共に前へ
シアの熱が完全に完全に下がってから今日で四日、花祭へ行ってから一週間が経った。
体調が戻ったシアは早くも料理や掃除などの家事をこなしている。
俺の本音としてはもう少し体力が回復するまでは大人しく過ごして欲しいのだが……、シアは動いていないと心が落ち着かないという損な性分だ。
「無理だけはするなよ、シア」
「はぁいっ!」
洗濯物を干すために洗濯カゴを抱えて玄関を出ようとしていたシアに声を掛けると、声にハリのある元気な返事が返ってきた。
これが空元気だったら無理矢理にでも休ませているのだが、今はシア本人がやりたいようにさせる方がいいのだろう。
パタパタと軽い足取りで玄関を出ていくシアを見送った俺は魔術工房へと入った。
工房の掃除はシアではなく俺が行っているが、たまにシアを入れてやれる程度には片付いた状態を維持している。
——が。戸棚へと歩み寄る途中で左足が、ズルッ、と滑った。
「うおっ?!」
あっぶねッ、床に転がっていたチョークを踏んだッ。少し前に魔術陣を描いた際に使ったまま放置していたようだ。
少し踏み砕いてしまったチョークを拾い上げて箱へと放り投げて、床に散らばったチョークの破片を魔術の風で適当に片付ける。
「……うーん……」
シアの掃除で片付いている家と工房内との差を考えて、俺は少し反省する。
言い訳を並べると、家事の全てがシアに丸投げというわけではない。
風呂場とトイレは俺が掃除をしているし、コンロや水道など魔道具のメンテナンスは俺にしかできない。
料理担当は基本的にシアだ。だが朝食は早く起きた方が作っているし、シアが疲れていそうだと感じた時は昼食と夕食も俺が作る。
毎食後の洗い物と乾燥、それと最近では天候不良時の洗濯は俺がサボり魔術で行っている。
日常的にシアが俺の魔力の使い方を目にする機会を設けることが狙いだが、シアは飽きることなくいつもキラキラした目で見つめて喜んでくれている。
シアが来る前と比べれば俺も働き者になったものだ。俺だけの暮らしだった頃は、掃除や洗濯を毎日していなかったからなぁ……。
そんなことを考えながら窓の外を見ると、鼻歌交じりに洗濯物——俺の下着を干しているシアが目に入った。
「…………」
「はいっ、終わりっ!
——ん? テオ様、どうかしましたか?」
景気よく両手をパンパンと払いながら振り返ったシアが、工房の窓に半ば突っ伏した状態で脱力している俺を見つけた。そして空の洗濯カゴを抱えて俺の傍へと駆け寄ってくる。
……妙な気まずさを覚えている俺は、キョトンと俺を見上げているシアと目が合わせられない。
「テオ様?」
目を合わせない俺にシアの声が不安そうだ。
「……あー……。なんだ、その……。今更だが、自分の洗濯物は自分でした方がいいのかと思ってな。サボり魔術で行う俺とは違って、シアは手洗いだし」
シアから目を逸らしながらこめかみをポリポリと掻く俺に、シアは不思議そうに小首を傾げた。
「? 私はお洗濯するの大好きなので大丈夫ですよ。バルカの頃の洗濯当番は量が多くて大変でしたけど、今は私とテオ様の二人分だけですしっ!」
「あー……。ほら、あれだ。シアも年頃なんだから、俺に自分の物を洗濯されるのは嫌だろう?」
「別に嫌じゃないです。……えっ? テオ様は嫌なんですか?」
「嫌というか、だなぁ……」
うぅっ、純粋なシアの視線が俺の良心に突き刺さる。今更ながら意識した俺の方が悪いのか……?
ゴホンと咳払いをして仕切り直した俺は、どこか不安げな顔をしているシアと向き合った。
「正直に言おう。思春期女子のシアに男の下着を洗わせていると改めて認識したら心が痛んだ」
言葉を選びながら告げると、シアは目をパチクリとさせた。
「えっと……? あの、私は本当に気にしていません。むしろテオ様が私にお洗濯を任せてくれて嬉しいんです」
「そ、そうか。シアが嬉しいのならいい、のか?」
……いや待て、俺。
ここで妥協して本当に大丈夫なのか?
大の大人としてデリカシーのない判断じゃないか?
セクハラにならないか?
