18-04. 正義
俺は押し負けまいと唇を噛む。
「その一人があなたにとって大切な人だったとしても、あなたはそれを甘受できるのですか」
「できない人間がこの論を振りかざすのでは、筋が通らぬだろう?」
言い負けたくないと俺は思う。
「だとしても、そんなんじゃ」
「万人の幸福などありえん。が、一人でも多くが幸福になれる努力はできる。権力とはそのためのものなのだよ、少年。わずかな犠牲を躊躇って大局を見失う者に権力を与えてはならん。優しい人間が権力を持てば、より多くが不幸になる。優しい人間が頂点に立ったところで、優しい世界になどならん」
「それでも俺は、人には等しく目を向けるべきだと思う」
甘いな、と、言われるかと思った。しかし、グリードは笑わなかった。
「お前は為政者に向いていないな、少年。だが、それはそれでよい」
「俺が、ゲイネスの子孫だから、ですか」
絞り出した声は掠れている。ベスが手を握ってくれている。
「子孫――血の力、か」
グリードは呟く。
「儂はどの英雄の血も引いておらぬ。そして誰にも承認されてはこなかった。儂は儂の正義と役割を信じてここまで生きてきた。お前は違うのか? 血統に頼って生きてきたのか?」
「そんなことはありません!」
「ならばそれでよいではないか。違うか? お前が信じる道を歩いてきた――お前自身が自分にそう証明できるというのなら、他人がどうこう言ったところで何の意味も価値もない。お前にはお前の正義、儂には儂の正義がある。だからといって、迎合する必要も屈服させる必要も、あるまい」
そう言われてしまっては、俺は次の言葉が探せない。舌戦は完全に敗北だ。
「あの……」
ベスが口を開いた。身を乗り出すようにして、グリードを見つめている。その背にある窓からは、教会の尖塔が間近に見えている。
「レイミをご存知ですか」
「ああ」
グリードは一瞬遠い目をした。
「死んだそうだな」
「はい……」
「あの子を拾ったのはこの儂だ。あの雨の日のことを、昨日のことのように覚えている」
「レイミは……ハプトによって殺されました」
「……魔神か」
ハプトは、最終的にはキケレアーナに倒されたが。
それでも殺された無数の人々は生き返らない。
「レイミの婚約者が異端審問官の中にいたそうです」
「ジェティールのことだろう。他にも多数の犠牲者が出てしまった」
「レイミやそのジェティールさんだって、あなたの言う必要な犠牲だったのかもしれません。必要な三人の無実の人間の犠牲者だったのかもしれない。でも、あなたはそれで納得できるんですか?」
ベスの詰問に、グリードは数秒間沈黙した。
「儂がこの立場でなければ、納得などできぬと大声で訴えていただろう。だが、この立場に於いてはそれはしてはならぬこと。他にも多くの命を預かる人間にとって、必要なことは合理性であって、感情論ではないのだ」
壁のような男だと俺は思う。四十年もの長きにわたって聖庁異端審問局のトップに君臨し、多くの外道師たちを処刑してきた男だ。それは同時に、異端審問官たちにも犠牲を強いてきたということでもある。そもそも俺やベスのような未熟な子供が挑んで勝てる相手ではないのだ。
「もっとも、それとこれとは別に、悲しくはある」
グリードはそう言って立ち上がり、俺たちに背を向けた。
「レイミにしても、ジェティールにしても、他の犠牲者にしても、儂が我が子のように育てた若者たちだ。こんな老人が生き残り、若者が先に死ぬ。幾人もの子どもを見送った親のような心境だ」
窓の方を向いたまま、グリードは言う。
「だが、それだからこそ、儂はより多くが幸福の内に死ねる世界を創らなくてはならない。悲しみはあってもよい、不幸もあってもよい。そのためには、この悲しみもまた、飲み下さねばならんのだよ」
ヤミは水を飲みつつ、沈黙していた。表情からは感情が読み取りにくい。
「なんだい、レア」
「あ、いえ。先生はどう思ってるのかなって」
「アタシ?」
ヤミはそう言ってコップを置いた。そして頭の後ろで腕を組む。
「ムカつく話だけど、アタシの考えはこの爺さんと大差ないよ」
「先生……」
俺の言葉を視線で止めて、ヤミは俯き加減に続けた。
「違うと言えば、この爺さんは本気で世界を救えると思っていることで、一方のアタシはジェミニアさえ救えればあとはどうでもいいと思っているってこと」
「姉馬鹿は変わらぬな」
「生き甲斐だからね」
さて、と、ヤミは手をパンと鳴らした。
「もうあらかた知ってるとは思うけど、一応正式に聖庁異端審問局に情報提供をさせてもらうとするよ」
「うむ。そして、その報酬は何を求める?」
「処分してきた外道師の資料全部の閲覧権限」
「ほう。それほど価値のある情報だというのかな?」
ヤミはまたコップを取って水を一口飲んだ。俺もつられて飲んでみた。水なんてお腹を壊すから飲むなと言われていたものだけど。だけど、喉と胃に染み込む冷たい水は、実に美味しかった。
「この美味い水を思わず吐き戻しちまうくらいの情報がある」
「……たとえば」
「アタシの母さんが生きている、とかさ」
「……ほう?」
「先々代の王室魔法術師長が現存している、とかね」
室内を沈黙が彩る。
やがてグリードが口を開いた。
「ジムレグに纏わる情報ならほとんど精査済みだ。しかし、奴の居場所はわかっていない」
「ジルフィムという男の情報を探している。奴はリクシェスを従えていた。他にも繋がる糸があるはずだ」
「なるほど」
「奴は人工魔神の量産を目論んで……いや、実現している。一刻も早く息の根を止めなければならないのさ」
「人工魔神だと?」
グリードの顔にわずかながら驚きの感情が浮かんだ。ヤミはいつものクールな表情のままだ。
「悪いことにジルフィムはヒューケイアの血を引いている。そしてそのゲミトルードの正統な継承者だと信じて疑っていない。アタシたちを執拗に狙っているんだ。だからまずは奴を倒さなくちゃならない」
「そのための調査、か。……わかった。人工魔神ということなら、我々も大々的に動くことができる。ヴァレスはこのことを?」
「知ってるさ。ジルフィムのことは知っていたしね」
「うむ」
グリードの藍色の目がギラリと輝いた。
「ならばそのジルフィムという輩の討伐に、我々聖庁異端審問局は全面的に協力しよう。ただし――」
「ただし?」
俺とベスの声が重なった。
「面白くもない土産話を聞いてからだ」
「はん、あんたが聞く報告なんてものが、面白いはずがないだろ」
ヤミの毒舌を受けて、グリードはニヤリと笑う。
「だからこそ、解決するのが面白いのだよ、ヤミ」
ヤミの舌鋒をもってしても返り討ちとは――。




