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結・科学者は過去を愁う

◇━◇━◇━◇━◇


 

 父親は熱心な宗教家だった。


 

 学校で学ぶどの宗教とも違う異出の宗教。名前を口にしても周りの人間達は首を傾げるか、怪訝な顔をするばかりなので『俺』はいつの間にか名前を口にすることすらしないようになっていた。

 父はその教団の導主的な立場にあったが、同じような役柄の信徒は複数人いたので最高権力者であったかどうかと問われると定かでは無い。

 ただそれでも信徒達から大変な信頼を寄せ集めていたのは確かで、たまに俺が顔を出せば信者達は導主の子供だからと挙って頭を下げて来た。


 子供ながら優越感に浸っていたのだろう。

 例え外の世界で堂々と言えない、小さいな共同体の中だけの話だとしても、俺は父が権力者であることを誇りに思っていた。

 何しろ何もしていないのに大人達が敬ってくるのだ。思春期の子供から見ればその光景がどれだけ歪で蠱惑的に見えたことか。


 俺は導主の息子としてその将来を信者達に期待されたが、反して父親は自身の宗教学を俺に押し付けようとはしなかった。

 元々寡黙な父親だったため今となっては真相は掴めない。ただ、親父からは一度も物事を強制されたことはなかった。

 カルト宗教の信者であるというのに妄信的な思想を息子に押し付けなかった父の本意は一体なんだったのだろうか。



 俺が中学に入った頃。俺は初めて一目惚れという奴をすることとなる。

 父親が『巫女』として教団に連れてきた二十代に成り立ての若い女性。

 黒い髪が長く、同年代のよくいるタイプの女性とは違って化粧っ気の無い幸の薄そうな整った顔立ちがとても魅力的に見えた。

 直接話すまでにどのくらい掛かったか。彼女はいつも父を含めたどの幹部かと行動を共にしており中々話す機会が無かった。

 その時になると彼女見たさに教団に行く回数が増え、自然と信者達も次期導主になる自覚ができてきたのだろうと勘違いしてくれていた。

 そんな折、複数居る導主の中でも立場が弱い中年の剥げた導主が媚び諂った顔で俺に声を掛けて来たのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 

 俺がその時見たものは、まだ義務教育を終えていない少年が目にするには十分心的外傷(トラウマ)になり得る光景だった。

 動かない美女をただ貪り食う油ぎった肥えた男。

 男は一心不乱に女の身体を、媚声を求めるというのに、女は虫でも見るかのような冷えた瞳でただ天井を眺めている。

 中年の導主は行為の初め、そして終わった後にも釘を刺すように同じような言葉を口にしていた。

 これは神聖な儀式なのだと。他の幹部、俺の父親も当然のようにやっている行為なのだと。

 何も知らなかった少年の心に様々な傷を植え付け、中年の導主はその傷を癒す薬だと言わんばかりの狡猾な笑みで肩を叩き、無責任にも俺の人生を破綻させる原因となる毒を囁いてきた。


 ━━今日の儀式の時間はまだ少しある。

 ━━残りの時間は差し上げますので残りはお楽しみ下さい。次期導主殿。


 吐き気を催すような提案だった。

 一目惚れした相手を目の前で凌辱され、実の父親もその行為に加担しており、御下がりでいいなら使ってもいいと言う。

 その言葉がどれだけ人の尊厳を無視した意味を持っているか、あの中年の導主は間違いなく理解していなかっただろう。

 俺は、血が滲むほどの力で拳を握り絞めていた。

 抱いていた感情は憎悪と嫌悪。人間が抱くべき考えられ得る全ての負の感情。

 その全てを、この状況で助けるべき彼女に欲情している自分の愚かさに向けていたのだ。



 少年にとって初めての体験。

 初めて女というものを知った俺の内にあったのは底知れない後悔の念だけだった。

 胸の内で激しく導主達を憎悪しがら、その感情はもはや不純物だらけの汚れ切った嫉妬に過ぎなかった。

 自分もまた、際限なく溢れ出す肉欲を抑えきれずに彼女を貪った薄汚い獣に過ぎないのだ。

 そう自覚すればするほど自己嫌悪による嗚咽感は強くなり、このまま死んでしまった方が楽かと思った矢先。不意に教団では禁止されている筈の嗅ぎ慣れない煙草の香りが鼻を突いた。

