エピローグ4・脚本家は台本を開く
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モエが目を覚まして初めて見たのは、染み1つ無い白い天井だった。
それから今居る場所が病院で、自分が病人で、縫合したばかりの腹部に強烈な痛みを感じてナースコールを押すまでの挙動を一通り行い。
事件から数日経って、モエはやることもなくぼんやりと窓の外に広がる空を眺めていた。
「モーエっ。調子どう?」
呼び掛けと同時に冷たい缶ジュースを頬に当てられたというのにモエは驚いた声も出さず、機械人形のようにゆっくりと首を動かして病室に入り込んできた影に目を向ける。
私服姿であるため彼女を知る者から見た印象とは大分違うが、来訪者の正体はモエもよく知る婦警であり同居人である藤鷲一輝その人だった。
「一姉……」
「あら。元気ないわね。お姉さん心配しちゃう」
いつになく覇気のない妹分の様子に本気で心配してベットの横のパイプ椅子に座り込む藤鷲。
額を触れられたり頬を引っ張られたりしても、モエは依然として魂が抜けたように惚けた表情で藤鷲の顔を見つめていた。
「ほ、ホントに重症みたいね。理由、訊かない方がいい?」
「……うん」
「そ、わかった」
よっぽどモエのことを信用しているのか。
普段仕事の時は暴走族や違反者が音を上げるまで持ち前のドライブテクニックと相棒のカスタマイズ白バイと共に執拗に追い掛け続ける藤鷲だったが、やけにあっさりと話を流され返答したモエの方が拍子抜けと言わんばかりに目を丸くしている。
「訊かないんだ」
「事情聴取はお姉さん苦手なの。林檎食べる?」
「……食べる」
そう言って見舞いの品の林檎の皮を剥く藤鷲の手付きは妙に大人っぽく見えて。
いつまでも悩んでる自分が対象的に子供っぽく思えたのか、モエは視線を外したまま自然と言葉を紡ぎ出していた。
「一姉。私ね。ヤクザの仕事手伝ってたんだ」
その告白は現役の婦警にするにはあまりにぶっちゃけ過ぎた内容であり、下手をすればその場で事情聴取をされてもおかしくない案件の話なのだが。
耳を傾けていた藤鷲は大して驚いた素振りも見せず器用に林檎の皮を剥いていく。
「うん、それで?」
「怒らないんだ」
「モエを引き取った時からヤンチャなのは知ってたし。今更お姉さん驚いたりしないわ。それに過去形みたいだし」
普段は年齢よりも幼く見られる童顔が、妹分を気遣って作った笑みを浮かべただけで数段大人っぽく写る。
眼の前でそんなものを見せられたモエは何故だが胸が灼ける様に熱くなって、咄嗟に目を伏せてしまう。
「ちょっと、怒って欲しかったかな」
「あらあら。可愛いところあるじゃない。勿論ケガが治ったら二度と悪い人達と遊べないように御説教しますからね」
本当の姉妹であるかのように談笑を続ける2人。
退屈な入院生活の細やかな娯楽にと聞き耳を立てていたの周囲の患者も、暫くはそんな微笑ましい会話が続くかと予想していが、唐突なモエの質問が藤鷲の顔色を変えることになる。
「それで、睦月は?今どうしてる?」
何気なく尋ねた問に姉貴分は言葉をすぐに返せなかった。
視線を向ければ林檎を向いていた手も止まっており、妙な不安を覚えたモエは林檎を持っている方の藤鷲の手を掴んで余裕の無い声で問い詰める。
「なに、まさか睦月、アタシみたいに怪我を」
「ッ、違う! 違うよ! 睦月ちゃんは何処も怪我してないわ! それは本当! 信じて!」
果物ナイフを落として手を握り返しながら必死に弁明する姉の姿が嘘をついてるようには思えず、モエは一瞬追求するのを躊躇ってしまう。
その時に自然に見せた哀しげな表情がきっかけとなったのか、やがて諦めたかのように自信も哀しげな表情で溜息を吐くと、声のトーンを落として藤鷲は尋ねられた問に対する答えを語り始めた。
「睦月ちゃんは……居なくなったの。最初は同じこの病院に運ばれたんだけど、意識を取り戻した次の日には病院から失踪したって聞いたわ」
「そんな……」
「あの子の場合、家庭の事情が複雑だから。無理もないのかもしれないけれど」
睦月が青州会の代表である伊鶴来の孫娘の片割れである事実まで藤鷲が知っているかどうかは定かではない。