女親側の意見を知りたい……が、こんなことをアネキに相談したら強烈な一撃を食らう未来しか見えねぇ……。
「テオ様は嫌なんですか? テオ様が嫌なら……、やめます……」
勝手に苦悩していると、シアが物凄く悲しげな目で洗濯カゴをギュッと抱きながら俺を見上げてきた。
「そ、そんな悲しそうに言うなよ……。俺は平気だ。うん」
「! それじゃあ、これからも同じようにお洗濯していいですかっ?」
「シアがいいのなら、な。気が変わって嫌になったら、ちゃんと言うんだぞ?」
「はいっ! これからもテオ様のパンツは私が洗いますっ!」
「……シア、さてはわざと俺を困らせようと言っているな?」
俺の指摘にシアは「えへへっ」と無邪気に笑っている。
こうして俺をからかうのは確実にルナの影響だ。
——……だが、まぁ……。それで今のシアが楽しいのなら、いいか。
俺は窓から身を乗り出してニンマリ笑顔のシアの頭をわしゃっと撫でつけた。
「シア、これから暇か?」
「! 暇ですっ。なんですかっ? 魔術の授業ですかっ?!」
俺の言葉にシアが前のめりの勢いで食いついた。この一週間は魔術と読み書きの授業を休止していたから嬉しいらしい。
シアが楽しんで学んでくれているのは俺としても嬉しい限りだ。
だからとあれもこれもと授業を詰め込むつもりはない。俺のポリシーは「のんびりゆっくり無理をせず」だからな。
「軽い授業がてら森を散歩しよう。着替えておいで」
「はぁいっ!」
テンションが妙に高いシアは嬉しそうに両手で洗濯カゴを頭上に掲げ持って玄関へと走っていった。玄関ドアの開閉音の後に階段をリズムよく駆け上がる足音が聞こえる。
あの勢いで階段を駆け上がれる程度には元気になったと喜ぶべきだろうが、シアは無意識に自分の体を蔑ろにするからなぁ……。
俺は失笑しながら自室から転移させた上着に袖を通し、森歩き用のブーツへと履き替えた。
そして収納の魔術具であるポーチへ必要な物をポイポイと放り込んで工房を出ると、身支度を終えて準備万端なシアが待ち構えていた。少し息を切らしているが元気そうだ。
シアはこれまでの人生で大人や自分に甘えることができなかった。その反動のせいか、こんな子供らしく無邪気な姿を見ていると一年前よりも幼く感じてしまう。
シアは早く大人になりたがっているが、今はまだ子供らしくいて欲しい。穏やかで健やかな心で日々を過ごして欲しい。
そんな風に願ってしまうからか、俺は無意識にシアの頭を撫でてしまう癖がついてしまった。
「嬉しい気持ちが抑えられないのもわかるが、病み上がりで階段を駆け上るのはダメだぞ? もしそれで倒れたら、今度こそ家事仕事も授業もエルも没収だ」
「それは嫌ですっ。エルもやっと返して貰えたのにぃ……っ」
シアが頬をむぅと膨らませている。ふふっ、一年前と比べると本当に表情が豊かになったなぁ。
体調を崩していた間は俺の部屋で寝起きをしていたシアだが、熱が下がった後はこれまでどおりに自室へと戻っている。
それでも就寝前になるとシアの心は不安定に揺れ動いてしまうから、シアを寝かしつけるのが俺の日課だ。
シアの就寝中はリーが添い寝をして、悪夢からシアを遠ざけている。リーとリスのぬいぐるみに挟まれたシアの寝顔は幼くて可愛らしいものだ。
「わかったのなら階段は走らない。息が切れたらちゃんと座って休む。いいな?」
「はぁいっ」
「よし」
シアの頭をよしよしと撫でるとシア本人もご満悦な表情だ。
……子供は子供らしくいて欲しい、と思うこの気持ちは親心という代物だろうか?