 振り返ると、其処には二度の行為を終えた後だというのにケロンとした調子で煙草を吸うあの黒髪の巫女の姿があった。


「ふぅ……ん。どうした少年。元気無いな」


 まるで河原で黄昏る少年に声を掛ける気の良い女性かのように。

 彼女は、まるで今までのこと全てを嘘だと思わせてくれるような笑顔で語り掛けて来たのだ。


「もしや私の()()()()()()()()? いやそれならすまん。何しろ毎日此処の連中に回されているからな。商品価値はもう無いに等し……ああ、病のことを心配してるのか? そればかりは宗教家らしく神にでも祈ってくれ」


 初めて目にした時の静謐さとも、行為を行っている最中の無機質な人形のような雰囲気とも違う。

 締め切った部屋の敷き布団の上で恥ずかし気も無く裸体を晒し膝を立てる様は一昔前の風俗を思わせる。

 それも今の年齢になって様々な知識を得たからこそ感じられる印象であり、当時の俺がその時の彼女に対して抱いた感情は、ただただ『凄い』の一言に尽きた。

 語彙力も自制心も持ち合わせていない馬鹿な子供だったと自分でも思うが、実際、彼女に次のような言葉を囁かれた男が果たしてこの世に何人いるのだろうか。


「まぁ一度や二度も変わらんだろう。お前にその気があるなら構わん。ほれ。父のように、我が体を喰ろうてみるか? なんつって」


 生唾を飲み、彼女の誘惑とも取れる言葉に流されそうになっていた身体がギリギリのところで踏み留まる。

 父の名が出た瞬間、色香やこの狂った状況に掻き消されつつあった最期の理性を再認識したのだ。


「貴女は、どうしてこんなことをしている……?」


 結局思いついて口にしたのは誰でも口にできる初歩的な質問だった。

 しかし彼女は自身に乱暴を働いたばかりの少年の質問に嫌な顔ひとつせず、煙草を咥えた顔で薄く微笑すると床に仰向けに寝転がりながら口を開いた。


「お前の父親に拉致されて、人柱として軟禁されていて、御勤めとして狂った導主共の下の相手をさせられている。そう言ったらお前は信じるか?」

「ッ」


 否定する気にすらなれなかった。

 既に父に対する尊敬の念は消え失せ、同じように彼女を貪った自分の存在があるがために父親を責める気にすらなれなかった。

 あるのは人一人潰せる重い罪悪感のみ。

 立ち上がることすら苦痛に思えてくる重圧の中、意味も無い謝罪の言葉が口から漏れ出していく。


「ごめん、なさい」

「謝ることはない。別に私は誰も恨んでなんかないさ」


 平然と謝罪を指で挟んだ煙草であしらっていたが、子供目からしても目の前の女の扱いは神に捧げる生贄、供物と代わらない。

 それも良く言った方で、実際宗教観の乏しい人間から見れば彼女はただの性処理道具でしかない。それも狂った信者達の所有物という最悪な肩書のオマケ付き。

 それから、何度考えても俺の頭にはバリエーションの乏しい謝罪の言葉しか思いつかなかった。

 しかも思いつくだけで、震えた舌と罪悪感で混乱した脳では二度目の謝罪を口にすることもできない。

 そんな何もできない少年の姿が哀れだったのだろう。

 名前も知らない被害者の彼女は加害者側の俺にまるで宮殿に住まう王妃の如き妖艶な笑みを向け、肺に含んだ煙草の煙を吹き掛けて来た。


「ふぅ」

「なっ!?げほっげほっ!!?」

「はははっ。これの煙程度で涙目になってるガキが、この世の終わりみたいな顔で俯くんじゃない。辛気臭い顔は女にモテないぞ」


 煙越しに見えた彼女の顔はやはり美しいままだった。

 初めて会った時とは感じるものは違うが、此処が狂った宗教集団の住処で、自分もその一員だという最悪な現実をひと時でも忘れさせてくれる程に。

 だから、己の罪悪感を忘れた俺はさも当然であるかのように口を滑らせたのだ。

 まるで小学生が憧れの担任教師に緊張しながら尋ねるかのように。


「貴女も、辛気臭い男は嫌いなんですか……?」


 どういう男が好きなのかではなく、どういう男が嫌いなのかという質問。 

 我ながら少年時代から陰気な奴だったと思い返しても嫌になるが、彼女は嫌な顔ひとつせず、またさも当然であるかのように男を誑かす悪女らしい笑みで少年心を弄んだ。


「ああ。お前ももう少し笑えるようになったら、随分マシかもなぁ」



 

