エピローグ2・少年は銀翼と手を繋ぐ
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「あれ?電話が繋がらない」
休日の昼下がり。
一度事件を起こしてしまった団地の公園のベンチで、倭はスマートフォンを耳に当てながら首を傾げていた。
いつもは連絡を取ろうと此方から接触を計れば、秒単位で反応する相手なのだが、今はどうにも都合が悪いのか一向に連絡が取れない。
僅かに疑問を懐きながらもそんな日もあるだろうと諦めてスマートフォンをポケットの中に仕舞う倭。
そんな彼の前に一台の黒塗りの車が止まる。
公園の外で停車する明らかに一般人が乗っているような車風ではない車に背筋が凍り付くのを感じながらも、車の扉が内側から開き中から現れた人物を目にするとすぐにその恐怖は徒労であったと倭は理解する。
車の中から現れたのは彼にとって見知った3種類の顔。
まず助手席からネクタイを付けず前を開けたスーツを着熟す真殿が現れ、続いて彼が後部座席の扉を開くと和服姿の伊鶴来が杖を持って現れる。
最期に、いつの間にやら羽を仕舞うことを覚えたあの銀翼の少女が大和の前に姿を表した。
「おう。待たせたな」
車から出たばかりの真殿が気さくな調子で倭に向かって軽く手を振る。
倭も手を振り返すのにはやや照れながらも、信頼する相手に向ける眼差しで頭を軽く下げて挨拶をしていた。
あの騒動の日。
志村を除いた屋上庭園に居た全員が、銀翼の少女の不思議な力によって異界へと連れ去られる直前の十王字ビルから無事脱出した。
光に呑み込まれた後、彼らが目にしたのはこの公園で、倭は銀翼の少女が自分達を此処に逃してくれたのだと推測している。
依然として喋らない彼女は何も教えてはくれなかったが。
そして事件後。
銀翼の少女の身柄は一時的に青州会預かりとなった。
詳しい話は後からメールによって伝えられたが、信じられないことに銀翼の少女は現青州会代表と血縁関係にあるかもしれないというのだ。
長い間、代表である伊鶴来やその直属の部下であった真殿をよく思わない勢力によって監禁されていたらしく、たまたま監禁場所の移動のタイミングで彼女を連れ出した者が居たらしい。
倭はその連れ出した何者かが自分だという事実をうっかりと口に出してしまい、結果青州会本家そのものと深い関わりを持つことになってしまった。
最初はそのことに顔を青冷めたが、事件当日のアリバイ作りなどに手を貸してくれた伊鶴来や真殿に対し、警戒心はいつの間にか無くなってしまっていた。
「あ、そっそうだ、真殿さん。もう警察からは……?」
「ん?ああ、もう大丈夫だよ。元々刑務所出たばっかで襲われたのはこっちが被害者みたいなもんだったし、親父が話を付けてくれた。仮作りっ放しだけどな」
「そう思うならこれからどんどん働いてくれよぉ? 鉄砲玉として」
「勘弁してくれ親父……」
苦笑する真殿と好々爺らしく愉快気に笑う伊鶴来。
倭はそんな様子を本当の親子のようだと微笑ましく思っていたのが、不意に自らの傍らに温かみを感じて自然と視線がそちらに移ってしまう。
「……」
するといつの間にやらあの銀翼の少女が当たり前のように傍らに寄り添って来ており、気が付いた倭の顔が一気に赤くなる。
「わっ!?な、なに、なにっ!!?」
無言で下から顔を覗き込んでくる銀翼の少女の整った顔立ちに顔を真っ赤にしながら反射的に遠ざかろうとするも、これまたいつの間にやら両手で片腕を絡め取られており、逃げることもままならない。
結果として女子に触れられただけで顔を赤く染めるという男子として情けないにも程がある醜態を晒してしまうという結果に終わったのだが、他の年老いた男2人はそれこそ若い2人を微笑ましいと言わんばかりの笑みで眺めていた。
「おいおい。爺さんが目の前にいるのに孫と合挽きたぁ良い度胸だなぁ倭坊」
「えっ、ち、違います!違いますから!」
調査の結果、割と早い段階で銀翼の少女と伊鶴来の血縁関係は明らかになった。
伊鶴来には行方不明になった娘しか子供が居らず、事情を鑑みてもまずその娘の子供だろうという話に落ち着いたのだ。
同居した少女は極道の娘だった。
背中から羽を生やしている女の子の素性がそんなことであっても今更驚きは薄かったが、流石に予想はしていなかったので驚きが無かったと言えば嘘になる。