俺を恋愛対象として見ているシアからしたらありがた迷惑な話だろうが、こんな気持ちを抱く自分が不快ではないのだから仕方がない。許せシア。
「セブ、森へ行くぞ」
シアと玄関を出てセブを呼ぶと、セブは尻尾を軽く振りながら庭の方からのそのそと歩いてきた。俺の姿を見て甘えるように耳を倒している。可愛い奴め。
「今日はいつもより遠出をしよう。朝からの外出ならともかく急な話だったから、道中は魔術で短縮するけどな」
「遠出、ですか?」
「シルヴァの縄張りにある湖へ行くんだ」
「えっ? 縄張りって……。お、お土産とか持っていった方がいいですか?」
シアの言葉に思わず俺はプッと笑いを漏らす。
「確かにご近所さんへのお宅訪問みたいなものだが、別に気にしなくていいさ。相手はドラゴンなんだから人間の尺度で気遣いを考えなくていいし、そもそも俺が出向くこと自体が土産みたいなものだからな」
「?」
この不思議そうに小首を傾げるシアがこれまた可愛いんだ。俺はふふっと笑いながらシアの頭を撫でる。
「その辺りの話はまた後で。さぁ、行こうか」
「は、はいっ」
本来の姿へと変化したセブにシアと共に騎乗すると、俺の前に乗ったシアが早速セブの毛並みを堪能している。本当に肌触りのよいものが大好きなんだなぁ。
俺はシアの仕草に再びふふっと笑いながら左指をパチンと鳴らし、移動の扉を開いた。
「セブ」
俺に促されたセブはゆっくりと歩みを進め——、扉を抜ける。
途端、眼前には清らかな水面を讃えた広大な湖と清々しい緑が広がった。
「わぁ……っ! すっごく綺麗ですっ!」
シアが目をキラキラさせながら景色に見とれて深呼吸をしている。
今日は天気もいいし風も穏やかだ。澄んだ水面に青い空と白い雲が映り、湖面を駆けた気持ちのいい風が頬を撫でていく。
俺達を乗せたセブはゆったりとした歩みで湖の岸を歩き始めた。
「さっき話したように、ここはシルヴァの縄張りだ。ウチからはそこそこ離れた場所になる」
「私が来たことのない距離ですか?」
「そうだな。シアが森の散策で行ったことがある場所は一番遠くてもセブの駆け足で数刻程度だったが、ここはその何倍も離れた場所だ」
「……テオ様、私の中でご近所さんの定義が崩れています」
「ふふっ、シルヴァの尺度だとウチはご近所さんなんだよ。縄張りだってかなり広いんだ」
「シルヴァさんはどこに棲んでいるんですか?」
シアはセブから少し身を乗り出して回りをキョロキョロと見回している。
ここはキラン大森林の中なのだから、もちろん湖の周囲も森だ。
「シルヴァの棲み家はここから少し離れた場所だ、とだけ言っておこう。棲み家へは行かないからな?」
「興味はありますけど、行かないですっ。恐れ多いですっ!」
シアが畏怖を感じたのは当然だ。
シルヴァは幼体とはいえ人間よりも上位存在であるドラゴン。ドラゴンは傍にいるだけで他の生物に対して無意識に強いプレッシャーを与えるのだから、その寝室である棲み家に土足でズカズカと踏み入る気力など普通の人間は抱いたりしない。
そう考えると、御伽噺のドラゴン退治はまさに夢物語だな。無神経を通り越した所業、生物としての不適格な奴でなければできないことなのだから。
「やっぱりドラゴンって凄い存在なんですね……」
俺の話にシアはワクワクとした表情で振り返って俺を見上げてくる。
「普通はドラゴンを視界に入れる前に気絶するぞ。シルヴァだって俺達以外の人間には懐きはしない」
「テオ様はシルヴァさんとどうやって知り合ったんですか?」
シアの問いに俺は軽く失笑する。
「前に『アシュフォードと奇縁のあるドラゴンがいる』と話しただろう? ほら、師匠がデコピンで気絶させた奴だ。あのドラゴンとシルヴァは血縁でな、その縁でシルヴァは俺に心を許してくれているんだよ」
「えっ? あ、あのっ。もしかして、そのドラゴンもこの大森林にいるんですか?」
「さぁ、どうだろうなぁ? シアがアシュフォードの古代魔術師としてちゃんと成長するまでは秘密だ。ドラゴンの棲み家はおいそれとばらしていい情報じゃないからな」
「はぁい……」
俺に隠し事をされて気落ちしたのかシアはちょっと悲しそうだ。
だが、絶対に教えないからな。ドラゴンに限らず、人間だって自宅の住所を他人にばらまかれるのは普通にアウトだろう?
