光への道筋
「テオ様、おはようございますっ! お誕生月おめでとうございますっ!」
碇星の月の最初の朝。二階から降りてきた寝起きのテオ様へ開口一番にお祝いを伝えると、テオ様は金色の瞳を丸くしてプッと笑いを噴き出した。
「ふふっ、ありがとうな。シアは朝から元気だなぁ」
「今日はのんびりしていてくださいね、テオ様っ!」
「あははっ! 俺はいつだってのんびり怠けているぞー」
テオ様は笑いながら気怠げに首の後ろを掻いている。
寝起きのテオ様は擬態の魔術を解いた本来の姿だ。エキゾチックな褐色肌に、月夜にも映える長い黒髪。赤い光が差す幻想的な金色の瞳。しかも今は寝起きでちょっと気怠げな感じだから、妙にダウナーな雰囲気でかっこいい……っ。
かっこいいテオ様を無意識に見つめていると、そんな私にテオ様はクスッと苦笑して私の頭を撫でた。
「シアが俺の誕生月を祝ってくれることだし、今日は擬態しないでこのままでいようかな」
「え……っ」
テオ様の言葉に、私は思わず言葉を詰まらせてしまった。
普段のテオ様は擬態の魔術を使った姿で日中を過ごしている。それは幼い頃に植え付けられたトラウマのせいで、本来の姿に苦手意識があるためだ。
それなのに……。誕生月のお祝いをする今日は、擬態の魔術を使わずに、このままの姿でいるって……!
「~~っ! とっても嬉しいです! 本当に、本当にっ……、嬉しい……っ!」
誕生月のお祝いを本来の姿で過ごすことには、とても重要な意味があると思う。
誕生月は正確な誕生日とは違うけれど、それでもその人の大切な日だ。その人がこの世に生まれたことを祝福する、とても大切な日。
その大切な日を、本来の姿で過ごす——。
それはテオ様自身が、自分が生まれた意味と価値を認めることと同じだと、私は思う。
以前までのテオ様は、自分を他者から距離を置くような言動が節々にあった。自分のことを冷めた視点で捉えていて、当たり前のように「俺は碌でなしだ」などと自分の存在価値を否定するような言葉を言っていた。
けれど、最近のテオ様はテオ様自身に対する姿勢が前と比べてうんと柔らかくなった。
「本当に、本当に嬉しい……っ!」
何だか色々と感極まって目頭が熱くなってきた。
滲んだ涙を袖で拭っていると、テオ様が笑いながら頭を撫でてくれた。
「あははっ。ま、たまにはこんな日があってもいいだろうさ。シア、朝食の後でいいから髪を簡単に結ってくれないか?」
「はぁいっ! 朝食はもうできていますっ」
「朝からはりきっているなぁ。顔を洗ってくるよ」
「はいっ。その間に食卓の準備をしていますねっ!」
洗面台がある脱衣室へ向かうテオ様と別れた私は、リビングテーブルに配膳をしていく。
朝食のメニューは二種類のホットサンドとオニオンスープ、デザートは旬の梨だ。
「いただきますっ」
「ん、いただきます」
私に続いたように、テオ様はちゃんと食前の挨拶をする人だ。
ルナリア様やレガリオ様みたいに身近な人の前では少し乱暴な言動をしたりもするし、私生活ではだらしない側面を見せたりもするけれど、なんだかんだいって礼儀のある人なんだよね。
そもそもテオ様は魔術王国アルドリールの魔術公。一緒にいるせいで忘れがちだけれど、テオ様は凄い立場の人なのだ。
テオ様から軽く教わったけれど、一般的な貴族には四つの種類がある。大きな領地と強い軍事力を保有する軍事貴族、官職を得たことで貴族となった官僚貴族、領地を持たずにお城に仕える宮廷貴族、地元に留まって領地の運営に専念する地方貴族だ。
対して「魔術何とか」という貴族みたいな名称の魔術師は、この四種類には当てはまらない。その国で実力と実績と功績のある現代魔術師がその国と魔術協会から与えられる地位であって、煌びやかな貴族とは異なる存在なのだ。
詳しく言うと上から順に、魔術大公シス、魔術公爵ディズ、魔術伯爵リュズ、魔術子爵ジス、魔術男爵バズ。
この五人が実質その国の現代魔術師の五本指なのだけれど、実力や功績さえあれば誰でもなれるものじゃない。むしろ五本指が揃っていない国も珍しくない。
