【4】天下一の武人〈客 上杉謙信 後編〉
【地獄待庵にて 上杉謙信と利休】
「利休殿のお茶割りは、最高に美味いです」
「それは良かったです。いくらでも、お代わりしてください」
「ありがとうございます。それにしても、利休殿の茶で酒を割って飲むなんて、嫌な顔をされるかも知れないと思っていました」
「私も、酒を茶で割ったのは初めてでしたが、客の好みに合ったものを出すのが、本当のもてなしだと思っています。肴も用意できますが、いかがですか?」
「至れり尽くせりなご対応、ありがとうございます。せっかくですが、本格的に寛ぎだすと入り浸って帰れなくなるので、肴は結構です。
茶の湯って、もっと堅苦しい作法とかを守らないとダメなのかと思っていましたが、結構フランクで良いんですね」
「そうですよ。茶なんて、自由に楽しんでもらえれば良いのです。堅苦しい作法や拘りなんて、客に押し付けるものではありません。ほんの一時でも、この狭い空間で濁世の柵を忘れ、寛いで頂きたいだけなのです」
「サラっと当たり前のように言われましたが、それは、茶の道を究めた、利休殿だけが言って良い台詞ですね」
「茶の道を究めたのが、私だけなのかは分かりませんが、一定の境地に達していなければ、とても言えないことなのは確かですね。そういうことも分からない、未熟者が多いのですが、茶の道を知らない謙信殿には分かるのですね。
茶の道でも武の道でも、究めるという行いには、何か共通するものがあるのでしょうね」
「俺が、武の道を究めたとは とても…。まあ 今は、その話はやめましょうか。そろそろ話を戻しましょう」
「武力以外の正しさの尺度と、それを見つけた人物の話ですね」
「そうです。利休殿も言われた通り、何が正しいのかを武力で決めていては、永遠に戦がなくなりません。生涯の大半を戦に費やした俺に、こんなことを言う資格があるのかは分かりませんがね」
「謙信殿が、好んで戦を起こしていたわけではないでしょう」
「確かにそうです。奪わなければ奪われる、殺さなければ殺される。だから、やむを得ない面もありました。武将は皆 利己主義で戦をしていただけだと言われることも、よくあります。
しかし本来、日本人は闘争を好まない民族です。好きで戦をしていた者ばかりではありませんでした」
「私も、多くのご武人と親しくさせて頂いていたので、謙信殿が言われることは、よく分かります。しかし、それでも戦は起きてしまう。その戦を終わらせた家康殿でさえ、武力をもって世を切り従えました」
「そうです。そして、武力で切り従えた世の秩序を維持するには、抑止力や防衛力として十分な武力を、永久に保有し続けなければなりません。しかし、そんなことは至難の業です」
「つまり、戦をなくすためには、武力以外のもので秩序を維持する必要があるのですね」
「その通りです。青臭い理想を語っているのかも知れませんがね」
「私はそうは思いません。理想を求めると、必ずそれを嘲笑する暇人が、一定数はいるものですがね」
「確かに利休殿は、嘲笑する暇人ではありませんね。実はその理想に最も近づいた人間が、俺たちが生きた時代にいたのです」
「信長様……ではありませんね。それは、誰ですか?」
「北条氏康です。俺の生涯で最大の敵だった人です。だから、北条氏康と敵対し続けた俺は、とんでもない愚か者なのです」
「確かに謙信殿と北条氏康殿は、長年に渡り激戦を繰り広げていましたね。その北条氏康殿が、謙信殿が言う理想に、最も近かったのですか?」
「そうです。北条家は早々に幕府に見切りをつけ、独自の統治機構を作ろうとしていました。それは、武力で従えるのではなく、領民に支持される善政で統治するという考え方だったのです。
領地を拡張し防衛するために、武力を使いはしますが、それはあくまで目的ではなく手段でした。まずは武力での支配ありきだった、俺や他の大名とはまったく違う発想です」
「確かに、信長様や秀吉様とも違いますね」
「俺は馬鹿だったから、氏康さんの理想を笑い飛ばしました。しかし、本当に笑われたのは俺のほうでした。
北条軍と戦えば、俺が勝ちます。氏康さんは、無理な戦は避けていましたからね。しかし、奪った土地の領民は、すぐにまた北条家に靡く。その土地を俺がまた攻める…この繰り返しでした」
「北条氏康殿との敵対の発端は、関東管領の上杉憲政の件でしたよね?」
「そうです。氏康さんは、幕府の支配が形骸化したことによって、官位・官職が利権に成り下がり、民を苦しめていると考えていました。だから関東公方や関東管領を廃して、代官を追い出し、民からの余分な搾取をなくそうとしました。
それで、関東管領だった上杉憲政と北条家の戦が起こり、敗れた上杉憲政が、俺の越後に逃れてきたのです」
