18-03. グリード局長
翌日の朝、俺たちはガレリア聖教の巨大な教会にやってきた。都市部の真ん中あたりに君臨するその白く巨大な二本尖塔の建物は、否が応にも目を引いた。その広大な敷地の中にある三階建ての大きなレンガ造りの建物が、聖庁異端審問局の建物だということだった。ヤミは幾分居心地悪そうにしていたが、勝手知ったる何とかなのか、迷いなくその建物に向かっていった。
教会の正面にある広場では、何かのバザーでもやっているのだろうか。老若男女が集まっては何かを売り買いしているようにも見えた。また聖庁異端審問局の建物の前では、何人もの若者が腕立て伏せやランニング、あるいは剣や槍の訓練を行っていた。異端審問官も大変だなと思った。
歩きながら、ベスが言う。
「あの槍の人は実戦経験ないね」
「わかるの?」
「うん。基本の型も我流になってる。あれじゃ実戦に役立たない」
見れば、まだ若い男だった。と言っても、俺よりいくつか上だろうが。
「異端審問官に求められるのは武力じゃないさ」
ヤミが言う。
「彼らが武力に頼らなくちゃならない時、それは誰かしらが不幸になる時。レイミたちがそうだったようにね」
「だからこそ、強くなくちゃならないんじゃないですか」
ベスの正論。
「本来、悪い外道師や呪術師から人々を守るためにいるんでしょう、異端審問官は。だったらなお、彼らに侮られない脅威であるべきじゃないですか」
「一理あるな」
突然降ってきたその言葉に、俺とベスは足を止めた。ヤミはくるりと後ろ歩きの姿勢になって、「相変わらずだね、爺さん」と声を掛けた。
俺たちがヤミの視線を追って振り返ると、そこには俺より頭一つ分以上背の高い老人がいた。短く刈り揃えられた髪はほとんど完全に白くなっていて、眉毛や長く伸ばした顎髭も然りだ。彫りの深い厳つい顔には無数の皺が刻まれていた。しかし、それにも関わらず、全体の印象は若かった。その姿勢の良さが影響しているのかもしれない。
「この爺さんが、泣く子も黙る異端審問官の長、グリード局長だ」
ヤミが面白くなさそうに言った。グリードはヤミの所へ歩み寄り、その右手を強引に握った。その歩く姿には、現役の騎士を髣髴とさせられた。まったく隙がない。背後から斬りかかったとしても掠りもしないだろう。天剣の騎士というのは過去の話だけではないということだ。その藍色の眼光の鋭さからもそれがわかる。
「感動の再会がこの武骨な握手とはね」
ヤミは右手を振りながら呆れたように言った。
俺たちはグリードに先導されて建物の中に入る。無味乾燥とした建物内部だった。エントランスから廊下に至るまで、埃の一つも落ちていない。規律が厳しいのだろう。
「掃除なんかより訓練と調査に時間を割いてもらいたいものだと思っているのだがね」
自分の執務室に俺たちを招き入れて、自分は窓際の執務椅子に、俺たちはテーブルを挟んで向かい合わせに置かれた二人掛けの長椅子に腰を下ろした。樫の木で作られた固い椅子だったが、その意匠は繊細で、金の象嵌すらあった。
「その椅子は信徒たちが寄贈してくれたものでな。儂の趣味には合わんが、捨てることができるものでもない。まぁ、せいぜいその造形美とやらを愉しんでくれ」
グリードは指を組み合わせながら俺たち――というかヤミを見た。最初から俺たちのことはあまり眼中にないみたいだった。
「十年前は済まなかったな、ヤミ」
「理性では理解はしているが、感情ではまだ納得できていない」
ヤミは刀をポンポンと叩きながら応じた。最初、入り口の警備員に武器を預かると言われたのだが、グリードが「不要」と言ったのだ。結果として、建物の中では邪魔なベスの槍だけを預かってもらっている。
グリード自身も帯剣していたから、俺たちごときには負けないという自信があるのかもしれない。確かに「天剣の騎士」に喧嘩を売るほど、俺たちは馬鹿じゃない。