シアの頭をよしよしと撫でているうちに、セブが目的地に辿り着いた。
ここはちょうどいい案配の木陰だ。湖が一望できて気持ちがいい。
俺達を背中から下ろしたセブが早速昼寝モードへと入ったので、俺達も横倒しで寝ているセブをソファ代わりにして腰を下ろした。
「さて。シア、今日の授業内容はマナと生き物についてだ。使い魔を持つためには必要な知識だよ」
「はいっ! お願いしますっ」
授業というワードにシアが機嫌を取り戻した。古代魔術師的には知識欲に貪欲なのはいいことだ。
「人は誰しもマナを持っている。だが、マナを持っているのは人だけじゃない」
シアの注意を向けた俺は言葉を考えながら話し始めた。
「マナは生き物を形作る大切な要素だからな、人以外の動物も草木もマナを持っている。その中にはマナを人のように利用する動物もいる。それが魔獣だ」
「えっ? それじゃあ、魔獣と動物の違いは『マナが使えるか使えないか』なんですか?」
「そうだとも」
シアが驚くのも無理はない。そもそも魔獣は普通の動物とは見た目も生態も異なっている。
鱗が生えた鷲、凶悪な剣山を背負う虎、吹雪を纏う猿……。例を挙げればキリがないが、そのどれもが通常の野生動物と比べれば人間にとって脅威だ。
「ここで基本に戻ろうか。マナとは人間を含めた生き物が生きる上で不可欠な力であり、生きる術ともなる。だから世の中にはそのマナを意図的に使って何らかの事象を起こせる人間がいる。その一例が魔術であり、魔術を使うためのマナは魔力と呼ばれる」
「は、はいっ。現代魔術師と現代魔術の話ですね」
シアの答えに俺は頷く。
「そうだな。マナの一側面を魔力として操り魔術を使うのが現代魔術師だ。だが、俺とシアは古代魔術師だ。古代魔術師はマナを一側面で切り取るのではなく、マナ全体を捉えて操る。この湖の水をマナだと例えれば、湖から汲んだ水を何やかんやするのが現代魔術師、湖の水をこのまま何やかんやするのが古代魔術師だ」
ならば現代魔術師よりも古代魔術師の方が使えるマナが多いのかと言うと、それは違う。
マナはあくまでも生きるための力だ。変に弄れば変質してしまうし、無駄遣いすれば普通に死ぬ。
一個人の体に秘められているマナの量の差は問題じゃない。必要なマナを効率よく必要な分だけ使える才能と技量、これが古代魔術師同士の実力の差だ。
「テオ様はマナが上手に使えるから優秀な古代魔術師なんですね」
シアは我がことのように誇らしげだ。なので俺も軽くふんぞり返ってみせた。
「ああ、シアの師匠はとても優秀なんだぞー。安心して頼りなさい」
「はぁいっ!」
大輪の向日葵のような笑顔だ。シアが無邪気に笑っているだけで俺の心も自然と弾む。
「さて。ここまでは人間とマナの話だったが、ここからは動物とマナの話だ。
シアと初めて森へ入った日のことを覚えているか? ほら、ハネウサギを見ただろう?」
「はいっ、覚えています。一瞬でパッと消えちゃったのが不思議でした。また見てみたくて、いつも森の中で探しちゃいますっ」
「だから森へ来るといつもそわそわしていたのか」
俺の言葉にシアは「えへへ」と照れくさそうに笑った。
「ハネウサギは危険を察知すると反射的に体毛から光る粉を放出して、相手を撹乱させた隙に高速でぶっ飛んで逃げる。その逃避行動にマナを使っているんだよ」
「な、なるほど……?」
「人にとってマナは生きるための力であり、生きる術となる力。それは魔獣にとっても同じだ。魔獣の特殊な外見も不思議な生態も、マナを活用して獲得してきた『生きる術』なんだよ」
「なるほど……」
