寄り添うぬくもり
悪夢に襲われてテオ様に泣きついた翌日から三日の間、私は熱を出して寝込んでしまった。
ここまで酷く体調を崩してしまうなんてテオ様の家に来てから初めてだ。そんな私をテオ様は優しく辛抱強く看病してくれた。
そもそも私は体調を崩した時に誰かに優しく看病された経験がない。
バルカのお屋敷にいた頃は体調を崩して寝込んだりなんてしたら、大事をとって休息を取るなんてことは許されなかった。看病どころか冷ややかな目で見られて、叱責されたものだ。
「ん、熱はすっかり下がったな。具合はどうだ?」
私が顔と体を拭くために使った湯桶とタオルを片付けながらテオ様がそう問い掛けてきた。
体調が悪い中で無理してお風呂へ入るのは危険だからと、この三日間私はお風呂へ入れていなかった。熱で汗をかいた体が気持ち悪くて困っていたら、そんな私を察したテオ様がお湯とタオルを用意してくれたのだ。
「頭がちょっとふわっとしていますけど、大丈夫です」
これは多分寝込んでいた体が弱ってしまったからだと思う。体を拭くだけでちょっと息切れしてしまうくらいだ。
ふぅと息を吐いた私は、テオ様のベッドへ横になる。
——そう。
この三日間、私はテオ様のお部屋で過ごしていたのだ。
自室とテオ様のお部屋のどちらで休む方が落ち着くかを訊ねられて、私は悩んだ末にテオ様のお部屋だと答えた。
もちろん自室が嫌なわけじゃない。でも……、今は悪夢を見たというトラウマが強く残っているから、ちょっと心がざわついて落ち着かない……。
そんな私を気遣ってお部屋に置いてくれたテオ様の優しさが嬉しい。
「あの……、テオ様はちゃんと眠れていますか?」
私がベッドを占領してしまっているから、テオ様はソファで寝起きをしているのだ。
しかも夜は私を寝かしつけて、朝に目を覚ますと傍にいてくれる。満足な睡眠時間が取れているのかな……?
申し訳ない気持ちでもじもじする私の頭をテオ様が撫でてくれた。
「シアが心配することなんてないさ。俺はシアがウチへ来る前まで、書斎の椅子で数日間眠ってもへこたれなかった男だぞ? 俺の心配なんてしていないで、今は自分の体を労りなさい」
「……はぁい……」
私の返事を聞いたテオ様は満足そうに頷くと、湯桶とタオルを魔術でぽいっと片付けてしまった。
私が寝込んでいるせいで、料理や家事はテオ様がしてくれている。
家事はサボリ魔術でポンポンとこなしているけれど、お皿を割ることはないし、仕上がった洗濯物もふわふわ。本当に絶妙な魔力の使い方だ。
「私も魔術を使って家事ができるようになったら面白そう……」
魔術でホウキを操ってお掃除をしたり、泡を自由自在に操って洗い物をしたり。なんだか魔術師っぽいよね。
「ふふっ。シアがそんな真似をできるようになるのはまだまだ先だぞ?」
「はぁい」
魔術は武器にもなり得る力。最初の数年は魔力の扱い方の基本をしっかりと身に付けないといけない。しかも古代魔術は現代魔術よりも特殊だから尚更だ。
「エル」
ベッドから右手を伸ばして喚び掛けると、蜂蜜色の枝が右手に現れた。
エルは私の魔力の結晶。私が古代魔術師の卵である証拠だ。
「こらこら、ちゃんと大人しく寝ていなさい」
天井に向かってエルの枝を軽く振る私にテオ様が苦笑している。
「だって体が鈍っちゃっているんですもん……。リハビリですよ、リハビリ」
「退屈でじっとしていられないだけだろうが」
テオ様が言うように、体調がよくなってきたのにじっとしているのは落ち着かない。
むぅと膨れっ面でいると、テオ様は私の手からエルをそっと取り上げた。そして収納魔術の空間へと隠されてしまう。
「俺がいいと言うまでエルは没収だ」
「えーっ! そんなぁ……」
「俺はシアが大事なんだから、遠慮せずに介入するぞ。大人しく観念しなさい」
