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ものぐさ魔術師は人間を恋しがる  作者: 神代きい
大切なこと

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39/40

互いに想うこと

 季節は夏の終わりへと移り変わり、夜になると秋の虫の声が聞こえてくるようになった。

 これはこれで風情があるのだろう。だが、俺は寝入り端に聞こえてくる虫の声や風雨の音が苦手だ。意識が削がれるというか、眠りの邪魔となってしまうのだ。

 そのため窓に軽い防音の魔術を掛けるのが就寝前のルーティーンとなっている。

「ふぅ……」

 今宵も防音の魔術を掛けてベッドへ寝転んだ俺は、天井へと重い息を吐き出した。

 思い返せば、俺は幼い頃から物音に鋭敏だった気がする。

 ——そうして思い出すのは、幼い頃の地獄の記憶。

 暗く冷たく湿り気を帯びた地下牢。自分の呼吸音と身じろぎの際に鎖が擦れる音だけが聞こえる空間。そこへ階段を降りてくる無慈悲な足音が——……。

「っ、たく……」

 無意識に行儀の悪い舌打ちをする。

 師匠に拾われたばかりの頃の俺はちょっとした物音にも神経を尖らせて、師匠が立てた微かな衣擦れの音一つでさえ身構えてしまうような奴だった。

 人間に対する警戒心が解けてからはそうした癖はなくなっていったのだが……、それでもあの頃の癖が完全に抜けていないんだろうな。

 そのために睡眠という無防備な状態を前に聞こえる雨音や虫の声という外部からの音に敏感で、気が尖ってしまうのだろう。

 俺にとってノイズでしかない雨音やら何やらは、普通の人間には子守歌のような睡眠導入効果をもたらすらしい。到底理解できないな。

「ん~……っ!」

 両腕を伸ばして体と心を軽くほぐす。

 ベッドに寝転がってはいるが、まだ眠気とはほど遠いなぁ。晩酌という気分でもないし、眠くなるまで読書でもするか。

 自室のキャビネットにブランデーとウイスキーを常備しているとはいえ、俺は毎晩のように晩酌を飲んでいるわけではない。特に今夜のような気分の時に飲む酒は不味い。酒は眠くなるために飲むのではなく、気分が乗った時に軽く嗜む程度こそ美味いのだ。

 まぁ、今夜は酒ではなく読書だな。そう決めた俺はベッドから体を起こして本棚の前に立つ。

 書斎の蔵書は専門書がほとんどだが、自室の本棚には冒険奇譚や推理小説などを中心に置いている。暇潰しにはちょうどいい。

 軽く悩みながら本の背表紙に指先を掛けた——、その時。

『テオさま……たすけてっ……!』

「!」

 遠くから聞こえたのはシアの小さな掠れ声。その悲痛な声(・)に俺は弾かれたように部屋を飛び出して階段を駆け下りた。

 シアが魔力(マナ)を込めて俺を呼べば俺の耳に届くようにしていたが、こうして実際に呼ばれたのは初めてだ。辛そうな声音といい、喫緊した事態なのは間違いない。

 魔力(マナ)を辿るとシアは脱衣室にいるようだ。迷わず廊下を走り抜け、ドアノブに手を掛ける。

「シア、入るぞッ!」

 返事を待つことなくドアを開けて一歩踏み出すと、浴室から脱衣室へと流れ出た熱気と湯気が顔にかかった。

 シアは……、上半身を棚に寄り掛かけた状態で床に崩れ落ちている。

 風呂上がりなのは一目瞭然だ。バスタオルを体に覆おうとしたようだが、ほとんどがはだけてしまっていて役に立っていない。

 俺は棚にある未使用の俺のバスローブを広げて、震えるシアの体を包んだ。

「テオさまぁ……ぐあぃわるぃよぅ……」

「俺が来たからもう大丈夫だ。こっちにおいで、シア」

 風呂上がりで体から湯気が立っているというのに、シアは顔面蒼白で涙目だ。安心させるように声を掛けながらバスローブ越しに軽く抱き寄せると、シアは大人しくポスンと俺の胸に寄り掛かった。

