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鋼の黙示録  作者: のんな
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第35章 奇跡の調合と『通仙ベルラ』

ドイツ・ガブリエルの研究所では、昼夜を忘れた研究が続いていた。


「ベラドンナとヒヨスから抽出したアトロピンおよびスコポラミン……。これらは痛覚伝達を遮断する力は絶大だが、単体では呼吸抑制などの副作用が強く、安全域が狭すぎる」


ガブリエルが電子顕微鏡の分析データを指し示しながら眉をひそめると、えまは持参した生薬資料を机いっぱいに広げた。


「そこで『曼陀羅華』と『草烏頭』のアルカロイドに、毒性を和らげ自律神経を安定させる『甘草』、さらに微小循環を維持する『当帰』を黄金比率で配合します。ガブリエル博士の高度な精製技術で抽出した西洋ハーブ成分と、東洋医学の『配伍』と『相克』の理論を融合させるんです!」


「……なるほど。西洋の純度と東洋の調和か。」


ガブリエルの青い瞳が輝く。


「成分を分子レベルで相互作用させれば、副作用を抑えながら麻酔作用だけを最大限に引き出せるかもしれない。」


彼はすぐさま分析装置を操作し、精密ろ過とシミュレーションを開始した。


それから二人は寝食を忘れ、試験管を手に取りながら配合比率をコンマ数ミリグラム単位で調整し続けた。


やがて夜が明け始めた頃――


一本の試験管に、澄みきった淡い琥珀色の液体が静かに満たされる。


ガブリエルは息を呑み、試験管を光にかざした。


「……で、できた。呼吸抑制や循環器への負担を大幅に軽減した、新しい静脈麻酔液だ!」


疲労で目の下に濃い隈を作った二人は、それでも歓喜のあまり飛び上がった。


「は、博士! すぐに動物実験へ移りましょう!」


「ああ、そうだな!」


天才と薬学オタクは、休む間もなく次の工程へ進む。


ガブリエルは実験室の飼育ケージから一羽のウサギを慎重に抱き上げる。


えまもリュックを開き、大切に持参した”秘密兵器”を取り出した。


それは、ハルトの提案をもとに、結の郷のガラス職人・山本と鍛冶職人・真田が完成させた「手動式ゴム手袋成形機」で製作した医療用天然ゴム手袋だった。


えまが手袋をはめる。


まるで吸い付くように指へ密着した。


「すごい……! 指先の感覚がほとんど失われません。これなら無菌状態を保ちながら、精密な処置もできます!」


えまは微笑みながら、もう一組をガブリエルへ差し出した。


「どうぞ、博士。結の郷の技術を試してみてください。」


ガブリエルも手袋を装着し、その質感に目を見張る。


「驚いた……。」


続いて山本が吹き上げた精密ガラス注射器へ新しい麻酔液を満たす。


真田が鍛えた極細の金属針は、寸分の狂いもなく静かに装着された。


「気密性も滑らかさも完璧だ。この器具なら液漏れや微細な空気混入も防げる。極めて精密な投与が可能だ。」


慎重にウサギの静脈へ麻酔液が投与される。


数秒後――


暴れていたウサギは苦しむ様子もなく、静かに眠りへ落ちていった。


「……バイタルチェック。」


ガブリエルはすぐにモニターへ目を向ける。


「心拍数、正常。呼吸数も安定している。自主呼吸も維持されている!」


えまは手袋越しにウサギの足先へピン・プリックによる痛覚刺激を加えた。


しかし、ウサギはぴくりとも反応しない。


「完全に痛覚が遮断されています!」


そして約三十分後――


ウサギはゆっくりと目を開け、何事もなかったかのように元気よく耳を動かし始めた。


後遺症も異常所見も認められない。


「成功だ……!」


えまが飛び上がった。


「成功ですよ! ガブリエル博士ーーっ!!」


普段は冷静なガブリエルも、感情を抑えきれず拳を強く握り締めた。


「ああ、見事な成功だ!」


彼は満面の笑みを浮かべる。


「僕たちの知識と、結の郷の職人たちの技術が一つになったからこそ生まれた成果だ。」


二人は固く握手を交わした。


ガブリエルはガラス注射器と試薬瓶を愛おしそうに見つめながら静かに微笑む。


「華岡青洲の『通仙散』と、僕のベラドンナ。その融合から生まれた新しい麻酔薬……。」


彼はゆっくりと顔を上げた。


「名前は『通仙ベルラ』にしよう。どうだい、えま?」


えまの表情が一気に輝く。


「『通仙ベルラ』……最高です! ガブリエル博士!」


「さあ、えま。一刻も早く、この成果を結の郷へ届けてくれ。」


「はい!」


えまは大きく頷いた。


「最高の成果を持って帰ります!」


こうして、西洋の科学、東洋の叡智、そして結の郷の職人たちの技術が融合し、未来の命を救う一滴――『通仙ベルラ』が誕生した。



数日後。


ドイツでの歴史的成功を胸に、えまはトアが手配したルートを経て結の郷へ帰還した。


背負った大きなリュックには、ガブリエルの薬草園から分けてもらった希少なハーブの種子と、『通仙ベルラ』の試薬、そして数々の資料が詰め込まれている。


「みんなーーっ! ただいま戻りましたーーっ!」


青空の下、広場に向かってえまが声を張り上げると、作業小屋や棚田から一斉に人々が駆け寄ってきた。


「えまちゃん! お帰りなさーい!」

「無事でよかった!」


ハルトと美琴が笑顔で駆け寄り、その後ろにはハルトの右腕として温かい笑みを浮かべる後藤や、クリス、ガラス職人の山本久、鍛冶職人の真田鉄也たちの姿があった。


「えま、本当にお疲れ様。無事に帰ってきてくれて安心したよ」


後藤が真っ先に歩み寄り、労うように優しく微笑んだ。普段から抜群のコミュニケーション能力で現場をまとめ、ハルトを支えている後藤の朗らかな声に、えまの緊張も一気にほぐれていく。