テオ様のストレートな言葉は、三日前の出来事が影響しているのかもしれない。
醜態を晒した私をテオ様は受け止めてくれた。悪夢を見たのは最悪な出来事だったけれど、私とテオ様の距離が今まで以上に縮まったのは素直に嬉しい。
嬉しいけれど……、暇潰しの手段を没収されたのはちょっと悔しい。
「せめてお風呂に入りたいなぁ……」
「今のシアは間違いなく浴室でぶっ倒れるぞ。ちょっとずつ体を慣らしてからな」
「ほら、やっぱり私にはリハビリが必要ですっ」
「論破したつもりでもエルは返さないぞ。どうしても動きたいのなら、ベッドサイドに座って足踏みでもしていなさい。人間の体ってのは三日間寝込んだだけでも簡単に筋力が落ちるんだからな」
それは言葉どおり身をもって体験したけれど……。
「テオ様、浴槽に浸からなければ大丈夫じゃないですか? 頭が洗いたいです……」
顔は湯桶で洗えているし体もタオルで拭けているけれど、さすがに湯桶で頭は洗えない。
以前の生活——特に奴隷商にいた頃は頭を洗うのが数日置きだったけれど、この一年で清潔を保つ習慣がついたこともあって三日間洗えていないのは落ち着かない。……ちょっと痒いし。
「それなら、ここで俺が洗おうか」
「……えっ?」
こ、ここで?
きょとんとする私にテオ様はクスッと笑っている。
「ほら、ベッドから足を下ろして座って」
「は、はい」
困惑しながらも言われた通りにベッドサイドに座ると、テオ様は左指をパチンッと鳴らした。
次の瞬間——。私の頭は適温のお湯のかたまりに、ほわわ~っと包み込まれた。
な、何これぇ?! 新感覚……っ。
「熱くないか?」
「ち、ちょうどいいですっ」
「ふふっ、そうか。そのままじっとしているんだぞ。具合が悪くなったら素直に言いなさい」
「……はぁい……」
ほわほわのお湯に包まれながら髪を梳かされて、頭皮も優しく揉み洗いされていく。
お湯のかたまりの中も水流があって、わしゃわしゃ~ってなって……。
す、すっごく気持ちいい……っ!
そもそもこんな魔術の使い方ってありなの……っ?!
「ふわあぁ……」
つい間抜けな声が出てしまった私にテオ様がクスッと笑っている。
「次、泡で洗うぞー」
テオ様はお湯のかたまりが消えた髪の毛の水気を軽く切ると、魔術で髪用石鹸の泡をモコモコと泡立てて洗い始めた。
すっごく絶妙な力加減……。気持ちよすぎる……!
「も、もしかして。テオ様って普段も自分の髪の毛をこうして洗っているんですかっ?」
入浴時のテオ様は擬態の魔術を解いた姿だから、肩甲骨を越す長さの長髪だ。
髪の毛もサラサラだし、綺麗だし、普段から魔術で特別なケアをしているのかも……?
そんな私の疑問にテオ様は声を出して笑った。
「あははっ。確かに自力で洗うのは面倒だけどな、魔術で髪は洗わないなぁ。洗うよりも乾かす方が面倒だから、そっちは魔術でやるけどな」
「それじゃあ、なんでこんなに上手なんですかぁ……?」
気持ちよすぎて滑舌がふにゃふにゃになってしまう。
そんな私にテオ様は得意気な感じでフフンと笑ってみせた。
「ほら、ウチには毛玉が二匹いるだろう?」
「……え? セーブルとリンクスですか?」
思わず私は部屋の床で寝ているセーブルと、ソファの背もたれでバランスよく座って欠伸をしているリンクスを見た。
「使い魔は普通の生物と違って汚れの心配はないんだが、たまにこうして洗ってやっているんだ」
「な、なるほど……?」
テオ様の説明で納得はした……けれど、セーブルとリンクスと同じ扱いで洗われていると思うとちょっとだけ複雑な気持ちになった。
でも気持ちいい……。クセになりそう……。
「すすぐぞー」
「ふぁい」
再びお湯に包まれたけれど、すっごく複雑な水流でわしゃわしゃ~っとすすがれていく。
水流の感触と爽快感で気持ちいぃ……っ!