ただその真相に辿り着いていなくとも、睦月の育ての親の関係は良好とはいえないとモエも藤鷲も以前から知ってはいた。
両親の夫婦間の仲の悪さに嫌気が指した娘の失踪と説明されれば世間は疑問も覚えず納得するのだろう。
モエには親友である睦月がそのような隠れ蓑を理解して姿を消したようにしか思えなかった。
「置き手紙とかは」
「何も無かったわ。一応、睦月ちゃんのお母さんが捜索願を出したみたいだからすぐに見つかると思うけど……モエ?」
妹分を安心させるための言葉を紡いでいた藤鷲は、剥きかけの林檎を手にしながらある違和感に気が付く。
親友の失踪に落ち込んでいたとばかり思っていたモエの口元が三日月型に変形していたのだ。
丁度、藤鷲が切り分けたウサギ型の林檎と同じ様な形で。
「ふ、ふふっ」
気でも狂ったかのように笑い出すモエに藤鷲は顔を青くする。
重症を追って間一髪生き延びた妹分を見て貧血で倒れ掛けたばかりだというのに、その上目の前で気でも狂われたらたまったものではない。
「も、モエ! 気を確かに! 気を確かに持って!」
パイプ椅子が転げ上がるのも気にせず妹の肩を掴んで振り回す藤鷲だったが、その際に視界に入ったモエの笑顔から狂気の色が一切見えないことに気が付いて手が止まる。
狂っているどころか、モエは先程よりも生気に満ちた色で笑っていたのだ。
「ああ、そうかアイツ。置き手紙も無しにどっか行きやがったのか」
それはどんな思いからか。
どんな理由から置き手紙なんて必要ないと思ったのか。
すぐに帰ってくるつもりだから?
自分を探して欲しくないから?
それとも、探してくれる人なんてもういないから?
いずれにしてもモエの心中は非常に穏やかではなかった。
舐め腐った態度を取る彼女の親友を、彼女はまだ親友だと思い込んでいるからこそ、彼女の心中は憤りに燃えている。
「絶対探し出してやる。お前が嫌だって言っても……それはアタシの意思だから」
少女の決意は静かに決まる。
誰にも言葉を残さず消えた親友同様、その決意は誰にも伝えられることはない。
行方を眩ませた親友の前に立つ、その日までは。
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彼女は歩く。
其処が何処なのか、彼女すらも知らずに。
病衣のまま裸足で歩く彼女を不思議に思う通行人は多く、許可も取らずに写真を撮ってSNSに上げるもの達も多かったが彼女は特に気にしなかった。
自分のことを気にする精神状態では無いと言えばそれに尽きる話であるのだが。
━━センセーが、居なくなった。
病院で目覚めた瞬間からずっと心中に渦巻いている不安。
秒間隔で現れる大切な人を失った恐怖は、少女一人の心を壊すには十分過ぎる威力を持ち合わせていた。
目覚めてから睦月は沢山の人と睦月は出会った。
血の繋がってない父親と母親、友人であり姉貴分である婦警、事情を聞きに来た刑事、タイミングを見計らって変装をしてまで入出してきた祖父を名乗る老人。
そう、その老人に睦月は聞きたくもなかった現実を叩きつけられたのだ。
恋慕の感情を抱いていた志村が姿を消したという事実に。
実際、見舞いに来た伊鶴来が口にした真実は随分と孫娘を気遣って紡がれた言葉だった。
嘘はついていない。しかし、出来得る限りの希望的観測を織り交ぜた証言だ。
実際、天空へと引きずり込まれる十王字ビルの姿を目の当たりにすれば、まさか志村が生き残ってると思える者は少ないだろう。
ただそれでも、伊鶴来は行方不明だと睦月に告げた。
ただその結果、彼女は精神を病み、このように抜け殻の状態で病院を抜け出してまで志村を探し彷徨っているのだから、誰にもこの結果は避けられなかったのかもしれない。
永遠に隠し続けることができればそれが1番だったのかもしれないが。
「あっ」
人々が過ぎ去っていく喧騒の中に呑まれながら、睦月は唐突に足を挫いてその場に転ぶ。
気が付かなかったが空からは非情な程に雨が降り注いでおり、水溜りに足を滑らせた結果転んでしまったのだと後になって気が付く。
病衣を着て傘もささずに雨風に濡れる女を見て、誰もが通り過ぎていく。睦月の姿を見て厄介事には拘りたくないと誰もが共通して思っているのだろう。
睦月自身も客観的に己を直視して、こんな時に手を伸ばしてくれる人がいるだろうかと疑問に思い、迷う暇もなくある人物の顔を思い出す。
