ある夏の日に
テオ様が魔術で作った夏用ラグは本当に快適で、テオ様はラグでゴロゴロしながら読書をするようになった。
そんなテオ様の隣で私もゴロゴロしながら読書をしたり、縫い物をしたり……。そうして私達が寛いでいるとセーブルとリンクスもやってきて、皆でラグの上でゴロゴロする。幸せな時間だ。
寛ぎ時間以外でもラグは大活躍で、最近は魔術の授業もラグの上で行われることがほとんどだ。
今日も私とテオ様はラグに座って魔術の授業をしている。
私は紺色のローブ姿で授業を受けているけれど、不思議素材のローブは涼しい上にラグも気持ちよくて本当に快適だ。
「えっ、と……」
ラグの上にペタリと座った私は、同じくラグの上に直置きした二つの箱へと意識を集中する。箱の一つには乾燥した白いんげん豆が入っていて、もう片方の箱は空っぽだ。
魔力を操作して豆を一粒ずつ空っぽの箱へと移動させる、というのが今日の授業。これがなかなか難しい……。
乾燥白いんげん豆を魔力で一粒ずつ摘まみ上げて移動させる感じなんだけれど、そもそも豆を魔力で一粒ずつ選ぶのが難しい。
そこから豆を魔力の力をコントロールしながら持ち上げて、空っぽの箱へと移動させる。力が弱ければ豆を落としてしまうし、力が強いと豆が割れてしまう。
集中、集中……。
「よいっ、と……」
杖代わりのエルの先端に魔力を集中させて乾燥白いんげん豆を摘まむイメージなのだけれど、その時につい掛け声が漏れ出てしまう。ちょっと間抜けかもしれないけれど、テオ様が気にしていないから私も気にしていない。
テオ様は箱を挟んだ私の向かい側で右膝を立てた体勢で座っていて、私の様子を優しく静かに見守っている。
テオ様は基本的に私が困った時に助言をして、上手くいくと褒めて伸ばす指導スタイルだ。だから私も変な緊張を抱かずに魔力コントロールに集中できる。
ちなみにテオ様の隣にはリンクスがお座りしていて、私の手元をじーっと観察している。私が落としたり弾き飛ばした乾燥豆を猫の瞬発力でキャッチして遊んでいるのだ。可愛いんだけれど、ちょっと悔しい。
「あっ」
ツルンッと飛び出した豆をリンクスがパシッと両手でキャッチした。ああっ、悔しいっ!
「クックッ、惜しかったなぁ」
テオ様まで笑ってる……!
「あーもうっ! 魔力に集中するのってすっごーく疲れますね……っ!」
悔しさにため息をつきながら大きな声を出すと、テオ様はふふっと楽しそうに笑った。
「シアの集中力と忍耐強さは大したものさ。俺が子供の頃はすぐに飽きたりイライラしたりで投げ出したからなぁ」
「テオ様も同じ訓練をしたんですか?」
「そうだよ。豆じゃなくて石ころを使ったけどな」
この乾燥白いんげん豆はリビング横のキッチンにあるパントリーから出した物だ。
家にある物を活用するという点に文句はないけれど……。
「食べ物をこんな風に使っていいんでしょうか?」
「いいんだよ。捨てるわけじゃないんだからな。終わったら水に浸けて戻して、料理に使えばいい」
「おやつ用に甘く煮ても美味しいですよね」
「砂糖で煮るのもいいが、試しにシアが好きな蜂蜜で漬けてごらん? 茹でた豆とドライフルーツを一緒に蜂蜜漬けにするんだ」
「うわぁっ、絶対に美味し——……あぁっ、どうしようっ?! 集中力が切れちゃった……」
「ふふっ、今日はここまでにしようか」
テオ様の提案に「はぁい」と返事をした私は、乾燥白いんげん豆を箱ごとパントリーの棚に置いた。
今はまだ午前中だけど、豆が水を吸って戻るまでには時間がかかる。今夜寝る前に豆を浸水させて、明日色々作ってみようっと。
明日のお楽しみにワクワクしていると、不意に玄関の方へと意識が引き寄せられた。
この感覚はテオ様の結界に誰かが入った合図。そしてテオ様の結界へ入れるのは——。
「おぉーいッ、テオォーッ! 優しい兄ちゃんが最ッ高の土産を持ってきてやったぞぉーーッ!」
案の定というべきか、玄関ドアの向こう側から元気いっぱいな声が聞こえてきた。
うん。この底抜けに明るい大きな声はテオ様の兄弟子様であるレガリオ様だ。
「暑苦しいんだよ筋肉熊がッ! でかい声で叫ぶんじゃねぇッ!!」
「ぶへぇッ」
玄関ドアを開け放ったテオ様がぶん投げた魔力の塊が、レガリオ様の顔面に直撃した。
レガリオ様もただ無防備だったわけでもなく、ぶつかる瞬間に防御膜を展開していた——のだけれど、テオ様の鬱憤が込められた魔力の塊に押し負けて、結局は命中してしまったみたい。
「ったく、兄ちゃんに向かって攻撃するなよ~っ。お前はいくつになっても変わらねぇなぁ! うははははは!」
「うっぜ……」
赤くなった鼻の頭を手の甲で擦りながら豪快に笑うレガリオ様と、そんなレガリオ様をうんざりした目付きで睨んでいるテオ様。
そんな二人を廊下から見ながら、私はちょっと苦笑いをしてしまう。
……レガリオ様のお鼻が潰れたりしていないから大丈夫、なのかなぁ? この二人のじゃれ合いは私が思っているよりも過激だからちょっと引いちゃう。
けれども……。それ以上に、この加減のない関係がちょっと羨ましい。