「ひょえぇ……」
すすぎが終わったら水気を軽く切って、これまた絶妙な温度と風圧での乾燥だ。
テオ様は以前私に髪を結われながら「そんなに好きなら美容師にでもなるか?」と冗談を言ってきたけれど、テオ様こそ美容師に向いているのでは……?
「はい、終わり。お疲れさん」
「ぁりがとぅござぃましたぁ……」
私の思考は洗髪の余韻でふにゃふにゃの骨抜きだ。ぼーっとしている私にテオ様が「あははっ、溶けているなぁ」と笑っている。
頭に手をやって髪を撫でると、見事なサラサラのツヤツヤだ。同じ石鹸でも上手に洗うとこうなるのか……。
「シア、大丈夫か?」
「はぁい。このまま体も洗って欲しいくらいに気持ちよかったです……」
回らない思考でそんな言葉を口走ると、テオ様は困ったように眉尻を下げて苦笑した。
「それはダメだなぁ。どうしても致し方がないっていう状況なら話は別だが、今は体を拭くので我慢しなさい」
「はぁい……。本気じゃないですから、大丈夫です」
「うん。自分の尊厳を大事にしなさい」
私にそう話すテオ様はとても優しくて、まるで愛おしいものを見るような眼差しをしていた。
テオ様は私を大切にしてくれている。一人の人間として。家族として。
「テオ様も自分を大事にしてくださいね」
心の底からそう言うと、テオ様はふっと小さく微笑んだ。
「ふふっ、そうだなぁ……。そうするよ」
「はいっ!」
テオ様の返事が嬉しくて応える声が弾んでしまう。
以前のテオ様はどこか自分を蔑ろにするような言動があった。今と同じようにお願いしても曖昧な返事をしていたと思う。
それに比べると、今の言葉はニュアンスが全然違う。
テオ様が前向きだと私も嬉しいっ……! 自然と口角が上がってしまう。
そんな私に気付いたテオ様はコホンと咳払いをした。
「ほら、落ち着いたのなら寝なさい。もし眠くなくても横になって、心と体を休ませるんだ」
「はぁい……」
洗髪後の心地よい余韻と穏やかな心境で緩やかな眠気がある。今なら凄く気持ちよく眠れそうだ。
モソモソとベッドに上がって毛布に潜り込むと、テオ様が胸元をトントンしてあやしてくれた。
「……ふわぁ……」
テオ様の奥さんになるために早く大人になりたいのに、こうしてテオ様に子供扱いされるのも大好き……。
——……いつの間に眠っていたのだろう……?