 転んで棚に頭を強打した可能性を考慮しながらシアの魔力(マナ)の流れを探って体調を確認する——……。

 ——……ああ、長風呂で血圧が下がったんだな。体調に異変を感じて浴室から出たものの、棚に縋りつきながら膝が崩れてズルズルと座り込んだ感じか。打撲傷などはなさそうだ。

「シア、のぼせちゃったんだな。俺に任せろ」

「……ごめんなさぃ……」

「謝らなくていい。我慢せずに俺を呼べて偉かったな。シアは本当にいい子だ」

 労いの言葉を掛けながらシアにバスローブを着せていく。俺のバスローブだからシアにはサイズが大きいが、まぁ仕方がない。

 熱気がこもっている脱衣室にいてはシアの負担になる。ひとまずリビングへ移動しよう。

「シア、移動するから抱き上げるぞ」

「ん……」

 弱々しい返事を聞いた俺はシアを横抱きで抱き上げた。

 濡れたバスローブ越しに感じるシアの体。女性らしい体型になってきたなぁと思ってはいたが、まさかこんな形でその裸体を見て触れるとは——……って、何を考えているんだ俺はッ!

 内心で自分の頭をぶん殴りつつ廊下を進み、リビングのラグにシアを下ろす。

「テオさまぁ、そばにいて……」

「もちろんいるよ。ほら、シア。体を楽にして」

 ラグに転がったままだったクッションを枕にしてシアを寝かせた俺は、シアの頭をポンポンと優しく撫でてあやしながら魔力(マナ)を操ってリビングの空調を調整する。

 シアが着ているバスローブと髪を乾かすのも忘れてはならない。湿ったバスローブでシアの体が不必要に冷えてしまってはいけないからな。

 そうして適切な環境に身を置いたことで不安と緊張が解けたのか、シアはふぅと息を吐いて静かに目を閉じた。……先ほどまで浅かった呼吸も安定しているし、少しずつ落ち着いているようだ。

「よしよし、シア……」

 シアの頭を優しく撫でつつ、俺も無意識の緊張に詰まっていた息を整えた。

 それにしても……、シアが風呂で倒れるなど初めてのことだ。

 日頃から入浴の順番は俺が先で、シアは俺の後にのんびりと入るのが習慣だ。

 ちなみに風呂掃除は俺が翌日にしているから、シアは入浴後の後始末をしなくて構わない。シアはリラックスして風呂へ入るだけだ。

 今夜はいつも以上に長風呂をしていたのか?

 俺が気付いていなかっただけで、今日のシアは体調が悪かったのだろうか?

 そうだとしたら、シアの不調に気付けなかった俺の落ち度でもあるのだが——……。

 そんなことを思案しながらシアの顔を眺めていると、少しずつ顔色が戻ってきているのがわかった。

「んん……」

 うっすらと目を開けたシアと目が合う。

「よしよし、いい子だ。吐き気はないか?」

「ん……。大丈夫、です……」

「水は飲めるか?」

 空いている右手にコップを喚び、水を注ぐ。

 シアの体を支えながら水を飲ませると、シアはふぅと安堵の息をついた。

 湯上がりな上に弱っていて無防備なせいか表情と吐息が妙に色っぽい。他の野郎には絶対に見せたくない姿だな。

「テオ様ぁ……」

 確かに色っぽいのだが、俺に顔を擦り寄せて甘える様は色気よりも幼さの方が勝っている。

 シアは幼少期から住み込みで奉公してきた子だ。周囲の大人は冷ややかな者達ばかりで、子供らしく大人に甘える経験がなかった。

 しかもシアは屑野郎に無理矢理乱暴された挙げ句に冤罪で奴隷にされ、奈落のどん底まで堕ちてしまった過去を持つのだ。

 そこから俺と再会してこの家で一緒に暮らし初めてから約一年半。今ではすっかり俺に心を開いている上に、俺に対して恋心さえ抱いている。

 こうして俺に甘えるシアは赤ん坊返りのような状態なのかもしれない。だが俺に甘えることで情緒が安定するのなら、いくらでも構わないとも。

「よしよし、いい子だ」

 頭を優しく撫でると、シアは嬉しそうにふふっと儚く微笑んで目を閉じた。

 そのままトントンとあやし続けていると、脱力したシアはすぅすぅと寝息を立て始めた。……可愛いなぁ。

 シアは思春期、つまり子供と大人の境目という繊細な時期だ。俺がシアの裸を見て触れたのは不可抗力だったとはいえ、今夜の出来事がシアの心の傷にならないかが心配だな……。

