転・人々は企む
◇━◇━◇━◇━◇
十王字ビル、立体駐車場・地下1階。
十王字ビル内部では謎の武装集団が立て籠もっており、中に居た客達のその殆どが死と隣り合わせの恐怖を感じながら囚われ続けている状態が続いている。
当然、突然全てのシャッターが締まり、内部との通信が一切取れなくなった尋常ではない事態から外部も以上を察知。
噂はSNSなどにも広まり、『海外の武装テロリスト集団が立て籠もっている』『来日した映画スターを狙う過激なファンの犯行』『連日世間を騒がしている爆弾魔が遂に警察に対して宣戦布告をした』など信じ難い眉唾ごとも多く流れて、あらゆるメディアが一時混乱に見舞われた。
名目上は事態の終息の為に警察も出動するものの、何しろ相手の数も武器も反抗目的も不明な為、ビルの前で動けずに立ち往生したままとなっている。
少なくとも表向きは。
「どうして強行突破させてくれないんですか!」
十王字ビル前に建てられた仮設テント。その下でフルフェイスヘルメットを脇に持った童顔の女性警官が上司に対し一切臆さずに不満を口に漏らしていた。
一方、不満を言われている気の弱そうな上司は周りの警察官達や遠い所のマスコミの視線もあってか、下手なことを言えない空気でなんとか場を凌ごうとしていた。
「いや、だからね。何度も言うけどそれはやらせられないの。中に何人テロリストが居るかもわからないし」
「でもこうしてる間にも善良な市民が危険な目にあってるかもしれないじゃないですか!最悪死んでるかも!」
「こっこら藤鷲くん!そんなこと大声で言わないの!とにかく今は現状維持!いいね!?」
周りの視線を気にする上司のことも理解しつつ、すぐ目の前に聳え立つ十王字ビルを藤鷲は歯痒い気持ちで見つめる。
この建物の中には何の罪も無い市民は勿論、彼女の身内であるモエやその友人である睦月も閉じ込められているのだ。
実のところ警察官としての誇りを無視すれば彼女達だけでも現状から助け出したい。いざとなれば自分1人でも白バイに乗って突っ込んでやろうかと意気込む藤鷲の視界の隅に、一瞬、あり得ないものが映る。
それは、事態の更なる混乱を恐れて通行規制まで敷かれた今の十王字ビルにはありえない光景。どちらかというとあってはならない光景と言ったほうが正しいかもしれない。
「あれって……まさか」
地下にも繋がる立体駐車場入り口へと入っていく何台かの警察車両。
その中に居たのだ。
彼女が先日国道で注意したばかりの、若い極道幹部の姿が。
◇━◇━◇━◇━◇
十王字ビル隣接立体駐車場地下1階。
数十分前まで大きな賑わいを見せていた巨大商業施設への入り口は今や何処も警察による通行規制が行われ、何人も足を踏み入れるのは困難となっていた。
当然、この立体駐車場も普段ならば次々と車が出入りする交通の要として役立っていたのだが、今現在に至ってはその役割を全く果たしていない。
何しろここ数十分の間に警察の検問を掻い潜って立体駐車場に入り込んで来たのは、一台の黒塗りの高級車だけなのだから。
「ええ……そうですか。銀色の翼の方は逃しましたか」
停車したばかりの車内で、蛇蛾樂は後部座席で長い脚を組みながら仕事相手と通話を行っていた。
スマートフォンを片耳に当てる表情は芳しくは無く、いつも仮面のように微笑を貼り付けた彼にしては珍しくやや不機嫌そうな表情ですらある。
当然、社内に座る彼の部下達は上司のそんな様子に気が気でないのだが、当の蛇蛾樂は部下達の不安に気が付いている上で表情を改めずに通話を続けた。
「いえ、もう手を出さなくて結構です。予想してなかったわけではありませんでしたから……あとは此方で対処します」
そうやって蛋白に言葉を返すと、蛇蛾樂は一方的に通話を切って溜息混じらせながら背後の座席に後頭部を沈めた。
優秀な人物であればあるほど、仕事が上手く滞り良く進まなければストレスも溜まるというもの。
目の前の上司の優秀さを誰よりも理解している部下の1人のゴリラのような見た目の大男は、蛇蛾樂の正面から形だけでも心配そうに声を掛ける。