 それから、俺と彼女の奇妙な関係が始まった。

 

 現役幹部の何人かに取り入って親父には秘密の数度の密会。

 会う度に彼女は自分のことを話してくれるようになり、また俺も彼女を信頼して本当は禁じられている筈の外の世界のことを彼女に伝えた。

 どんな話をしても彼女は、『ミズハ』は歓んで聞いてくれたが外の世界の話をするときは前のめりになって話を聞いてくれた。

 俺は、年上の美しく優しいミズハに、恋愛感情と同時に失われた母性を求めていたのかもしれない。

 父の宗教観を快く思わず姿を消した母。(おぼろ)げに記憶に残る母の姿を、唯一自分を判ってくれていると思い込んでいたミズハに重ね合わせていた。



 会う度に魅かれていく彼女の存在に胸を弾ませていたある日。

 儀式部屋へと向かう俺の前に父親が現れた。



「こんな時間に何処へ行く鮠斗(はやと)


 質問は短く、それでいて的確だった。

 きっと父のことだ。恐らく何処ぞの口の軽い導主から俺が定期的にミズハの元へ通っているのを聞いて、分かった上で問い掛けて来ているのだろう。

 ならば無駄な言い訳は不要だと、その時の俺は覚悟して臆することなく父に応えたのだ。


「ミズハさんの所だ。父さん、ミズハさんをあそこから出して」

「駄目だ」


 寡黙な父からの決定的な拒絶は、これが初めてだった。

 放任主義とはまた違うが基本的には子供のやることに口を出さなかった父親。

 そういう観点から見れば子供の意思をよく尊重してくれていると尊敬していたのだ。

 薄暗い廊下のど真ん中で此方を冷えた視線で見下してくる父の姿は、到底血の繋がった相手だとは思えなかった。

 それこそ、過激な宗教観を持つカルト宗教の導主として紹介された方が納得できるし、一々考えてみなくとも実際世間から見れば父の役割はそのようなものなのだ。

 胸に滲む恐怖で唇を噛む息子を前に、父は嘆息ひとつすることなくただ機械的に言葉を紡いだ。


「あの女は邪悪な女だ。今は信者達の欲を捨て去る為の毒の壺と化しているが、然るべき時が訪れれば本当の意味での生贄として祭壇に上がってもらう」

「生贄って……殺すの!?ミズハさんを!?」

「それは我々が決めることではない」


 完全には言い切らないもの、父の言い分は息子の初恋の相手を殺害予定だと言ってるのと同義であり、その事実は譬え父親であろうと憎悪を向ける理由には十分だった。


「ふ、ふざけないでよ父さん!! そんなの本当の狂った宗教じゃないか!!」

「そうだ」


 今度ははっきりと言い切られた。

 驚きで動けなくなる俺の前で、父は何千回と視た変わらない無表情で舌を動かす。


「お前には詳しく話していなかったがな。私達の扱いは世間的に云えば得体の知れない不審者の集団とそう変わらない。人間は、自分の理解できない存在は何者であれ嫌悪するように作られている。悲劇的なことにな」

「そんなこと」

「いや知らない。お前は何も知らないんだ」


 子の言動を抑制しなかった父が、この時初めて俺の肩を掴んで強い今日で釘を刺してきた。

 思えば父に触れられたこと自体、数年ぶりだったのだ。幼少の頃から頭を撫でられた思いですらなく、与えられた物は必要最低限の親としての責務と幼少の頃強請って買って貰った()()()()()()()だけ。

 ミズハにはそれでも十分愛されていると笑われたが、その時の俺にはそうは信じられなかった。

 だから父が俺に対して抱いている感情は愛情ではなく親としての義務感だけだと思っていた。それはもはや人の愛ではなく、野性の獣が誰から教えられずとも己の子を育てるのと同じだと。

 だが、この瞬間。直前まで父に対し猜疑心を含んだ訝しむような視線を向けていたのだが、父の初めて見る表情に全ての感情がすとんと抜け落ちてしまった。

 

