15 : 黒犬と宴の夜。
剣を握って、おれは深呼吸する。
手のひらに馴染んだ剣は、片刃。ここでは片刃の剣が珍しいみたいで、おれ以外に片刃の剣を操っている人間を見たことがない。シスイの大剣も珍しいけど、それでも両刃だから、リョクリョウ国ではふつうだ。片刃だと一面でしか害獣を斬れないから、両面で斬れる両刃が好まれる。
おれは片刃の剣を、両手に一本ずつ持って、操る。風を斬り、空気を往なし、草や花を舞い散らせる。
イザヤ、と呼びかけられて、おれは操っていた剣をぴたりと止めた。
「おいで、イザヤ。お茶にしよう」
カク・リツエツ。おれの養父になってくれたオジサンの名前。呼びにくい名前だから、おれはリツって呼んでる。
「お茶にはまだ早いよ、リツ」
「ユキイエさまとツヅクモさまがいらっしゃっている」
「あ、それなら行く。先に行ってて」
剣を鞘に納めて、寝そべっている黒い犬に声をかけた。
「ギル、おいで」
おれの声に耳をぴぴっと動かしたギルは、のそりと顔を上げると欠伸をした。ゆっくりと立ち上がり、のこのことおれのそばに寄ってくる。
おれは屈んで、その柔らかな黒毛を撫でた。
「イーサ、変わったな」
「へ? なんだよ、いきなり」
「いや、変わったというより、戻ってきた」
「は? なにが?」
「イーサは起きた……眠っていてもよかったのに」
ギルはたまに、変なことを言う。おれが眠っていたり、起きていたり、そんな話だ。よくわからないことだから、大抵はスルーする。
「ばあちゃんとじいちゃん……じゃなかった。ユキちゃんとツクモさまが来たから、休憩するぞ」
祖母ちゃんと祖父ちゃんを名前で呼ぶと、祖母ちゃんから鉄拳がくる。それは最近のことだ。どうして呼び名を変えるのだ、と怒る。でも仕方ない。だってふたりは、このリョクリョウ国の先王夫妻だ。おれが「ばあちゃん、じいちゃん」て呼んだら、おかしいだろ。もともと血も繋がってないのに。
「いいのか、イーサ」
おれが立ち上がると、ギルがそう問うてきた。おれはちらっとギルを見て、それから空を仰ぐ。
「ここにふたりがいる。それがおれの答え」
「……また、剣を握るのか」
「おまえはいやなの?」
「イーサはもう、戦わなくていい」
おれは苦笑して、ギルの頭を撫でた。
「この世界で生きるには、必要なことがある。幸いおれは、なぜかこの剣が握れる。扱いもわかる。これで斬るものがなにかも、わかる。それならおれは、戦うことを選ぶよ」
「なにを護る?」
「ふたりを」
「どうして?」
「おれを助けてくれたのは、ふたりだから」
「……助けた?」
ああそうか、とおれは思い出した。
ギルには、なにも話していない。シスイやリツエツにも、話していないことがある。
「説明のしようがねぇな……まあ、いつか話してやるよ。とにかくおれは、ばあちゃんとじいちゃんがいれば、それでいいから」
「……本当に?」
「ああ。おれはばあちゃんとじいちゃんのところに、帰ることができた。だから、いいんだよ」
にこ、とおれは笑う。胡散臭げなギルは、それでもふっと息をつくと、おれの前を歩き始めた。
「なあギル」
「なに」
「おまえ、いつまでここにいるんだ?」
「言っただろう。おれはイーサを護る。イーサが好きだから、そばにいるんだ。捕まったんじゃない」
「……、そっか」
最後の、捕まった、というのはよくわからなかったけど、強いギルがそばにいるなら、おれは安心して剣を握れる。いくら扱いがわかる剣でも、やっぱり不安だし、ギルは強いからいざってときに頼れる。
「頼むよ、相棒」
「任せろ」
立派な尻尾がぶんぶんと振られる。それに笑って、おれは見えてきた光景に目を細めた。
「……うん、ただいま」
おれを愛してくれる人たちのところに、おれは帰ってきたんだ。
だから、もういい。
これがおれの、黒犬と歩む、物語の始まり。
日本で産まれて、異世界に渡って、生きて行く物語の始まり。
これにてイザヤ登場編は完結致します。
次はヒョウジュ編『宴の夜に舞い降りる。』へ物語の舞台は移動します。
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