「大丈夫ですか」
「ええ。少し目眩はしますがね。こうも事が上手く運ばないと」
蛇蛾樂は青州会本部にも報告せず、外部の人間を使ってある存在の回収を行おうとしていた。
『存在』と呼称したのには勿論理由があり、その存在が果たしてどのような科目に属する生物なのか蛇蛾樂にもよくわかっていなかったのだ。
つまり人間ではない。しかし見た目が最も親しい生物は人間だと云えるだろう。
少年とも少女とも判別がつかない曖昧な姿に、見る者全ての目を疑わせる巨大な銀の翼。
蛇蛾樂は自身のスマートフォンに送られてきたその『存在』の画像を目にしながら、その口元にいつもの微笑みを浮かべていた。
「志村さんの話だとこの銀翼もあちら側の世界の住人だそうで。眞殿さんにお会いする前に確保しておきたかったところですが……まぁいいでしょう。足がつくのを怖がってチンピラ風情に回収を頼んだ私のミスでもあります」
「俺には仮装してる子供にしか見えませんけどね」
自己完結をするように独り言を呟く蛇蛾樂の手前、ゴリラのようなヤクザは若干口を挟むのを躊躇しながらも、自身の抱いた感想を迷うことなく紡ぎ上げた。
「蛇蛾樂さんがあの志村とかいう変人科学者に金を貸してるのは知ってます。ただ揺さぶりをかけるにしても、人さらいってのは、その」
「元警官の貴方からすると少々心が痛みますか?」
前職の仕事を話題に出されれば面と食らって口を噤んでしまうゴリラ風の男。
部下のあからさまな態度に蛇蛾樂は笑いをこらえ切れず、軽く息を吐き出しながら今度は彼が自分自身の言葉に紡いで後付をする。
「意地悪な言い方をしてしまってすいません。でも、心を痛めることはありませんよ。何しろ彼、ないし彼女は、きっと人間ではありませんから」
曖昧な言い方は確信が何処にも無いから。
何から何まで全くの未知。ただあの性別不明の銀翼も、志村が所持していたという地球外生命体のようなミニカーも、この世界原産の存在ではないことだけは確かだ。
そしてその事実は、普段は冷え切った視野で世界を見ている蛇蛾樂の探究心をとめどなく煽っていく。
今、彼を動かしているのはものは未知への知的欲求心のみ。
知らない事象に対して己の手駒全てを使って走る姿は子供のようでもあり、組織内での出世にもあまり興味を示さなかった男の意外な一面に部下は目を丸くした。
「正直、驚きました。貴方はもっと現実的な考え方の持ち主だと思っていましたから」
「十分現実的な視野ですよ。何しろこれは実際に起こってる事件なんですから」
蛇蛾樂から話を聞かされても未だに信じられないゴリラ風の部下。
それに対して、蛇蛾樂の心中は今まさに張り裂けそうなほど高鳴っていた。
志村という落ちぶれた科学者と日本祭大規模の極道組織の長である伊鶴来会長が心奪われたという別世界。
果たしてその先には何があるというのか。知りたくて知りたくてたまらない蛇蛾樂は、全ての答えが生まれる筈の十王字ビルへと足を踏み入れる前に、振り返ってずっと横に座っていた老人に声を掛けた。
蛇蛾樂とゴリラ風の男が会話している間も一切喋らず、ただ無意識に放たれる威圧感だけで車内を緊迫とした雰囲気に変えていた老人。
実際、蛇蛾樂以外のヤクザ達はその誰もがその老人と同じ空間に居るというだけで卒倒しかけていた。
「では行きましょうか、伊鶴来会長。きっと眞殿さんか志村さんに会わせたら口の硬い貴方もあちらの世界の話をしてくれるでしょう」
車内に居る老人の正体は━━行方不明だと騒がれていた群城会6代目代行その人だった。
◇━◇━◇━◇━◇
十王字ビル2階、洋服屋店内。
人の手によって作られた暗闇の中。
物陰に隠れていた少女達と、武器を持った男の目が合う。
もっとも、男の方は暗視ゴーグルを装備していて実際目が合ったかどうかはモエや睦月の知るところでは無いのだが。
どちらにしても武器を持ったチンピラ達から姿を隠していた少女達からすれば、見られたという事実は揺るぎない窮地に変わりない。
「お前ら此処でなにし」
其処まで言って、男の言葉が本来予定された言葉を最後まで紡ぐことは無かった。
