承・少年の人生は紆余曲折をする
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きっかけは些細なことだった。
突然できた同居人にどう接すればいいのか。無口、無反応、無行動と自らは全く人間らしいアプローチをかまさない銀翼の同居人に頭を悩ませていた倭だったが、唐突にどれだけ悩もうとも人間であれば必ず来てしまう信号に襲われた。
それは空腹。
部屋の中でただ興味も無いテレビを見るだけの時間が過ぎていく中、腹の虫が鳴ったのを契機に同居人の視線が此方に向けられる。
人間らしさがこれっぽっちも無い同居人が果たして空腹を感じているかどうか。それすらも怪しいところではあったが、時間としても正午を少し過ぎた辺りで丁度よかったのもあったが、一番の理由は家の中にもう食べる物が無いのが大きな要因となった。
そのため少年と性別不明の銀翼は、人目を引いてしまうのを承知の上で命を繋ぐ為に外食に出掛ける他無かったのだ。
「とは言ったものの……」
真夏の正午。
帽子を被っていても容赦無く照り付けてくる地獄のような日差しに嫌な顔を隠せないで、倭は同居人と道を歩いていた。
家を出る際、やはり人目に付くと困ると外出は自分1人だけにして何か食べる物を買ってくると何度も説得したのだが、同居人はやはりうんとすんとも言わず。
ただ翡翠色の綺麗な瞳を向けて無言で後ろを付いて来る。
半袖の真っ白なワンピース姿に中性的な美形の相貌。それだけで周囲の人目を意図せず集めてしまうというのに、それに加えて同居人の背中からは鳥を連想させる巨大な羽が生えている。
今の時代、コスプレといえば何とか誤魔化せそうな気もするが、どちらにしてもこれが生えている限り人の多い場所には行けそうも無い。
羽のことを考えていると、そういえば本物なのか尋ねず仕舞いだったことを思い出し、気分転換に尋ねようとふと振り返ったのだが、倭の視界に非現実的な存在は何1つとして映らない。
誰もいない、何もおかしなところはないよくある普遍的な住宅街の光景だけが広がっている。
同居人の居ない光景に、いっそ先程までの現実は全て嘘だったのではないかという虚無感が纏わりついてきたが、それが頭を浸透するよりも先に同居人の姿を見つけることができた。
同居人は住宅街に作られた小さな公園の中に居た。
最近は周りの大人達が責任問題やらを気にして次々と公園の遊具を撤去しているらしく、その公園ももはや小さな砂場とベンチがある程度の簡素な遊び場だった。
それ故に子供も保護者もおらず、取り敢えず人目につかなかったことに安堵しながら、公園に生えた木の下で屈む同居人の背後に倭は近付く。
「どうしたの?」
尋ねても反応は無い。
ただ何かを見ているようで、背後から覗き込むとすぐに同居人が何に意識を奪われていたかすぐに定かになった。
蝉の死骸だ。
夏場では珍しくも無い。数の多い少ないの差はあるだろうが、田舎にも都会にも現れる騒音を放つ短命の虫。
哀れだと思わないでもないが別段珍しくもない。それほどに日常と化してしまった光景の一片に彼女は何を思うのか。
銀翼の同居人の横顔は静かで何も言葉を発しない。
それでも不思議と嫌な感じがしないのは何故だろう。
偽善の同情とか、自分をよく見せるための哀れみとか。そういった無駄な言葉を口にしない姿が倭には自分が絶対に触れられない尊い存在に映った。
「……」
「……」
同居人は語らない。少年は語れない。
同居人の掌の上に乗った亡骸を弔うかの如く、周りの木々からは絶え間なく蝉達の合唱が響き渡っていた。
「おいおいおーいっ。見せつけちゃってくれんじゃーん」
無粋な声は唐突に現れた。
蝉達の合唱の中に混じって次々と狭い公園の中に足を踏み入れてくるのは、いずれも武装したチンピラ達。その手に握られているのは精々金属バットや鉄パイプが良いところだが、忽ちただのひ弱な青年である倭の顔色は真っ青に変色していく。
「えっ、えぇっ!?」
近くにはマンションなどもあり、交差点のように頻繁では無いにしろ人通りもあるというのにカツアゲだろうか。
