転・人々は振り返る
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それは親父から直々の異例の命令だった。
内容は行方不明になっていた親父の娘をあるカルト宗教団体から連れ出してこいとのこと。
それも邪魔する奴がいれば少し痛い目に合わせて来いというわけではなく、娘に傷一つでも付いていたら徹底的に壊滅させこいというのが、今のような代理の立場ではなく当時の組長であった伊鶴来の命令だった。
同じ組同士の間柄でも他言無用で、前例も何も無い異質な勅令であったが、真殿は違和感を覚えつつも親の命令には逆らえないとすぐに現場に向かった。
それが真殿や多くの人々の人生の歯車を狂わす、全ての間違いだったとも知らずに。
『オン・シュルケル・キケ・マグナ・イトワ・トゥルク・ヒキ』
『志壕烈喫狂飆勲牢礁旡弊御櫁田』
『○●□■△▲◇◆━←→↑↓・』
『助けてください救ってください哀れんでください』
頭のおかしくなるような文字の羅列だった。
文字が文字を埋め尽くし、言葉が言葉を埋め尽くす。
白い服を着て白い布を顔に掛けた無数の男女が、意味不明な言葉を口にして、意味不明な言葉や文字を床や壁や天井、ひいては己の身体に筆で書き記していく。
何が彼らをそうさせるのか。ドアを蹴破って建物に侵入してきた真殿に視線1つ送らず、狂ったように、否、完全に狂った調子で信者達は一向に奇怪な行動を辞めようとはしなかった。
彼らの視線と言葉と祈りが送られる存在は唯一。
蝋燭に灯された淡い火の光だけが頼りの狭い室内にその最奥の壇上にポツンと置かれている御神体。
「……は?」
思わず声が漏れ出してしまった真殿は直ぐ様自身の口を片手で塞ぐが、自分達の信仰の対象に祈ることに必死な信者達は真殿の声など聞こえていない調子で先程から同じ行動を続けている。
何が彼らの信仰心をそこまで駆り立てるのか。
偶像崇拝をするにしても縋る存在が些か特殊過ぎる。というより理解不能だ。
疑問を通り越した未知への不快感を抱き、一刻も早くこの場から離れようと組長の一人娘を目で探す真殿。
それも信者達が頭に付けている黒子の前掛けのような布のせいで一人一人の顔の判別がつかないことに気が付き、すぐさま断念することとなるのだが。
これは年齢や声色の近い、疑わしい女性信者の顔を片っ端から確認する必要があるか。
そう思い始めた真殿の視界に、その考えを見越していたかのようなタイミングでお目当ての人物は現れた。
部屋の奥側の障子の出入り口。それを男性信者二人に開けさせるという仰々しい演出と共にこの異質な空間に脚を踏み入れる妖艶な女性。
彼女が幼少の頃よりお世話係として付いていた真殿が間違える筈も無い。彼女こそが当時の青州会頭目の一人娘。
「お嬢」
声をかけたのも束の間。真殿の思考はその瞬間、完全に停止する。
雰囲気こそ変容しているものの、その顔立ちは紛れもなく彼が『お嬢』と呼び親心のような感情を抱きながら誠心誠意見守って来た彼女のものだった。
しかし、2つ、長い関係を築いてきた真殿にとって見慣れないもので到底理性を保ったままではいられない身体の変化が彼女には起こっていた。
1つは、胸部下から下腹部への大きな膨らみ。恐らく、信じたくはなかったが子供を身ごもっているのだろう。
もう1つは、前者とは大きく違って人体の構造からしてありえない部位の誕生。
彼女の背中からは、薄暗い部屋を照らすかの如く爛々と輝く銀翼の翼が生えていた。
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十王字ビル付近。野次馬の海から少し離れた場所。
今や外部からの接触を一切認知しない鉄壁の塔の前では、騒ぎを聞きつけた人々が次々と新たな野次馬を呼び、際限なく交差する声の嵐を生み出していた。
他の視線を気にせず、ずかずかと十王字ビルへと邁進する銀翼の存在を何とか人気の無い路地裏に引き込んだ倭は一息付いていた。
「も、もう。一体なんなの……?急にどうし」