「よっ、と」

 シアを起こさないようにそっと抱き上げてシアの部屋へ移動し、ベッドに寝かせる。

 リスのぬいぐるみを抱くように両腕へ挟ませてやると、シアはぬいぐるみをぎゅっと抱き寄せて頬を寄せた。

 この家に来た頃と比べれば体は成長しているというのに、まだまだ子供だなぁ。

 シアにはまだまだ子供でいて欲しいし、子供が子供らしい反応を示すのは心身が健やかな証だと俺は思う。

「いい子、いい子……」

 シアが穏やかな夢の入り口に辿りつくのを見届けるまでの間、俺はシアの柔らかな髪を優しく撫で続けた。

 

 

 ——翌朝。

 私は羞恥心のあまりにベッドの上で毛布にくるまって悶絶していた。

 昨夜の出来事が脳内でぐるぐると繰り返して再生されてしまうっ。

「ううぅ……っ!」

 昨夜は入浴中に考え事をしていたらうっかり長湯をしてしまって、気付いた時にはすっかりのぼせた状態だった。

 どうにか湯船から這い出て脱衣室まで移動したけれど、棚からバスタオルを掴み取った瞬間に頭がグラッとして意識が遠退いて……、このままじゃいけないと縋る思いでテオ様を呼んで——……。

 そこからは記憶が曖昧だ。けれどもテオ様がすぐに来てくれて私を優しく介抱してくれたことだけはわかっている。

 ————そして、今朝。

 ぼんやりと寝ぼけ眼でベッドから体を起こした私は、下着を身につけていない状態でバスローブを着ている自分に気が付いて……。そして昨夜の出来事を思い出して状況を理解した、というわけだ。

「は、恥ずかしい……っ!」

 意識が薄れる中でバスタオルを掴んだけれど、タオルで体を覆うことはできなかった記憶がある。

 つまり私を助けに駆けつけたテオ様は裸の私を発見して、そんな私にテオ様はバスローブを着せてくれて介抱してくれたということになるわけで——。

「うわぁぁぁんっ!」

 じっとしていられなくて手足をジタバタしてしまう。

 私は男女のあれこれを知らない子供じゃないし、男性に対して強い恐怖心が根強くある。

 けれども、テオ様は別だ。テオ様は私の大切な家族で、尊敬する師匠で、心の底から大好きな人だ。

 テオ様は傍にいると安心するし、テオ様に頭を撫でられると幸せな気持ちになるし、テオ様に背中をトントンされると心地よさのあまりにそのまま無防備に眠ってしまうことだってある。

 テオ様がいやらしい目で私の裸を見たりしないということは理解している。

 テオ様は私の尊厳を大切にしてくれる人だ。

 以前私が高熱で寝込んだ時にお風呂に入れない代わりにホットタオルで体を拭いたけれど、その間テオ様は席を外してくれた。

 テオ様なら魔術で私の体を洗うなんて簡単だけれど、その場合は私の裸を魔術で透視して状態を把握する必要がある。それは私の尊厳を傷つける行為になるからと、テオ様はあえてその方法を避けてくれたのだ。

 テオ様は私を本当に、本当に、大切にしてくれている。

 私はテオ様が大好きだし、テオ様の奥さんになりたい。

 ……けれどもッ!

 やっぱりテオ様に裸を見られたことも、裸の私にバスローブを着せてもらったことも恥ずかしい~ッ!