テオ様は自分の師匠や姉兄弟子達に無邪気と思える程に遠慮がない態度を取るけれど、私に対しては穏やかな気遣いと思いやりの態度を取っている。
それが嫌なわけじゃないけれど、それでもテオ様とご家族との仲がちょっぴり羨ましい。
そんな風に思いながら二人を見ていると、私の視線に気付いたレガリオ様が白い歯を見せながらニカッと笑い掛けてきた。
「よぉシアちゃん、元気にしてたかー?」
「あっ、は、はいっ! レガリオ様、お久しぶりですっ!」
私は慌てて頭をペコッと下げた。
最後にレガリオ様と会ったのは王都の花祭で、今は夏真っ盛りな夕凪の月だ。あの春の頃と比べて今のレガリオ様はかなり日焼けが進んでいる。レガリオ様と私の間で腕を組んでジト目でレガリオ様を見ているテオ様が色白だから、レガリオ様の日焼けがますます目立つ感じだ。
アウトドア好きなレガリオ様のことだから、この夏は海とか山とかにたくさん行っているんだろうなぁ。
「そーら、土産だぁっ! どうよ、立派なもんだろっ?」
ドヤ顔のレガリオ様が収納の魔術空間からズルッと取り出したのは、私が見たことがない大きさの立派な海老だった。しかも二匹。それぞれ片手でドーンと掲げ持っている。
大海老達はまだ活きがよくて、たくさんある脚がわしゃわしゃしていて——……!
「ひッ——」
喉元まで出た悲鳴を私はギリギリのところで飲み込んだ。
私は海老が大の苦手だ。とにかく見た目がダメ。たくさん脚があるのが気持ち悪くて、顔もちょっと——ううん、かなり怖いッ。
見た目は苦手だけど、調理した海老の身は大好きだ。だから市場で海老を買う時はテオ様に受け取ってもらっているし、海老を料理する時はテオ様に処理をお願いしている。
「そりゃどーも」
テオ様は私の視界を体で遮りながらレガリオ様から大海老を受け取って、さっさと収納魔術へと放り込んだ。
た、助かった……。
「あのっ……。レガリオ様、ありがとうございますっ!」
たとえ見た目が苦手でも立派なお土産を頂いたのには変わりはない。レガリオ様にお礼を伝えると、レガリオ様は「いいってことよ!」と嬉しそうに笑った。
「茹でても焼いても美味いが、新鮮だから生でもいけるからなっ。好きなように食ってくれ!」
「シア、任せろ」
「は、はいっ。テオ様、お願いしますねっ」
すかさず助け船を出してくれたテオ様に私は胸を撫で下ろした。よかったぁ……。
レガリオ様は両手を伸ばして気持ちよさそうに深く息を吸い込んでいる。
「っはぁ~……っ。森の中は涼しくて気持ちいいもんだなっ! 王都の暑さと比べれば別世界だなぁ!」
「どうせアニキは出歩いてるんだろうが。暑苦しい」
「おうよ! あの海老も東海岸で素潜りをして獲ったんだぜ? 大したもんだろっ?」
「アクティブ過ぎるだろ……。付き合わされるナードが憐れだな」
テオ様はそう言いながらレガリオ様の背後をチラッと見ている。
私もつられてテオ様の視線の先を見ると……、テオ様が張り巡らせている結界のすぐ外側にナードがいた。
ナードの前にはセーブルがいて、ナードは軽く身を屈めてセーブルを撫でている。
「結界がナードを弾いているわけじゃないんだが、あいつは俺の許可を実際に得てからでないと中へ入らないんだ。まったく、師匠よりもしっかりしている」
私の視線に気付いたテオ様がそう補足をしてくれて、ナードに向かって軽く手招きをした。
ナードはテオ様の手招きに軽く会釈をすると、セーブルと一緒に玄関前まで駆け寄ってくる。
「お邪魔していまっす、テオドア様!」
「よぉ。お前はレオと違って暑苦しくないからまだマシだな」
「テオドア様、開口一番にその台詞は酷くね? よっ、シア!」
「あっ。え、ええと……。こんにちは、ナード……」
ナードはレガリオ様に負けない人懐っこい笑顔と日焼けだ。私はテオ様の背中にちょっと隠れながら挨拶を返す。
かなり挙動不審な挨拶になってしまったけれど、ナードはほとんど気にしていないみたい。気落ちする様子もなくケロッとした表情で視線をテオドア様へと戻している。
「テオドア様っ、大森林の中で魚釣りをしてもいいっ?」
「森の奥まで行かないのならいいぞ」
「やった! 早く行こう師匠っ!」
「ついでにお前とシアちゃんも一緒に来て、バーベキューと洒落込もうぜーっ! せっかく楽しい夏なのにどうせ引きこもってるんだろ? もったいねぇ!」
「自分の弟子に許可出しさせた上に便乗させようとしてんじゃねーよ……」
無邪気に喜んでいるナード以上にはしゃいでいるレガリオ様をげんなりと睥睨しているテオ様……。この三人の関係性がわかりやすい構図だ。
レガリオ様はあんな風に言ったけれど、私とテオ様は家に引きこもりっぱなしなわけじゃない。週に一度は森の散策に出て、テオ様に教えてもらいながら草花や動物の観察をしたり、河原の浅瀬で水遊びをしたり、綺麗な小石を拾ったり……。
そういえば、夏になってから焚き火遊びはしていないなぁ……。暑くて火を扱うのには不向きな季節だから無理もないのだけれど、久しぶりにやりたいかも……。
「シア、どうする?」
焚き火のことを考えていたらテオ様に声を掛けられてハッとした。
テオ様を見上げると……、何故かちょっと嬉しそうな顔をしているような...…?