息を切らせながら相方の様子を確認したのも束の間。銀翼の存在は倭の制止など何処吹く風で再びビルに向かって歩み始めていた。
「あー!ホント待って!待ってください!」
今日一日の驚天動地珍道中で疲弊し切ったせいで頭が回らず、殆ど抱きつくかのような形で相手を止める倭。
しかしなおも進もうとする銀翼の存在に、どうにも他と同じような野次馬根性でその場に行きたいわけではないと理解し、止めた上で問を投げ掛けることにした。
相手は出会ってから一言も声を発していない相手なので勿論だめ元ではあるが。
「何が、あそこには何があるの!?」
倭の草食男子を体現したかのような悲鳴さながらの疑問が胸に響いたのか。
まずその可能性は無いだろうと己の情けなさを自覚しながらも、取り敢えずは脚を止めてくれた相手に倭は思った通りの疑問を紡いだ。
「今、何故だかわからないけど情報規制が起こってるんだ。それも『ボール』を介してだけ十王字ビルの情報が意図的に隠されている……ような気がする」
スマートホンを開き、いつも使っているSNSを閲覧した時の違和感。
常時その日その日の話題で賑わっている筈のタイムラインに変化が無かったのだ。
今や東京の顔となりつつある話題の商業ビルが何者かによって占拠されるという事件が起こっている真っ最中なのだ。他の掲示板同様、日本一を謳っている分それ以上に『ボール』は賑わっていなければおかしい筈なのだ。
警察が情報規制をしているとも思えなかった。現にテレビでは一部を除いた何処の局もこの大事件をリアルタイムで報道していたし、第一いまいち意味が感じられない。
もはや一つのSNSで情報規制を行おうがあらゆる手段で情報は伝わっていく。それが現代の自由な情報社会の在り方だ。
では、誰がこんな無意味な行為を行っているのか。
思い当たる節がないとは言えないからこそ、倭の表情は数十分前からずっと青褪めたままで陰鬱な気分を変えられずにいる。
「教えてくれ……何か知っているなら」
神に願うかのように頭を下げる倭。
銀翼の存在は一度その後頭部に視線を向け、やがて再び固く閉ざされた鉄の塔に視線を向けると、同様に固く閉ざされたままだった唇を開いて初めて性別の認識できる要因となった少女らしい透き通る声で言葉を発した。
「……居る」
誰のために伝えるものでもない、何かを確認するような言葉を。
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「関東最大の極道組織、青州会の現会長代理にはそれはそれは美しい一人娘がいたそうです」
少女一人を叩きのめした直後だというのに、他人に知識をひけらかすのが嬉しいのか、愉快そうに雄弁に語り始める邪蛾螺。
視線を向けられている当の睦月は話の根幹が見えず不安気な表情で佇んでいたのだが、後頭部を打ちつけられてまともに立つこともままならないモエの方は、鬼の形相で男の言葉を遮ろうと声が響くのも構わず叫んでいた。
「そいつの言葉に耳を貸すな!睦月!!」
「おや、あくまで隠そうとしますか。会長の命令だからですか? それとも、友人を傷つけたくないなんて甘い言葉を吐くわけありませんよね。貴方が」
まるでモエの全てを知っているかのような挑発の言葉。
普段は喧嘩っ早いモエも言い返せず、蛇蛾螺の嘲りに対しただ悔しそうに奥歯を噛み締めることしかできない。
見知らぬ男の口上に、友人の隠し事。
ますます不安に駆られていく睦月を哀れに思ってか。他人を基本的に見下しているというより軽く見ている蛇蛾螺にしては珍しく、彼はモエが睦月に対して秘めている隠し事の一つを本人達の意思など関係なしに語り始めた。
本当に心からの親切心のつもりで。
「その少女はね。ある方からの命令でずっと悪い人達から睦月さんを護っていたんですよ。私はその伝言役で『ボール』越しに度々情報交換をしていました」
そう言って懐から取り出された蛇蛾螺の仕事用スマートフォンの画面には、『ボール』の密談用サービスが表示されており、会話相手は睦月も知っているモエのアカウントそのものだった。
それだけで驚くべき真実ではあるが、それ以上に睦月を驚かせたのはその内容だった。
