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エピローグ3・蛇の道は鬼に通ず

◇━◇━◇━◇━◇


 囲炉仔町北端。取り壊し予定の元巨大ショッピングモール『ガダルカナル』地下立体駐車場。


 

 事件から数日。

 十王字ビルが巨大な謎の手によって連れ去られるよりも先に迅速な対応で外に避難していた蛇蛾樂はいつも通りの日常を送っていた。

 最も、それは彼にとっての日常であるだけで、極道の支配する日本の裏社会を知らない一般人達から見ればあの日同様の非日常であることは変わらないのだが。


「た、たふけ、たふけてぇ」


 人払いをされた地下駐車場の中に1人、下着以外の服を脱がされ両腕を縛られた状態でコンクリートの上に寝転ばされた中年男性の悲鳴が弱々しく反響する。

 中年男性の周りには如何にもといった雰囲気の強面の男達が並んでおり、その中でも1番若く優しげな笑みを浮かべる青年の顔を見て中年男性の表情が恐怖で歪む。


「じゃ、じゃふぁらふぁん……」


 男の顔には見るに堪えない暴行の後がくっきりと刻み込まれており、青年━━蛇蛾樂が手にしている鉄パイプを鑑みても誰がやったのかは容易に想像できる。

 複数からの一方的な暴力は一見非道に見えるが、当の蛇蛾樂は一切罪悪感など懐いていない様子で薄ら笑みすら浮かべながら横たわる中年男性に声を掛ける。


「すいませんねぇ、十王字さん。所有してたビルが消えた挙句こんな酷いことまで。本当に申し訳なく思ってるんですよ?」


 何処までも軽薄な謝罪の言葉を並べる銀髪の青年に、十王字というこの街の人間であれば知らない者は居ない程のある意味有名な建物と同じ名前をした男は引き攣った愛想笑いを浮かべる。

 大部分の恐怖を隠せていない、今にも泣き出しそうな哀れ極まりない笑みではあるが。


「でもね。あの建物のことを知ってる人を残しておくと色々と厄介なんですよ。オーナーである貴方は特にね」

「な、なんふぇ、わたひがっ」

「そんなことを知ったら益々貴方を消さないといけなく理由が増えるじゃないですか。あっ、何方にしても貴方には死んで頂きますのであしからず」


 顔面を何度も殴られ、口内が腫れ歯も折れてしまっているのだろう。

 まともに喋れもしない歳上の男を見下しながら蛇蛾樂は穏やかに微笑み続ける。


「それに貴方なら消すにしてもやり易いんですよね。うちの組に返せない借金抱えてますし。あんな形で莫大な資産を注ぎ込んだ金山奪われちゃったら、一生掛けても返し切れない額の借金を抱えた経営者が突然自殺したって誰も不思議には思わない」

「あっ、ひっ、あっ」

「うちの組に強請りかけられても困りますしね」

 

 徐々に己の命の終わりを感じ始めて呼吸が乱れていく中年の男。

 蛇蛾樂はそんな哀れな男を見据えながらも、一切同情を懐かずにただ淡々と事務的に彼の終わりを口にした。


「人助けをするつもりで、此処で死んで頂けませんかね?」


 



 数十分後。

 蛇蛾樂の馴染みの『掃除屋』の手によって手早く遺体は処理された。

 掃除屋は遺体について何も尋ねず、顧客である蛇蛾樂もまた何も語らず。

 そういった訊かず話さずの関係が1番良いとお互い理解しているからこそ、裏社会で長い付き合いができる。

 仕事を終えた後、何食わぬ顔で自身の車に乗り込もうとした蛇蛾樂だったが、仕事終わりで気が抜けていたせいか普段は絶対にしないような意味の無い質問を掃除屋にしてしまう。