自分のような一般人が襲われる理由などそれぐらいしか考えられなかった為、状況整理の上でまずそのような推理が頭に思い浮かんだのだが、すぐに倭は気が付く。
自分の傍ら。肩と肩とが触れ合う距離で未だに蝉の亡骸に興味を示している、知り合ったばかりの同居人。
見れば突然現れたチンピラ達も挙って各々のスマートフォンと銀翼の同居人の姿を交互に確認している。
恐らく、彼らの手に握られた液晶には銀翼の同居人を指し示す何らかの画像なり文章なりが表示されているのだろう。
それから少しして、チンピラ達のリーダー角らしき鼻ピアスの男が前に出ると、ニヤニヤとした厭らしい笑みを浮かべながら同居人の翼を容赦なく掴んで乱暴に引き寄せる。
その間も、銀翼の同居人は翼に神経が通っていないと言っているかの如く変わらず無反応だった。
「ああ、間違いねぇ。この顔だ。背中に嘘見てぇな羽も生えてるしな。碇さんに連絡しとけ」
「うっす」
淡々とチンピラ達の仲間内だけで会話は進められ、倭の存在はまるでその場に最初から存在しないかのようだった。
声を出せば恐怖で裏返るか聞き取れない程震えるかのどちらかだろうと確信しつつ、このままでは同居人が連れ去られてしまうと直感し、倭は勇気を振り絞って声を出した。
結果、甲高く裏返った挙句震え過ぎて最期まで言えず仕舞いでたったが。
「あっ、あの!!そ、そのの子!ど、どどど、どこに連れて行くん、ですか……その」
「あっ?」
声を出されて初めて気が付いたかのような。
耳元で小さな羽虫に飛ばれて憤っているかのように、露骨に嫌な顔をするチンピラ達のリーダー角の男。
至近距離で容赦無く睨んでくる姿は本職のヤクザに比べれば大したことは無いものの、倭のような善良な学生から見れば十分トラウマレベルの恐怖と成り得る。
今すぐこの場から逃げ出したい。本心でそう願いつつ、無抵抗な銀翼の同居人に代わって倭は拳を握りしめて再度喉から声を振り渋った。
「つ、連れて行かないであげてください!そ、その子、その」
「こいつ連れ出したのお前か?」
声は静かに。
それ自体が凶器だと言わんばかりの鋭い殺気を放つチンピラの言葉。
瞬時に倭の頭を支配したのは、明確に迫ってくる暴力への警告音が全てだった。
「お前が、こいつをコンテナから連れ出したのか?」
「あ、え、えと」
「チッ。何とか言えやボケェ!!!」
途端、倭の顔面に痛烈な一撃が叩き込まれる。
顔の左側面を殴り付けられた衝撃でひ弱な青年の身体は公園の唯一の遊び場である砂場へと放り投げられた。
揺れる脳と麻痺して何も感じなくなってきた頬。理解の追いつかない現実に砂の上で反射的に蹲る倭だったが、チンピラのリーダー角の男は容赦無くその後頭部をスニーカーの靴裏で踏み付けた。
「あぐっ!?」
「人様の“物”を勝手に持ち出しやがって……。泥棒にはきちんとお灸を据えてやんねぇとなぁ?あぁ?」
「い……た、ぃ……っっ。やめ、へ」
「何言ってるかわかんねぇつってんだろ!!」
砂と自身の血に塗れて悲痛な声を上げて助けを求める弱者を救う者は誰一人としておらず。
時折、公園の前を通り掛かる人影も見えたが誰も彼もが見て見ぬふりでその場から立ち去って行った。
頭を蹴られ、痛ぶるために死なない程度に金属バットや鉄パイプなどの凶器で殴られる。繰り返される殴打と激痛の嵐に倭は既に思考が途切れ掛けていた。
何も考えられないまま、本能が終わりを求めている。
いっそのこと一思いに殺してくれた方が楽なのではないかと、死すら望むようになってから、少年はチンピラ達に拘束されながら此方に視線を向ける銀翼の姿を見た。
銀翼の同居人はただ見ていたのだ。
蝉の亡骸をじっと見つめていたあの眼で。
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日本の首都である東京の都市部。
そこからは少し外れるものの、此処、居炉仔という土地もまた人々が集い毎日大変な賑わいを見せていた。