銀翼の少女の素性が倭に知らされたのは昨日のことで、同時にこの場所に呼び出されたのだ。
親元が判明したのであればもう生活を共にすることもない。
今日は真殿や伊鶴来が気を効かせて最期の別れの機会を作ってくれたのだろうと、倭は勝手に理解していた。
「だ、駄目だって。これからお爺さんと一緒に住むんだろ? そんな僕にベッタリじゃ」
「あ? ……あー。そう勘違いしてんのか」
困り顔の倭の言い分を聞いた伊鶴来は、バツが悪い話を聞いたかのように皺だらけの頬を掻き、眉を顰めて真殿を見る。
真殿は真殿で同じような苦笑を浮かべており、やがて親に代わって此処に来た理由を代弁した。
「倭。お嬢はな。お前と一緒に居たいんだと」
「へ?」
真殿の予想外の言葉に倭は目を丸くする。
それからその表情で固まったまま傍らの銀翼の少女を見るも、当然言葉が返ってくることも表情が変化することもなく、ただ無言の視線が向けられ続けている。
他の誰でもない、自分だけに。
「お嬢がこの通り意思疎通が難しい状況だからな。親父とお前の写真並べてどっちと暮らしたいかって訊いたら……」
「お前を選んだんだよ。倭坊よ」
信じられない告白に倭の脳内は真っ白になってしまう。
自分からは殆ど感情を顕にしなかった同居人。
名前も、目的も、何もかも伝えてこなかった彼女が。
自分との生活を選んだだなんて。
再び視線向けると其処には青い瞳が在る。
此方を映し返すほどの透き通った宝石の如き双眸が、ただ静かに倭の顔を見つめていた。
まるで眺めてでもいるかのように。じっくりと。
「ま、ということで手続きとかこれからのこととか色々決めなくちゃいけねぇことは結構あるんだけどよ」
ボリボリと頬を掻き、やがて伊鶴来は少年のような活き活きとした笑顔で照れ臭そうに三日月型の口から白い歯を見せる。
「孫のこと、よろしく頼むわ」
その笑顔は本当に裏表の無い少年のようで。
娘の門出を祝う父親のような、少しの寂しさを含んでいるようにも見えた。
「じゃ、まぁ取り敢えず。俺達は此処らへんで行くとしますか。親父」
真殿の呼び掛けに応じ、車の中へと再び戻っていく伊鶴来。
どうやら銀翼の少女は置いていくようで軽く手を振った真殿は最期に重要な情報を倭に伝えて、自身も車に乗って何処かへ去って行った。
「あっ、言い忘れてた。お嬢の名前な。親父とも相談したんだがお前が決めていいってさ。後で、あー、あれ。メールしろよ?」
最期の最期に無茶な要件を吹っ掛けられて、暫し倭はベンチの上で放心していた。
まさか銀翼の少女が自分を選ぶとは思っておらず、更に彼女の名前を決めていいなどと大役を一方的に任せられて脳の労働値が限界値に到達していたのだ。
「はぁ……」
空を仰ぎ見ながら溜息を吐く倭。
そんな彼の傍らで銀翼の少女は変わらず彼の顔を覗き込んでいる。
一体さっきから何が珍しいのか。尋ねてもどうせ何も答えてはくれないだろうと反射的に視線を逸した倭の視界に、前触れもなく木に張り付いて鳴き続ける蝉の姿が写る。
そういえば少し前にもこの場所で彼女が蝉に興味を持ったことがあったか。
あの蝉は死んでいたが、あの鳴き声を出す虫の名前は果たして何だっただろうか。
不意に思い出した過去の記憶が倭の唇を自然に動かした。
「……ヒグラシ」
何の感慨も無くただの蝉の種類を呟いただけの言葉は、意図せず銀翼の少女の目をハッとさせ。
次の瞬間、何かを急かすように銀翼の少女は倭の肩を揺さぶり始めた。
まるで飼い主が自分の呼び名を呼んだのを初めて認識した子犬のように。
「えっ!?な、何!?何!?」
「……」
「えぇっ!?ホントに何!?」
困惑する倭が銀翼の少女が要求する言葉の意味を理解したのは、もう少し後の物語。
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倭と別れた後の車内。
真殿が出所した日に伊鶴来の命令で迎えに出たパンチパーマの若いヤクザの運転で、黒塗りの車は喧騒に飲まれ続ける東京の街を走っていく。
車内であるため煙草を控えている真殿は口寂しさを紛らわす為に棒付きの飴を舐めているが、傍から見れば飴を舐めてると思う者は居ないだろう。
本人にとっては不幸なことに、顔の造形上、何を考えていても真殿を前にしたものは何かしらの威圧感を感じずにはいられない。