変わり者だと周りから白い目で見られていた自分に、悪態をつきながらも接してくれた白衣の男。
その時の彼の真意がどうであったかなど睦月にとってはどうでもいい話なのだ。
二十年前の事件も、本当の両親のことも、偽りの友人関係も、何もかも。
それよりも前に彼女にはずっと胸に懐いていた真実があり、それを今も重荷として、あるいは宝物として背負い続けているだから。
「あ、あぁ、あ」
声にならない泣き声が雨音に消されていく。
誰の耳にも届かないと思われた助けを呼ぶ声は、唐突に差し出された傘によって確かに誰かの耳に届いていたと確証された。
「アララー。ダイジョウブ? ムツキ、ちゃん?」
人目も気にせず慟哭していた睦月の双眸に、涙で霞みながらも見知ったシルエットが浮かび上がる。
服装さえ軍服のコスプレからアニメや漫画に登場するような黒の中華風のドレスに変わっているものの、金髪のウェーブがかった長い髪には見覚えがあった。
混乱した精神状態にしては意外にあっさりと、睦月は助け舟を出してくれた外人美女の名前を唇から漏らす。
「アン、ジェラさん……?」
「アラーッ。オボエテクレテ、ワタシ、カンゲキデス。アメアラレ?」
如何にもといった気の良い外国人を演じながら、アンジェラと呼ばれた女性はその場にしゃがみ込み、手にしたハンカチで睦月の濡れた頬を拭く。
「コンナトコロニイタラ、カゼ、ヒキマスヨ?」
聖母の如き表情で微笑みかけてくるアンジェラに対し、睦月はいつもの彼女からは想像もできない色の無い、この世の終わりを悟ったかのような無表情さで首を横に振る。
「何処にも、行けない」
「ドウシテ?」
「……ウチ、1人じゃ何処にもいけないの……センセーが、居ないと」
志村は睦月にとって精神的な支柱にも近しい存在だった。
いつも一緒に居なくとも何処かに居ると実感してるだけで支えになる。
そんな存在を無くしてしまった彼女は自分自身はもう二度と昔のように振る舞えないと、自己暗示にも似た諦めを信じ切っていた。
「オー、ムツキハ、ツバサ、ナクシマシタカ?」
「うん」
「デモ、ニンゲン、ツバサナクトモ、アシガアリマス」
「……そうだね」
「タチマショ?」
絶望し、悲嘆に昏れる少女の手を取るアンジェラ。
少女はなおも立ち上がろうとはしなかったが、するとアンジェラは諦めると思いきや自身も傘を捨ててその場にしゃがみ込む。
遠目から見ても高価そうな傘が地面に落ち、同じく傘以上に相当な値段がするであろうドレスが雨と泥に汚れていく。
そんな中でもアンジェラは変わらない人懐っこい笑顔を浮かべ、驚いた表情で見つめ返してくる睦月の頬に両手を添える。
「ジンセイ、イロイロナコトアリマス。デモ、アー、キショウテンケツ? イロイロアッタアトニ、ハッピーエンドカ、バットエンドカ、キメルノワ、ワタシタチ」
まるで物語の主人公かのように。
宇宙を連想させる深い蒼の瞳をキラキラとさせて語り始めるアンジェラ。
少なくとも、間近でその様子を見続けた睦月には彼女が何かの物語に登場する魔法使いやお姫様のように思えた。
「イマココデオワッタラ、キット、ムツキノエピソード、ハッピーエンドニモ、バットエンドニナリマセン。ソレハダメ。オモシロクナイ」
何処か自分勝手な発言を含みながら、アンジェラは睦月の身体を優しく抱きとめる。
迷い人に救いの手を差し伸べる慈愛に満ちた聖母のような優しさで。
或いは、面白い玩具を見つめて悦ぶ子供のような無邪気さで。
「イッショニ、シュウマツ、ミツケマショウ?」
罪の無い少女達を爆弾魔に仕立て上げ、日本を牛耳る裏社会の一勢力を壊滅寸前まで追い込み、そして抱き締めた少女が恋心を抱く相手に『二十年の事件現場から回収した赤いミニカー』の使い方を享受し、狂信に走らせた女は嗤う。
誰の目にも止まらない代わりに、その狂行は雨音のスタンディングオベーションによって祝福される。
全ては終わりの為に。大団円のハッピーエンドのために。素晴らしきバットエンドのために。
自分自身が手掛けた映画に満足を迎えるその日まで、アンジェラという名の聖母は、役者を自らが仕立てた舞台へと引き込んでいく。
脚本はまだ誰にも明かされず、彼女の手の中のままで。