私がふと目を覚ますと、窓から入る夕日の中でベッド横の椅子に座っているテオ様の姿が見えた。
テオ様は左膝を両手で抱えるような姿勢で目を閉じていて、一見すると眠っているかのように見える。
けれどジーッと見つめてテオ様の魔力を観察していると、テオ様はテオ様の内面世界である書庫へ行っているのだとわかった。
古代魔術師にとって自分の内面世界は魔術を管理する大切な場所。多分テオ様も魔術式の整理とか作成とかの作業をしているんだと思う。
「ん……? 起きたか、シア」
私の気配に気付いたテオ様がふっと目を開けた。
「邪魔しちゃいましたか?」
「いや、そんなことはないさ。ちょっと確認作業をしていただけだから大丈夫」
枕に顔を半分隠しながら気まずい思いで訊ねた私に、テオ様は何ということはないといった表情で微笑んだ。
そしてズボンのポケットから懐中時計を取り出して時間を確認している。
「そろそろ夕飯を作るか。シア、何が食べたい?」
「えっと……」
熱が出ていた間はお粥やスープばかりだったけれど、今朝からは普段寄りの食事へと戻っているのだ。
さすがにお肉をガッツリと食べる気にはなれないけれど、それでも体は栄養を求めているのか食欲はある。
テオ様が作ってくれるものなら何でも好きだけれど……。
「……あ、あの」
「うん」
「…………その……。テオ様が初めて作ってくれたトマトリゾットが食べたい、です……」
毛布で隠れながらボソボソとリクエストを話すと、テオ様は再びふふっと笑って私の頭を撫でてくれた。
「わかったよ。作ってくるから、シアはここでゆっくり寝ていなさい。俺の代わりにセブとリーがシアの傍にいるからな」
テオ様の声に応えるように、ベッドの隣に伏せ寝していたセーブルがのそっと起き上がって、私の隣にポスッと顎を乗せてきた。
更にリンクスが床からベッドにトンと飛び乗って、毛布の中へと潜り込んでくる。
肌を掠めたリンクスのふわふわな毛並みが気持ちいい……。
テオ様が夕食作りのために傍を離れてしまう寂しさを先回りしてくれたことにホッとしつつ、私の寂しさをテオ様やセーブル達が予想していたと思うとちょっと恥ずかしい。
「あの、テオ様も私と一緒に食べますか?」
「ん? もちろん。作って運んでくるから、うとうとしながら待っていなさい」
「はぁい」
テオ様は私の頭をポンポンと撫でてから部屋を出ていった。
窓の外から穏やかに入る夕日。静かな室内……。
すぐ傍にいるセーブルの顔を見ると、セーブルはブルーグレーの優しい瞳をシパシパさせながら私を見守っていた。
毛布からそっと手を出してセーブルの額を撫でると、セーブルは気持ちよさそうに小さく欠伸をして口をモゴモゴとさせている。可愛い。
毛布の中では私の左脇でリンクスが丸まっている。呼吸で上下するふわふわのかたまりが愛おしい。
ああ、テオ様の使い魔達は皆優しくて大好きだなぁ……。
幸せな気持ちでうとうとと微睡んでいると、ドアの向こうに気配がしてドアがガチャッと開いた。
目を開けて見ると、そこにいたのはもちろんテオ様。その傍には空中に浮かんだトレーが見える。
なるほど……。こうして魔術でトレーを持ち運びすれば両手が自由だし、トレーを落としてしまう心配もないのか。便利だなぁ。
……そもそもトレーを安定した状態で宙に浮かせる技術が必要なんだけれど。
「お待たせ、シア。体は起こせるか?」
「ん……、はい」
左脇のリンクスを潰さないように気を付けながら、仰向け寝の状態からのそのそと体を起こす。
体をちょっと押しちゃったけれど、リンクスは不動。そんなふてぶてしい感じがまた可愛い。
テオ様が近くまで来るとセーブルがのそっと起き上がって離れていく。猫のリンクスとは違って大型犬のセーブルは場所を取るから仕方がないよね。
「フラツキはないか?」