といってもそれは表面的な話で、腹を割って話をすれば倭のような臆病な青年でも対等に口を利ける気の良い男だとすぐに分かるのだが。
「さて。俺ぁこれから本部に顔出してくるが、お前はどうする?」
「さっき鉄砲玉にするとかなんだとか言ってた癖に……。行きますよ。親父の壁がコイツだけじゃ務まんないでしょ」
後部座席に座る伊鶴来の軽口を聞いて、真殿は苦笑しながら運転中の若いヤクザの肩を叩く。
若いヤクザも一瞬驚いたものの、運転に支障はきたさずに真っ直ぐ車を走らせていく。
僅かな間の談笑。それも束の間で、急に笑みを消した伊鶴来は鋭い目つきで助手席の真殿の背中を睨んだ。
「それで。俺ぁまだ二十年前のこと詳しく聞いてねぇんだがな」
楽しい談笑に容赦無く水を浴びせられながらも、問われた側の真殿の返答は早かった。
「話せません」
「……」
あまりにもあっさりとした断りに運転している若いヤクザの方が気が気でなく、肩を叩かれた時よりも運転に集中できなくなってしまう。
下手をすれば親に向かって嘗めた口を利いたとこの場で流血沙汰が起こってもおかしくはない。
今の好々爺としてではなく、全盛期の伊鶴来の怖ろしさを口伝ながら目上連中から聞かされていた若いヤクザの顔は一気に顔を青褪めていく。
対して伊鶴来の方は真殿の無遠慮な拒絶にも一切動じた様子は見せず、ただ少し残念そうに窓の外を眺めるだけだった。
「そうか。お前が俺に話せねぇってことはそれなりの理由があるってことだな」
「ええ。正直、どう話したらいいかわかんねぇってだけで」
真殿は嘘を憑いていなかった。
二十年に彼がある宗教団体の施設で体験し、そしてその後暫くの間彷徨った『灰色の世界』の出来事はそう簡単に話せる内容では無い。
形にできる言葉が見つからない。
それが真実であるし、答えでもあったのだ。
「俺の方は断っておいて悪いんですが、お嬢の、瑞葉さんの娘さん達のことなんですけど」
「ん?」
「俺が捕まった後はどういう経緯で?」
二十年前の事件の後、皆殺しにされた信者や警察官達とは違って真殿と瑞葉は死体が見つからず、現場から姿を消していたのだが。
1ヶ月間の時間を経て、ある日突然真殿は渋谷の交差点のド真ん中に現れた。
今でも時折TV番組などで『子連れ血塗れヤクザトラベラー事件』という俗称で扱われるその事件は、実際にあった怪事件として人々の記憶にも深く残っている。
血塗れの双子の赤ん坊を両腕に抱き、自身も血塗れで立ち尽くす男の姿はお茶の間を騒がせる一大事件となった。
その後すぐに真殿は警察によって連れて行かれ、抱きかかえられていた双子の赤ん坊は然るべき機関によって保護されたと檻の中で真殿は聞かされていた。
「……上の方、睦月ちゃんの方はうちの組が金を貸してた夫婦の家に預けた。借金していたのは旦那の方で、別居してる嫁の方は弁護士で子供が欲しいのにできなくて困ってたんでな。妹の方の銀色ちゃんは気が付いたら碇の阿呆が攫ってやがった」
「よくもまぁ二十年も黙ってましたね」
「あの時代はあの子達がミズハの娘だって証明できるもんは何処にも無かったからな。組の手前、お前に話を聞きに行くこともできなかった」
二十年という時の重さを感じながら真殿は伊鶴来を責められない。
組長の娘がおかしな宗教団体に御執心だった挙句、気質を大勢巻き込んで居なくなっただなんて下手な噂を流さない為にも、伊鶴来は本当に信頼できる相手にしかそのことは伝えなかった筈だ。
勿論、伊鶴来を敵対視して組の後釜を狙う碇はそのような信頼できる相手達の動向にも目を光らせていただろうから、やはり下手な動きは見せられなかったに違いない。
孫や子供どころか親戚の子供すらいない真殿にはその心中は想像もつかなかったが、分かったような口で容易に踏み込んではいけない領域だとは理解している。
一時の沈黙が車内に訪れ、そのまま話は流れていくかと思われたが唐突に伊鶴来の懐から着信音が鳴り響く。
「……ん?ああ、俺だ。……そうか。幹部連中にも声かけといてくれ。ああ」
仕事仲間からだろうか。
電話の内容がいまいち予測できずバックミラー越しに後部座席へと視線を向ける真殿だったが、鏡越しに向けられた伊鶴来の表情は、八十近い老人見せるものとは思えない程の覇気を帯びていた。
さながら、近い未来起こす悪巧みを思い浮かべてニヤケ顔を抑え切れない悪ガキのように。
「さて。そんじゃ望み通り働いてもらおうか。鉄砲玉」