「里中さん。この前会った新人さんはどうしました?」


 答えが返ってきたところでその後、何の展開も生まない生産性の無い質問。

 いつもはされない世間話を持ち掛けられた掃除屋の男は少しだけ意外そうな表情を見せたものの、やがて苦笑交じりに頬を掻いて率直に答えを返したのだった。


「霜北くんなら退職しましたよ。娘の為に真っ当な仕事に就きたいんだそうで」




 

 遺体も掃除屋も本家との連絡に向かった部下も居なくなり、薄暗い地下駐車場の中で蛇蛾樂は息を吐く。

 別段人を殺すことに躊躇いがあるわけではなかったが、何度見ても慣れないというのも事実。

 荒事は事件の外から傍観するのが好みで、自ら進んで行うのはあまり好まない彼からすればこのような仕事はあまり気が進まない仕事の1つだ。

 組織にとって不利益になる相手の始末などはいつもは碇組などの武闘派と呼ばれる集団がやるべき仕事なのだが、今回ばかりはそうはいかなかったのだ。

 何しろ目的が目的だ。決して味方とは呼べない碇に任せてしまっては、利用されて拙い状況にもなり兼ねない。


 今回の件に関して、自分が十王字ビル消失事件に関わっていたという記録はできるだけ抹消しなければならない。

 少なくとも、何らかの形で碇が消え、現青州会会長である伊鶴来と真殿の怒りが収まるまでは。


 よってしょうがなく蛇蛾樂自ら足を運んで件の事件現場の所有者を消しに来たのだが、初めてやる拷問というのは些か心身共に堪えるものだった。

 目的は十王字の抹殺であり痛ぶる必要は実は無かったのだが、今後の予習にと一度拷問を試してみたかったのだ。

 結果として得た経験は決して気持ちの良いものではなく、やってからやらなければよかったと今回する結果に終わってしまったのだが。

 疲れ果てて自らの車の車体に持たれ掛かる蛇蛾樂の懐で、空気を読まないスマートフォンが激しく振動した。


「はい、蛇蛾樂です」

『ハロハロ~!蛇ちゃん元気〜?』


 疲れた身体には大変よろしくない脳天気な女の声が耳元で鳴り響く。

 非通知であった為全く予想していなかった相手からの通話に蛇蛾樂は頭と耳に同様の痛みを感じながら言葉を返す。


「貴方ですか……事後処理やら何やらで大変な筈なのによく電話してこれますね」

『アハハハ〜っ。優秀なスタッフ達がパパパ〜っと隠蔽工作やら何やらしてくれるからネ〜っ。ワタシは安心してポップコーンを食べていられるってわけ。もぐもぐっ』

「切っていいですか?」

『あー!待って待って!』


 苛立ちを靴裏で床を叩くことによって紛らわせながらスマホの電源を落とそうとした蛇蛾樂だったが、備え付けのスピーカーの奥から慌てた女の声が引き止めてくる。

 仕事上の関係から簡単に通話を切ることもできず、内心早く事務所に帰りたい気持ちを抑えながら蛇蛾樂はスマホ越しの声に耳を傾ける。


「で、何の用です?子飼いの『爆弾魔』に十王字ビルの件の責任を擦り付けてくれたのは助かりましたが、まさかのその謝礼を求めて電話を?」

『あの子達は良い子だからねぇ。私が言う事何でも聞いてくれ……ていうか、なんかせっかちだなぁ。もしかして私が贔屓にしてた志村ちゃんにまんまと利用されたの根に持っちゃってるの?』


