【12】若き日の利休〈客 北条氏康 前編〉
【地獄待庵にて 北条氏康と利休】
「北条氏康殿、よくお越しくださいました」
「まあ、せっかく利休殿に呼んでもらったからな。私も茶は飲むが、作法はよく知らない。失礼があっても許してくれよ」
「作法など、実はどうでも良いのです。茶人の自己満足ですからね」
「それなら良いが…では無作法ついでに言ってしまうと、天下一の茶人と言われる利休殿に招かれても、私はあまり嬉しくはなかった」
「それは構いませんよ。むしろ、はっきり言って頂いて清々しいです。
正直 氏康殿は、茶の湯にあまりご関心がないだろうとは思っていました。それでも、こうして来て頂けて嬉しいです」
「どうして、茶の湯に関心がない私を呼んだのだ?」
「特別な意味や目的はありません。色々な武将の方とお話ししてみたいという、暇な老人のわがままです」
「利休殿は長命だったが、あまり老人というイメージがないな」
「幸い、晩年まで健康でしたし、本当に老いる前に腹を切りましたからね」
「秀吉と、なぜ対立したのかは知らないし、あえて聞こうとも思わない。だが、もっと生きたいとは思わなかったのか?」
「私は、切服させられるほどのことをしてはいません。それなのに、秀吉様に頭を下げてまで生きたいとは、思いませんでした。
健康だったとはいえ、当時すでに七十歳でしたから、どうせ生きても あと僅かだと思えば、死ぬことにさほど躊躇いはなかったのです」
「なるほど。その気持ちは理解できる。秀吉に媚び諂うくらいなら死を選ぶというのは、偶然だが北条家と似ているな」
「確かにそうですね」
「そうは言っても、死を選んだのは氏政で、私はすでに死んでいたがな」
「氏康殿が亡くなったのは、私が五十歳になったくらいの頃でした」
「利休殿より、私が七つ年上なのだよな。利休殿は五十歳のときには、どんな生活をしていたのだ?」
「無名の一商人に過ぎませんでした」
「茶の湯は?」
「若い頃に学んだことを、自分なりの形にしようと苦心していました」
「何歳から、師に付いて学んだ?」
「確か、十九か二十歳くらいだったと思います」
「そんなに若いうちからか」
「私は道楽息子だったので、十代から酒や女遊びに耽っていました。茶の湯を学んだのも、初めはただの道楽の一つのつもりでした。
やがて父親が死んで、二十代で家業を継ぎましたが、なぜか商いの才能があったようで、店を何倍にも大きくしました」
「それはすごい。天下一の茶人には、商才もあったのか」
「しかし その頃、茶の湯では まったく評価されていませんでした」
「商いの成功だけでは、満ち足りていなかったのか?」
「満ち足りませんでした。家業を継いで数年で飽きてしまったのです。
しかし、商いなど どうなっても構わないと開き直れば開き直るほど、儲けが大きくなりました」
「欲を持たず、失うことも恐れないほうが、大きなものを得るのかな」
「私の場合は そうでしたね。茶の湯も同じです。
茶人として名を上げたいという欲を持っていた頃には認められず、その欲も枯れた頃になって、評価が急激に上がったのです」
「面白いな。悪いが、茶より利休殿の話のほうが興味深い」
「悪くはありません。なんであれ、楽しんで頂ければ本望です」
「同じ台詞を、茶人として名を上げたいと躍起になっていた頃の利休殿は、言えたかな?」
「それは言えませんでしたね。氏康殿の洞察力には恐れ入ります」
「利休殿の人生が興味深いからだ。茶人として名が上がったのは、何がきっかけだったのだ?」
「信長様に出会ったことです」
「信長か。あの男も面白かったな。できれば一度 会ってみたかった」
「地獄でも会えますよ。お二人の会話も面白そうです」
「機会があったらな。信長と出会って、どうして利休殿の名が上がることになったのだ」
「私が売り込んだ茶器を、買って頂いたのです。
信長様は十人以上の商人から、茶器や武具、絵画など買い求めていました。私も知合いの伝手で、信長様に物を売り込む機会を得ました」
「信長本人に会ったのか?」
「そうです。軍事や政事に関する取引は、担当の家臣に任せていましたが、名品や珍品を買うときは、必ずご自分の目で判断していたのです」
「信長には、それだけの財力があったということだな」
「そうですね。時には、とんでもない高額でも、惜しげもなく出していました。買う買わないの判断も、驚くほど早かったです。ですから、売り込みと言っても、質問に短く答えるだけでしたね」
「利休殿のが売りに行った茶器を、買ってもらえたわけだな」
「そうです。それも、提示した価格通りでです」
「それは珍しいことなのか?」
「信長様が提示通りの額で買うのは、十か二十ほど買ううちに一度あるくらいでした。ケチなわけではなく、信長様に独自の価値基準があったようです。
信長様の目に適うものを持参しないと、取引に呼ばれなくなりますから、商人たちにとっては真剣勝負でした」
「利休殿は、お目に適ったのだな」
「そうでした。あれは幸運だったと思います。私は商いで成功していたとはいえ、まだまだ財力では、他の商人たちには とても及びませんでした。ですから持参したのは、信長様にとってはさほど高額でもない茶碗一つでした。
信長様は、それを一目見て手に取ったかと思うと、側にいた小姓が、提示した通りの金を私の目の前に差し出していました」
「私には、とても真似ができないな」
「信長様の、あの決断の早さは、私が知る中で一番だったと思います」
「いや、真似できないと言ったのは、利休殿のことだ。その取引は、利休殿にとっても真剣勝負だったのだろう?」
「そうですね」
「真剣勝負にただ一つだけ、最も自信があるもので臨んだ。そして見事に最善の結果を出した。
利休殿は幸運だと言ったが、それだけではなかったはずだ。それが何か、言葉では上手く表現できないがな」
「私も、幸運以外に表現する言葉が見つかりません。それでも 初めての取引で、信長様の目に適ったおかげで、私の名は、茶人たちの間でよく知られるようになりました。
その後も信長様には、数多くの茶器を買って頂き、時には意見を求められるようにもなったのです」
「なるほど。そして、信長お抱えの茶頭になったのか」
「そうです。しかし その期間は、あまりにも短すぎました」
「信長が、明智光秀に討たれてしまったか」
「はい。あの日は本能寺で、茶会を催すはずでした。その差配をしたのも私です」
「それは災難だっただろうな」
「私が、本能寺の変に関わっていたのではないかと、疑惑の目を向けられました。信長様が亡くなったうえ、妙な疑いをかけられ、私はもう 茶人としても商人としても終わったと思いました」
「そう思うだろうな」
「信長様の死で、私の茶の湯に対する意欲が失われていたのもあって、茶の湯も商いもやめて、隠居するつもりでした」
「そうしなかったのは、どうしてだ?」
「信長様亡き後の織田家を掌握した、秀吉様の茶頭になるよう求められたからです。私は一度 辞退しましたが、秀吉様は諦めてくれませんでした」
「分かる気がする」
「そうでしょう。そして ついに断り切れず、私は熱を失ったまま、再び茶の湯の世界に戻ったのです」