「えっと、何がですか?」
「コイツらと一緒に遊びに出掛けたいか? 俺は釣りに興味はないけどな、アニキが作る飯には興味がある」
「テオは釣りが下手だからなっ!」
「その笑顔、うぜぇ」
屈託のなくニカッと笑うレガリオ様にテオ様は舌打ちをしている。
言われてみれば、確かにテオ様が釣りをするところなんて見たことがない。焚き火料理で魚を使う時は事前に準備しておくかルグナに現地調達してもらっているし……。
「まっ、ご期待どおりに美味いもんを食わせてやるよ! ナードの釣果がダメだったとしても、海で獲った獲物がまだまだあるからなっ! 網焼きにするとすんげぇ美味い貝とかなっ!」
「森で海の幸を出してどうするんだよ……」
「細かいことは気にすんなっ! 美味くて楽しめりゃあそれでいいんだ!」
「はいはい。——シア、うるさいのと一緒でよければ行くか?」
「あっ、ええと……、はいっ! 楽しみですっ!」
テオ様以外の人と遊びに出掛けるのは初めてだけど、テオ様も一緒にいる安心感から素直にワクワクしてしまう。
私の返事にテオ様は満足げに笑って頭を撫でてくれて……、その様子を見たナードが何故かキョトンとした顔をしている。
けれど特に何かを言うでもなく、今度はニッと笑いながら手を握って気合いを入れた。謎だ。
「テオドア様ー、何年か前に連れていってくれた滝の所へ行きたーいっ」
「あぁ、あそこか。シアもまだ行ったことがない場所だし、ちょうどいい気分転換になるな」
「よっしゃ!」
「そんじゃあ俺らは先に行ってっから、お前とシアちゃんも準備してから来いよなっ!」
「ナード以上にはりきりすぎだろ。大人げない……」
たぶんレガリオ様にはテオ様の呆れた声は聞こえていないと思う。
レガリオ様は鮮やかな赤と黄色の魔力を纏いながら豪快に腕を払うと、腕の動きに合わせて斬り開かれたように移動の空間が出現した。
陽気な師弟はポカンとする私とは対照的な軽快さでポンと移動の空間に飛び込んで、一瞬の後に空間が閉じた。
「わぁ……」
テオ様以外の移動の魔術は初めて見たけれど、扉を作って空間を繋げるテオ様とはやり方が全然違う。キレがあるというか、何というか……。
「……あれっ? 移動の魔術って特別な許可がないと使っちゃいけないんですよね?」
テオ様は魔術公としてのお役目から特別な許可を得ているけれど、基本的には人間が移動する魔術は乱用を禁止されているはず。現代魔術師も古代魔術師も問わずに、だ。
テオ様に疑問の視線を投げ掛けると、テオ様は少し困ったように微笑んでこめかみを掻いた。
「アニキもその特例なんだ。ああ見えてアニキは大魔術協会で重要な役割を持つ人物でな」
「重要な役割……、ですか? それって私が聞いてもいい話なんですか?」
微妙な心境で首を傾げる私にテオ様は「問題ないよ」と頷いた。
「アニキは行く先々の地でそこの魔術師が悪さをしていないかと目を光らせている。もし闇堕ちした悪い魔術師を見つけたら迷いも手加減もなく取っ捕まえるのさ。そこらの魔術師にとっては恐ろしい監視者だな」
テオ様の説明を聞きながら、私は以前テオ様から聞いた話を思い出した。
幼い頃のテオ様に酷い仕打ちをした悪い魔術師はその後に捕縛されたが、その指揮を執ったのがレガリオ様だったはず。
「レガリオ様って怖い人なんですね……」
またもや複雑な思いでいると、テオ様はちょっと苦笑しながら慰めるように私の頭を撫でた。
「ああ見えて実は、な。本人は見回りがてら行く先々でアウトドアを楽しんでいるだけさ。仕事と趣味を兼ねたお役目を担っている点は俺と同じだな」
テオ様のお役目はこのキラン大森林の監視。大森林に駐在し外部の脅威からアルドリールを守るお役目をしながら、家でのんびりと魔術研究などをしている。
それに対してレガリオ様のお役目は国内を巡回して悪い魔術師がいないかを監視、つまり内部から発生する危険の抑止だ。そうしてあちらこちらを飛び回りながら、アクティブに外遊びを楽しんでいる。
……うーん……。ある種の似た者同士というか、何というか……。
「レガリオ様はテオ様と違ってアグレッシブですね……」
思わずボソッと呟くと、テオ様はプッと笑いを吹き出した。
「あははっ! まっ、アニキのあの底抜けな明るさに、かつての俺が救われたのも否めないがな。
——さぁ、シア。おしゃべりはこれくらいにして、出掛ける身支度をしておいで」
今の私はローブ姿のままだから森で遊ぶのはちょっと適していない。
テオ様に「はぁい」と返事をした私は、自室で外遊び用の服装に着替えていく。
