第38章 伝統を繋ぐ手
会議室でクリスと打ち合わせをしていたハルト。すると、廊下の方からバタバタと足音が聞こえてきた。バタンと激しくドアが開くと、源が慌てた顔をして飛び込んでくる。
「ハルト、えーごっちゃ!」
ハルトは驚いて立ち上がった。
「源さん、どうしたの?」
「吉田の爺さんが引退するんじゃ!」
「え? 吉田さんが……!?」
『吉田畳店』の店主である吉田の爺さんは、これまで結の郷の畳をすべて手作業で作ってくれていた。だが高齢のため後継者がおらず、店を閉めることになったのだという。
すると、ハルトの耳元でトアから通信が入った。
『クリス。条件に合致する畳職人が見つかりました。スカウトを行ってください』
「分かりました」
安心したハルトはクリスに声をかける。
「ちょうど酒造道具職人の大迫さん一家が、見つかったばかりなのに、連日のスカウト作業で大丈夫かい、クリス?」
クリスは爽やかな笑顔を浮かべて首を振った。
「お任せください。これが私の仕事ですから」
◇
数日後。無事にオンライン面接を終えたのは、熊本の『金森畳店』の金森肇さん一家だった。畳一級技能士の資格を持つ肇さんと妻の蓉子さん、そして共に修行中である息子の一朗さんと治朗さん。一家総出で一枚一枚、手縫いの伝統的な畳を作り続けている職人一家だ。
そしてもう一組トアのデータ解析によって奇跡的に見つかったのが、鹿児島で代々、酒造りに欠かせない木製道具を作り続けてきた大迫真司さん一家だった。真司は日本でも数少ない木樽蒸留器職人。長男・和磨は酒樽職人、次男・郁磨は仕込み桶職人として、それぞれ父の技を受け継いでいる。
結の郷に新しい工房が完成するまでは、今まで通り現地で作業を続けてもらうことになるが、二つの家族は「手仕事の伝統を後世に残せるなら」と、快く結の郷への移住を決心してくれたのだった。
この朗報を聞き、涙を浮かべて大喜びしたのが酒職人の斎藤だった。
「本当ですか!? あの大迫さん一家ですよね!? 長男の和磨さんの酒樽で酒が仕込めるなんて……! それに、親父さんの作る吉野杉の木樽蒸留器は、日本でも彼しか作れないと言われている幻の道具なんですよ!!」
「え? そうなの!?」
ハルトが目を丸くすると、斎藤は呆れたように身を乗り出した。
「社長、知らずにスカウトしたんですか!?」
「ご、ごめん! 完全に無知だった……」
「あの大迫さんの木樽蒸留器と和磨さんの酒樽、そして郁磨さんの仕込み桶があれば……一級品の本格焼酎が作れますよ!」
「焼酎か……!! あ、そうそう。和磨さんが斎藤さんに『ぜひ使ってほしい』って酒樽を送ってくれるって言ってたよ。彼も斎藤さんの名前を聞いたら大興奮して喜んでいたから……それを伝えに来たんだ」
斎藤は感動のあまりポロポロと涙をこぼした。
「神様っているんだなぁ……! はい、分かりました! 和磨さんの樽で世界一の酒を作ってみせます!!」
◇
「……っていう感じで、斎藤も和磨さんもお互い感激してたんだよ」
会議室に戻ったハルトが、笑顔でクリスとトアに報告する。
すると、スピーカーからトアの声が響いた。
『ハルト、木樽蒸留器の価値はお酒造りだけに留まりません。あの道具があるということは、高濃度の医療用アルコール精製が可能になるということです』
「え? 医療用アルコール?」
『はい。インフラが停止した未来において、消毒液や感染症予防のアルコールは確実に不足します。さらに、えまが薬草から成分を効率よく抽出(チンキ化)するためにも、純度の高い蒸留酒やアルコールは不可欠です。あの大迫氏の木樽蒸留器は、将来の結の郷における【医療の命綱】となるのです』
トアの解説を聞き、ハルトはハッと目を見開いた。
「酒造りだけじゃなくて、診療所やえまちゃんの薬作りにも直結するのか……! トア、そこまで計算してスカウトしてくれたのかい?」