「うああぁ~っ!」

 ジタバタの反動でバスローブが大胆にはだけて肌がスゥッとして、我に返った。

 バスローブを前に掻き寄せながらベッドから体を起こして、外の空気を吸おうと窓を開ける。

 新鮮な朝の空気。木々のざわめき。森から木霊するように聞こえてくる小鳥達の歌声。

 気持ちのいい空気を肺いっぱいに吸い込む——……。

「……はぁぁ……」

 深呼吸のおかげで気持ちがちょっと落ち着いた……。

 肌触りのいい物に触れる癖が出て、バスローブの表面を無意識に撫でる。テオ様の背丈に合ったバスローブだから私にはサイズが大きい。

 テオ様は脱衣室を出る時にはすでに寝間着に着替えているから、私はテオ様のバスローブ姿を見たことがない。

 いつもテオ様はお風呂上がりにこのバスローブを羽織って髪の毛を乾かしたりしているのかな……?

「……ううぅ~っ!」

 お風呂上がりで大人の色気が全開なテオ様を想像したら顔がカーッと熱くなってしまった。鼻血が出ちゃいそう……っ。

 いつまでもテオ様のバスローブを着ていたら変な妄想が止まらなくなってしまうっ。私はえいっとバスローブを脱いで手早く着替えていく。

 脱いだバスローブを抱えて部屋のドアを開けると、一階からお腹が空くいい匂いがしてきた。テオ様がキッチンで朝食を作っているみたい。

 階段を下りた私はテオ様と顔を合わせる緊張にドキドキしながら廊下を歩く。

 テオ様はキッチンにいるよね……。

「…………あっ」

 よかった、キッチンのドアは閉まっているっ。心の準備がまだだから助かったぁ。

 ドアの前をパタパタと小走りで通り抜けて脱衣室へ駆け込み、洗濯物のカゴにバスローブを入れてから洗面台で顔を洗う。昨夜はできなかったスキンケアも念入りにして、気合いを注入っ!

 昨夜は水浸しの状態だった脱衣室はすっかり片付いていて、浴室の掃除も終わった後だ。

 テオ様のことだから朝食作りと同時進行で魔術を使って掃除を済ませたんだろうなぁ。テオ様のサボり魔術は本当に便利だ。

「……よしっ!」

 深呼吸を繰り返して心を決めた私は、キッチンのドアを勢いよく開けた。

「テ、テオ様っ……。そのっ、おはようございますっ! 昨夜はすみませんでした……っ!」

 上擦った声で朝の挨拶と昨夜の失態を詫びると、テオ様は普段と変わらない様子で穏やかにふふっと微笑んだ。

「おはよう、シア。具合はどうだ?」

「あっ、えっと……っ。もう何ともないです! お腹も空きましたっ!」

「それはよかった。昨夜も言ったが、我慢せずに俺を呼べて偉かったぞ。いつでも頼ってくれていいんだからな」

「は、はいっ!」

 うん……、いつも通りのテオ様だ。優しいテオ様に心が落ち着いてきた……。

 ふぅと緊張を吐き出して息を吸うと、美味しそうな優しい匂いが鼻腔をくすぐった。

 匂いの正体はキノコとベーコンのクリームスープが入った鍋だ。テオ様の手元には卵液を溶いたボウルがある。

「俺はオムレツを焼くから、シアはパンを軽く温めてくれるか?」

「はぁいっ!」

 私はテオ様と一緒にキッチンに立つのが大好きだ。魔力(マナ)を操ってオーブンを調整しながら丸パンを温めていく。変に張り切りすぎてうっかり強火にならないようにしなくっちゃ。

 テオ様はそんな私を優しくチラッと見ながら手慣れた様子でオムレツを焼いていく。

 テオ様は基本的に何でもできて手先も器用だし、優しくてかっこいいし、本当に素敵な人だよね……。

「あっ」

 ついテオ様に気を取られた瞬間にボワッと火が強くなってしまった! いけないッ、集中しなきゃパンが炭になっちゃうッ!

「クックッ、シアは面白いなぁ」

 魔力(マナ)操作を崩してあたふたする私にテオ様が喉を鳴らして笑っている。もうっ……!