「しかし、お前がティラールとヒューケイアの血を引く者と繋がったわけだから、あの時の判断は正しかったと言っても良かろうよ」
「結果論だ、爺さん」
「そうであったとしても、結果としての正しさは揺らがんよ」
「アタシの虚しさに、どう落とし前をつけるつもりだい」
「つけぬよ」
グリードは事も無げに言い放つ。ヤミは右の口角を上げる。
「相変わらずだね、爺さん」
「人は簡単には変わらんて」
仲が悪いように見えるのに、不思議と息が合っているように思えた。
そこに職員なのか、平服を着た女性が、水の入った木製のコップを四つ持って入ってきた。
「そこに置いておいてくれ」
「かしこまりました」
女性はコップを俺たちの前に置くと、一礼して出て行った。
さっそくそれで喉を潤したベスが小さく手を上げた。
「あの。なぜ十年前、師匠を追放なんてしたんですか」
「理由は二つある」
グリードは隠すような様子もなくそう言って腕を組み、背もたれに身体を預けた。
「二つ……?」
「一つはヤミを守るためだ。もう一つはヤミの目的を叶えるためだ。そのためには、王都から引き剥がす以外に方法がなかった。まして女王陛下へのべったり具合を考えるとな」
その言葉にヤミは反論しなかった。ヤミはきっと何もかもを理解しているのだろう。
「ヤミは前国王の隠し子というのは公然の秘密だった。だから何者かが担ぎ上げないとも限らなかった。だからヤミは呪術師にして危険人物であるというレッテルでも貼らなければ、容易に政治利用されてしまっていただろう。我々聖庁異端審問局が目を光らせている限り、そんな人間を担ぎ上げようなどという勢力は現れない」
「しかし、それは……」
「儂が生きている間だけ、というつもりかね、少年」
「え、ええ」
「それでよい」
グリードは頷く。
「十五歳ならばともかく、二十五にもなれば自分の身を守る責任は自分にある。どのような身の振り方をするにしても、儂らの責任範疇にはないのだ。だからこそ、今回王都を大手を振って歩けるようにしてやった」
「恩を売るような言い方は癪だけどさ」
ヤミは足を組んだ。
「爺さん、あんたの言い分も最近ようやくちゃんと理解できるようにはなったつもりさ。だけど、その結果として三年前の失態だ」
「ほう。まぁ、結果としては失態ではあった。予兆を掴んでいたにも関わらず、みすみす前国王夫妻を喪失させられてしまったのだからな」
「ああ、そうさ。そしてジェミニアをも危険に晒した」
「だが、結果としてはジェミニア王女は助かり、女王となった。そして結果として、王政は安定し、我々聖庁異端審問局も動きやすくなった。国内の悪しき外道師たちの多くを取り締まり、火刑に処してきた。無論、犯罪を犯した者のみだぞ」
念を押すように付け足すグリード。
「儂らは疑わしきは罰さぬ」
「どうだか」
ヤミが鼻を鳴らす。
「呪術なんて証拠はまず残らない。結局、密告と自白頼りでしかない。いくら爺さん、あんたが清廉潔白の騎士であったとしても、部下たちまでがそうとは限らないよ」
「人を監視するのも人。限界はあろう。だが、そうであったとしても、取り締まりは続けなければならない」
俺は左手にベスの手の平を感じながら、グリードの顔を見据えた。俺は尋ねた。
「百人処刑した中に三人無実の者がいたとしても?」
「九十七人が非道なものであったとするなら、それは成果だ」
「三人にとってはただの……」
「九十七人を裁くためには必要な誤りだったということだ」
「そんな人生、納得いきませんよ」
俺の口調は知らぬ間に強くなっていた。
「その三人にとっては自分の人生全てが冤罪で奪われるんですよ。焼かれて苦しんで石をぶつけられて、屈辱の中で死んでいくんですよ」
「やむなし」
グリードは譲らない。
「世の中完璧な正義などありえない。だが、犠牲者を三人から二人、そして一人にすることはできる。儂らはそのために日夜訓練を重ねている」
気分を害した様子もなく、落ち着き払った口調でグリードは言った。