普通の庶民なら新品の服ではなく古着なのがほとんどなのに、私の場合は全てが新品だ。
テオ様の懐事情なんて勘繰ってはいけないけれど、魔術王国アルドリールの魔術公という立場なのだから財力はかなりのはず。そのおかげで私達は豊かに暮らせている。
テオ様は私に毎月お小遣いをくれるけれど、大金を渡すような真似はしない。私に金銭感覚を学ばせるためだと思う。
とはいっても、私と同年代の庶民が親から貰うお小遣いより金額はあるんだろうけれどね。実際に使いきれないから貯金をしている。
「お待たせしましたっ」
擦り傷予防の長ズボンと薄手の上着を身に付けてテオ様と合流。
テオ様はパントリーを漁ってソーセージやハムを取り出していた。レガリオ様に食材を提供するみたい。やっぱりテオ様は面倒くさがりながらも真面目だ。
……あっ、セロリのピクルスの瓶も取り出している。セロリが苦手なナードをからかうつもりだよね? こういうところもテオ様らしいや。
「シア、準備はいいか?」
「はいっ。テオ様は?」
「バッチリさ。じゃあ行こうか」
「はぁいっ」
私達は玄関に移動して、テオ様が左指をパチンと鳴らして移動魔術の扉を出現させた。
テオ様の魔術はレガリオ様の豪快な魔術よりも繊細な気がする。性格の差かな?
そんなことを考えながらテオ様の手を取って、セーブルも一緒に扉を潜る。
光に一瞬包まれて——、次に感じたのは心地よい滝の音。
無意識に閉じていた目を開けてみると、そこは綺麗な滝が流れ落ちる清流の河原だった。
滝の音と川のせせらぎ。生き生きとした木々の葉も綺麗だし、凄く癒される空間だ……!
「おお~……っ」
「おーい、こっちだ!」
思わず感嘆の声をあげていると、すでに網や鉄板をセッティングしていたレガリオ様が手を振って呼んできた。
テオ様と一緒に近寄ってみると、手のひらサイズの大きな二枚貝や魚など新鮮そうな食材が準備されている。
「こんなに大きな貝は初めて見ましたっ」
私の弾んだ言葉にレガリオ様が嬉しそうにニヤッと笑う。
「そうかそうか! 楽しみにしていてくれよなっ。バター焼きにすると最っ高だからなっ! テオ、暇なら準備を手伝ってくれ!」
「結局そうなるのかよ……」
「あのっ! お手伝いなら、私も——」
舌打ちしているテオ様の隣で挙手すると、レガリオ様はカカッと豪快に笑った。
「ありがとうな! けど、シアちゃんは遊んでくるといい。この滝には初めて来たんだろ? 探検してこいよっ」
探検……。たぶんレガリオ様が想像している探検はアクティブなもので、私がしたい探検とは違うと思う。
私の探検は川辺を歩きながら風景を楽しんだり、コレクション用の綺麗な小石を探したり……、そんな程度。
——……レガリオ様は私抜きでテオ様と兄弟二人で作業を楽しみたいのかも……。テオ様も普段は私の相手ばかりだし、レガリオ様と二人で気兼ねせずにおしゃべりしたいよね。
「あの、テオ様……。近場で散歩をしてきてもいいですか?」
「それはもちろん構わないが、俺に気を遣わなくていい。シアが本当にしたいと思うことをしていいんだよ」
うぅ、テオ様には私の考えがバレバレだ。
とはいえ、私もテオ様やレガリオ様への気遣いだけで二人から離れて散歩をしたいわけじゃない。自然は大好きだし、知らない場所はワクワクするからねっ。
「テオ様、大丈夫ですっ。ちょっと行ってきますねっ」
「それならセブをお供に連れていきなさい。セブ、シアを頼むぞ」
テオ様の言葉に尻尾を振って応えたセーブルが私の隣に寄り添ってきた。心強いボディーガードだ。
「はぁいっ。セーブル、行こっ!」
私はセーブルを連れてテオ様達の元を離れた。
河原だから地面は石が混ざった砂利だ。足をとられて転ばないように注意しながら河原を歩く。
滝の飛沫が風に乗って飛んできて涼しくて気持ちいいなぁ。
「あっ、見っけ!」
石英混じりの綺麗な小石をゲット。角も丸くなっていてコロンと可愛いっ。
そこまで離れた距離ではないから、たまにテオ様とレガリオ様の談笑が風に乗って聞こえてくる。男同士でちょっとふざけあって楽しそうだけれど、火とか包丁とか使うんだから気を付けて欲しい。あのお二人なら大丈夫だろうけどね。
「シア、散歩中?」
声を掛けられて顔を上げると、滝近くの岩場で川に釣糸を垂らしているナードを見つけた。
釣竿を持つ佇まいには安定感があって、釣りにこなれている感じがする。
「う、うん……」
私はナードに返事をしたけれど、足が止まりかけてしまった。
私は人見知りの男性不信だけれど、ナードは悪い人じゃないってことは理解している。
