第34章 二人の天才と緑の錬金術
トアが提示した特別なルートを乗り継ぎ、百草えまは無事にドイツの地に降り立っていた。
(う〜ん。ドイツって感じがする。憧れだったウェーバー博士が、ここにいるのね!!)
ここ数日で、東京から岡山。そして岡山から羽田に行きドイツまで約16時間のフライト。
それでもえまの好奇心が勝り疲れなど感じていなかった。
古い石造りの重厚さと最先端の実験設備が同居する研究所の一室で、ガブリエル・ウェーバーはひとり、眉間に深い皺を寄せて試験管を見つめていた。
ガブリエル・ウェーバー。ドイツが誇る、メディカルハーブと薬草学の天才だ。端正で知的、どこか浮世離れした雰囲気を纏う彼は、古代からのハーブの知恵と現代科学を融合させた医療技術の研究に没頭していた。
だが、現在取り組んでいる「未来の医薬品が無くなった時代の為の安全に使える強力な麻酔薬」の開発は、大きな壁にぶつかっていた。
ハーブ由来のアルカロイドは効果が強力である反面、心拍数や神経系への毒性を完全にコントロールするのが極めて困難だったのだ。
そこへ、部屋のドアがノックされ、クリスからの手配を受けた案内人が入ってきた。
「ガブリエル博士。日本から、トア・コーポレーションの推薦した薬剤師が到着しました」
「あぁ……クリスが言っていた専門家だね」
ガブリエルは顔を上げ、静かな青い瞳を向けた。
どんな厳めしい老学者がやってくるのかと思いきや、入ってきたのは大きなリュックを背負った、小柄で愛嬌のある可愛らしい日本人女性だった。
えまは、クリスに言われた通り同時通訳のイヤフォンのスイッチを付け、最新式のイヤフォン型同時通訳をガブリエルにも渡す。
「初めまして、ガブリエル博士! 日本から来ました漢方専門薬剤師の百草えま(もぐさ えま)です! お会いできて光栄です!」
「……君が?」
ガブリエルは少し意表を突かれたように目を見張った。だが、えまは挨拶もそこそこに、視線をガブリエルの手元にある実験器具へと向けた。
その瞬間、えまのくりっとした瞳が爛々と怪しい光を放ち始める。
「……ちょっと待ってください。その無色澄明の抽出液、ナス科のベラドンナやヒヨスから精製したアトロピンとスコポラミンですね!? 西洋メディカルハーブとしての純度の高さ、素晴らしすぎます!」
えまは、興奮しつつも、一度息継ぎをして
「 ……でも博士、これ単体だと副交感神経への影響が強すぎて、麻酔としての安全域が狭すぎませんか!?」
見た目がティーンエイジャーにしか見えないえまの指摘に
「……! 君、一目でそこまで見抜くのか?」
ガブリエルは驚きに眉を跳ね上げた。
えまはガブリエルの返答を待つ間もなく、背中のリュックをテーブルにドカッと置くと、厳重に検疫済みのパッキングが施された数々の生薬サンプルを並べ始めた。
そして深呼吸をすると一気に話しだす。
「だからこそ、私たちが持つ東洋の知恵が必要なんです! 日本では二百年以上前、漢方医の華岡青洲が『曼陀羅華』と『草烏頭』を主成分にした『通仙散』で、世界初の全身麻酔手術を成功させています! 曼陀羅華の主成分も同じ毒性の高いアルカロイドですが、漢方には生薬を組み合わせる『配伍』という考え方があり、毒性を抑えたり作用を高めたりする理論があるんです!」
えまは熱弁をふるいながら、持ち込んだ『甘草』や『当帰』の成分配合データをガブリエルの前に突きつけた。
「博士の精密なハーブ抽出技術と、この生薬の相乗・中和ロジックを融合させれば、心臓への負担を抑えつつ、より安全な麻酔薬を目指せます!博士の論文は全部読んできました!ガブリエル博士の科学と、私の漢方なら、作れるはずです!!」
さらにえまは、リュックの奥から大切そうに取り出した専用の保護ケースを開け、テーブルの上に並べた。
「それから博士! これはお土産兼、実用化のための秘密兵器です! 日本の結の郷にいるガラス職人の山本さん、鍛冶職人の真田さんたちが手作業で作り上げた、ガラス製注射器とプラチナ合金製注射針、そして……ハルトさんの提案で職人チームが作った『手動式ゴム手袋成形機』の設計図と、試作品の手袋です!」
「手動式の……成形機!?」
ガブリエルは目を見張り、提示された設計資料と手袋を凝視した。
それは電気を一切使わず、木製のレバーと精巧な歯車ギミックを動かすことで、山本さんが吹いた「ガラス製の手の型」を天然ゴムの液に滑らかに浸し、均一な薄膜を作るという、職人技の結晶のようなコンパクトな機械だった。
「ガブリエル博士が研究されているタンポポ由来の天然ゴム抽出液があれば、この成形機で医療用ゴムグローブを完全に自給自足できます! これがあれば、未来の医師たちが素手で手術をして感染症に怯えることもなくなります!」
ガブリエルは、資料と現物を見比べながら
「……信じられないな。近代的な大規模工場なしで、手仕事とメカニズムだけでここまでの医療環境を構築しようというのか……!? この器具と設備があれば、未来の投与実験や実際の外科手術が一気に現実味を帯びてくる!」
息もつかせぬマシンガントークと次々と繰り出される理論。そして日本の職人たちが寄せた本気の情熱。
ガブリエルは数秒間呆然とそれらを見つめていたが——次の瞬間、その美しい唇の端をすっと持ち上げ、青い瞳にメラメラと情熱の炎を宿した。
「……僕が数年悩んでいた中和の答えと、それを現場で使う完璧な道具まで、君はすべて持ってきていたというのか」
ガブリエルは白衣の袖を捲り上げると、ノートと試験管をえまの目の前に引き寄せた。
「百草えま。君の言う『配伍』の理論と、その職人たちの資料……すべて僕に見せてくれ。僕のメディカルハーブの抽出ロジックと組み合わせて、今すぐシミュレーションを回す!」
「はいっ! 喜んで!!」
初対面の遠慮も一瞬で吹き飛んだ。
一瞬にして二人の熱量が上がり、その瞳が爛々と輝き始める。
「博士があんな表情を……」
研究所のスタッフたちが呆気にとられる中
「百草えま……食事は後だ。今、この仮説を試さないと!!」
「はいっ! 私もご飯より実験が大好物です!」
西洋薬草学の天才と東洋生薬のヲタは、互いの知識をぶつけ合いながら、夜を忘れて実験を続けた。研究所の明かりは、翌朝まで消えることはなかった。
こうして未来の医療を変える――“緑の錬金術”が静かに産声を上げた。
(35章へ続く)