 相手を煽るかのような文脈の言葉に蛇蛾樂の笑顔が引き攣り、固まった後に愛想笑いすらも捨てた素の彼の感情が顕になる。

 決して他人が目の前に居る時は見せない無機質で冷徹な感情の無い真顔。

 偽りの無い表情を浮かべながら蛇蛾樂は嘘偽りない本音の言葉を機械越しの相手に返す。


「私をからかっているんですか?」

『いやぁ怖ァイ! 本当のジャパニーズマフィアみたーい! まぁそうやってヤクザらしく襟立てて躾けた駒の筈の志村ちゃんにも出し抜かれちゃったんだけどさ』

「……」


 これ以上意味の無い会話を続けても時間の無駄だとスマホを耳から遠ざける蛇蛾樂。

 実際、電話の相手である女の言葉は的を付いていた。

 蛇蛾樂が組の上役から命令されて監視していた科学者。

 組から莫大な借金を抱えていると言われていた男は実際のところ組長と何らかの企てを立てているらしく、ただの私立大学の講師が極道の頭目と何をやろうとしているのか。

 純粋に興味を持って踏み込んだ蛇蛾樂であったが、その行いは徒労に終わる。

 結局のところ彼は利用されていたのだ。

 伊鶴来との繋がりが気になるから暫く泳がせておこう。

 別世界への探究心が生まれてしまったから泳がせておこう。

 若いが故にそのような好奇心を捨て切れず、彼は志村を放し飼いにしてしまった。

 今になってわかるが、伊鶴来は其処まで見越して協力者の志村の処遇を1番若い幹部である自分に任せたのではないだろうか。

 加えて、古い幹部連中達のように真殿を嫌う理由が無い自分を。

 

 考えれば考える程自己嫌悪に陥りかけ、本気で通話を切ろうとした耳に入り込んできた言葉は、彼の指を止めるには十分過ぎる程の威力を持ち合わせていた。


『まぁ不機嫌にもなるよねぇ。直系の兄貴分である碇さんを裏切ってまで見たかったものを、蛇ちゃんは見ずにそのまま逃げちゃったんだから』


 蛇蛾樂の指が止まる。

 今すぐにも切りたいと思ってるのに、スマホ越しに垂れ流される女の嘲笑を無視することができなかったのだ。

 

『あれれー? もしかして自分でも気付いてなかったの? だったら教えてあげよっか? 蛇ちゃんはあの空から出てくる奴にビビッて━━』


 漸く一方的な通話拒否ボタンを押せたのは女の声が更に勢いを増し始めてからだった。


 蛇蛾樂は思い出す。たった数日前の出来事を、鮮明に。

 事件の中心に位置する少女2人と同席したエレベーターが止まった直後、彼は見たのだ。

 自分が力の差を見せつけた黄色いパーカーの少女、ではない方。

 アロハシャツにビーチサンダルという東京の街ではまずあまり見掛けない服装の少女が背負っているリュックサックを。

 正確にはその中身。背負っている少女すら気が付いていない場所で、それは蛇蛾樂を見ていた。見つめ返していた。

 僅かに開いたチャックの中から此方を凝視してきたあの『眼』の正体が何であるかはわからない。

 きっとこれから先幾ら考えても正体は掴めないような気がする。

 ただあの一瞬、蛇蛾樂の心中に渦巻いたのは純粋な恐怖だった。

 その結果、彼は最も楽しみにしていた十王字ビルでのあの事件を十分に楽しめずに、身の危険を感じて脱兎のごとく逃げるしかなかった。

 散々舞台を掻き乱しておきながら、特等席で見ることもできずに。



「……くそ」


 それは、何もかも器用に生きてきた男に与えられた一生かけて背負わなければならない呪い。

 確かに人ではないものの気配を感じながら蛇蛾樂はその正体を考えずにはいられない。求めずにはいられない。

 かつて別世界の存在に恋い焦がれたある科学者のように。







◇━◇━◇━◇━◇


「あらら。切られちゃった」


 相手からの一方的な通話拒否を受けて、日本の常識的には行儀悪くもテーブルの上に腰を掛けていたアンジェラは残念そうに口を尖らせる。

 女性にしては目を引く長身とグラマラスな肉体とは反した子供っぽい表情を浮かべる彼女だが、彼女を取り囲む状況は更に子供の世界からは逸脱しているように見える。

 