 そうして出来あがったパンは表面が焦げてしまっていたけれど、焦げた部分を軽く削り落とせば大丈夫な程度で済んだのでホッとした。

 テオ様と一緒にリビングテーブルに配膳をして席に着く。

「いただきますっ」

 スープはクリーミーな口当たりだし、三種類のキノコとベーコンから旨味が溶け出ていて凄く美味しいっ。

 オムレツはスプーンを入れて掬っただけでもふわっふわなのがわかって楽しい。そうして口に入れるとトロトロで幸せな気持ちになる。

 パンは熱を加えすぎたせいでちょっと乾燥してしまったけれど、スープに浸けて食べると口の中でしゅわっと溶けるように解れて美味しい……っ。

 緊張はすっかり解けてほわほわと多幸感に浸っていると、私の足元を何かがスルッと走り抜けたのを感じた。リンクスだ。

 リンクスは身軽な動きでテーブルに飛び乗ると、テオ様のスープ皿へとまっすぐに向かって——。 

「待てリーッ、手を入れるなッ!」

 躊躇の欠片もなくスープ皿の中へひょいと前足を伸ばしたリンクスを咄嗟に抱き抱えて椅子から立ち上がるテオ様。

 テオ様の食事にちょっかいを掛けるリンクスも、それに文句を言いながら対処するテオ様ももはや見慣れた光景だ。

 予め準備していたリンクス用の小皿にテオ様がスープを移すと、リンクスは待っていましたとばかりにスープを舐め始めた。うーん、可愛いっ。

「シア、昨夜は一体どうしたんだ? 風呂場で具合が悪くなったのか?」

 舌をチロチロと出してスープを舐めているリンクスを眺めていたら、椅子に座り直したテオ様が問い掛けてきた。

 私の機嫌と体調がいいと判断して訊ねてきたんだと思うけれど……、私は回答にちょっと悩んでしまった。

「えっと……。考え事をしながらお風呂に入っていたら、のぼせちゃって」

「長時間考え事をするような悩みがあるのか? 俺に話せる内容なら相談に乗るぞ?」

 テオ様は心配そうに眉尻を下げている。それを見て私は申し訳ない気持ちになった。

「えっ、と……。悩み事、ではあるんですけれど……」

「俺には話せないことなのか?」

「えっと、その……」

 私を心底心配してくれているテオ様に申し訳ない気持ちと内緒にしたい気持ちとで複雑な気分になる。

 というのも、私の悩み事はテオ様の誕生月についてなのだ。

 キッカケは先日あったナードの誕生月。ナードとはすっかり打ち解けたという程の仲ではまだないし、本人も「無理して用意したプレゼントは欲しくないから大丈夫」と言っていたけれど、それでも本心ではプレゼントを楽しみにしている様子だった。

 ナードの好みはわからなかったけれど、手作りのお菓子には興味を持っているみたいだった。それで誕生月のプレゼントは手作りクッキーを贈ることにしたのだ。

 ナードはレガリオ様と一緒に行動しているから、様々な場所へ移動しながら生活している。行き先はアルドリール国内に留まらず、大魔術協会の依頼があれば国外まで行くのだとか。

 様々な場所へ簡単に持ち運びができて、息抜きにちょっと摘まめるお菓子というとクッキーがいいからね。

 素朴な見た目のクッキーは誕生月のプレゼントとして寂しい気がしたから、ナッツやドライフルーツで模様を作ったり、ジャムを仕込んだりと工夫を凝らした。ラッピングもこだわったしね。

 そうして完成した誕生月プレゼントはテオ様経由でナードへと届けられたわけだけれど……、ナードは私のプレゼントに感激して涙したらしい。ナードは本当にリアクションが大袈裟で面白いよね。

 さて、来月はテオ様の誕生月である碇星(いかりぼし)の月だ。

 去年は誕生月の情報を後出しされたせいでお祝いが遅れてしまったけれど、今年はちゃんと碇星の月にお祝いをしたいっ!

