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鋼の黙示録  作者: のんな
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第16章 僕たちの挑戦。


パチン、と心地よい音を立てて、ハサミが太い茎を切り取る。

ずっしりとした重みとともにハルトの手の中に収まったのは、エメラルドグリーンの宝石のように美しく輝くブドウの房だった。 


「うわぁ、見てみろよハルト! 今年のシャインマスカットもめちゃくちゃ大粒だぞ!」


隣で一房持ち上げた後藤が、子供のように目を輝かせて声を上げる。


一粒もぎ取って口に放り込むと、パリッとした皮が弾け、上品で濃厚な甘みと高貴な香りが口いっぱいに広がった。


「本当だ、やっぱり最高に旨いな。じいちゃんのブドウは、今年も日本一だ」


ハルトは溢れる果汁を拭いながら、しみじみと呟いた。

ブドウ畑のすぐ脇では、のどかな鳴き声を上げながら、数頭のヤギたちがせっせと足元の雑草を食べてくれている。彼らのおかげで、面倒な草刈りの手間もずいぶんと省けていた。


あの日、源さんが『結の郷』の建設予定地に立派な看板を建ててから、事態はハルトたちの想像を遥かに超えるスピードで急速に動き出していったのだ。


暗くなると優しく光るソーラー瓦のついた看板は、またたく間に地元で大きな話題となった。現場を預かる源さんやクリスは、毎日通りかかる地元の人々からの質問攻めに遭うことになった。


『ここはな、最先端のエコ技術と、日本の美しい伝統を未来へ繋ぐためのテーマパークになるんじゃ!』


『はい。ですが実は、今の敷地ではまだまだ土地が足りなくて……』


二人がそんな風に熱っぽく、けれど実直に夢を語る姿は、地元の地主たちの心を激しく揺り動かした。


「ハルトさんたちのような誠実な若者や、あの宮大工さんたちなら、先祖代々の土地を安心して託せる」


そう言って、地主の方々が「ぜひうちの土地を使ってほしい」と、次々に大切な土地を譲ってくれたのだ。


おかげで、今や『結の郷』の敷地は当時の何倍にも広がり、地元の業者や源さんの兄弟子たちの力を借りられたことで、澄んだ川がサラサラと流れ、そのほとりには勢いよく回る大きな水車小屋まで建てられていた。そこには、誰もが懐かしむような、息をのむほど美しい日本の里山の風景が完成しつつあった。



――あれから、3年の月日が流れた。

ハルトと後藤は無事に大学を卒業し、今はこの岡山の地へと正式に移り住んでいる。


結の郷の難関だった鍾乳洞内の環境を整えるのには、それなりの時間がかかった。石畳や水車は業者や兄弟子に任せられたが、トアの技術を使ったソーラーシステムや配線工事はそうはいかない。マイケルが集めてくれたチームとともに特殊ケーブルを使って鍾乳洞へ電気を引き、サリの技術で地下の湧き水を安全に配管し、換気や湿度のコントロールができるように整えたのだ。もちろん、それらもすべて「自然に還る素材」でなければ意味がない。


食品の倉を建てるには、湿度が高い場所でもカビることなく、安全に保管できることが大前提になる。


源さんは、倉の外壁や柱には表面を強く炙って炭化させた「焼き杉」を使い、さらに内部の重要な部分には、防腐・抗菌作用が世界一強い「天然のうるし」を何度も塗り重ねて、木を湿気から完全にガードした。


倉の壁には調湿・抗菌作用がある「漆喰しっくい」を分厚く塗り、さらに鍾乳洞の岩肌と倉の壁の間に、大量の竹炭を敷き詰める構造にした。炭が余分な湿気や嫌な臭いをすべて吸い取ってくれるため、倉の中は常にサラサラで清らかな空気になるのだ。


源さんは、焼き杉や天然漆、漆喰、竹炭など先人の知恵を総動員し、湿度の高い鍾乳洞でも安心して食品を保存できる環境を整えてくれた。


一方、ハルトは『トア・コーポレーション・ジャパン』の社長業や会議がある時はクリスの待つ本拠地へ向かい、毎年7月には渡米してトアや7人の仲間たちと集まり、新しく開発された技術をお互いに共有し合っていた。