「マナを魔術として扱う人間のことを魔術師と呼ぶように、マナを生きる術として利用している動物を『魔獣』と呼ぶ。魔獣ではなく『マナ獣』とでも呼べばわかりやすいんだろうが、大半の人間はマナのことを『魔力』と呼んでいるからな。その流れで昔の人々はマナ——つまり魔力を操る獣だから『魔獣』と呼び始めた、というわけだ」
「おおー! なるほど……」
ふふっ、シアはさっきから感心しっぱなしで楽しそうだなぁ。知らない知識に触れる楽しさは俺にも理解できるとも。
俺は軽く微笑みながらセブの毛並みを撫でて話を続けた。
「マナを操る存在――魔獣や魔術師などはマナを感じ取る感覚が鋭い。気配に敏感ってことだな。だから俺やセブは森で魔獣の接近に気付きやすいし、魔獣側も俺達を警戒して現れようとしない。妖精やドラゴンなんかも同様だな」
「それなら、あの時に私達が見たハネウサギは何だったんですか?」
「シアにハネウサギを見せたくて、俺とセブが気配を殺したっていうのもあるが……。ほら、あのハネウサギは木漏れ日の中にいただろう? ハネウサギは草食だが、太陽光が嗜好品なんだ。
つまりあれは、おやつを食べるのに夢中で俺らに気付かなかった鈍くさい個体だ」
「ええっ? 何だか可愛いっ」
ハネウサギよりもシアの方が可愛いとも。そんなことを思いながら、俺は無邪気にクスクスと笑っているシアの頭を撫でた。
「さて。ここからは使い魔とセブ達の話をしようか」
「? 使い魔とセーブル達、ですか?」
俺とシアに名前を呼ばれたセブが反応して耳をピクッとさせたが、特に問題はないと悟るとため息のような大きな息を吐いて本格的な昼寝の態勢になった。
ふと風に気を取られて湖へ視線を向けると、風と波で綺麗な波紋を描く湖面が陽光で綺麗に煌めいていた。
対岸では白鳥に似た大型の水鳥が水面を滑るように泳いでおり、その向こうでは羊に似た長毛の魔獣の親子が寛いでいる。実に平和な雰囲気だな。
視線をシアに戻すと、シアは興味津々な眼差しで俺を一心に見つめていた。その健気な姿に思わずクスッと笑ってしまう。
「一般的な魔術師である現代魔術師の使い魔といえばほとんどが魔獣だ。魔術師と使い魔は魔力で契約する。魔術師は使い魔へ魔力を対価として渡し、使い魔は魔術師の命令に従う。つまり、使い魔は魔力——マナを利用する生き物なのさ」
「あっ! 私は昔、魔術師の使い魔って恐ろしい見た目の存在だと思っていたんですっ。そう思っていたのは使い魔が魔獣だから、なんだ……!」
合点がいったらしくシアは興奮気味だ。
「そうだな。現代魔術師は自分の魔力と波長が合う魔獣と使い魔の契約をすることができる。魔獣なんて普通の野山にいないから、人里離れた場所で何日も探さないといけない。捜索へ行くだけでも危険を伴うし、それで必ず自分の魔力と波長が合う魔獣と遭遇できて意気投合するとも限らない」
「大変なんですね……」
「それで契約して『はい、めでたし』というわけにもいかない。使い魔へ対価の魔力をちゃんと提供し続けないといけないからな。魔力提供をケチると使い魔は命令を聞かないし、反旗を翻して襲うこともあるし、契約を解除にされることもある。契約を結んだ以上、ちゃんと責任を持たないとな」
世間では使い魔は魔術師にこき使われて好き勝手にされる存在だと勘違いされがちだが、その実情はこうなのだ。
「それでも使い魔を持つメリットはでかい。護衛に移動手段、情報収集に素材収集、その他にも様々な仕事を任せられる。
だが、セブは今話したような魔獣の使い魔とは違う」
セブを優しく撫でつつ言うと、そんな俺につられたシアもまたセブをもふもふと撫でた。
「セブは普通の動物でも魔獣でもなく、俺が自分の魔力で作った魔術生物だ。生物を創造する魔術は極めて難易度が高く、現代魔術の区分では一級魔術となる。魔術生物は創造主にのみ従うし、一級魔術を使える現代魔術師は相当な上澄みだ。魔術生物を従えた現代魔術師がいたら、そいつはその国で五本指に入る現代魔術師だと思っていい」