「はい、大丈夫です」
テオ様の質問に答えながらベッド上にモソモソと座り直している間に、テオ様は収納魔術の空間からベッドテーブルをズルッと取り出した。
体調が悪かった間はテオ様がベッド横に移動させたソファテーブルに食事を置いて食べさせてくれていたから、ベッドテーブルは今回が初登場だ。
そう、初登場。突然のベッドテーブル。
相変わらず突飛なテオ様の行動には驚かないけれど……。
「あの、そのテーブルってどうしたんですか? ウチにはない物ですよね?」
上品なデザインだし、庶民の家よりも上流家庭にありそうな代物だ。
「実家から拝借した」
「えっ」
あっけらかんと言うテオ様に私は一瞬絶句する。
テオ様の実家とはアシュフォード本家のお屋敷だ。歴史のあるお屋敷だから、下手なお貴族様のお屋敷よりも貴重な品々が収蔵されているに違いない。
「あの、テオ様。お屋敷の人に持ち出すってちゃんと断った……んです、よね?」
「大丈夫、大丈夫。倉庫でホコリを被っていたから、俺がパクっ——拝借しても誰も気にしない。そもそも今に始まったことじゃない。この家にある備品だって実家から拝借した物がいくつもあるからな」
「……これだからテオ様は……」
テオ様は私のジト目の視線にクスクスと苦笑しながら、テーブルセッティングを終えた。
色鮮やかなトマトリゾット。
玉ねぎとふわふわ玉子のコンソメスープ。
優しい湯気の中からとってもいい匂いがして、ますますお腹が空いてきた。
「さぁ、食べよう」
ベッドサイドの椅子に腰掛けたテオ様も二個目のベッドテーブルを使っている。
……ベッドテーブル以外でアシュフォードのお屋敷からテオ様が持ち出したウチにある備品って何だろう? 価値がありそうで壊したら怖いなぁ。
ちょっと心配になったけれど、まぁ気にしても仕方がないかと気持ちを切り替えてスプーンを手に取った。
「いただきますっ」
まずはスープを一口啜ると……、いつも以上に旨味を強く感じる。スープの塩分と栄養が体へ浸透してくるみたい。
もちろん味そのものも最高だ。柔らかな玉ねぎとふわふわな玉子が舌の上をトゥルンと滑って、すっごく美味しい!
ふぅと安堵の息を吐いたら、お次はリゾット。
旨味をたくさん吸ったお米は絶妙な硬さで食べやすい。
「はぁ……」
それにしても、懐かしくて優しい味……。
約一年前に緊張と不安と安堵がごちゃ混ぜの中で食べたテオ様のトマトリゾット。テオ様の優しさと思いやりが溶け込んだような美味しさに感動した記憶がある。
「テオ様のトマトリゾット、大好きですっ」
「ふふっ、そうか。ありがとうな」
素直な感想を伝えると、テオ様は嬉しそうに微笑んでくれた。
穏やかな雰囲気の中で食事を続けてお皿が空になると、私のお腹はちょうどいい感じでいっぱいとなった。
「んーっ、食った食った」
テオ様は両手で伸びをしながらサクッと魔術を使って使用済みの食器をキッチンへ転移させて、そのまま洗い物もしているみたい。本当に器用な魔力の使い方だ。
「テオ様って器用で便利ですよね」
思った言葉をそのまま口にすると、テオ様は愉快そうに目を細めてクックッと笑った。
「俺が子供の頃に師匠から『何か一つ、魔術の研究をしてみろ』と言われてな。それで決めた俺の研究テーマは『如何に魔術でラクをして生きるか』だった」
「あの……、ちなみにそれって何歳頃の話ですか?」
テオ様らしいといえばテオ様らしいけれど……。
「確か、十一かそこらだったかな。魔術学校へ入学するちょい前だったからなぁ」
「えぇぇ……?」
テオ様は六歳頃から古代魔術師として学んできたみたいだし、そもそもが優秀な人だから、十一歳で研究課題を課されたとしてもまぁ驚きはしない。
とはいえ、十一歳でそのテーマはどうなんだろう……? よくも悪くも達観しているというか、悪く言えば根っからの面倒くさがりというか……。