理解はしているんだけれど、いざ本人を前にすると何だか変な緊張をしちゃう。私と年齢が近い男の子だからますます苦手なんだと思う。
「……」
緊張はするけれど……、これは恐怖心ではないと思う。
それにナードは初対面の時に私から敬語とさん付けを取っ払おうとして、私と仲良くしたい様子だった。
だから私はナードに失礼のないようにこっそり深呼吸して、セーブルと一緒にナードがいる岩場の近くまで進んだ。
「えっと……。ナード、お魚は釣れそう?」
セーブルがいる安心感もあって、普通の雰囲気でナードに話し掛けることができた。
「んー、難しいなぁ!」
そう話すナードは残念がるどころか屈託のない笑顔で楽しそうだ。私が話し掛けたのがそんなに嬉しいのかな?
「まっ、釣れなくても楽しいからいいのさっ。それにここから川を見ると魚がよく見えて面白いんだ」
「へぇ、そうなんだ」
私はセーブルの頭をもふもふと撫でて心を落ち着かせると、ナードが乗っている岩場へと移動する。
すると私の前にセーブルがスルッと割り込んで、私とナードとの間の壁役になってくれた。セーブルは本当に優しくて頼りになるなぁ。
「セーブルはいい子だね」
よしよしとセーブルを撫でつつ周囲を見ると——……、そこから見えたのは川底の岩や水草もはっきり見える透明な川の流れ。夏の陽射しと日陰の対比。生命力溢れる木々の緑。
凄く綺麗な景色……っ!
「わぁぁ……っ!」
「ほら、ちょうどあの辺りに魚がいる」
「えっ? どこ?」
「あそこ」
ナードが指差す川の岩場を観察すると、岩の影に隠れるように川魚が泳いでいる様子が見えた。
キラッと光る鱗が綺麗だし、ヒラヒラと揺れ動くヒレが風に靡く繊細なレースみたい。
「泳いでいる魚ってこんなに綺麗なんだ……」
「見るの初めて?」
ナードの問いに心の声が漏れ出ていたことに気が付いて顔が熱くなった。
「え、えっと……。こんな風にちゃんと見るのは初めて」
「ギンイワナは特に綺麗だもんなー。清流の女王なんて異名がある魚なんだぜ? ギンイワナが生き生きと泳ぐ川は生命力と清らかさに満ちているんだってさ」
「へぇ~……」
ナードの話に感心して思わず声を漏らす。詳しいなぁ。
「ナードはお魚が好きなの?」
私に質問されたナードはちょっとびっくりした顔をしている。私が会話を続けるとは思っていなかったみたい。
「えっ。あー……、うん。魚に限らず、水に棲む生き物が好きなんだ。釣りも好きだし釣れた魚を食べるのも好きだけど、別に魚は釣れなくてもいい。こうして釣糸を垂らしながら水面や魚の動きを無心で眺めるのがいいんだよ」
「そうなんだ……」
「なのにさぁ、僕の師匠はあんな感じだろー? 僕が静かに自分の世界を楽しんでいるのもお構いなしに、ノリノリで近場に飛び込んで素潜りをし始めるんだぜ? 魚が全部逃げるっつーのッ」
不満げに唇を尖らせたナードに思わずクスッと笑ってしまう。
第一印象でレガリオ様とナードはよく似た師弟だと思っていたけれど違うみたい。
そういえばテオ様もナードに向かって「お前は力業でごり押す脳筋熊というよりも、狡猾な罠で確実に獲物を狩る狐だ」と言っていたっけ。
そんなことを考えていると、ナードが「シアもやってみる?」と釣竿を差し出してきた。
「えっと……。わ、私は遠慮するっ」
「もしかして、シアは魚が触れないタイプの女の子?」
「えっ? それは平気だよ。捌いてお料理もできるし——……あぁでも、生きている魚には触ったことがない、かも……?」
魚屋さんで買う魚は締めた後の奴だし、ルグナが捕った魚はテオ様が先に締めている。バルカにいた頃も生きた状態の魚に触れる機会がなかったし……。
「よぅしっ! シアが触れるように魚を釣るぞーっ!」
私の返事にやる気を出したのか、ナードはニヤッと笑って川へ釣竿をしならせた。
「えぇ……っ?」
ナードのやる気と行動に私はちょっと戸惑って間抜けな声を呟いてしまった。
男の子の考えってよくわからないや……。
「あの、えっと……。ナードって何歳なの?」
質問するとナードは一瞬私をチラッと見た。右手に持った釣竿を巧みに煽って魚を誘っている。
「来月の誕生月で、十七になるんだ。シアは?」
「私は十四歳」
アルドリールの成人は十七歳だから、ナードはもう少しで大人の仲間入りなんだ。羨ましいなぁ。
そんなことを呑気に思って——、私は首をひねった。
今ナードは「誕生月」と言った。誕生月とは神殿で生誕の祝福を受けていないため正確な誕生日がわからない孤児などに、誕生日の代わりとして育ての親が決める大切な月のことだ。
つまり……。ナードも私やテオ様みたいに親がいなかった、ってこと?
