【11】操作されたイメージ〈客 松永久秀 後編〉
【地獄待庵にて 松永久秀と利休】
「織田信雄も、かなりイメージ操作されているよな」
「おそらくそうだ。あのバカ殿のイメージは、意図的に作られたものだろう。
…ということは、本当は有能だったのかな?」
「それは分からない。意図的に持ち上げられたり貶されたりするのは、ほとんどが有能な者だとは言ったが、あいつも そうなのかは微妙だな。だが少なくとも、変人なのは間違いない」
「俺たちは、現代とはまるで違う価値観の中で生きたが、あんなイカレた社会にも、それなりの常識が存在した」
「どんな社会、どんな時代にも〈常識〉は存在する。あんたが言う、あのイカレた社会で、織田信雄は常識的ではなかった」
「変人とはそういう意い意味だな」
「そうだ。少なくとも、武士にはとても向いていない」
「そうだな。では文化人としてはどうだったかな?」
「そっちは、さらに分からない。茶の湯には親しんでいたし、能や和歌も得意だったが、飛び抜けた才能があったのかは、はっきりしない」
「武士の中にも、茶の湯や和歌に精通していた者は少なくない。そもそも ああいうものに、才能なんてあるのかな?」
「あんたは文化人でもあったが、自分に才能があると思っていたか?」
「考えたこともない」
「だが あんたは、数々の名品を所有していた。目が利くのは確かだ」
「名品か。今 思えば、その基準は謎だったがな。ああ…だが、お前の目や発想は優れていたぞ」
「そうかな」
「お前のイカレ具合は、一段上だったからな。これは褒め言葉だぞ」
「今 思ったんだが、明らかに才能がない人間はいた」
「いたな。運動神経が関係する、能や蹴鞠では特にそうだ」
「さすがに、信雄に文化的才能がなかったとは思わない」
「そうだな。それにしても、なんでこんな話をしてるんだ?」
「文化と簡単に言うが、ある意味で武士より狂った者が集う、掴みどころのない世界だったから…かな。上手く表現できないのが、もどかしい」
「言語化しようとしたのが、そもそもの間違いだったか」
「そうだな。話を進めた方が良いな。
要は織田信雄は、あのイカレた武士の社会では、常識的でも有能でもなかった…で合っているかな?」
「合っているんじゃないか。文化的レベルは別としてな」
「メンドくさい男だな」
「お前が信雄の話題を出したんじゃねえか」
「そのメンドくさい男が、なぜか強かに生きた。それが気になって仕方がないんだよ」
「強かだったな。政事も軍事も まるでダメだったが、なぜか生き延びて、尾張と伊勢を失ってからも、生活に窮した時期はあまり長くない」
「信長様の息子ってだけじゃ、そうはいかんよな」
「いかない。むしろ、排除されるリスクと背中合わせだ。つまり、織田信長の息子だから脳天気に生きられたというわけではない」
「政事も軍事もダメ。信長様の息子だったのがプラスにもなっていない。なのに江戸幕府で、宇陀松山藩の藩主にまでなった」
「つまり、生きる力だけはあった。そんなやつのイメージを、誰がなんで操作したんだろうな」
「まず思い付くのは、ルイス=フロイスだ。 痴愚とかいう、日本人でもほとんど使わないような言葉で貶している」
「ああ、フロイスの人物評は当てにならん。キリスト教に好意的なら褒める。そうでなければ貶すだけだ。
俺はキリスト教に否定的だった。そのせいで、永禄の政変の首謀者が俺だったとか、散々デマをばら撒かれたぞ」
「将軍 足利義輝を殺した大悪人だとされてきたよな」
「三好長慶様が死んだ途端に、俺が三好一族の支配者になったのか?そんで俺が主導して、将軍の御所を襲撃した?いい加減にしろ」
「まあ、あんたの話はそのくらいにしてくれないか」
「おお、すまん」
「でも あんたの言う通り、信雄はキリスト教に否定的だった。対象的に、肯定的だった信孝(信長の三男)は、フロイスに褒めちぎられている」
「信雄には何度か失態はあったが、信孝との間に、大した能力差はなかった」
「そうだろうな」
「安土城に火を放ったのは、信雄ではない可能性もある。
フロイスは、信雄が、デウスの意志に従い、安土城を焼き払ったかのような書き方をしているんだ」
「そんなの いかにも、嘘くさい」