怪訝な私の視線にテオ様は苦笑している。
「そんな目で見るなよ。結論としては『ラクをするためには苦労をしないといけない』だったんだからな」
「え?」
またもやきょとんとした私にテオ様は何故か自慢げにフフンと笑う。
「シアは俺がサボリ魔術を使う時の魔力の動きを視ているだろう? どうだ?」
「えっと……、とても複雑で繊細な動きをしています」
例えるなら「複数の針と糸を用意して、同時に連続しての針の穴へ糸を通しながら、刺繍までするような動き」だ。いやはや、本当にワケがわからない。
「動作の一つ一つを魔術式にして、術式を組み合わせて発動しているのさ」
「? は、はぁ……? なるほど……?」
「言葉の辞書を想像してごらん。一つの単語に色んな説明文がついてくるだろう? その説明文を理解するために、説明文に使われている単語を調べると、その単語にまつわる説明文がまた出てくる。だからまた説明文に使われている単語を調べて——、となる。俺は魔術式でそれをやっている」
「き、気が遠くなりそうですね……?」
辞書の例えもわかったようなわからないような……。途方もなくてちんぷんかんぷんだ。
目を回しそうになっている私が可笑しいのかテオ様が笑っている。
「あははっ! ま、謂わば壮大な辞書を作り上げたんだよ。そしてそれは未だに加筆中というわけだ。それが俺の内面世界、書庫なのさ。終わりのない本棚と蔵書という形で収蔵された魔術式がビッチリと内面世界の果てまで詰まっているんだよ」
「ひぇっ」
何それ怖いっ。
テオ様の内面世界は書庫という名前だから、図書館の建物みたいな入れ物があって、その中に本が納められているイメージがあった。
でも、違う……。私の星空みたいに書庫の広さは無限大なんだ……!
その無限大な魔術式を複雑に組み合わせて、やっとテオ様のサボリ魔術は発動させる……。
左指のパチンッだけで発動しちゃうからお手軽簡単に見えてしまうけれど、実際は私がぼんやりと想像していた以上に複雑に構成されているんだっ!
「あっ……」
現代魔術は単語を組み合わせた呪文で発動させるけれど、古代魔術はその単語や呪文に該当するモノを自分で作り上げていく……。
テオ様が今話したのはその実例なんだッ!
「古代魔術師って凄いんですね……っ!」
ゴクッと唾を飲み込んだ私が尊敬の眼差しでテオ様を見つめると、テオ様はクスッと笑って手をヒラヒラさせた。
「そうだな。今シアもわかったと思うが、俺に限ったことじゃなくて古代魔術師なら誰にでも当てはまることなんだよ。魔術式を作る下準備は必要だが、その後は慣れれば簡単なのさ。だからこそ最初の地固めが重要なんだ。シアも焦らずじっくりと基礎を繰り返していこうな」
「はいっ!」
元気に返事をした私にテオ様は満足げに微笑んだ。
「さぁ、即席授業はここまでだ。大人しく休んでいなさい」
「うぅ、何だか心が焦れったいです……っ。エルを喚んで星空にも行きたいですっ。テオ様、エルを返してくださいよぅ」
「あははっ! 魔術方面で思い付いたらじっとしていられないってのは古代魔術師のサガだよなぁ。でも、今のシアはダメだぞー? 俺は一階へ降りて寝支度をしてくるから、観念して大人しくしていなさい」
テオ様はそう言いながら椅子から立ち上がると、ソファで寝ていたリンクスを持ち上げた。そしてリンクスを私の横へもふっと置く。
眠りの邪魔をされたリンクスは不服そうな顔だったけれど、すぐに大きな欠伸をして私の脇に潜り込んできた。
わっ、脇腹を肉球で踏み踏みされるっ。可愛い……っ。
私がご機嫌になったのを見てテオ様はふふっと微笑んでドアへと向かう。
「いい子でいるんだぞ」
「はぁい」
テオ様を見送った私は、リンクスのお腹とベッドの隙間へ指先を埋めてみた。