「……」
疑問には思ったけれど、私はそれ以上ナードに追求することは止めた。
まだそこまで親しい間柄でもないのに身上を探るだなんて失礼なことだからね。私がナードの立場だったら根掘り葉掘り訊かれるのは嫌だもん。
「お誕生月のお祝いはセロリのパウンドケーキでいい?」
「?! ごほッ、げほ……ッ!」
私の言葉に不意を突かれたナードが激しく噎せている。気道に唾が入っちゃったみたい。
「じ、人生初の女の子からのプレゼントがセロリのケーキだなんて嫌だ……ッ! てか、セロリのパウンドケーキって何ッ? そんなんあんの?!」
えぇっ? この世の終わりみたいに絶望的な表情をしなくても……。そんなにセロリが苦手なの?
「刻んだセロリの葉っぱを生地に混ぜて焼くの。スポンジが緑色で綺麗だし、爽やかな風味がクセになるよ?」
「そりゃあ茎よりも葉っぱの部分の方がまだマシだけどさぁ……! どーせくれるなら普通のケーキにしてくんないっ?」
「注文が多い男の人は、ちょっと……」
「何も始まる前にフラれたぁーッ! やっぱりテオドア様には敵わねーッ!」
釣竿から離した両手で頭を抱えるナードの反応がちょっと面白い。ちなみに手離した釣竿は川へ落ちちゃう前に間一髪のところで踏んで落下を防いでいるから強かだ。
うん……、やっぱりナードは悪い人じゃないんだよね。ちょっと愉快で楽しい人。
クスクス笑う私にナードはちょっと不満そうだったけれど……。やがて段々楽しい気分になってきたのか、ふにゃっと表情を崩して笑い始めた。
「まー、無理は言わないさっ。本音だとプレゼントは欲しいけれどさぁ、無理して準備したプレゼントはお互いに嫌な気分になるだろ? だから別にプレゼントはいいよ」
「別にケーキ作りが嫌とかじゃないんだけど……」
「手間だろ? 僕も料理するからわかる。まっ、僕はそんな凝った物は作れないけどさっ!」
ナードの「料理をする」という言葉にちょっと驚いてしまった。
そういえば、ナードはレガリオ様の内弟子だ。
内弟子は師匠と一緒に暮らして、家事とか師匠のお世話をして、そうしながら師匠から色んなことを学ぶ弟子のことだっけ?
……ん? それじゃあ傍目から見ると私もテオ様の内弟子?
私とテオ様の場合は普段は「家族」で、授業の時だけ「師弟」って感じだけれど……。
「どうかした?」
考え事をしていたらナードに不思議そうな顔をされてしまった。
「な、何でもないっ」
そう答えながらナードを見ると、ナードは拾い上げた釣竿を収納魔術の空間へと片付けているところだった。
テオ様やレガリオ様みたいに一瞬で魔術をちゃちゃっと使う感じではなく、着実に使う感じ。性格が出ているのかな?