「後藤さん!ただいま帰りました! クリスさん、ガブリエル博士からの連絡は聞いていますか?」


「ええ、もちろんです」


クリスが安堵の笑みを浮かべると、えまは勢いよくリュックを下ろし、テーブルの上に大事そうにひとつの木箱を置いた。


「はいっ! ガブリエル博士との共同研究で、心臓や呼吸への負担を大幅に軽減した、新しい静脈麻酔液『通仙ベルラ』が完成しました! 精製データも完璧です!」


「『通仙ベルラ』……! 華岡青洲の知恵と、ガブリエルの西洋ハーブが結実したのですね」


ハルトが感動に瞳を潤ませる中、えまは、山本や真田に近づき


「山本さん、真田さん! お二人が作ってくれたこの注射器と針、そしてあの手動成形機のゴム手袋……ガブリエル博士が『近代的な大工場もない場所で、手作業でここまでの精度を作り出すなんて信じられない!』って、大絶賛してましたよ!!」


「な、なに……!? あのドイツの天才博士が、俺たちの道具を……!?」


真田がゴツゴツとした大きな手を震わせ、山本も目頭を熱くした。


「山本さんのガラスの密閉性と滑らかさ、真田さんの針の鋭さと気密性が完璧だったからこそ、一滴の液漏れも空気の混入もなく、ミリグラム単位で正確にウサギに投与できたんです! 職人さんたちの手仕事がなかったら、実験は成功しませんでした!」


「くぅぅ……! 鍛冶屋冥利に尽きるぜ! 鉄を叩き続けてよかった……!」


「俺もガラスに命を吹き込んできた甲斐があったというものです!」


職人たちが感極まって固い握手を交わすと、ハルトが二人の肩を優しく叩き、自分のことのように誇らしげな笑顔を見せた。


「山本さん、真田さん、本当に素晴らしい成果です!!お二人の技術が、世界に通用することを証明してくれました。結の郷の誇りですよ」


「 おうよ、これからもどんどん良いものを作ってやるぜ!」


ハルトの温かい言葉に、職人たちも一層誇らしそうな表情を浮かべる。そこへ、えまがリュックのポケットから厳重にパッキングされた袋を取り出し、ニッコリ微笑みながら、後藤に手渡した。


「それと、後藤さん!約束通りガブリエル博士の薬草園で分けてもらった、ヨーロッパ原産の高品質なメディカルハーブの種です! カモミールにセントジョーンズワート、麻酔薬の成分を補うための希少種もありますよ!」


「よくやったな!えま。こんなにたくさんの種類を……! すぐに棚田の準備を進めて、最高の環境で芽を出させよう。ハルト、薬草園の拡張計画、早速進めてもいいかい?」


「もちろん!一緒にやってみよう」


ハルトは、えまの成功を讃え声をあげる。


「みんな! えまが最高の成果を持ち帰ってくれたぞ! これからもっと素晴らしい薬草園を作って、みんなの健康と安心を守っていこう!」


「おおーーーっ!」


ハルトの呼びかけに、広場全体から大きな歓声と温かい拍手が巻き起こった。


美琴が優しい手つきで、えまの肩を撫でる。


「えまさん、本当にお疲れ様。これで……将来結の郷で大怪我や手術が必要な人が出ても、痛みに苦しまずに治療ができるのね」


「はい! 山本さんや真田さんたちの道具と、ガブリエル博士の抽出技術、そして私が結の郷の薬草園で育てる生薬があれば、『通仙ベルラ』も医療用ゴム手袋も、この郷で完全に自給自足できます! もう、素手での手術や感染症に怯える必要もありません!」


えまの力強い言葉に、ハルトは深く、深く頷いた。


「ありがとう、えまちゃん。君がドイツへ飛んでくれたおかげで、結の郷の医療は未来へ向かって大きな一歩を踏み出すことができた。後藤やみんなと一緒に、この希望をさらに育てていこう」


「良かった〜」


えまは、安堵の笑みを浮かべた次の瞬間、その場へふらりと倒れ込んだ。

慌てて後藤が、抱き上げると


皆が驚き走ってきて


「えまちゃん!!大丈夫⁈」


「あ、寝てる」


後藤がつぶやく。


この小さな戦士の寝顔を見ながら皆がこう思った。


(お疲れ様。えまちゃん)


トアが、ハルト・クリス・後藤の肩に乗ったてんとう虫から彼等だけに聞こえるように通信してきた。


『新医療技術「通仙ベルラ」を登録しました。結の郷の医療体制は計画値を上回る速度で進歩しています。皆さん、おめでとうございます』


職人たちの「技」、天才たちの「知恵」、そして仲間たちの「絆」が結ばれたその場所には、確かな希望の光が満ちあふれていた。


(36章へ続く)



挿絵(By みてみん)


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