 本物かどうかは定かではない虎の皮を剥いだ絨毯に、壁に掛けられた日本刀と拳銃。豪華な部屋の隅には明らかに気質ではない雰囲気の厳つい顔面の男達が並んでおり、その誰もが緊張した面持ちで視線を床と平行に保っていた。

 唯一例外的にアンジェラに視線を向けている男は、恐らくはこの部屋で1番の大男であり、不機嫌そうな表情が更に彼の覇気を高めている。

 最も、彼の正体が関東最大の極道組織である青州会の幹部、碇組組長碇源悟郎本人だと知ればその迫力も納得せざるおえないだろうが。


「おい雌狐。電話は終わったんかい」

「あぁごめんねぇゲンゴロちゃん。退屈しちゃった〜?」

「いやかまへん。あんだけ言うたらあの糞ムカつく小僧もちょっとは身の振り方考えるようになるやろ。ええ薬や」


 吸っていた煙草を灰皿に押し付けながら、外国製の高い椅子の背凭れに凭れ掛かる碇。

 アンジェラはそんな彼の挙動を愉しそうに眺めると、やがて両手の親指と人差指を合わせて目の前に長方形の空間を作る。

 何をするのかと周りの若いヤクザ達は不安がっていたが、彼女が行ったのはカメラを撮る要領でその空間の中に碇を当て嵌めるという単純極まりない子供っぽい遊びに過ぎなかった。


「凄いねぇゲンゴロちゃん。昔ながらのヤクザそのものだねぇ。映画の登場人物みたい」

「いきなり何抜かすんじゃ。というか、お前電話の時と大分きゃらくたぁが違うやないか。そっちが素かい?」

「んー? いや、私飽き性だからさ。気分によって喋り方とか考え方とか変えてるわけさ。脚本変更ってやつ?」


 一通り碇の動向を指の中のレンズで収めた後、それっきり()()()かのようにアンジェラはテーブルの上に寝転がった。

 さながら猫を連想させる、丸まった姿勢はアンジェラの豊満な肉体が行うとあまりに蠱惑的過ぎるが、碇は大して気にした様子も無く彼女の言葉に耳を傾け続ける。


「でも今回は残念だったねー。蛇ちゃんが途中退場なら、ゲンゴロちゃんは映画館にすら足を運べなかったんだもの。前売り券は買えてたのに」


 遠回しな言い方ではあるが、アンジェラの話は十王字ビルでの事件を指している。

 実際、碇は十王字ビルの事件自体には深く関与していない。

 あの騒動は道化を演じていた志村が引き起こした事件であり、碇の目的は極めて単純な真殿と伊鶴来の抹殺という点に過ぎない。

 そのために蛇蛾樂と、蛇蛾樂の組にスパイとして潜ませておいた安藤。暗殺を済ませたらそのどちらも切り捨てるつもりで碇は踏ん反り返っていたのだが。

 しかし、結末は思わぬ展開に陥る。

 結果として何故か事件の舞台である十王字ビルは消失。一部の脱出者を除いて閉じ込められていた被害者達もテロリストとして横暴を働いたチンピラ達も、そしてあの場に居た筈の真殿達も。

 ビルと共に姿を消してしまった。


 予期せぬ出来事に碇が取った行動は、考えることを止めるという単純で体の良い思考停止。

 正確には考えても答えが出ないと諦めてしまったのだ。 

 実質その判断は間違いではないのだが、先程通話をしていた蛇蛾樂や眼の前のアンジェラといった、実際あのビルに居た存在が僅かながら居るという事実が彼の頭の頭痛の種となる。


「それで、よう生きて帰れたのぉ雌狐。まさかお前が映画監督やとは思わんかったけど調度ええわ。それより教えて貰おうやないか。あの日、何があって、どうやってビルから脱出したのかを」