「……。ちなみに、現代魔術師としてのテオ様は?」
心なしか呆れた微笑みのシアに、俺は思いっきりドヤ顔を披露してやった。
「俺はアルドリールの魔術公だぞ? 魔術公とはその国で上から二番目の階級の現代魔術師だ。一級魔術はもちろん、特級魔術も使えるさ」
「……私のお師匠様が優秀すぎる……」
「その優秀な俺がシアを守っているんだからな。シアは最強なんだぞ?」
わざとおどけた口調で言いながらシアの頭をこれでもかと撫でると、シアはくすぐったそうにクスクスと笑って俺の手に頭を押しつけてきた。
シアはもっと素直に甘えていいんだ。
だが——。そのためには、まず俺の方が心を緩めてシアを安心させないといけない。ちゃんと言葉と行動でシアに示さないとな。
「さぁ、授業を続けよう」
仕上げにポンポンとしてシアの頭から手を退けると、シアは嬉しそうな笑顔で「はぁいっ!」と返事をした。
「セブとリー、ルーは俺が作った魔術生物だ。古代魔術師は現代魔術師と比べて魔術生物を作るハードルが低い。呪文という型に縛られた現代魔術とは違って、古代魔術は不可能の壁がないからな」
「そ、それじゃあっ! 私も魔術生物の使い魔を作れるようになるんですかっ?!」
シアは前のめりで興奮している。凄い食いつきだな。
「もちろんだ。だが、今すぐにとはいかないなぁ。さっきも話したように、魔術生物には創造するのは高度な魔力操作が必要だし、その後に払っていく魔力の維持操作も必要だ。
だが、今のシアは火や水を操る練習で魔力操作に慣れていく段階だからなぁ。魔術生物を作るにはまだまだ早い。何たって一つの命を作るんだからな。そして魔術生物の使い魔は一生を共に過ごす存在だ。作るタイミングは大切にしないとな」
「は、はいっ」
残念がるかとも思ったが、シアは真剣な面持ちでコクコクと頷いた。それを見て俺も、うん、と頷く。
——シアは心根が優しく思慮深い子だ。俺だけでなくセブやリーとも仲良くしているし、そもそも動物が大好きだしな。自身が創造した魔術生物を蔑ろにはしないだろう。
だからと今すぐ魔術生物を作るのは時期尚早だ。作るだけなら俺が手解きすることはできるだろうが、その後はシアが魔術生物の面倒を見なければならない。魔術を使う練習であたふたとしているシアが魔術生物にまで魔力を提供し続けるなんて負担でしかないからな。
以上の内容をシアにキチンと説明すると、シアは再び真剣に頷いた。
「はい! お師匠様っ!」
「うん。いい子だな」
シアはちゃんと理解してくれている。
そう思うと安堵と誇らしさが込み上げてきて、ついシアの頭を撫でてしまった。
やれやれ……。我ながら親馬鹿、もとい師匠馬鹿だな。
俺に褒められたシアは照れくさそうに笑って、興味津々な顔で見上げてきた。
「テオ様が初めて魔術生物を作ったのって何歳の時なんですか?」
「あー……」
俺はシアの咄嗟に答えられず、斜め上を見上げて考えながら口にするべきかを悩む。はぐらかすのは簡単だが……。
——……そう、だな……。誠実な気持ちでシアと自分に向き合うことを決めたのだ。言葉は選ぶべきだが、ここは誤魔化さずに答えよう。
そう結論付けた俺はシアと視線を合わせて、口を開いた。
「前にも話したかもしれないが、俺のマナは少し特殊なんだ。しかも師匠に拾われた頃はマナも心もかなり不安定でな、それを安定させるための手段として師匠はかなり早い時期に魔術生物の作り方を俺に手解きした。
だから、六歳の頃にセブを作ったんだ」
「えっ……」
俺の言葉に驚いたシアが絶句している。
無理はない。俺が師匠に拾われたのは五歳の頃で、魔術を学び始めたのも五、六歳の頃なのだから。シアはどんな反応をするだろう?
