【5】荒馬〈客 武田信玄〉
【地獄待庵にて 武田信玄と利休】
「利休殿、お招き頂き ありがとうございます」
「武田信玄殿、よくお越しくださいました」
「呼ばれれば、どこにでも来ますが、まさか俺のような無作法者が、利休殿の席に招かれるとは思いませんでした」
「上杉謙信殿も、同じようなことを言われましたが、茶を飲むのに、格式張った作法など本当は要らないのです。高価な道具や奇抜な趣向も、それを好む者だけで楽しめば良いだけです」
「そうですか。まあ 謙信も相当な無作法者ですからな」
「日本酒のお茶割りをご所望されたのは、謙信殿が初めてでした」
「謙信は、アルコールが含まれていない飲み物を受け付けない体質なのです。だから、水や茶を飲むと、体調を崩すのですよ。400年ほど後であれば、要治療状態で間違いありません。…と 言う俺も、あいつほどではないにしてもアレですから、茶の味は分かりませんよ」
「構いませんよ。お好みのままに寛いでください」
「では、遠慮なく…。そうだ、無作法ついでに、一つ提案しても良いですか?」
「どうぞ」
「俺と利休殿は ほとんど同世代ですが、現世では、敵でも味方でもなく、住む世界もまるで違いました」
「そうですね」
「ならいっそのこと、互いに気を遣わず、砕けた言葉で話しませんか?」
「年上で、しかも時代を代表する大名の信玄殿がそう言われるなら、私が拒む理由はありませ ん」
「よし。じゃあ 改めてよろしくな、利休。俺のことも、呼び捨てで構わんぞ」
「分かった、信玄」
「良いぞ。何やら昔からの友のようだ。お前も茶を飲みながら話せよ」
「ああ、そうする。茶の味はどうだ?」
「美味いぞ。俺がいつも飲んでいた茶は、もっと味も色も薄かった。
お前の茶は、濃くて泡立っていて苦みが強い。量も少ないな。こういう茶は初めてだが、美味いものだな」
「それでも、薄茶だぞ」
「もっと濃く点てることもあるのか。まあ 俺には、これで丁度良い」
「だんだん濃い味にも慣れてくるものだよ」
「そうか。じゃあ加減は任せる。それにしても、狭い茶室だな」
「皆、初めは驚く。居心地はどうだ?」
「とても良い。俺のマスタングも小さくて狭いが、乗り心地は最高だ」
「荒馬か。お前に似合っているだろうな。誰を乗せて走るんだ?」
「誰も乗せたことはない。独りが良いときにだけ乗るのだ」
「ハードボイルドなんだな」
「気取っているつもりはないが…そう思うか?」
「そんなの、孤独を気取っているとしか思わんだろう、普通」
「そうか」
「一度 誰かを乗せてみろ。俺を乗せろという意味ではないぞ」
「誰かを乗せると、どうなるんだ」
「それは分からない。でも乗せてみろよ。何かが変わるかも知れんし、変わらんかも知れん。
もし気に入らなかったら、二度と乗せなければ良いだけだ」
「分かった。そうしてみよう」
「現世でも、馬にはよく乗っていたのか?」
「乗っていた。小さくて、速い馬にな。前にも後ろにも、ぞろぞろと何人も護衛がいて、とても独りには なれなかったがな」
「甲斐の守護 武田家の当主だからな」
「そんなことに関係なく、独りで生きていけたなら…などと、無意味なことを何度か考えた。父親まで追放したやつが、言って良いことではないと、分かっていてもな」
「一般的なイメージの武田信玄とは、違うところが良いな。まあ 俺には、武士の悩みや苦しみは分からない」
「お前は、商家の生まれだったな」
「そうだ。それなりに裕福ではあった」
「俺にも商人の悩みは分からないし、茶人の悩みはもっと分からない」
「人には皆 それぞれの生き方があるだけか」
「そうだ。この茶室は狭い。だが、もっと広い茶室を好む者もいるよな」
「狭いことに、不満を持つ者のほうが多いと思う。家畜小屋だの座敷牢だのと、散々 陰口を叩かれた」
「そうだろうな。何においても一般的には、広くて大きくて多いことが、正しくて強いのだ」
「分かる。俺だって四六時中 茶室に籠もっているわけではないしな」
「しかし甲斐は、この国の中では、狭く小さく人も少なかった」
「それを何倍にも拡げたから、武田信玄は戦国時代の巨星なのではないか。
確かに、狭い甲斐を狭いままで豊かにする方法も、あったかも知れない。だが武田信玄は領地を拡大することを選び、それを死ぬまでやり続けた。まさに、死ぬまでだ。後の天下人を蹴散らし、堂々と進軍するお前を、止められる者はいなかった」
「そうだな。あんなところで死ぬのは悔しかった」
「上杉謙信殿が動けない、冬に南下した戦略は正しかった。お前の病が悪化していなければ、遠江・三河は武田家のものだった」
「だが、あれが運命……因果応報だったのかな」
「商人も茶人も、そこは武士と同じだ。大きくなるというのは、他人の客を奪うことでもある。それで恨まれ、奪い返され、弱い者はすべてを失い、首を吊ることもあった」
「俺も人一倍 恨みを買った。そのツケを背負わせた勝頼の代で、武田はすべてを失い滅んだ」
「滅ぼしたのは誰だ?」
「信長に決まっている」
「では信長様が天下を取ったか?」
「ああそうか。その信長も二ヶ月後に……なんだか、笑えてくるな」
「じゃんけん みたいなもんなんだ。一番 強い者などいない」
「武田は家康に勝ったが、信長に負けた。しかし その信長が掴みかけていた天下を取ったのは家康か」
「家康殿は、お前に敗れ、信長様にも敵わなかった。それでも最後に勝ったのは家康殿だ」
「いかに虚しくて愚かしい争いをしていたか、分かったぞ。いや、思い出した」
「人の世の争いなど、そんなものなのだろう」
「お前はどうだった?」
「親父から受け継いだ、千家という小さな店を、俺は何倍にも大きくした。お前に軍才があった ように、俺には商才があったのだろう。
茶の湯でも、独自の世界観を作り出せた。財も地位も名誉も手に入れ、体中から自尊心を漲らせていた」
「その気になれば、有力な大名をも動かす力があったのだろうな」
「そういう野心は持たなかったが、可能ではあったな」
「本当は気の小さい秀吉が、そんなお前を恐れたのも当然だったのだろうな」
「それで殺された。悪くもないことに、謝罪なんかする気はなかったからな」
「まったく、人の世の争いというのは、どれもこれもバカらしいな」
「そうだな。しかし争わずにはいられない」
「この茶室と、俺のマスタングは同じだな。これは孤高の天才気取りのお前の象徴だ。十倍の広さで、作り直してみろよ」
「それなら お前は、ファミリーカーにでも乗り換えるか?」
「お前が先にやったら、考えても良い」
「お前が先だろう、アンポンタン」
「うるせえ。成金の茶坊主」
「面白いな、信玄」
「ああ。利休がこんなやつだったなんてな」
「誰にも言うんじゃねえぞ」
「どうせ、言っても信じるやつなんかいねえよ」
「おい、お前のマスタング、俺に運転させてみろ」
「なんだと。乗りこなす自信があるのか?」
「乗ってみなきゃ分からん。ぶつけて廃車にするかも知れん」
「ああ、構わんぞ。やってみろよ」
「そうだよな。なんたって俺たちは……
昔からの悪友なんだからな」