その分、様々な思想を持った人間が街に集まってくるということであり、きらびやかな賑わいの裏には当然同じ数の“闇”が街には蔓延っている。
当然ながらその“闇”が輝かしい表の世界を穢さないよう努力するのは警察であり、機動隊員である藤鷲一輝もまたそれに尽力する功労者の1人であった。
そもそも、居炉仔という街は日本最大の指定暴力団体・青州会のお膝元であり、御世辞にも治安が良い方の都市とは呼べない。
少し探せば売人が薬を売っている光景や、未成年の売春行為が次々と浮き彫りになってくる。
その度に藤鷲を含めた街の警察官達が血眼になって摘発を繰り返すのだが、何度潰しても街の汚れは現れるのだ。
それでも誰かが掃除しなくてはいけないことを理解しているが故に、今日も藤鷲はバイクを走らせなければいけないのだが。
「ふぁぁぁ……おっと、いけないいけない。婦警さんが居眠り運転なんかしてたら本当に洒落にならないわ」
交差点で赤信号に捕まり、一時停止した矢先に欠伸をしてしまった自分の頬に両掌で喝を入れる。
理由は明白。本当は思い出したくも無い現実だが、昨夜起きた騒動を藤鷲は一生忘れられない自信があった。
「私が預かった方が良かったかしら。間違いなく危ないわよねアレ……うぅ〜、でもニョロニョロ系は苦手なの〜っ!タコとかイカとかウナギとか!食べるのは好きだけど!」
目の前を横切る車の音に多少掻き消されたおかげでそこまで周囲に気が付かれなかったものの、昨日のトラウマのような事件に思わず声を荒らげる藤鷲。
結局、部屋で暴れていた謎の物体をゴキブリだと勘違いしてスリッパで潰した後、その正体を見て一度気絶。更にその後起き上がってもう一度見て再度気絶。
起床時間にはモエも睦月も気を遣い、謎の物体を連れて出かけてくれていた為3度目の気絶には至らなかったものの、その分年下の妹分達に対する心配事が増えてしまって、藤鷲の心中は決して穏やかとはいえなかった。
「うぅ〜。無事でいてよぉ〜。はっ!もう食べられちゃったり……!?うわーん!お姉ちゃんそんなお別れいやー!!」
まるでコントのように1人路上で騒ぐ婦警の姿に御散歩中の保育園児達もカートの上から笑い声を上げている。
カートを引く保育士達の笑い声も聞こえて途端に恥ずかしくなり、急にしおらしくなりながら藤鷲は保育園児達に向かって誤魔化すように手を振った。
保育園児達が進行方向にあるのはどうやら住宅街にひっそりと作られた地味な公園らしく、保育士達からしても平日の昼間のこの時間は人も少なく幼児達を連れ安いのだろう。
子供達の微笑ましい光景についつい藤鷲は口元を綻ばせていたのだが、穏やかな気分はそう長くは続かなかった。
「ひっ、ひぃっ!!?な、なんだあいつ!!?」
静かな住宅街に響く悲鳴。
公園から飛び出した血塗れのチンピラ風の男。その右手には、どうやればそれほど折れ曲がるのか疑問に思うほど捻れた鉄パイプが握られており、彼の視線は今背後に向けられている。
その状態で何かから逃げるように怯えきった表情で全力疾走し、進行方向に佇む保育士と保育園児達が乗ったカートに気が付いていない。
保育士達は子供達を庇うような体制になりながら必死にチンピラに向かって叫んだが、時既に遅し。後先考えずに全力疾走したチンピラが急に止まれる筈もなく、成人男性の身体が今まさにか弱い幼児達の乗る揺り籠に突っ込もうとしていた。
「ひっ」
「あぶ━━ないでしょーが!!」
誰もが同じ悲惨な結末を覚悟した中、バイクが傷付くのを承知で両手から手放し、チンピラに向かって全力疾走を始めていた藤鷲だけは諦めていなかった。
チンピラがカートにぶつかる前に、その腕を掴んで体重を斜め後ろへ。
保育士やカートにぶつからない位置を一瞬で確認すると、鮮やかな動きでチンピラを背負い投げた。
「ぐへっ!?」
結果、チンピラは背中を強打し、それまで受けた正体不明のダメージもあってか気絶。
無我夢中で人助けの為に全力で走り抜けたばかりの藤鷲は、これは始末書案件だと顔を青くしたのだが、すぐに側に駆け寄って頭を下げて来た保育士の姿に気を取られた。
「ありがとうございます!!おかげで助かりました!!」