安物の暗視ゴーグルを装着した額に、突如として豪速球の鉄球を投げ付けられたかのような凄まじい衝撃が襲い掛かったのだ。
割れたゴーグル越しの世界はさながら虫の複眼のように多種化してしまい、人間の脳では一瞬適応するまでに時間が掛かる。
その一瞬でモエは動き出していた。
「シュッ」
息は小さく。動きは先程と同じく必要最低限に小さく、それでいて的確に速く。
屈んだ体制から両脚で地面を蹴り上げるようにして武装した男の顔面を蹴り上げた最初の一撃から、更に続く一撃は男の鼠径部への強烈な膝蹴りだった。
「ひっ」
容赦の無い猛攻に背後で隠れていた睦月も思わずいたたまれなくなって両手で目を隠したが、その頃には男も意識を失ってその場で倒れていた。
例え何らかの武術に精通していても此処までの早業はそうそう実現できるものではないのだが、モエはそれを誇ることもせず、淡々と男の身柄を隠す作業に移った。
「睦月。ちょっと其処から外の様子見といてもらっていいか? 顔出し過ぎるなよ」
「らじゃっ」
男の身体を試着室の中へと引きずり込むと、店のレジに置いてあったガムテープを使って念のため両手両足を縛って口を塞いでおく。その上で正体を探るヒントになるのではないかと衣服を探ってみたものの、お目当ての物と呼べそうな物品とは巡り会えなかった。
スマホも見つかったがロックが掛けられており開くことは困難で、やはり謎の武装集団の正体を暴くヒントにはなりそうもない。
せめて目的だけでも知れればよかったと内心残念がりながら、現状此処に居たままというのは危険だと判断しモエは睦月の肩に手を置こうと、空を切る。
「睦月、そろそろ移動━━あれ?」
本来、睦月の肩に触れる筈だった右手が何にも触れない事実に痛烈な寒気を感じ、顔を青白くして勢い良く廊下に飛び出すモエ。
すると案の定、廊下の奥で恐れ知らずにもエレベーターのボタンを押すアロハシャツ姿の阿呆少女の背中が見えて全力疾走でその肩を掴みに行く。
「お前は何やってんだっっっ……!!」
「あ、モエちゃん。なんかエレベーター動くからこれで移動しちゃったほうが楽かなぁって」
「楽でも死ぬわっっ……!いいから隠れるぞっ……!」
エレベーターから敵が降りてくる可能性を全く考えずに肩を揺らしながら待ち続けられる相方の胆力に脱力しながらも、エレベーターの入口からの死角に転がり込むモエ。
先程鮮やかに武装したチンピラ1人を撃退した彼女でも不測の事態を鑑みて、まずは状況確認に徹している。
緊張が空間を侵食していく中。エレベーターの移動を指し示す表示が徐々にこの階まで近付いていき、到着を知らせる高い音と共に両側に扉が開いた。
「おや、誰もいませんね」
モエと睦月が隠れている位置からは声の主の姿も見えない。
ただ、エレベーターの中には複数居るようで、やはり隠れて正解だったとモエはほっと胸を撫で下ろす。
このまま誰も降りずに再びエレベーターが動き出してくれるのを待つモエだったが、落ち着きを保つ若い男の声が彼女の希望を容易く砕く。
「先を急ぎたいところですが……もしかしたら此処に御目当ての片割れがいるかもしれません。安藤さん。親父を連れて先に上に向かっておいてください。私達は後から行きます」
エレベーターの中での男達の会話はその後ももう少し続き。やがて黒いスーツ姿の顔の良い若い男が外に出て、その後に続いて2人ほど銃を持った黒服が続くと、エレベーターの再び上へ上へと移動していった。
「さて」
この状況で警戒する素振りも見せずに微笑みすら浮かべながら周囲を観察する若い男。
その姿はどうにも悪人には見え辛く、精々街のホストが良いところといったモエから見ても顔の造りが良いと思わせる青年だった。
だが、実際の所の正体がどうであるかは現時点では定かではない。
迂闊な行動をしないようにと再び背後から羽織るようにして睦月の口を塞ぎ、様子を伺うモエ。
その鋭い三白眼の眼差しが、人を見透かしたような厭らしい笑みを浮かべる蛇蛾樂の視線と重なったのは、その直後のことであった。