物凄くふわふわで温かい。呼吸の度に動く感触だけでも可愛い……。
「ふふっ、リンクス~っ」
誘惑に負けた私はリンクスに顔を埋めてもふもふを堪能する。他の猫はどうなのは知らないけれど、リンクスはナッツみたいな香ばしい匂いがしてクセになっちゃう。
リンクスをあらかた堪能した私はベッドから降りると、ベッド横でお座りして私を見守っていたセーブルをぎゅうっと抱きしめた。セーブルはお日様の匂いがして、これがまたクセになっちゃう。
セーブルが物言いたげに鼻先で私をフンフンと押してくる。私をベッドへ戻したいみたい。
「もうちょっとこうさせてー」
私は我が儘を言ってますますぎゅうっと抱きしめた。あったかくて気持ちいいなぁ……。
しばらくそのままでいると、廊下を歩くテオ様の足音が近付いてきた。
「あははっ。セブ、シアの子守りをご苦労さん」
私にされるがままなセーブルを発見したテオ様は笑いながら私とセーブルの頭をポンポンと撫でた。
擬態の魔術を解いて寝間着姿のテオ様だ。綺麗な長い黒髪に健康的な褐色肌。お風呂上がりのせいか金色の瞳に色気が増していてかっこいい。
「ほら、シア。気が済んだらセブを放して寝なさい」
テオ様は右指で髪を耳に掛けながら私の背中をそっと押した。
「はぁい、テオ様」
観念した私は横向きで丸まって寝ているリンクスと寄り添うように寝転んだ。
ああっ、リンクスは可愛いなぁ……。
リンクスが嫌がらないようにと気を付けながら肉球を堪能していると、テオ様はクスッと苦笑しながらベッドサイドに腰掛けた。
「シアは本当に動物が好きだなぁ」
「はいっ、大好きですっ」
犬のセーブルと猫のリンクスはもちろん、鷹のルグナも可愛くてかっこよくて好きだ。
「それならシルヴァはどうだ?」
「シルヴァさんも好きですけれど……、動物好きとはちょっと別枠ですね」
さすがにドラゴンは普通の動物と同じ扱いにしてはダメだと思う。可愛さやかっこよさから感じる好きよりも、上位の存在に対しての崇敬の念というか……。
私がそう言うと、テオ様は何やら意味ありげに小首を傾げて微笑んだ。
「シアの調子が戻ったらシアの使い魔を作ろうと思っているんだが、どうだ?」
「…………えっ?」
予想外の言葉にドキッとする。
テオ様の頼もしい使い魔達はテオ様が魔術で作った存在だ。
賢くて優しいセーブル。気まぐれと気遣いのリンクス。普段は誇り高いのにテオ様の前では甘えん坊なルグナ。
そんな素敵な使い魔を、私も……?
「シアが嫌じゃなければな。どうだ?」
「嫌じゃないですっ! テオ様、どうやるんですかっ? いつやるんですかっ?!」
私が食い気味で答えると、テオ様はクックッと喉を鳴らすように笑った。
紅潮して熱くなった私の頬を指先で軽く撫でて、頭もポンポンと撫でてくれる。
「シアの体調がよくなってから、だ。今はよく寝てよく食べて、元気になろう。話はそれからだ」
「はぁいっ!」
私はワクワクした気持ちを隠せていない返事をして、ぽふんっと勢いよく毛布を被った。
毛布の上からテオ様がトントンとあやしてくれる……。
「おやすみ、シア」
私の腕の中にいるリンクスが喉をゴロゴロと鳴らしている。テオ様のトントンとの相乗効果で、私の昂っていた気持ちはどんどん落ち着いてきた。
うん、よく眠れそう……。
————……これで嫌な夢を見たら嫌だなぁ……。
「テオ様ぁ……」
込み上げてきた不安に思わずテオ様を呼びながら右手を伸ばすと、テオ様は優しく私の右手を握って背中を擦ってくれた。
「大丈夫だよ、シア。俺が傍にいるからな。俺だけじゃなくて、リーもセブもいるぞ。皆、シアの味方だ。シア一人じゃないし、俺が一人にはさせない」
「ん……、はぁい……」
「安心してゆっくりおやすみ、シア」
テオ様の穏やかな声に誘われて、私はすぅっと瞼を閉じた。