「お前は、知らないまま……そのままでいてくれ……頼む」


 俺の肩を掴んで消え入りそうな声を出す父の顔は、今まで見たどの表情よりも弱々しく、俺はあの人に抱いていた感情の全てをその日何処かに連れ去られてしまったのだ。

 父からの唯一の贈り物である玩具の車だけを俺の手に残して。




 それから一ヶ月。俺は父の根回しよって関係施設への出入りを禁止された。

 それまで姿を見るなり頭を下げるだけだった信者達も徐々に導主の息子だからといって腰の低い態度を取ろうともしなくなり、ミズハとの密会も必然と難しくなっていった。

 愛する人に会えない苛立ちに呑まれながら、同時に俺は興味が芽生え始める。

 父にあそこまで苦しげな表情をさせる教団の『然るべき時』とは一体何なのか。

 自力で探ろうにも信者達は相手をしてくれる素振りも見せず、どの媒体を使っても小さなカルト宗教の文献などそうあるものではない。

 改めて自分の肉親が所属している宗教の異質さを再認識しつつ、やはり自分の眼で確認しなくてはと。

 当時、まだ行動力のあった俺は教団の集会の日にこっそりと塀を攀じ登って敷地内に忍び込んだ。

 勿論、何の準備もせず潜り込んだわけではなく、きちんと事前に準備はしておいた。

 ありていにいえば通報だ。

 恐れ知らずにもあの頃の俺は本部に潜入する直前に警察に電話をかけておいたのだ。

 子供のいたずらと判断されてもおかしくはなかったが、ミズハを救い出すためならこんな狂った世界は壊れてしまっても構わないと、最期の希望にかける思いで。

 其処でどんな儀式が行われているとも知らずに。


『オン・シュルケル・キケ・マグナ・イトワ・トゥルク・ヒキ』

『志壕烈喫狂飆勲牢礁旡弊御櫁田』

『○●□■△▲◇◆━←→↑↓・』


 人の気配を探って忍び足を使いながら発見した障子越しの座敷の様子は、今まで見たどの姿よりも狂った宗教らしかった。

 幽霊が着るような白い服を着た信者達が白い前掛けで顔を隠し、それぞれの祈りの言葉を口にしている。

 彼らの言葉に統一性の三文字は一切含まれていなかった。狂信的に叫びながら床にひれ伏す者もいれば、部屋の隅で棒立ちになってそれこそ幽霊の如き不気味さで呪詛のような祈りの言葉を永遠と紡ぎ続ける者もいる。

 はっきり言って理解不能、その一言に尽きる光景だった。願うことなら理解したくない、そう願う程に。

 異常な光景に息を呑み、目が離せないまま震えるばかりの俺だったが、不意に明らかに信者達とは違う、まともな思考回路を持ち合わせていそうな男がその部屋に入り込んできた。

 信者達とは対照的に喪服のような黒いスーツに身を包んだ大柄な男。歳は三十代ほどだが、年齢に見合わない貫録を全身から醸し出しており、明らかにまともな職業に就いている男とは思えない。

 その時俺は、テレビで連日放送しているヤクザの引き起こしたニュースを思い浮かべたが、続いてすぐに『どうしてヤクザが?』と至極真っ当な疑問を頭に思い浮かべる。

 どちらにしても厄介なことになるのではないかと障子越しに中の様子を眺めていると、続いて信者達と同じような恰好をした父が奥から部屋の中へと足を踏み入れてきた。


 ━━嘘のような銀翼を背中から生やし、腹部を大きくしたミズハを引き連れて。



「えっ」


 呆然とし、息を潜めるのも忘れて気の抜けた声を漏らす俺。

 声に気が付いた父が此方に視線を向けたようにも思えたが、ミズハの姿に視線をうばわれ、なおかつショックで正常な思考回路を失ってした俺にはもはやそんな些細な事柄に気が付く余裕すらなかった。


「てめぇら……お嬢に何しやがったぁっ!!?」


 ヤクザ風の男の激昂が聞こえるが、耳に入らない。


「青州会の鉄砲玉か。生憎、罪深き巫女には私達の信仰を高める生贄となってもらうことにした。お腹の子も含めてな」


 父親の冷静な声が聞こえるが、理解できない。


「殺すッ!!!」


 そこから始まる悲鳴と血の嵐を俺はよく覚えていない。

 ただ、何の凶器も持たずに人間を吹き飛ばしたり千切ったりする男は人間には見えなかったし、同氏が次々と倒れていく中恐怖も感じず男に向かっていく信者達はやはり異常であったし。