 それで私はテオ様の誕生月のお祝いについて悩んでいるのだ。

「うーん……」

 テオ様が好きなブランデーケーキとトマト煮込み料理を作るのは確定として、問題はプレゼントだ。

 去年のプレゼントは心を込めて編んだ組み紐。素朴なプレゼントになってしまったけれど、テオ様はとても喜んでくれて、組み紐を手首に結んだり髪を結ったりして身に付けてくれている。

 今回のプレゼントも普段使いができる手作りの物にしたいんだけれど……、なかなか思い付かないのだ。

 こうして悩んでいる間にも誕生月は近付いてくる。手作りのプレゼントにこだわるのなら早く決めて製作に着手しないと。

「落ち込んでしまうような悩みではないんだな?」

 黙り込んだ私の様子を窺いながらテオ様がそう訊ねてきたので、私はコクコクと頷いた。

 何を贈るにしてもテオ様本人には当日まで内緒にしたいから、まさかテオ様のプレゼントに悩んでいるだなんて話せない。

「テオ様、心配しないでくださいっ! 本当に大丈夫ですから」

「ん。シアがそう言うなら、これ以上は追求はしないよ」

 事情がわからないなりにも深追いしないテオ様の気遣いに、私はまた一段と好きの気持ちが強くなった。

 テオ様が喜んでくれるプレゼントを渡したいっ。テオ様はケーキと料理だけでも喜んでくれそうだけれど、それだけじゃあ味気ないもんねっ。

 内心ウキウキしながらオムレツを頬張る私に、テオ様はクスッと笑ってお茶を一口飲んだ。

「ただし、今日は授業も家事もおあずけだ。大人しくゆっくりしていなさい」

「ええっ? 家事も?」

 家事は私にとって負担ではなく楽しみなのだ。テオ様がよかれと思って言ってくれているのはわかるけれど、余計な迷惑っ。

 テオ様は家族としても魔術の師匠としても優しい人だ。その優しさと甘さは本当に嬉しいんだけれど、ちょっと過保護がちになるのがたまにキズなんだよね……。

「私は本当に大丈夫ですってばぁっ!」

「ダメだ。もう決めた。今日の家事は俺がやる。ものぐさな俺がやる気を出すとウザくて厄介だぞ? そもそもすでに魔術で洗濯をして、今まさに干しているところだからな」

「え、えぇっ?! ちょっとテオ様ッ、朝食食べながら何してくれてるんですかぁッ!」

 パンをちぎりながらしれっと告げたテオ様に私は抗議する。これだからテオ様は……っ!

「ものぐさだと自認するなら、そんな行動力は出さないでくださいよぅっ!」

「クックックッ……!」

 私の抗議にテオ様は楽しそうに笑いながらちぎったパンをスープに浸けて口へ放り込んでいる。悔しいなぁっ……!

「せめてご飯は私が作ります!」

「昼食はクリームスープを活用してドリアにするつもりなんだが。その予定でスープを多めに作ったからな」

「むぅっ……。それなら副菜は私が作りますっ! 酸味を効させたドレッシングでサラダにしましょうっ。はい決まりですッ!」

 宣言と同時にわざとらしくプイッと顔を背けると、テオ様はクスッと苦笑してテーブルに頬杖を突いた。

「はいはい、わかりましたよっと。せめて昼食まではのんびりしていなさい」

「……はぁい……。テオ様は昼食まで何をして過ごすんですか?」

「んー、そうだなぁ。せっかくやる気を出したことだし、書斎の整理でもするか。蔵書を増やそうと考えているから、今度シアも一緒に本屋へ行こうな。欲しい本があったら遠慮せずに言いなさい」

「はぁい」

 読み書きができるようになった上に本好きなテオ様の影響もあって、私の自室にもちょっとずつ蔵書が増えている。

 私の最近のお気に入りは妖精の王様と仲間達が愉快な冒険をする物語だ。リビングのラグで寝転びながら読書をするテオ様に寄り添いながら私も読書をする。そんな穏やかな時間が私は大好きで——……。

「あーっ!」

 唐突に閃いた私は無意識に声をあげて椅子から立ち上がってしまった。

 そんな私をテオ様が不思議そうに見ている。 

「? どうした?」

「あっ、えっと、何でもないですっ! その、悩み事が解決しそうですっ!」

「そうか。それはよかったなぁ」

「はいッ!」

 本が好きなテオ様への手作りプレゼントで思いついたのは、本に挟む栞だ。

 栞の役割なんてちょっとした紙切れを挟むだけで事足りるかもしれない。けれど凝った栞を手作りしてもいいと思うっ。

 朝食の後片付けをテオ様と一緒にしてから自室へと戻った私は、手芸道具を入れている箱を開けた。

 押し花や落ち葉で栞を作ってもいいけれど、私の趣味である手芸を活かして作りたいっ!