「えっ、ああっ!いいんです!いいんです!そちらこそ怪我してません!?」
「私達は大丈夫ですっ……子供達も無事で何と御礼を言ったらいいか……」
その後も何度も御礼の言葉を繰り返す保育士に笑顔で別れを告げ、事故が起こらないようバイクを路肩に駐車してから、藤鷲は倒れたチンピラの意識蘇生を行った。
前方不注意の彼に責があるとはいえいきなり背負投をした事実には藤鷲も僅かながら罪悪感があったからな。
故に苦しそうに咳き込んで目を覚ましたチンピラに対し、初めて発した言葉はまず謝罪であった。
「━━ッ!!?ごほっ!!ごほっごほっ!!」
「えーと、ごめんごめん。でも君も悪いんだよ?いきなり走って来て危ないじゃない。ちゃんと前向いてかけっこしなさい」
「あぁ!?なんだお前……ってポリ公!?なんで!?」
子供を叱るような口調の女に一瞬訝しげに目を細めたチンピラだったが、その服装が青を基調とする白バイ隊員の警官服だと理解すると途端に顔を青冷めた。
勿論、そんな不審な反応を現役の警官が見逃す筈もなく今度は藤鷲の方が訝しげに目を細め始めたのだが。
「ちょっと。何よその反応。まさかやましいことでもあるんじゃ」
「ああいやいやいや!!丁度よかった!!た、助けてくれ!!いや助けてください!!」
「へ?」
てっきり後ろめたい悪事を働いていたのかと思いきや、突然涙目で縋り付かれて思わず藤鷲の口から間抜けな声が飛び出る。
眼下のチンピラの脅え様から察するにどうにも演技にも見えず、取り敢えず話を聞こうとした矢先、少し先の青空に向かって何かが射出されたのが見えた。
あまりにも勢い良く地上から空中へと飛び立った何かに藤鷲は一瞬肩をビクつかせたが、それが目の前のチンピラと同じような格好をした『人』だと解った瞬間には、縋り付いてくるチンピラを跳ね除けて射出地点予想地に向かって走り出していた。
藤鷲が地面を全力で駆けている間に、空中浮遊を果たしていた人は一転して落下を始めており、落下予想地は射出した場所と同じと思われる公園だった。
「ちょっと、待って!!待ってぇ!!」
悲鳴にも似た絶叫を上げながら地面へと落ちていく人影に向かって走り出す藤鷲。
理解の範疇を超えた超常の現象を前にしながらも恐れずに現場へと急行した婦警が見た光景は、全身を骨折したチンピラの姿でも地面に転がる死体でも無かった。
銀色の巨大な翼。
鳥類のものと思わしきそれを生やした何処か人間離れした顔の造形の中性的な美少年、もしくは美少女が公園の真ん中に立っていたのだ。
自らの周りに呻き声を上げながら倒れる大量の無傷のチンピラ達を並べて。
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暫くして少年は目を覚ます。
未だ太陽の位置は変わらず、真っ青な空が広がっていることから気絶した時から大して時間が経っていないことは何となく理解できた。
そうやって時間を理解してから、漸く自分が何故意識を失ったかを思い出し、血相を変えて飛び上がった。
「ひぃっ!?」
「うわっ!?びっくりした!?」
悲鳴の数は倭だけでは足りなかった。
どうやら気絶している間にベンチの上に寝転ばされて介抱されていたらしく、その上膝枕までしてもらっていたらしい。
恥ずかしさと、一体この御時世の何処にそこまで甲斐甲斐しい介抱をしてくれる善人がいるのかと倭が振り返ると、其処には手に濡れたハンカチを持った婦警の姿が合った。
しかも、倭にとっては見慣れた顔の。
「ふ、藤鷲さん!?」
「よっヤマトくん。こんなところで倒れてるから、てっきり熱中症かと思ってお姉さん心配しちゃったぞ〜」
二人の関係は別段特別なものではない。
倭にとってはあまり関わりたくない知り合いの同居人で、藤鷲にとっては素行の悪い妹分の数少ない友人の1人。
お互い抱いている感情には齟齬があるものの、別段柔和でもなければ険悪でもない。
それ故にあまり会う機会もない為、目を覚ましたばかりの倭の驚きは頭1つ大きく思わず目を見開いていた。