「そうだろう。やつらの信仰は知らんが、さすがにデウスと安土城は関係ない。
信雄を、安土城放火犯とする史料は、ほぼそれだけなんだ」
「つまり、フロイスの信雄に関する記録の信憑性は低いのだな」
「おそらくでっち上げだ。
では、徳川家康のアレはどうだ?」
「小牧長久手の戦いの件か。家康殿と織田信雄が同盟して豊臣秀吉と戦い、尾張の局地戦においては優勢だった。
しかし突如 織田信雄が、秀吉と個別に和睦してしまったことで、徳川軍は戦の継続が困難になり、撤退を余儀なくされた」
「徳川家康の言い分だけ聞けば、そういうことになるだろうな。
だが あの時、総合力では秀吉が圧倒的に上だった。しかも徳川軍は、春から秋まで半年以上の遠征で領内が逼迫していた。あのまま戦い続けても、勝ち目はなかっただろう」
「元々 勝ち目がなかった戦を、信雄が勝手に和睦してしまったせいで負けた、ということにしたのか」
「多分そうだろう。だが むしろ、和睦した信雄の判断が妥当だったと思うぞ。突如 勝手に和睦したとかいうのも、怪しいもんだ」
「相談しても、家康殿が取り合わなかったような気もするな」
「俺もそう思う。神君 徳川家康が豊臣秀吉に敗れたのを、信雄に責任転嫁したんだろう。そもそも、誰が誰と和睦しようが勝手だしな。
家康だって武田と同盟しながら、勝手に北条家と和睦し、今川氏真を引き渡している」
「そうだな。つまり、あの和睦の件も言いがかりに近い」
「まだ他にもあるか?」
「小田原の陣の後の、転封の件はどうだ?」
「あれは秀吉の策略にしか思えない。尾張・伊勢から、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃への転封と加増。領地の広さなら倍以上だが、織田家の本領の尾張と、信雄が青年期から過ごした伊勢を手放すほどの価値はない。
秀吉は、信雄の京への立ち入りを禁じただけでは飽き足らず、より遠い地へ追いやりたかったのだろう」
「提示したのは、三河・遠江・駿河だけだったとする説もある」
「有り得るな。いずれにしても、加増を辞退しただけで、下野の一郡への減封なんて不可解だ。
初めから秀吉は、織田家の嫡流を、尾張から追い出したかったんじゃないのか」
「すると、加増を断って秀吉様の怒りを買ったという逸話も、微妙だな」
「その通りなんだとは思うが、それは秀吉の言いがかりだし、信雄を無能とする根拠にはならないよな。つまり、フロイスや江戸幕府や秀吉など、色々な方面から色々な事情で、貶められてきたのかもな」
「そう考えれば、織田信雄は賢くはなかったが、一般的な評価通りのバカ殿でもなかったってことになる」
「小さいながらも、江戸幕府に大名家を残したんだしな」
「ほとんど血を流さずにな」
「確かにそうだな。血で血を洗い領地を奪い合っていた時代に、それをやったのは評価されるべきだ」
「時代にフィットしなかったのは、一歩先を行っていたからなのかな」
「それが答えで良いと思う。
最後に、もう一度 文化の話に戻るが、あの楽山園を造れたのは、やはり才能があったからだ。その才能の中には、人望も含まれる」
「創作者には、出資者が必要だからな」
「織田信雄には、たくさんの出資者がいた。才能も人望もない男に、出資する者はいない。
楽山園の建設にかかる、莫大な資金が集まったのだから、大したものだ。本人は完成前に死んでしまったが、大自然の美しさを愛でながら茶を愉しむ、あの庭園の構想は秀逸だった」
「…負けたかな?」
「お前のカビ臭い茶室なんぞ、壊してしまえ」
「なら あんたの平蜘蛛に、爆薬を詰めて持ってきてくれ」
「断る」
「やっぱり、まだ持っていやがるんだな」
「それがどうした?」
「あんただって、カビ臭い名器とやらに しがみついているじゃないか」
「その通りだが、俺には才能がなかったのだから、諦めるしかない」
「本当に、ここを壊してしまいたくなってきたぞ」
「やめておけ」
「壊しても、無駄か」
「そうだ。お前の才能も なかなかのもんだったが……
あの大物には、敵わなかったんだよ」
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