原の戦いの直前でしたね」
「そうです。つまり二回とも、徳川軍にとって地味に嫌な場面で、勝ってしまったのです」
「勝ってしまったのですか」
「負けるよりはマシでしたがね。今 思えば、引分けが理想でした」
「しかし、その二回の勝利が、真田家の名を世に知らしめたのですよね」
「そうだと思いますが、その小さな勝利の代償に、大きなものを失ってもいます。二回目なんて、ほぼ天下を手中にした徳川家に楯突いたとして、すべてを失い流刑になりましたからね」
「確かに、勝ったのに失うというのは、やりきれませんね」
「そもそも徳川軍に付かなかった時点で、負けなんだと言われることもありますがね」
「答えを見てから言うだけなら、簡単です。それに真田家の名が、後世にまで轟いたのは事実です」
「徳川家が長い戦乱を収めて、新しい秩序を作りましたが、年月の経過と共に徐々に民衆から嫌われていったのです。権力者の宿命でしょうがね。
その徳川家に 一矢報いた真田昌幸や俺が、まるで英雄のように祭上げられたからです」
「やはり、当事者の思いと後世の評価には、大きなギャップがありますか?」
「本当は、何かを成し遂げて名を残したかったですね。流刑地で生きた十数年間、俺も親父も、悔恨と怨嗟に苛まれただけなのです。
親父が保険をかけて、俺の兄貴を徳川方に付けていたおかげで、多少の自由は許されましたが、惨めな思いまでは消えませんでした」
「私も、罪人として死にましたから、その心の裡を、多少は察することができます」
「そうでしたね。利休殿の突然の切腹の真相を、当時は知る由もありませんでした」
「私も、本当に小さなものを守った代償に、死罪になったのです」
「一人の兵も持たずして、天下人を恐れさせた天才…そんな評価と、当時の利休殿の本心には、やはり隔たりがありましたか?」
「大きな隔たりがありました。自らの矜持に殉じたと言えば聞こえは良いですが、心の中は、捻じ曲がった自尊心や、周囲への憎悪が渦を巻いていました」
【8】偶像〈客 真田幸村 後編〉に続く