一輝の名前が咄嗟に口に出たこと自体奇跡のようなものなのだ。
知り合いの姉などという関係の薄い相手の名前など一々覚えていることは稀だろう。
「ほい、飲み物。熱中症注意ね」
「あ、ありがとうございます……」
落ち着いてきたところで近くの自販機で買ってきたであろう飲み物を渡されたが、倭はそれをすぐに飲む気がしなかった。
丁度、喉は乾いていたがそれは暑さのせいだけというわけではない。
視線を上げると目が合う彼、もしくは彼女。砂場で砂弄りをして遊んでいる銀翼の同居人が原因だ。
━━警察にバレた。
知人だろうとそうでなかろうと、その事実は倭の心中に大きく伸し掛かる重荷となる。
なんと言ったって説明のしようがない。あれが誰なのかと問われれば当然倭に答えられる筈がないし、名前も年齢も国籍も不明なのだ。身分証明書もある筈が無い。
それに加えてあの背中の翼。あれが一番説明のしようがない。というか、説明できる人間がこの世にいるのだろうか。
暑さと水分不足でグルグルと回る倭の思考回路の中、反対に藤鷲は何とも呑気な表情のまま肘で倭の脇腹を小突いた。
「いやぁ〜。でもお姉さん感心しちゃった〜っ。いや、やるねぇヤマトくん。隅に置けないねぇ〜」
「ははは……え?」
「だって、あんな可愛い彼女連れちゃって。しかも彼女を守る為にあんなにいっぱいの不良くん達を倒しちゃったんでしょ?喧嘩はよくないけど、凄いじゃない〜っ!お姉さん関心!」
全く、話が見えなかった。
彼女がどうとらとかこうとらとかの話ならまだ藤鷲の勘違いだろうと少し考えれば理解が追い付いた。
しかしその後が分からない。
━━そうだ、自分達を襲ったチンピラ達は何処に行ったんだろう?
冷静さを取り戻した頭が次々と疑問を思い浮かべ始め、倭は誰かに尋ねずにはいられなくなった。
「あ、あの。此処に居た……怖い人達は?」
「ヤマトくんが起きるちょっと前に皆帰ってったよ?取り敢えず婦警さんが1人1人お説教してやろうかと思ったんだけど、どの子も起き上がるなり血相変えて逃げてっちゃった。ヤマトくん、どれぐらいボコボコしたの?褒めといてなんだけどやり過ぎは駄目よ?」
やはり見に覚えが無い。
あの時、あの瞬間、確かに自分は死んでもおかしくない数の暴力を連続して受けた。
あの後、もし仮に信じられない量のアドレナリンが分泌されて無我夢中になってチンピラ達に戦いを挑んでいたとしても、正気は万に一つも無かった。
それ程の戦力差だったし、また立ち上がれる筈も無い怪我だった。
なのに、今自分は生きている。身体を一通り見ても怪我という怪我も無く、また暴行された際に破れた服も全て元通りに戻っている。
まるで全ては起きていなかったかのように。
この大都会で狸や狐にでも馬鹿されたのかと頭を抱える倭の視界に、再びあの銀翼が写り込んだ。
何も語らない同居人。何も知らない同居人。この不可思議な現状の中で、彼、もしくは彼女だけが適応していると云えるような気がする。
「と、いけないいけない。そろそろ私行かないと」
側に置いていたヘルメットを腰に抱くように持ち上げて、ベンチから藤鷲が立ち上がる。
「まぁどれだけ強くなっても彼女さんを危険に晒しちゃ駄目よ。できる男はそもそもそんな危険な場面に女の子を巻き込んじゃ駄目なんだから」
「は、はぁ……」
藤鷲には銀翼の存在が少女に見えるのだろう。
そう言われれば倭にも銀翼の同居人の姿は可憐な少女のように見えてきて、一瞬混乱を忘れて赤くなりかける。
その反応を惚気と取った藤鷲は思わず微笑みを零しながらヘルメットを被った。
「あーもうアツいアツい!デートするなら冷房効いてる十王字ビルとかになさいな!其処ならモエと睦月ちゃんもいるから!」
彼女もまだ十分若いのだが、まるで年寄りのように知り合いの男の子にデートプランを進言して騒がしい婦警は去っていた。
徐々に遠ざかっていくバイクのエンジン音と、未だ喧しい蝉の鳴き声。
無言で穴掘りに興じる銀翼の同居人の姿をベンチから見据えた倭の腹は、彼の混乱と疑問など知らん顔で大きな音を鳴らしていた。