「普通に魔術が使えていいなぁ」
思わず呟くと、釣竿から両手に移った砂をパンパンと払っていたナードがちょっと得意気な顔でニヤッとしてきた。
「シアはまだテオドア様から基礎を学び始めたばっかりなんだろ? 早く魔術を自由自在に使えるようになりたいって焦る気持ちとか僕にもわかるけどさー、基礎を固めるのってマジで大事なんだってのも嫌でもわかる」
「それはわかっているけど……」
「まー、大丈夫だって。なるようになるッ! 先輩の僕からはそうとしかアドバイスできねーやっ!」
ナードは私という同じアシュフォードの後輩ができたのが嬉しいみたい。両手を頭の後ろに組んで「へへっ」と無邪気に笑う姿からも抑えきれないワクワクが伝わってくる。
テオ様とレガリオ様の指導方法や指導方針は違うんだろうなぁ。テオ様はのんびり穏やかな指導だけど、レガリオ様はテオ様と違って熱血的な指導をしていそう。
それはそれでちょっと楽しそうだけれど、私にはテオ様の指導が向いているし、何よりもテオ様と一緒にいるのが大好きだもんね。
「おぉーい、お前らーッ! そろそろバーベキューを始めるぞーーッ!」
レガリオ様の大声に視線を向けると、眩しいほどにいい笑顔のレガリオ様がブンブンと手を振って私とナードを呼んでいた。その背後ではテオ様もこちらを——正確には私を見ている。
テオ様と目が合うと、テオ様はふふっと優しい笑みで満足そうに小さく頷いた。
私に向けるテオ様の眼差しが嬉しくて反射的に駆け寄ると、テオ様は優しく頭を撫でてくれた。
「楽しく遊んできたか?」
「はいっ! ナードともおしゃべりできましたっ」
私の報告を聞いたテオ様は嬉しそうに「そうか」と優しく目を細めた。
「ナードと仲良くするのはいいことだ。もしいじめられたら生のセロリを喉の奥深くまで捻じ込むか、大量のトウガラシを念入りに煮詰めてエキスを抽出した油を目ん玉へ噴射してやれ」
「ちょッ?! テオドア様ッ、後者はマジで洒落になってねーからッ! 僕じゃなくても失明する激ヤバなシロモノだからッ!」
私とセーブルの後をついて小走りで近寄ってきたナードが悲鳴に似た声をあげている。
ナードの反応がちょっと面白くて、私は思わず笑ってしまった。
「ふふっ。あの、テオ様。そのトウガラシ油を護身用に持ち歩いてもいいですか? 町を歩く時の安心感が違うと思うんです」
テオ様の発言とナードの反応に悪乗りすると、テオ様も悪戯っぽくククッと口角をあげた。
「いいアイデアだ。俺の魔術工房にジゴクガラシという食用にならない劇物があるから使うといい。扱いが危ないから一緒に作ろうな。安全に毒物を持ち運ぶための小瓶も工房内に色々あるから、シアが気に入った物を選んで使いなさい」
「はぁいっ!」
「とてつもなく不穏な会話を当たり前のように交わさないで欲しいんですけれどッ?! 師匠ーッ、この師弟めっちゃ怖いッ!」
「なんだぁ? ナード、それでも来月で成人になる男かぁ? そんなことよりも早く焼こうぜー。俺は腹が減ったぞっ!」
「ウチの師匠が一番酷くねッ?!」
両手でガシガシと髪を掻きむしるナードに、私は声を出して笑ってしまった。
そこからはいよいよ楽しいバーベキューの始まり。
少しずつ慣れてきたとはいえ、私は街中の飲食店など他人——特に男性と同じ空間で食事をすることが未だに苦手だ。
けれども今日は違う。ここは外で解放感があるし、テオ様もセーブルもいる。
レガリオ様とナードは私に害を与えない存在だってわかっているし、それどころか私を楽しませようとさりげなく気遣ってくれているのがわかる。
一年前の私からは考えられない幸福な状況だ。
「わぁ~っ!」
焼き網の上でパカッと開いた大きな貝がすっごく美味しそうっ!
レガリオ様のおすすめはバター焼きみたいだけれど、まずは貝そのままの味を……。
「――……んんん~っ!」
肉厚の貝柱がプリップリ! 噛めば噛むほど貝の旨味が口いっぱいに広がっていく——……!
「おいひぃ……っ!」
「はははははっ! シアちゃん、どんどん食えよっ! おらっ、テオも食え食えっ! お前ら二人は細いんだからもっと肉をつけろよ、肉をっ!」
「俺は普通だろ……。ま、シアはもっと肉をつけてもいいけどな」
「?! わ、私も普通ですっ!」
ひょろひょろで不健康な体型だった一年前と比べれば今の私は遥かに健康体だ。まったく、失礼しちゃうっ!
……でも、もっと栄養をつければ胸が大きくなるのかな?
テオ様は外見で女性を選り好みをしない気がするけれど、テオ様に好かれる体型の大人の女性になりたいなぁ……。
「テオドア様が持ってきてくれたソーセージ、めっちゃ美味いッ!」
ナードが香ばしいソーセージを口いっぱいに頬張りながら目を輝かせている。レガリオ様が提供してくれた海鮮も本当に美味しいんだけれど、やっぱり男の子はお肉が好きみたい。
網焼きのソーセージは普段フライパンで焼くそれとは全然違う。肉汁が滲む焼き目が素晴らしいし、テオ様お手製のトマトソースに付けると酸味と甘味と肉汁が混ざってますます美味しいっ!