「そんなことよりゲンゴローちゃん」


 凄んで立ち上がって見せながらの問い掛けであったのに、アンジェラは空気を読まずに堂々と話の腰を折り、手にした紙を碇に見せつける。

 丁寧な文字で書かれたその文書は、碇の青州会七代目就任の要請状に他ならなかった。

 ちなみに、現六代目代行である伊鶴来の印はまだ押されていない。


「これ。何で判子押されてないの?」

「……んなもん、親父がまだ見つかっとらんからに決まっとるやんけ」


 当たり前のように答えながら碇は座り直して続きの言葉を紡ぐ。


「まぁでももう関係あらへん。親父も真殿ももうおらん。有力者の島津の兄貴さえ説き伏せれば、七代目の椅子は俺の(もん)や」


 事件の日以前から姿を消していた伊鶴来。

 志村との共謀で娘を取り戻そうとしていた彼だったが、そんな本意を知らない配下の極道達は1番上の頭を失って内心混乱していた。

 そんな中持ち出されたのが行方不明の伊鶴来の代行、つまり青州会の跡目の議題。

 当初、伊鶴来自らの命で出所させられたこともあって、跡目の最有力候補は真殿という話になっていた。

 しかし、真殿が投獄される以前から因縁のある碇はそれを良しとは思わず、彼が出所した時点で殺し屋を派遣。

 その結果は失敗に終わったものの、結局のところ真殿は十王字ビルと共に姿を消した。

 ならば、もはや跡目を継ぐのは自分しか居ないと碇は本気でそう考えていたのだ。


「野心家だね〜」


 野心に燃える男を前にして気の抜けた声を出しながら髪の毛を指で弄くるアンジェラ。

 碇はそんな彼女を若干不快に想いつつも、これから華々しい襲名式を行う衣装が汚れてはいけないと和装の裾を正して厳つい視線のみを向ける。


「極道から野心捨てたら何が残るっちゅうねん」

「塩? 水?」

「阿呆らしい……用無いんやったらさっさと帰れや」


 犬猫でも追い払うかのように手を振る碇に、アンジェラは変わらない本心からの笑顔を浮かべながら艷やかな唇を開いた。


「じゃぁ御暇する前に1つだけ。情報屋として関わってきたんだし、最期くらいは役に立つ話しておいた方が好感度上がるでしょ」

「おーそうかそうか。ならええ話はよ教えてくれや」


 椅子を回し、アンジェラに背中を向けて適当に話を聞く碇。

 その双眸が開かれたのはアンジェラの『情報』を聞いたのとほぼ同時だった。


「昔からねぇ。蛇も虎も、鬼や龍には勝てないよ?」

「……ッ!?」


 一瞬言葉の意味が理解できず思考停止しかけるものの、すぐにその不吉な予言とも取れる情報に寒気がして振り返る碇だったが。

 もはや同じ場所にアンジェラの姿は無く、ずっと見ていた筈の周りの若い極道達もわけのわからない顔でお互いの顔を見合わせていた。

 さながら瞬間移動か神隠しのように。今の今まで流暢な日本語を喋っていた金髪の美女映画監督は煙のように姿を消してしまっていた。

 何が何でも人1人が一瞬で姿を消せる筈は無いと注意深く周囲を探そうと立ち上がった碇であったが、混乱する心中に更に追い打ちかけるかの如く事務所の電話が鳴り響く。


「チッ!なんや!!今取り込んどんねん!!」


 心中の焦りを隠しもせず叫ばずにはいられなかった碇であったが、電話越しの相手はそれ以上の狼狽様で声を震わせていた。


『お、オヤジ!!おや、オヤジィ!!カチコミ!!カチコミです!!』


 それこそアンジェラが語る任侠映画の中の物語かのように。

 震えた声を上げる部下の言葉に、碇は脂汗をかいて受話器を持ちながら立ち上がる。


「な、なんやとぉ!? 何処の組や!? 本家か!? 華の阿呆共か!? それともあの爆弾魔か!?」