睦月の起床時間から登校時間、何時に帰宅したかまで。どの日のどの時間に何があってどんな様子なのか、はっきり言って異常な程こと細かに睦月のここ数日の生活様子がモエの手によって邪蛾螺に報告されていた。
それは今日の出来事も同様であるし、目を疑うことに数日前までのハワイ旅行の間に起った出来事でさえも報告されていた。
恐らく、モエの隠されたアカウントから。
「嘘……なに、これ」
自分の知らないところで行われていた自分に関する不可解な情報交換。
内心、背筋にホラー映画を見ている最中以上の今まで味わったことのない恐怖を感じながら睦月の視線が床に膝をつくモエに向けられる。
視線を向けられたモエはというと、真相に触れて青褪めた友人の表情をまともに見ることもできず、心底辛そうに歯を食い縛って床を睨むのみ。
ただ独り表情の変化が無い男は今まさに絶望の岸に立たされている少女2人に大した感情も抱かず、ただただ淡々と思ってもいないモエのフォローを入れ始めた。
「ああ、勘違いしないであげてください。別に私もそこのそれも貴女の日常生活に興味があって調べていたわけではありません。私はそこまで暇ではありませんので」
何処までも人を小馬鹿にしたような態度を取りながら語る蛇蛾螺。
彼は誰1人として自分に目を向けていないことに気が付きながらも、己の快楽を満たすためだけに舌と唇だけを動かして雄弁と語るのを止めなかった。
「貴女の動向に注目して私に命令を下したのは青州会現会長代理・伊鶴来十四蔵です。危険から遠ざけるために他親に託した孫娘の“片割れ”が心配だとね。幹部の中でも一番暇な私に声をかけるぐらいですから、本音のところあまり気にかけていないのかもしれませんが」
理解ができなかった。
睦月は全身に蔓延っていた恐怖すらも忘れて、ただ与えられたばかりの巨大な謎を受け止め切れずに呆然と立ち尽くしていた。
「……えっ。何言って、何言ってるの。ね、ねぇモエちゃん」
悲鳴にも似た悲痛な助けを求める声に友人は応じない。
膝をつく彼女はもはや肉体面だけではなく、長年親友を騙し続けてきたという負い目の重圧に押しつぶされてもはや立ち上がれなくなっていたのだ。
応じたくとも、睦月の言葉に手を差し伸べる者は居ない。
「霜北、という夫婦は約二十年前に青州会の末端組織の一つに莫大な借金しましてね。まぁ私もまだ極道になる前どころか少年時代の話なので詳しくは知らないんですが、その時会長に借金を免除してもらったらしいんですよ。会長の孫娘の片割れを引き取る代わりに」
「それが」
「そう貴女です」
淡々と告げられる真実にたまらず目尻に涙を溜め、沸き上がった感情を抑え付けることもせず睦月は感情を爆発させた。
「ねぇ教えてよ!!じゃぁウチはなんなの!?ウチの本当のパパとママは!?それに片割れってなんなの!?」
「それを全てお教えするのは私には不可能です。何しろ貴女の兄か弟、もしくは姉、妹にあたる人物の存在が発覚したのはつい最近。それも身柄を保護する前に敵対勢力の残党に拉致されていたのが発覚した挙句、さらに別の人物によって連れ去られたのですから」
「お、おい。待てそんなの聞いてないぞ。睦月に兄弟がいるなんて話なかっただろ!?」
「食って寝る分、不便なドローンよりも劣る貴女には話す必要はありませんでしたから」
モエの狼狽すらも軽くあしらって、先程のモエの絶叫で騒ぎが大きくなってきたフロア上を蛇蛾螺は悠々と歩く。
やがて睦月の真正面まで移動すると、自身は涼やかな表情のまま、自らの運命に脅える少女の顔を真底楽しげに覗き込んだ。
「では会いに行きましょうか。本当の貴女を知る、その誰かに」
その瞬間、睦月も、モエも、黒幕ぶっている蛇蛾螺さえも気づかないところで変化があった。
睦月が本当の肉親の存在に気づき、未知の領域へと大きく踏み出す起点となったその瞬間。
睦月の背負っている黒のリュックサックの中でずっと沈黙を保っていた異形の眼が、活き活きと蠢いたのだ。
これからの未来に、まるで異形自身も興味があるかのように。ぎょろぎょろと。