そもそも現代魔術師としての階級を上げるための審査では、その人の人物像も査定対象となる。これは上の階級へいけば行くほど相当厳しいものらしく、その結果として五本指にはキチンとした人物が就くというわけだ。
そう——。テオ様が魔術公となったのはあくまでもテオ様自身の実力と功績と人物像によるもの《・》。名門アシュフォードのコネなどで得た地位では決してないのだ。
五本指は現代魔術師がなれるものであって古代魔術師は対象外……というよりも、古代魔術師は存在自体が希少だ。
テオ様は正統な古代魔術師だけれど、魔術世界最高峰のアルドリール大魔術学校を卒業しているから、現代魔術師としての立場もある。
大魔術学校を卒業したテオ様は現代魔術師として大魔術協会に勤めながら、本分である古代魔術師としての研鑽も積んできた。
それで色々とあって魔術公になったらしいんだけれど……、そこに至るまでの詳しい経緯ははぐらかされてしまった。国の機密情報も含まれているみたい。
魔術王国アルドリールは魔術師の総本山。そんな大国アルドリールの魔術公であるテオ様は、魔術世界全体から見ても上から片手で数えられちゃう存在なわけで……。
——……うーん、やっぱりウチの師匠は天才すぎる。凄すぎてもはや意味がわからない……。
そんなことを考えながら、私はホットサンドを口いっぱいにむぐっと頬張った。
「んーっ、美味しいっ!」
「美味いなぁ」
ホットサンドは二種類。玉子とキュウリのホットサンドと、ハムとチーズのホットサンドだ。塩気とマスタードがいい仕事をしている。
オニオンスープにはソーセージも入れたから、玉ねぎの甘味にソーセージの旨味も加わっていい感じ。
デザートの梨は短冊切りにした後に冷凍庫でちょっと凍らせたものだ。ショリショリ食感と甘味が増して美味しい……。
「秋は普段よりも食べ物が美味しく感じますねぇ」
「そうだなぁ。もう少し秋が深まったら栗拾いへ行こうか」
「わぁっ、楽しみですっ!」
バルカに栗はなかったから、私は去年初めて実物の栗と遭遇した。
本で見た通り本当にトゲトゲの中に実が詰まっていて驚いたし、栗のホクホクした美味しさにも驚いた。
今年はシロップ煮の瓶詰めをたくさん作って長期間楽しめるようにしたいし、ルナリア様からお借りしたお菓子作りの本にあった栗のケーキやパイも試してみたいなぁ。
「テオ様は栗って好きですか?」
「特に焼き栗は好きだな。外で食う焼き栗は格別だぞ? 軽く切り込みを入れて、焚き火へ放り込むんだ。油断すると栗が爆ぜるが、それもまた楽しいからな」
「おおっ、是非やりたいですっ!」
「あははっ! 他にはブランデーを効かせた栗のグラッセも好きだな。だがまぁあれは大人向けのおやつだから、シアの舌にはちょっと早いかもなぁ」
「! グラッセ、絶対に作ります! 作り方を確認しなきゃ……っ」
テオ様はブランデーやラム酒が入った甘すぎないお菓子が好みだ。栗のグラッセの情報は聞き捨てならないっ。
今日のお誕生月祝いのために準備したブランデーケーキも喜んでくれるといいなぁ……。
「ところで。今パントリーで眠っているあのケーキは、いつ食べられるんだ?」
ブランデーケーキのことを考えていたら、テオ様が同じタイミングで悪戯っぽく訊ねてきた。金色の瞳が優しく笑っている。
ブランデーケーキは作った後に寝かせて味を馴染ませる必要がある。だから今日までパントリーの保冷庫でケーキを寝かせていたんだけれど、何かとパントリーに出入りしているテオ様にはケーキの存在がバレバレだ。
「後でちゃーんとお出ししますよっ。さすがに朝食には出せません」
「残念だなぁ」
「むぅ……。それなら、お茶の時間にお出ししますっ!」
本当は夕食の席で出すつもりだったけれど、悲しそうに眉尻を下げたテオ様に思わず負けてしまった。
もちろん普段のテオ様も大好きだけれど、擬態の魔術を使っていないこの姿でそんな仕草をされると……っ! 何をしてもかっこいいから狡いっ!