『もちろんです、ハルト。結の郷の【食】と【医療】、そして【居住空間】を同時に向上させる最適解として導き出しました』
トアの無機質ながらどこか誇らしげなアナウンスに、ハルトは深く頷いた。
「すごいよ……みんなの技と知恵が合わされば、僕たちはどんな環境でも生きていける」
こうして、熊本の畳職人・金森一家と、鹿児島の木樽蒸留職人・大迫一家という心強い仲間を迎え、結の郷はまた一つ、揺るぎない自給自足の基盤を強固にしていくのだった。
◇
後日。
鍾乳洞内の酒造り工房に、和磨の作った立派な吉野杉の酒樽が届いた。釘や接着剤などは一切使わず、木材と竹のタガだけで組み上げる日本伝統の酒樽だ。斎藤は、樽を愛おしそうに抱きしめながら、
「ああ、なんて木の香りだ! それにこの手触り……これは芸術品? いや、神の御業だぁ〜!」
と声を震わせている。どこかえまを連想させる熱狂ぶりに、ハルトは苦笑いしながらそっと退散することにした。
一方、鹿児島では——。
和磨が斎藤から送られてきた結の郷の酒瓶を抱きしめていた。
「あん斎藤さんの作った酒じゃち……! 恐ろしいて飲まれん(もったいなくて飲めない)どん、飲みて。あ〜、どげんすい(どうしよう)!?」
「じゃ、おいが飲んでやっで」
横から郁磨の手が伸びてくる。
「さ、触ん(さわるな)! こいは俺のじゃっでな! ……まぁ、ちょっとっでん(少しだけなら)分けてやらんこっもなかが」
意を決して蓋を開け、器に注ぐと、豊潤な香りがふわりと立ち上った。
「こ、こいは……!」
一口含んでみると、まるで細胞の一つひとつに染み渡るような清らかさ。そして最後にキリッとした深みと、優しい甘みが鼻へと抜けていく。
「まこて神の雫じゃ……!!」
感動のあまり大粒の涙をこぼす和磨。
「やれやれ……」
郁磨も器を取り、そっと口を湿らせてみる。
「……っ!?」
兄が泣いている理由が、痛いほど分かった。
「兄貴、泣っちょっとらんで、注文の分を作りもすぞ!」
涙をぬぐい、力強く前を向く郁磨の姿に、和磨も力強く頷いた。
「おうっ!!」
二人は熱い意気込みを胸に、工房へと向かったのだった。
◇
結の郷では、今日も着々と開墾と建設が進んでいる。
源たち宮大工チームは、三重の塔を組み立てる心地よい木槌の音を響かせていた。一方の居住エリアでは、茅葺き屋根の家々が急ピッチで姿を現している。
移住までにはまだ時間がかかるが、いずれこの郷に金森一家や大迫一家が加わり、人々の温かい営みが広がっていくのだ。
ハルトは、最初は何もなかったこの原野が、次々と美しい形を成していく様子を感慨深げに見つめていた。
「どうしたんだ、ハルト? ボーっとして」
声をかけられ振り向くと、仁とクリスが歩み寄ってくるところだった。
「ああ……最初、ここには本当に何もなかったなって思い出していたんだ」
「マイケルの採掘チームが来たのが、まるで昨日のことのようですね」
クリスが懐かしむように微笑むと、仁が肩をすくめる。
「おいおいクリスまで……。ま、気持ちは分からないでもないけどな」
「うん、とりあえず今は、この気持ちに浸っていたいんだ。俺一人の力では、とてもここまで出来なかった。クリス、仁、本当に感謝しているよ。そして、職人の皆さんにも……」
ハルトの脳裏に、かつてメタバースの世界で体験した光景が蘇る。
――『生き残れ』
トアが遺した、あのたった一つのメッセージ。
すべての始まりは、あそこからだった。
間違った選択をしてしまった人類を、優しい滅びへと導いたトア。そのトアが、再び人類に与えてくれた最後のチャンスなのだ。
ハルトは気持ちを新たにし、結の郷に生を受ける未来の子孫たちが生き残れるよう、自分のすべてを注ぎ込むことを静かに誓った。
39章へ続く。