 そんな状況の中、顔色ひとつ変えない父とミズハもまた普通には見えなかった。




 正常に近い意識を取り戻した時、視界に入り込んだのは一面真っ赤に染まった集会場。

 一人として例外なく先程まで動いていた信者達は全て骸と化し、今や血溜まりに浮かぶだけの物言わぬ置物となって転がっていた。

 その場を取り仕切っていた全ての導主、父も含めて。


「お嬢っ!お嬢っ!起きろ!!俺だ!!真殿だ!!なぁおい!」


 父に対して俺が何か感慨を抱くよりも先に、あのヤクザ風の男が誰かに呼び掛ける声が耳に入り込んでくる。

 男は全身が返り血で濡れてまるで地獄に救う赤鬼のような見た目に変わっており、彼が抱きかかえるミズハもまた返り血で濡れて白の装束がところどころ深紅に染まっていた。

 それでも彼女は悲鳴一つ上げることなく、それどころかまともに喋れもしない状態で虚空に向かって手を伸ばしていた。

 少なくとも、ヤクザ風の男にはそう見えていたのだろう。

 位置的な関係もあって丁度俺からは見えていたのだ。


 ━━祭壇から伸びる()()の触手が、ミズハの手を掴もうとしていたのを。


「危ない!!」


 気付けば俺は自身の存在が発覚するのも躊躇せずに叫んでいた。

 幸い声を耳にした男は、声の正体を探す前に目の前に伸びる触手の存在に驚き、ミズハを抱えたまま背後へと飛び退こうとする。

 しかし、既に無数に広がる無数の触手は男の足首を捕えており、あれほどの無双を熟していた男の動きをいとも簡単に制限してしまっていた。


「な、なんだ!? なんだお前!?」


 必死に捕えられた脚でもがきながら、男は祭壇近くに居る筈の『何か』に向かって叫び続ける。

 障子を少し開けただけの狭い視界では室内の全体を把握することは不可能で、俺には其処に何がいたのかはわからない。

 ただ狂信者達を前にしても顔色ひとつ変えなかったあの男を、あそこまで動揺させる存在とは一体どんな姿をしているのだろうか。

 自分でも理解できない内に、その時の俺の感情の方向は自然と未知への恐怖から探究心の暴走へと移転していた。

 震えながら伸びる手が障子の取っ手に伸びる。

 障子を開ければ己の存在が露見し、間違いなく拙い状況に陥るのだと理解できる筈なのに、自己防衛のための理解すらも昂ぶる感情は抑え付けてくる。

 指が掛かり、もはや自殺行為にも近い無謀な行動を果たそうとしているのと、教団内に複数の足音が響き始めたのはほぼ同時の出来事だった。



「警察だ!!違法な薬物の使用容疑でこの教団に捜査届が出ている!!中に居る奴らは速やかに、」


 俺が開く筈だった障子を勢いよく開き、自信満々に捜査令状を見せびらかす紺のコートの老けた刑事。

 矜持(プライド)に満ちたその顔が現場の惨状を目にして度胆を抜かれたのと、部屋の中に存在する『何か』を目にして腰を抜かしたのも、これもほぼ同時の出来事だった。


「な、な、なんだぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!?」


 最初に室内に踏み込んだ刑事はそれで終わりだった。

 恐らく今回の仕事を任されて気合を入れて来たのが窺える紺色のコートは、触手によって首が飛ばされたことで真っ赤に染まり、首無し騎士(デュラハン)さながらになった体はその場に崩れ落ちた。

 そこからは良いように言えばお祭り騒ぎ、悪いように言えばまさに地獄絵図だ。

 悲鳴の合唱を上げながら、自分達の拳銃(がっき)を打ち鳴らす警官達。

 それが果たして『何か』に対して有効であったかそうでないかは定かではないが、廊下に座り込んでいた俺を連れ出した警官以外は警察部隊は全員殉職したと後から聞かされたため、大して意味はなさなかったのだろう。



 そう、死んだのだ。

 あの場に残ったものは血の海と誰のものかもわからない肉塊だけ。

 父の宗教の実態も、ミズハのあの姿のわけも、あの『何か』の正体も。何もかもが謎のまま俺の人生は狂ってしまった。

 それから数か月。俺も生き残った警官も含め、誰も、あの日起きた惨劇の正体を掴めないまま月日だけが過ぎていった。


 事件現場から失踪した筈の真殿隆一が新宿交差点のど真ん中に現れるまでは。



 ━━()()()()()()()()姿()()()()()()2()()()()()()()()()()()()() 

 


 



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