 思い当たるだけの敵対勢力の名前を出してみたものの、電話越しに伝えられた『敵』は、そのどれにも属さない脅威だった。


『ま、ま、ま、まま、』

「まぁ!?はっきり言わんかい!!誰や!!」


 碇の必死な問い掛けも虚しく、電話は一度切れてしまう。

 一方的な切られたかのような虚しい電話の音に碇が呆然としていると、再び着信音が室内に鳴り響いた。

 しかしそれは事務所に備え付けられた電話ではなく、碇本人の携帯にで。

 表示された通話相手の名前は、先日行方不明になった安藤に他ならなかった。


「あ、安藤! お前無事やったんか! は、はよ来い!今、変な奴が!」


 混乱した頭では訝しむことも忘れ、慌てた様子で電話を耳に当てる碇。

 その顔面が凍りついたのと通話の相手が口を開いたのは全く同時の現象であった。


 


『俺だ』




 低く、鋭く、声からだけでもその迫力を感じる強い重低音。

 携帯を片耳に当てていた碇は、自分の頭か耳がついぞおかしくなってしまったのではないかと肉体の全神経を疑ってしまう。

 そんな彼の希望的観測をも無視し、電話の主はただ威圧的な低い声で要件のみを碇に伝える。


『首洗って待ってろ碇。お前との因縁に引導を渡しに来てやった』


 それっきり通話は一方的に切られてしまう。

 電話越しに聞こえるツーツーという単調な音はまるで徐々に近づいてくる足音のようで。

 碇が気を確か持ち直したのは、実際に『彼』とまみえたその時だった。


  




 関東系巨大極道組織青州会直系団体碇組事務所。


 流石に本家ほどの敷地面積には及ばないものの、碇の家系が3代続く極道組織であるためか、組の事務所はちょっとした武家屋敷のような造りなっている。

 しかし内装に関しては古き良き日本風の家屋とは程言えず、金をベースにした装飾品が乱雑に配置されていて一言で言って悪趣味極まりなかった。

 勿論、事務所に出入りする碇の部下達はそんなことを口に出して言える筈も無いのだが、数十秒前に事務所の門に恐れなく足を踏み入れた男は笑みすら浮かべてその装飾品に唾を吐く。


「何も変わってねぇな。相変わらずの派手好きで、俺とは反りが合わねぇ」


 普通、極道の所有している土地の敷地内でなくとも、家の中に知らない輩が入ってきたら不法侵入だと誰だって文句を言うものだ。

 しかし、30人にも昇る数の極道が庭に集まっているというのに、誰一人としてその人物に注意喚起することができない。

 圧倒的なプレッシャーとも呼ぶべき緊張感。

 睨まれたわけでも、凶器を向けられているわけでもないというのに。

 ただ男が立っている。それだけで彼の前に立つヤクザ達は足を竦ませていたのだ。


「真殿。30分で終わらせて来い。二十年前と違って、今の幹部共は年取ってすぐに眠くなるからな」

 

 事務所の外に止められた車からの老人の声に頷きを返すと、事務所に入り込んで来た男は勢い良く着ていた上着を脱ぐ。

 前半身は古傷だらけだというのに、背中には一切の傷が無い。

 その異常な肉体の現れように、見ているヤクザ達はある1つの解を同時に思い浮かべる。

 この男は一度も拳を交えた相手に背中を向けて居ないのだと。


「言っておくが手加減はできねぇ。古いヤクザの喧嘩だ。怪我しても文句言うんじゃねぇぞ」


 そう言って男━━かつて何百にも及ぶ敵を拳のみで打倒してきた伝説の極道は不適に嗤う。

 果たしてこれが彼にとっての復帰戦となるか否かは。

 この時点では彼の背中に彫られた『龍が巻き付いた鬼の刺青』だけが知ることとなる。

  

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