それによくよく考えてみたら、ケーキはお茶の時間に楽しんでもらえる方がいいかもしれない。
夕食はテオ様の好物を作るんだ。料理でお腹いっぱいになっちゃうと、その後でケーキがちゃんと楽しめないかもしれないもんね。
「お茶の時間に、かぁ。茶葉は何がいいかなぁ」
「もーっ、今日は私が考えるんですっ。テオ様は大人しく私にもてなされていてください!」
思わず大きな声が出てしまったけれど、テオ様は何だか嬉しそうだ。
「あはははっ! シアも主張するようになったなぁ。俺は嬉しいぞ」
「っ、またそうやってあざとく笑顔を浮かべるのはやめてくださいっ! 直視できませんッ!」
「シアが俺を見ないのは嫌だから、やっぱり擬態しようかなぁ~?」
「もうッ、かっこいい流し目で見ながらからかわないでくださいッ! ほら、食器を片付けますよっ」
「はいはい」
テオ様はクスクスと笑いながら手早く食器を纏めてキッチンへと運んでいく。私が口と手を挟む隙はなかった。
私としては今日の主役であるテオ様には何もせずのんびりしていて欲しいんだけれど……、テオ様自身がそれを望んでいないのなら、それは一方的な厚意の押し付けだ。テオ様がやりたいようにしよう。
そうしていつも通りにテオ様と食後の後片付けをした後は、テオ様の希望通りにテオ様の髪を結うことにした。
「テオ様、どういう感じに結いますか?」
リビングのソファに腰掛けたテオ様の髪をブラシで梳かしながら訊ねると、テオ様は私の邪魔にならない範囲で小さく首を傾げた。
「簡単に軽く一つに結ってくれればいいよ。こうしてシアに髪を触られているだけでも妙に落ち着くんだ」
えっ? テオ様がそんなことを素直に言うなんて珍しい。これがいわゆるデレという奴かな?
試しにテオ様の頭を撫でてみると、テオ様はちょっと嬉しそうにクスッと笑った。
テオ様が嬉しそうだと私も嬉しい気持ちになってくる。
「それじゃあ、結うよりも梳かす方がメインなんですね。念入りにブラシしますね」
「ああ」
テオ様の滑らかな長い髪を丁寧に梳かしていく。艶のある長い黒髪は最高の手触りでずっと触っていたくなっちゃう。
セーブルやリンクスみたいな動物相手なら遠慮なく全力で触って頬擦りまでしていたと思うけれど、人間のテオ様相手にそんな真似はできないからさすがに自重する。
「そういえば、私の誕生月のお祝いの日もテオ様の髪の毛を弄りましたよね」
あの時は私のリクエストでテオ様が好きにさせてくれたっけ。
それでルナリア様に教わりながらテオ様の髪で編み込みをして遊んで……。
「そんなこともあったな。シアならいいが、さすがにこの歳で自分のアネキに髪を触られるのは妙な気分だったなぁ」
「……んん? その言い方だと、テオ様が子供の頃は、ルナリア様がテオ様の髪を結ったりしていたんですか?」
私の疑問にテオ様がため息をついた。
「あー、まー……、なんだ。確かにアネキが俺の髪を弄っていたな。ガキの頃の俺は髪に無頓着でな、髪の手入れが面倒くさすぎて丸刈りにしようとしたんだ。実行寸前でアネキに見つかって、それからはアネキが定期的に俺の髪を切ったりしていた」