それ以外の時間は、後藤とこうして自然に囲まれた場所でヤギたちと一緒に暮らしながら、農業を実践する日々を送っている。


結の郷が、未来の子供たちのシェルターになるように、優秀な職人たちの技を継承していく。それが一番の目的だが、仲間が安心して暮らし、働ける場所を提供することこそが自分の役目だとハルトは思っていた。


(次は、現在はまだバラバラの場所にいる職人たちの工房を、早くこの結の郷に作ることだな。)


特に、医療の自給自足は急務だった。

人間が生きていれば、歯科治療や外科手術が必要になる局面は必ずやってくる。そのとき、絶対に麻酔が必要になるのだ。


酒を製造するプロセスで同時に消毒液を作ることはできる。しかし、もし麻酔がなければ、それこそ原始時代の医療に逆戻りしてしまう。


インフラが完全に停止した未来では、高度な現代の化学薬品や使い捨ての医療器具は手に入らない。だからこそ、ハルトたちはトアのネットワークを使い、国内では、外科医や東洋医学の達人(漢方医や鍼灸師)を招く準備を進めると同時に、海外の仲間とも密に連携していた。


毎年7月にアメリカで集まる際、ガブリエルからは常に心強い報告を受けている。


何とドイツの研究室で、日本の伝統麻酔薬『通仙散』に使われた薬草を現代科学で解析し、安全に再現する研究をしてくれているのだ。


『ハルト、30年後にあの高い山へ移動する頃には、完璧な薬草栽培と天然麻酔のレシピを完成させてみせるよ』


そう自信たっぷりに笑っていたガブリエルの言葉を思い出し、ハルトは胸を熱くする。彼らの知恵があれば、未来の命を救う麻酔や薬を、自給自足できる日が来るはずだ。


さらに、結の郷のガラス職人と鉄職人のブースも最優先で建てる必要があった。


現代のプラスチック製の注射器は未来にはゴミになってしまうが、職人たちの神業があれば、ミリ単位で狂いのない耐熱ガラスの本体に、鉄職人が引き伸ばして磨き上げたステンレス製の極細の針を組み合わせた、『何度も煮沸消毒して、長期間使えるガラスの注射器や点滴瓶』を手作りで量産できる。


かつて昭和の時代に日本の医療を支えていたあの頑丈で美しいガラスの器具たちこそが、未来の人間たちへ遺すべき医療の形なのだ。


ステンレスは自然に還る素材ではない。しかし、何度も溶かして再利用できる以上、資源を循環させるという意味では、トアの理念にも反しないはずだ。


さらにハルトの提案で、鉄職人とガラス職人の合同チームは、お互いにやり取りをしながら、手術に不可欠な『医療用ゴムグローブ』を自給自足するための、驚くべき手動式の成形機まで試作し始めていた。


電気を一切使わず、木製のレバーと歯車のギミックを動かすことで、ガラス製の手の型を天然ゴムの液に浸して薄い膜を作る、まるで職人技の塊のようなコンパクトな機械だ。ガブリエルが研究しているタンポポ由来の天然ゴムの技術があれば、未来の医師たちが素手で手術をして感染症に怯えることもなくなる。


皆が一丸となって、人が生きる為の道具に挑戦してくれているのだ。


ハルトは、人と人の手が結ばれていく──


そんな暮らしに、心から感動していた。


結の郷を早く完成させて、技術を継承させていく。そして、人間が一ヶ所に集められる30年後には、高い山にヤギたちと畑を作り、暮らせるだけの場所を作る。


それまでに保管するべき物を、この30年間でなるべくたくさん集めよう。


美しい大自然の山々に見守られながら、ハルトたちの新しい『結の郷』での暮らしが、いよいよ本格的に幕を開けようとしていた。


17章に続く。

挿絵(By みてみん)

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