「謙信殿は、上杉憲政を保護したのですね。それが氏康殿との対立に繋がってしまった」
「俺は、室町幕府を復権させれば、戦を止められると思っていましたからね。上杉憲政に進んで協力しました。ところが上杉憲政は、既に気力を失っていて、数年後には俺に関東管領職と上杉姓を継がせ、自分は一線を退いてしまったのです。
それは予想外のことでしたが、俺が関東管領に就けば、東国をいち早く鎮圧できるとも思いました。しかし、そんな考えが甘かったことを、すぐに思い知らされました」
「当たり前のことに、今 気がつきましたが、謙信殿の越後は、関東管領が統治する国ではありませんでしたよね」
「そうです。関東管領は関東公方の補佐であり、その公方が統治するのは、相模・甲斐・上野・下野・常陸・武蔵・安房・上総・下総で、越後は含まれていません。
統治するべき国の外で、管領を名乗っても無意味です。だから俺は、越後に隣接する上野から、関東諸国にすぐに攻め入り、そこを平定しなければならなくなったのです」
「上杉憲政が統治できずに、謙信殿に仕事を押し付けたようなものでしたし、すでに官職の権限はないに等しかったのです。謙信殿が無理をして、遠方まで兵を出す必要はなかったのではありませんか?」
「そう考えられないのが、俺のバカ正直で頭が固いところだったのでしょう。畿内は将軍が、東国は自分が平定し、幕府の復権を成し遂げようとしていました。
永禄の政変で、将軍 足利義輝が殺されても、幕府の終焉を予期できませんでした。それで、関東の覇権をかけて、氏康さんと無駄な戦を続けてしまったのです。自分の愚かさに気づいたのは、氏康さんが死んだ後のことでした」
「しかし謙信殿は、天下を取れなかったわけではなく、関東管領の職務を全うしたかっただけなのですね」
「そうですよ。天下なんか欲しくありませんでした。職務だから、氏康さんが死んだ後も、関東だけは平定しようと務めました。その俺に、上洛して信長を討てなんて命令してきた足利義昭には呆れましたよ。
だから信長に連絡して、加賀で戦ったことにして……あっ、これは言っちゃダメだったですかね」
「信長様に連絡…は聞かなかったことにして…。謙信殿と氏康殿が手を取り合っていたら、どうなっていたでしょうね」
「俺が邪魔さえしなければ、間違いなく関東に、北条家が統治する一大勢力圏ができていましたよ。
国の生産力や武力を支えているのは、言うまでもなく領民です。その領民が、挙って北条家を支持していたのですからね。領民の支持こそが、武力以外の正しさの尺度になっていたかも知れません。
付け加えれば、北条家はいち早く合議制を採り入れていました。一人のトップの強権で国を動かすことの危険性にまで気づいていたのです。時には小田原評定なんて揶揄されますが、圧倒的な大軍に囲まれて、なかなか結論が出せないなんて、やむを得ないことだったでしょう」
「合議なら、他の大名も行なっていたのではないですか?」
「困ったときにだけ集まるのは〈制度〉ではありませんね」
「なるほど。では この国には、北条家の政権ができていたほうが良かったのでしょうか?」
「さあ…それは分かりません。理想というのは、鋭利な刃物に似ています。鋭利な反面、粗暴な力に対しては脆いものでもあります。
そして、人の集団はしばしば、粗暴な力を振るうことがあります。だから結果的には、良い塩梅に現実主義の、徳川幕府で良かったのかも知れません」
「とても良いお話を聞かせて頂きました」
「利休殿は、氏康さんに似ています。理想を追求する姿は、鋭利な刃物のようです」
「私の理想も脆く、粗暴な力に砕かれました」
「だから、〈利休〉なのでしょう」
「利休という道号は、正親町天皇から下賜されたものです。考えたのはおそらく、大徳寺の高僧の誰かでしょうね。私は、古渓宗陳だろうと思っていますが、本人に聞いても、教えてくれませんでした」
「おそらく、利休という道号に、メッセージを込めたのですよ」
「そう思ったこともあります。しかし私はそれを、受け入れられませんでした」
「鋭利過ぎるのも休み休みにしたほうが良い……それで利休とは、ちょっと皮肉で味があって、良いと思いますがね。しかし利休殿は、鋭利であり続け、名実ともに天下一の茶人のまま亡くなった」
「それを、悔いてはいませんよ」
「俺の人生は悔いだらけですよ」
「本当にそうですか?」
「そうですよ。すべて語れば、さらに長くなりますよ」
「では、肴を出しましょう」
「イカの塩辛はありますか?」
「これは迂闊でした。謙信殿がお好みの、塩辛いものは用意していませんでした」
「そうですか。利休殿でも、そんなことが あるんですね」
「はい。
時には……利を休ませたほうが、良いらしいので」