テオ様は特殊なマナを持つ影響で常人よりも早く髪が伸びてしまう体質だ。子供の頃から面倒くさがりなテオ様にはどんどん伸びる髪が鬱陶しかったに違いない。
生意気に文句を言う子供のテオ様を強引に座らせて髪を弄るルナリア様という構図が容易に想像できて、私はちょっと笑ってしまった。
そんな私にテオ様は苦笑して——……、小さくため息をついた。
「あの頃はこうして他人が自分の背後にいられるのも苦手だったが、今思えばアネキのあの行動で段々と慣れたんだな……。
——あぁ、悪い。変なことを言ったな。気にしないでくれ」
「あ、あの、いえ……、そんな。私は平気ですっ」
……テオ様はセルディア様と出会うまで、本当に辛い境遇だったんだ。
なにせ赤ちゃんの頃に悪い魔術師に拾われて……、閉じ込められて、飼育されて、実験動物扱いされていたんだもん。
酷く残酷な経験だ。その当時を思い起こさせる本来の姿が苦手なのも無理はない。
私も辛い思いをしてきたけれど、きっとテオ様は私なんかよりもずっと辛い思いをしていたんだよね……。
「……っ」
ううん、と。私は今の考えを振り払うように勢いよく頭を振った。
お互いの不幸を比べ合うなんて間違ったことなのだと、今の私ならそう思える。
テオ様はテオ様、私は私。
これまでそれぞれが数えきれない経験をして、今日まで生きてきたんだから。
「あーあ……。早くテオ様の奥さんになりたい」
テオ様の髪を梳かしながら無意識に言葉を漏らすと、テオ様が肩を震わせて苦笑したのが髪に触れている指先へと伝わってきた。
「また言ってる。なかなか諦めないなぁ」
「むっ。私は絶対に諦めませんからねっ!」
「そもそも俺は結婚するつもりがなかったんだけどなぁ」
それは初耳だ。思わずピタッと手が止まってしまった。
だけど。
「つもりがなかった、ですよね? それじゃあ……、今は違うんですねっ?!」
わざとらしく声を弾ませると、テオ様は呆れたような半笑いをしてこめかみを掻いた。
「んん? 上手く揚げ足を取られた気分だな……。シアは前向きだなぁ。いいことだ」
「テオ様も前向きでいてくださいねっ。特に、私を奥さんにするのを、前向きにッ!」
「あはははっ! そっちかぁー」
テオ様は私の反応に困るどころか楽しそうだ。
私が成人である十七歳になるまであと約二年ちょっと。今はまだ未成年の私をテオ様は恋愛対象と見てくれていない。
けれど、私が成人したら遠慮なくアタックするもんねっ。ルナリア様も「テオは押しの強い女性には弱いんだよー」って言っていたし、絶対に負けないっ!
「テオ様、お誕生月おめでとうございますっ! 今日は何回でもお祝いを言いますからね!」
いつもは聞けないような話がテオ様から聞けたのも、普段はしないような会話ができたのも、今日がテオ様の誕生月のお祝いという特別な日だからかもしれない。
誕生月のお祝いとは、その人が今を生きて存在していることを認めることだと思う。
だからこそ、私は何回でもテオ様にお祝いを言うんだ……!