少し不安に思っていると、シアは気遣うような目を俺に向けてきた。
「……あの……、聞いちゃいけない話でしたか?」
「構わないよ。シアが聞くのが辛いのなら止めるが」
俺の言葉にシアはふるふると首を横に振った。
「私は……、聞きたいです。テオ様のことを知りたいです」
「そうか……。わかった」
勇気のある返事に俺は頷き、慎重に言葉を選んでいく。
「魔術生物を作るにはかなりの量の魔力を練り上げる必要がある。それに、魔術生物の食事は創造主の魔力だ。作った後はその存在を維持するために魔力を提供し続けないといけない。ここまでは何となく想像ができるか?」
「……はい」
「それで——、だ。俺のマナは元々とても不安定な形をしていたんだ。ちょっとした刺激で破裂したり爆発したりするイメージでいい。そうなっては色々な意味で危険だから、師匠としては俺のマナを早急に安定させたいわけだ」
必要なのはマナの速やかな安定化。だから師匠は俺を古代魔術師として育てる方針を決めて、俺が魔力を操れるようにと手解きを始めた。
とはいえ、俺は師匠に拾われるまで人間の営みを知らない実験動物として生きてきた。日常生活も四苦八苦する中で魔力の手解きをやってのけたのだから、やはり師匠セルディアの根気は化け物級だと思う。
何はともあれ。俺の爆発しそうな魔力を消費させつつ情緒を安定させる目的で、師匠は魔術生物——セブを作らせた。
魔術生物は創造主にとって我が子同然、自身の一部も同然の存在だ。師匠達人間を毛嫌いして敵意を剥き出しにする俺でも、セブの存在は本能的に受け入れることができた。
柔らかなセブを抱きしめることで、俺の心は次第に安定していったのだ。
「だから、な? 俺のケースは極めて特殊なんだ。
——……シア、大丈夫か? シアの心に負担をかける話だったな」
「……っ」
ああ……、俺の話を聞いている内にじわじわと目に涙を浮かべている。やはり繊細なシアには酷だったよな……。
案じる俺に対してシアはぎゅっと唇を噛み、俺の裾を掴んだ。
「テ、テオ様は……っ、今は辛くないですか……?」
「……。正直に白状するなら、たまにふと思い出して辛い時もあるさ。だが、俺には絶対の味方であり心の支えであるセブ達がいる。それに——」
俺はシアの頭をふわりと撫でた。
「——それに、今はシアがいる。シアの存在に俺は本当に救われているんだよ。シアと一緒にいると安心するし、人間として生きているんだなと思えて嬉しいんだ。
……シア、本当にありがとうな」
「っ! い、いえっ。私、こそっ……!」
シアはそこまで言うと、我慢できず俺にしがみついてきた。
肩を震わせているその華奢な体を抱きしめて、俺はシアの存在を全身でかみしめる。
「なぁ……、シア。俺達は不器用な生き方をしてきた仲だ。不器用同士、この先も支え合って生きていきたいと俺は思う」
俺の言葉にシアは息を呑んで、俺の胸に顔を埋めたままで何度もコクコクと頷いた。
「はいっ! 私、絶対にテオ様の奥さんになりますッ!」
迷いの欠片もなく力強い言葉に俺の思考は一瞬止まって——、直後にプッと笑いを噴き出した。
「っ、あっははははッ! シアは本当に俺が好きだなぁ……っ。俺はロリコンじゃないんだから、シアが大人になるまで恋愛対象として絶対に見ないぞ?」
「もうっ、テオ様ずるいッ! さっきのセリフは告白にしか聞こえなかったもん……!」
「あははっ!」
拗ねたシアが俺の胸をポカポカと叩いてきた。いつもの敬語まで外れている。
そんなシアの頭と背中をわしゃわしゃと撫でて、俺は声を出して笑った。
俺にとってシアは可愛い子供だ。大切な弟子で、かけがえのない家族だ。
数年先のことなど想像がつかないが……、シアを恋愛対象として見る日が来る可能性もある、のか……?