「えっと……」

 栞は布に刺繍して作るとして、刺繍の図案はどうしようかなぁ?

「んー……。あっ、そうだ!」

 思いついたのは、以前テオ様の書斎で読んだ草花の図鑑に載っていた花言葉だ。

 私がテオ様へ贈りたいのは感謝と憧れ、そして幸せだ。そうした花言葉を持つ草花をモチーフに選んで、思いを込めて刺繍すると素敵かもっ。

 そうと決まれば、まずはテオ様から図鑑を借りよう!

 わくわくした気持ちで自室から出て、書斎のドアをコンコンとノックする。

「テオ様っ、図鑑を借りてもいいですか?」

「どうぞー」

 テオ様の平穏な返事を聞いてドアを開けると、テオ様はぐちゃぐちゃに散らかっていた書斎机の上を片付けていた。机に山積みだった本を本棚へ戻したり、纏めた紙の束をトントンと揃えたりしている。

 テオ様は自身に関することは面倒くさがって実に適当だ。魔術研究に没頭していると私が声を掛けない限り寝食を忘れてしまうし、書斎も自室も魔術工房も片付けをサボって油断するとぐちゃぐちゃになってしまうし、庭の薬草畑も手入れをおろそかにしているせいで自然へ戻り始めている。

 だというのに……。そこへ私が少しでも関わってくると過保護が発動するんだから、極端すぎる。

「図鑑の場所はわかるか? 一緒に探そうか?」

「大丈夫ですっ」

 何回も読んだ図鑑だからどの本棚のどの位置にあるのかはわかっているし、テオ様には図鑑を借りる目的を内緒にしていたいっ。

 ふふっと笑いを堪えながらお目当ての図鑑を手にして振り返ると、書斎机から私を優しく見守っていたテオ様と目が合った。

「探し物は見つかったか?」

「はいっ、しばらくお借りしますねっ。……あっ、そうだ! テオ様、私の部屋へ勝手に入っちゃ嫌ですよっ?」

 お祝い当日まで内緒にして栞をプレゼントしたいのに、栞作りの最中にテオ様が部屋へ入ってきたら台無しだもんね。

 テオ様は可笑しそうにふふっと笑って「わかったよ」と肩を竦める仕草をした。

 ……テオ様の妙に生温かい眼差しからして、私が何かを企んでいることには気付いているかも……?

 でもいいもんっ。心を込めてプレゼントを作るって決めたんだからねっ! 

「失礼しましたっ」

 書斎を退室した私は図鑑を抱えてパタパタと自室へ戻る。

 神出鬼没なリンクスが書き物机の上で香箱座りをしていたので、その隣に図鑑を置いて椅子に座った。

「リンクス、内緒だよっ。今からテオ様へのプレゼントの作戦を立てるんだからねっ!」

 図鑑に興味を持ったのか横からにゅっと首を伸ばしてきたリンクスにふふっと笑う。

 私がテオ様に贈りたい気持ちはたくさんだ。感謝に尊敬、憧れに愛情、そして溢れんばかりのたくさんの幸せ!

 これらの花言葉を持つお花を選ぶわけだけれど……、一つのお花には絞れないよね。

 カスミソウの花言葉「感謝」と「幸福」に、ひまわりの花言葉「憧れ」と「あなただけを見つめる」は絶対に入れたい。でも、テオ様への想いはそれだけじゃ全ッ然足りないっ。他には——……。

「ふふっ」

 まるで花束を作るみたいでわくわくして楽しいっ。素敵な栞を作ってテオ様に渡すんだ……!

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