「よーしよし! どんどん焼くからなッ、いっぱい食えーッ! あははははは!」
「アニキもな。焼き担当に徹してんじゃねーよ」
「んなッ?! あのヘソ曲がりなテオが俺に気を遣った、だとッ?! ははっ、これもシアちゃんのおかげだなっ!」
「はぁ、マジでうっぜ……」
テオ様はうんざり顔だけれど満更でもないみたいで口元がちょっと笑っている。テオ様が楽しそうだと私も嬉しいっ。
そうして私達は食べて笑っておしゃべりをして……。
楽しい時間はあっという間だ。バーベキューを終えて、今は夕方。夕方から夜へと移り変わる時間帯の焚き火がいい雰囲気だ。
「ふわぁ……っ」
伏せをしたセーブルに寄り掛かるように座って一休みしていると欠伸が出てくる。
テオ様以外の人がいるのに眠くなるだなんて……、やっぱり以前の私と比べたらかなり変わったんだなぁ。
「シア、焼きマシュマロは食べる? 焼いたマシュマロをビスケットに挟むと美味いよ」
眠気覚ましに軽く腕を伸ばしてストレッチをしていると、マシュマロを刺した串を片手にナードが魅惑の誘いをしてくれた。
「んー……。もうお腹いっぱいだけど、一個だけなら」
「よしっ! 自分で焼く?」
「うん」
マシュマロが刺さった串をナードから受け取って、同じく自分用のマシュマロ串を手にしたナードと一緒に焚き火でマシュマロを炙っていく。
「このマシュマロとビスケットはどうしたの?」
ナードに訊きながら、焼き色がついて柔らかくなったマシュマロをビスケットに挟む。ちょっと楽しい。
「僕と師匠がいつも食べてる奴だよ。師匠はよく焚き火料理をするから常備してるんだ。そもそも師匠ってめっちゃ動くからさ、おやつを挟まないと次の食事まで体が保たないんだよ」
ナードはちょっと遠い目をして空を見ている。レガリオ様のお弟子さんをやるのは大変みたい。
そんなことを考えながらマシュマロを挟んだビスケットを齧る。うんっ、美味しいっ!
「うははははは! そーんな細かいことは気にすんなッ!」
「おい、やめっ……」
焚き火の向かい側からレガリオ様の豪快な笑い声と迷惑そうなテオ様の嘆き声が聞こえてきた。
視線をあげると、レガリオ様が酒瓶を片手にテオ様の頭をわしゃわしゃと撫で回している。お酒は静かに飲むのが好きなテオ様とは大違いだ。
男性の大きな声は今でも怖いけれど、レガリオ様はそんな私の不安を吹き飛ばすくらいに壮快な人だなぁ。
「ナードは何歳でレガリオ様のお弟子になったの? あっ、そのっ……、答えにくいなら答えなくていいからっ」
ついポロッと訊いてしまったけれど、ナードも私と同じ孤児だったとしたら無神経な質問だったかもしれない。
動揺して両手をワタワタする私にナードがちょっと苦笑している。
「別にそんな気にしなくても平気だって!
けど、まぁ——……。何歳で弟子になったとか、区切りのいい答えは難しいなぁ。師匠は僕の育ての親でもあるんだ。小さい頃に師匠に拾われて、育ててもらって、そんで自然と古代魔術師の道へ入った感じ?」
「そ、う、なんだ……」
ナードはさらっと教えてくれたけれど……、やっぱり訊くべき話じゃなかったのかな……。
「だから、シアが気にすることは何もないんだって! 昔がどうであれ、今が楽しいんだからさっ。シアだってそうだろっ? なら、それでいいじゃんっ。楽しくいこうぜっ!」
ナードは酷い目に遭って奴隷にされた私の過去を知らないと思う。……でも、私がワケありだっていうことは何となく察しているんだろうなぁ。
最近は前向きになったけれど、ふとした瞬間にうじうじするのは私の悪い癖。
だから私は、軽く深呼吸をして気持ちを切り替えた。
「んっ。ありがと、ナード」
「へへっ、どういたしましてっ! 同じアシュフォード家門だし、仲良くしようなっ」
「うん」
軽く微笑みながらナードに頷くと、ナードは鼻の頭を指で擦りながらとっても嬉しそうな笑顔をした。
そんな私とナードのやりとりを見てテオ様もどこか安堵したような優しい眼差しをした——……のだけれど。
「ほーらテオーッ! お前も飲めッ! ははははは!」
「絡み酒すんなよアニキッ! うっせぇから大人しく寝ろッ!」
「うっははははは! なんだなんだぁ~? 魔術公さまぁ~? 魔力がくすぐってぇなぁ~? そ~んな程度の甘い睡眠魔術じゃあ俺を落とせねぇぞぉ、テオ~ッ! がははははははッ!」
「こんのッ……、抵抗すんな脳筋熊ッ! 観念して沈みやがれッ!!」
焚き火の向こうで金色と黒色を帯びたテオ様の魔力と、派手な赤と黄色を帯びたレガリオ様の魔力が、火花をバチバチ散らす勢いで激しい攻防を繰り広げている。実力者同士のぶつかり合いだから、凄い迫力だ……。
ナードが大きなため息混じりに頭をポリポリと掻いた。
「あーあ、始まっちゃったよ……。ウチの師匠がうるさくしてごめんな、シア」
「ううん、大丈夫だよっ。ウチの師匠も楽しそうだしねっ!」
私とナードは顔を見合わせて、お互いにクスクスと苦笑を交わした。