「……まっ! 何年経っても俺にとってシアが可愛いのは間違いないな!」
「だからッ、それが私には告白に聞こえるんですうぅぅッ!」
「あははははっ! それは俺が女心をわからない奴だから仕方がないな!」
「清々しく開き直らないでくださいッ!」
「いてっ。あははっ!」
トドメに胸元をドカッと叩かれて、俺は笑いに滲んだ涙を指の背で拭った。
そうして俺はひとしきり笑って、シアも拗ねながら少しずつ笑い始めて——。
落ち着いた俺達は鞄に入れていた水出し茶を飲みながら木陰でゆっくりと休憩している。
シアはさりげなく俺に寄り掛かって甘えているなぁ。やっぱり俺にとってシアは可愛い家族だ。
「テオ様、あれって魔獣ですか?」
対岸を指差したシアの問いに視線を向けると、そこにいたのは羊に似た長毛の魔獣の群れだ。先程は家族単位の頭数だったが、それよりも数が増えている。
大人よりふた回りは小さい子供が親に顔を擦り寄せて甘えている。こうして見ると可愛いもんだ。
「魔獣のシルキーシープだよ。あの毛を上手く加工すると極上の絹糸みたいになってな、そこそこの高値で取引されるんだ。それに目を付けた冒険者や密猟者に狙われやすい」
「えっ」
「安心しなさい。大人しそうに見えても立派な魔獣だからな、マナを駆使して苛烈な反撃をしてくる。しかも基本的に群れで行動するから、その全ての個体が反撃に転じるんだ。攻撃魔術の集中砲火みたいな光景だな。冒険者や密猟者なんてへっちゃらだよ」
「うっわぁ……。あんなに可愛いのに怖いんですね」
「敵意を向けられれば反撃をする、それはどんな生き物でも同じことさ。シアも嫌な奴に遭ったら遠慮なく火ダルマにしてやれ。師匠である俺が許可する」
「えぇ……っ?」
シアは呆れたように笑って微妙な反応をしているが、俺は本気だ。
シアはもう非力な存在じゃない。シアは俺の弟子、古代魔術師の卵なんだ。魔力操作の一環で火や水を出す魔術も真面目に練習している。
「振りかかる火の粉はそれ以上の火力で払い除けるのが俺だ。シアも遠慮しなくていい」
「か、過剰防衛……」
「正当防衛だ。俺がそう言うんだから間違いない。シアがやらないのなら俺がやるとも。ウチの可愛いシアを苛める奴なんて、俺が断じて許さない」
俺はシアの完全な味方だ。俺がどれほど本気なのかを余すことなくシアに伝えて安心させたい。
その思いのままストレートに言うと、シアは嬉しそうに笑った。
「ふふっ、ありがとうございますっ」
「ん、いい子だ」
俺はシアの頭をよしよしと撫でて、セブに寄り掛かっていた体を起こした。
「さて。『俺がここへ来ること自体がシルヴァへの土産だ』と話したのは覚えているか?」
「は、はいっ。どういう意味ですか?」
「俺はシルヴァと使い魔の契約を結んでいるが、シルヴァを使役しているわけじゃない。シルヴァと繋がりを持つために使い魔の契約を利用しているだけだ。だから俺がシルヴァに渡す魔力は建前程度なんだが、シルヴァ的に俺の魔力は『たまに食べたくなる珍味』的な感じらしい」
そう言いながら俺は左手を空へと向けて、魔力を丁寧に流していく。
「ここはシルヴァの縄張りだ。ドラゴンは自分の縄張り内で発生して溶け込んだ様々なマナを糧として摂取している。だからこうして俺の魔力を流してやるとシルヴァが美味しく頂く、というわけさ」
「なるほどー……」
シアは俺の魔力の行く末を目で追っている。
俺の手から流れた黒と金の魔力は、澄んだ青空にスッと溶け込んで次第に色を失っていく。
そうして流した魔力が完全に大気と同化した瞬間——。湖上空で光の粒子がキラキラと煌めいた。
「わぁ、綺麗……っ!」
「俺の魔力を受け取ったシルヴァからの返事だよ。かなりご機嫌だなぁ」
ふふっ、ご機嫌なのはシアも同じだな。空を見上げたシアの翡翠色の瞳も負けないくらいに輝いている。
シアがご機嫌だと俺の気分も晴れる。気持ちよくすぅっと深呼吸すると、新鮮な空気が心地よく肺を満たした。
「シアが使い魔を得る方法は二つだ。一つは魔獣などのマナを糧とする生物と魔力で契約する方法。もう一つは魔術生物を作る方法だな。
師匠の俺としては先に魔術生物を作る方法を教えたい。魔力の扱いをより深く身に付けることができるし、何よりも一から育てると愛着がより湧くからな。どうだ?」
「は、はいっ。私も作りたいですっ!」
シアは希望に満ちた眼差しで胸の前に両手を握ってワクワクと俺を見上げた。
俺はその様子に安堵して頷く。
「うん、よかった。それじゃあまずは下準備からだな。今後はシアの様子を見ながら魔力の練り方と使い魔の知識を教えていこう」
「はいお師匠様っ! よろしくお願いしますっ!」
屈託のない笑顔で元気よく返事をしたシアが堪らなく愛おしい。それと同時に俺はシアを愛おしいと思った自分を肯定する。
真摯な姿勢でシアと向き合うためには、まずは自分自身を認めることが大切なのだから。