「本当に、おめでとうございますっ!」
お祝いの言葉を繰り返して伝えると、テオ様はクスクスと笑いながら「ありがとうな」と穏やかに応えてくれた。
「シア、今日はありがとうな。おやすみ」
「おやすみなさい。テオ様、いい夢を」
「シアもな。いい夢を」
寝支度を済ませた俺とシアは、階段を上がった所で別れた。
今日は心温まる日だった。シアと穏やかな時間を共有しながらのんびり過ごして、お茶の時間には芳醇なブランデーケーキを楽しんで、夕食は俺の好物であるロールキャベツのトマト煮込みに舌鼓を打った。
シアも終始ご機嫌だったなあ。言動の全てから俺を喜ばせたいという気持ちが思いっきりに伝わってきた。本当に健気で思いやりのある子だ。
そんなことを考えながら自室のドアを開けて室内を見ると、書き物机に一枚の小振りな封筒が置かれてあった。
「毎年毎年、律儀だなぁ……」
ぼやきつつ机に近付いて封筒を開ける。
中に入っていたのは誕生月祝いのメッセージカードと銀貨一枚。送り主は俺の養母かつ師匠でもあるセルディアだ。
俺を養子に迎えてから今日に至るまで、師匠は毎年このカードと硬貨を欠かすことなく贈ってくるのだ。
カードに書かれたセルディア直筆のメッセージは実にシンプルだ。
『私の可愛い坊やへ。誕生月おめでとう』
「ったく、いい加減に坊や扱いはやめろっての……」
あの魔女からしたら俺なんて坊やどころか赤ん坊みたいなものなのだろうが、言われ続けている側はたまったものじゃない。
師匠は実子であるルナリアと養子である俺を差別していない。実際にアネキの誕生日にも同じようにカードと硬貨を贈り続けているそうだ。
祝いのプレゼントが現物ではなく現金なのがいかにもセルディアらしい。成人する前までの硬貨は小銀貨だったが、成人後は銀貨へと額が変わった。銀貨の貨幣価値は小銀貨の十倍、少し贅沢な大人のご褒美を自由に選んで買える額だ。
そしてメッセージカードだが、一見するとシンプルな意匠の代物ではある……が、俺は知っている。これは王侯貴族連中が愛用するレベルの上等な代物だ。
「よっ、と……」
俺はキャビネットの奥にしまっている小箱を引っ張り出すと、毎年してきたようにカードと銀貨を小箱へ入れた。
子供の頃は貰ったカードを雑に扱って捨てたりなくしたりしたし、半銀貨もこれ幸いとばかりにサクッと使っていた。
それをこうして小箱に溜め始めたのは……、ちょうどシアくらいの歳になったあたりからだろうか?
理由? そんなものは特にない。ただ何となく、だ。
小箱をキャビネットに戻した俺は、ソファにドサッと腰を下ろした。
背もたれに体を預けて天井へと大きく息を吐き出す。
「はぁぁ……。ふふっ」
心が妙にくすぐったくて笑いが込み上げてくる。
誕生月祝い自体は子供の頃からされてきた。何せ俺の養母はあのセルディアで、俺のアネキはあのルナリアだ。アシュフォード邸でそれはそれは丹念な祝いの席を設けられたとも。
だが、相手は俺だ。誕生月の祝いの意味などひねくれた受け止め方をしていたからな、誕生月の祝いは幼い俺にとってとにかく身内がうざ絡みしてくる面倒くさい日だった。
セルディアからのプレゼントはメッセージカードと硬貨の一方で、ルナリアは俺が欲しい物をプレゼントしてくれた。その時に欲しいと思っていた本である場合が多かったか。
兄弟子のレガリオからのプレゼントは男児向けの玩具が多かったが、最初はほとんど的外れだったな……。何たってアニキはアウトドア派で俺はインドア派、趣味嗜好が真逆だ。それでも俺好みの玩具がパズルやボードゲームだとわかると、ちゃんと俺にあった物をくれるようになったが。
俺の存在はアシュフォードの当主セルディアが溺愛する子だと周囲に認識されていたから、祝いの日には様々な連中がプレゼントを贈ってきた。変な因縁や見返りを求める腹黒い相手からの代物はセルディアが突き返していたがな。
