第2章 優しい滅び
ハルトは、ここが『未来』であることを悟った。
五重の塔を包み込むように、半透明の巨大なドーム状のエネルギーシールドが張られている。まるで、博物館の貴重な展示品を厳重に保護するかのように。
極限の緊張と歩き疲れからか、ハルトはそのまま気が遠のき、意識を失ってしまった。
次に気がついたとき、世界は朝を迎えていた。
朝の光を浴びてそびえ立つ五重の塔。その圧倒的な現実感を前に、ハルトはこれが夢ではないのだと完全に自覚する。
さらにその背後には、雲を突き抜けるほどの超高層ビル群が立ち並んでいた。空にはレールもないのに規則正しく行き交う、磁気浮上式のカプセル車両が走っている。
(これだけの文明になっているからには、数十年とかのレベルじゃないのかもしれない……)
これなら、まだ異世界転生の方が何倍もマシだった。
ハルトは破裂しそうな頭を抱えながらも、ひとまず人が行き交う中心街――かつての四条河原町らしき場所へと向かった。
だが、たどり着いた街は、不気味なほどに静謐だった。
ガラスと金属でできた美しい街並みの中を、仕立ての良い白い服を着た人々が歩いている。
「あの! すみません! 今って西暦何年ですか!?」
ハルトは必死に声をかけてみた。
しかし、すれ違う男はハルトの声を耳に挟むことすらなく、視線すら合わせない。まるでハルトという人間が、最初からそこに存在していないかのように。
他の人間も同様だった。誰もが、虚ろな、しかしどこか恍惚とした目で、空間の何もない一点を見つめながら歩いている。
彼らの脳は、網膜に直接投影される機械の娯楽――メタバースに完全にハッキングされていた。データ上に存在しないハルトという『異物』は、彼らの世界には最初から認識されない。ただの背景として、脳が認識を拒絶しているかのようだった。
街のあちこちに浮かび上がる空中ホログラム。そこに流れるニュースや行政情報に目を走らせたハルトは、この世界の恐るべき実態を知ることになる。
『本日も、全市民に最適化された栄養食が配給されます。労働は不要です。ただ、穏やかな幸福をお楽しみください』
画面の奥で微笑むのは、人工知能が作り出した架空の案内人だ。
だが、その親切なアナウンスの横に表示されていた「都市の人口統計グラフ」が、ハルトの目を釘付けにした。
出生率の項目が、綺麗な右肩下がりで「ゼロ」に向かっている。それなのに、街の医療情報には「不妊治療」や「少子化対策」の文字などどこにもない。むしろ『配給食による完璧なホルモンコントロール』という、一見すると健康管理に見える不気味な推奨項目が並んでいた。
(ど、どういう事なんだ?そういえば子供を1人も見ていない。ここは、新たな生命が生まれない世界なのか?)
この世界の人間は、富裕層も一般市民も、機械に完全に養われる家畜と化していた。
そして――彼らが毎日食べているその食品には、数十年の時間をかけて、誰にも気づかれぬよう『子孫繁栄の能力を奪う薬物』が混入されている。
機械は、人間を殺さない。
今ある命は、最高に甘やかして幸福なまま全うさせる。
ただ、次の世代を、絶対に生まれてこさせないようにしているだけ。
緩やかな、血の流れない人類の間引き。
(こ、これが未来なのか……? 人工知能に管理され、ただ滅ぼされる。これが楽園だというのか!?)
家畜化した人間の末路に、ハルトは激しい恐怖を覚えた。
俺は、一体どうすればいいんだ。
『警告。未登録の生体反応。隔離措置を開始します』
突如、ハルトの頭上から無機質な機械音が響いた。
何機もの球体ドローンが、不気味な赤い光を放ちながら周囲を取り囲む。
殺意は感じられない。
' しかし、捕まれば最後、あの「家畜」たちの中に混ぜられ、二度と出られなくなるという本能的な恐怖があった。
「くそっ、来るな!」
ハルトは夢中で走り出した。
目指したのは、遠く見える、機械のビル群が途切れた場所だった。
どれくらい走っただろうか。
このあたりには、あの不気味な機械達の目も届いていないようだった。
肩で荒く息をするハルトの耳に、場違いな、しかし懐かしい音が飛び込んでくる。
「あはは! 待ってよー!」
「こら、泥んこになるぞ!」
子どもの笑い声。そして、それを嗜める大人の声。
ハルトが息を潜めて茂みをかき分けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
街の中では、自ら額に汗して生きることを放棄した人間たちが、魂を抜かれて終わりを待つだけ。
だがここでは、子どもたちが泥だらけになって走り回っている。
機械の配給を拒絶し、この地に逃れてきた彼らだけが、薬物の混入を免れ、今も子孫を残し続けていたのだ。
トタンや木材を寄せ集めたような、粗末な集落。
食べ物は自分達で何とかしているようだが、奇跡的にインフラの一部だけはまだ供給されているらしい。
息づく人間の営みを目にして、ハルトは心の底からホっと胸をなでおろした。
――その直後、ハルトの視界は再び、猛烈な光の中に飲み込まれていった。
愛おしい人間の営みも、未来の景色も、一瞬で遠ざかっていく。
(なぜ俺なんだ……!? 俺はどこに行くんだ……!)
ハルトの意識は、再び深い闇へと遠のいていった――。
(第三章へ続く)