「シアは器用だなぁ」
俺が左手で包み持っているのは、今日シアが贈ってくれた誕生月プレゼントの栞。厚手の布に花々の刺繍を施した代物だ。
書斎から草花の図鑑を借りた後に何やらコソコソやっているなぁとは思っていたが、これを作っていたんだな。
『テオ様、お誕生月おめでとうございますっ! えっと、その……っ。こ、心を込めて作りましたっ。これからも一緒に素敵な日々が過ごせますようにっ!』
顔を真っ赤にしながら俺にプレゼントを手渡すシアは可愛いかったなぁ。
「ふふっ、まったく……」
刺繍された草花は向日葵とクラスペディア、更にブルースターとカスミソウだ。それぞれ一針ずつ大切に刺繍したのがよくわかる。
これはただの手作りの栞ではない。シアは照れくさいのか説明しなかったが、この花々を選んだ理由は……、間違いなく花言葉からだろうなぁ。
俺は古代魔術師として多種多様の知識を得てきたからな、大まかな花言葉はわかるとも。
この栞は、実に誠実で一途な想いが込められたプレゼントだ。
「『心からの感謝を。貴方だけを見つめ、互いに信じ合う心で、永遠の幸福と愛を願う』ってところか。
————うっわぁ、ヤバいなぁ……!」
頭に浮かんだ花言葉を小声に出してしまい、とてつもなく恥ずかしくなってきた。熱くなった顔を右手でペタリと覆う。
この栞に込められた想いは……、かなりの威力だ……。
「はあぁぁ~……」
シアは「普段使いしてくれると嬉しいですっ」と無邪気に笑っていた。栞は読書好きな俺が普段使いするのにぴったりの贈り物ではある。
だが。栞の刺繍に込められた想いを考えると……、かなり気恥ずかしい。
俺は他者から向けられた善意や好意を素直に受け取れないひねくれ者だが、そんな俺の壁を易々と貫通してくる破壊力だ。
だからと言って、この栞を使わずに仕舞い込む、というのはナシだ。シアが悲しんでしまう。ちゃんと大切に普段使いするとも。
……うん。無心だ。無心でいよう。深く意味を考えるな、俺。
俺は深呼吸をして心を静めると、ソファテーブル上の小物入れに栞を入れた。
軽く体を伸ばしてから無造作にソファへと寝転がる。
「ふっ……、はははっ……!」
思わず笑いが溢れてしまう。
——今日は、実に充足した一日だった。
シアが俺の誕生月を祝ってくれた。養母達に祝われた時とはまた違う、日だまりのような温もりがあった。
一年半にイザードでシアと再会するまで、俺は我ながら嫌な奴だった。元実験動物である自分は所詮どうあっても異物なのだと認識し、人間社会の一員だとは思わず、他者から向けられる好意を素直に受け取らず、自暴自棄な思考に囚われる時もあった。
俺がそうなってしまった元凶は、言わずもがなあの男。赤子の俺を拾い、非人道的に飼育した外道だ。
とはいえ、奴はもう処分されている。どんなに俺が憎悪を抱き復讐心を煮え滾らせても、直接俺が復讐することはできないのだ。
行き場のない復讐心は俺の心をますます曇らせた。こんなどす黒い物を心の底に抱えた俺はやはりどうあっても異物なのだ、と。
魔術公となりキラン大森林の監視と国境の防衛を任じられた時、俺は誇らしさよりも安堵に似た気分だった。大成した自分を褒めて価値を認めるのではなく、これで俺は人間社会から離れることができるのだとせいせいしたのだ。
そうしてキラン大森林で一人で暮らし始めると——、俺のどす黒い憎悪が再び芽を出し始めた。
行き場のない憎悪を晴らしたい気分で、俺は忌まわしい故郷であるバルカへ行った。
少しでも奴の痕跡があれば擦り潰したかった。万が一にも奴の思想をついだ闇堕ち魔術師でも見つけられれば重畳、奴の代わりに憎悪をぶつけて復讐したかった。
だが、俺の歪んだ復讐欲は叶わなかった。今のバルカには
奴の痕跡は微塵もなかった。
モヤモヤと鬱屈な気分を抱いていた時——、俺はシアと初めて出会った。
「……」
シアは辛く苦しい奉公生活の中でも魂と心を曇らすことなく健気で無邪気な子供だった。シアの無垢な笑顔はささくれ立っていた俺の心をある程度鎮めてくれた。
シアと別れた後、俺はただ何となく日々を生きる存在となった。自分の生きる意味や価値を見出だすこともなく、人間社会に自ら歩み寄ることもなく、ただものぐさで自堕落な生き方をしていた。
とはいえ、俺はどう足掻いてもひねくれ者の天の邪鬼だ。
いくらでも奴への復讐心を言い訳にしようが、その心の底では認めたかった。——自分は元実験動物などではなく人間なのだ、と。
「……」
シアと再会して一緒に暮らし始めてから、俺の歪んだ心は穏やかな状態へと変化してきた。
歪んだ復讐心に固執するのではなく、ただ何となく生きるのでもなく、前を見て生きる道へと視線が向くようになったのだ。
シアには本当に感謝している。
あの子は俺の生きる支えだ。
「——……とはいえ、なぁ……」
苦笑いが出てしまう。
あの子は俺に尊敬や親愛を向けてくれている。そして、ついには恋心まで抱いてきた。
これまで他者から一歩引いた生き方をしてきた俺は恋愛、ましてや結婚とは無縁の存在だった。
それ以前に、俺はこれでも一応は大人の男であって、シアは未成年の少女だ。
だからシアが俺へ恋愛感情を向けてきても、今すぐにそれを素直に受け止めることなどできない。俺はロリコンの変態じゃないからな。
俺はシアに幸せになって欲しい。それが俺の心からの願いだ。
一年半前と比べてマシになったが、未だにシアは人間不信の面がある。
だが、焦ることはない。少しずつでいい。何年かかっても構わない。シアの世界を広げていこう。
様々な人間と出会って、心を動かして——。
そうすれば、シアもいつかは正しい恋愛をするだろう。
————……とは言うものの……。
シアは恋愛的な意味で俺が本気で好きだし、臆病に見えて頑固な側面もある子だからなぁ……。
「うーん……」
……ついでに言うと、アネキがシアの初恋をガチで応援する気満々で非常に不味い。
つーか、魔術師は実年齢を考えるだけ無駄だとはいえ、子供のシアと弟の俺をくっつけようとするアネキは本当に何なんだ? マジで厄介極まりない。
おまけに、そんなアネキの行動を養母は容認している節がある。どーなってんだよ、俺のアネキと養母は。マジでヤバすぎだろーがッ。
アシュフォードの二大最凶魔女に外堀を埋められつつある俺は本当に可哀想だ。誰か慰めてくれ。
「はぁ……」
あと二年と少しでシアは成人の仲間入りだ。
シアが子供である内はシアを恋愛対象にしない俺だが、シアが成人すればその言い訳が効かなくなる。子供だの大人だのという垣根を取っ払えば、シアは他の女連中と比べて遥かにいい子で魅力的だからな。
「……いやいや。ダメだろーが」
俺とシアは一つ屋根の下で暮らしている家族で、師弟で——……。
——……もしも恋愛してシアとくっついたとしても、結局はシアと俺が家族であることには代わりない、のか……?
「いや、待て。ブレんな俺。負けんな」
シアには自由な恋愛をして欲しい。俺に固執する必要はないし、俺みたいなヘソ曲がりの怠け野郎はシアには相応しくない。
…………下手にこう言うとアネキあたりがノリノリで「テオはシアちゃんに相応しい男にならないとねー」などと迂遠な俺を矯正しようとしてきそうだ。ゾッとする。
うん。やめだ。考えるのはやめよう。
「あーあ、寝よ」
頭を振って思考を切り上げた俺はソファからベッドへと移動した。
さぁて……、来年の誕生月の俺はどんな奴になっているんだろうなぁ。できれば穏やかで幸せな日々が続いて欲しいものだ。
そんなことを考えながら、俺はゆるゆると眠りについた。




