03-02: ぼやけていく記憶
俺はその夢のことをヤミに話した。
「ソレティア、ねぇ」
ヤミの記憶の中にはその名前はないようだった。この時、俺はヤミが全知ではないことを初めて認識したかもしれない。
「王国は広いし無数の貴族がいるからねぇ。それこそ魔導大戦由来の家系とかでもなければ、さすがに覚えきれやしないよ」
「私の探知能力が南を指しているのと、あんたのその変な夢。何か関係あるのかしらね」
「なぁベス。前から思ってたけど、君は魔法術師なのか?」
「気安く愛称で呼ばないでもらえるかしら」
ベスのジト目に俺は「ん-」と唸る。
「俺さ、君に何かしたっけ」
「存在自体が罪なのよ」
「はい?」
ベスは荷物と槍を担いで、ものすごいスピードで歩いていく。ヤミも歩くのが速く、結果として俺は置いていかれる。
ヤミは後ろ向きに歩いて、人差し指を天に向けた。
「順調に行って、あと五日くらい南下すると大きな町にぶつかる。幸い、数日は強い雨にはならない」
「そんなことまでわかるんですか、解願師って」
「まさか」
ヤミはニッと笑う。
「これは知り合いから教えてもらった天気読みの技術さ。バルーサに所属していた頃は霊話石ってやつで王国全土の天気を予想していたりもしたけれどね、戯れにさ」
「バルーサって、呪術師たちの組合みたいなものでしたっけ」
「よく知ってるじゃないか」
ヤミはその場でくるりと周り、そのまま俺の隣にやってきた。視線を前に向けると、立ち止まったベスがすごい顔でこっちを見ている。
「俺、いつかベスに殺されそうなんですけど」
「あの子なりにあんたに気を使ってるんだよ」
「あれで?」
「そ」
ヤミはそう言うと、俺の耳に唇を近づける。
「あの子は他人との接し方を知らないんだ。蝶よ花よと育てられていたと思ったら十歳にもならないうちに突然の一家全滅だ。わかってやっておくれ」
「それは、ええ」
「その時の記憶が元で、男に対する不信感を強く持ってしまったんだ。だから多少の風当たりは我慢してもらえると嬉しいねぇ」
何があったかは訊くな――そう釘を刺された気がして、俺は頷いた。
「同情したら殺す!」
ベスが街道中に響き渡るような声で怒鳴った。
「しないよ」
俺はすぐに言い返す。売り言葉に買い言葉だ。ベスは頬を膨らませて、また歩き始める。そんな俺たちを見て、ヤミは大袈裟なくらいに大きな動作で、肩を竦めてみせた。
「あんたたちさぁ、狙われてる自覚ある?」
そういえばそうだった。俺は歩きながら額に手をやった。
親を殺され、家を焼かれてからまだ十日だ。昨日、突然、父さんも母さんも二度と目の前には現れないのだということを理解した。何かが腑に落ちたのだ。きっかけがあったわけじゃない。夢を見たわけでもない。ただ、ふと「ああ、そういうことか」と――。
だけど、まだ悲しくない。しかし何かの拍子に「何故だ」という短い疑問文が頭の中をぐるぐると回り始め、胸が苦しくなる。でも、涙は出ない。真実を知る時まで、きっと俺は泣けないんだろう。
「レア」
「え、あ、はい」
ヤミに突然呼びかけられて、俺はあからさまに挙動不審になる。彼女の極めてよく整った顔は、俺の顔のすぐそばにあった。ここ数日で確信したが、ヤミは基本的に距離感がおかしい。
「大丈夫かい?」
「たぶん……」
「それならいい」
ヤミは俺の肩に手を回す。歩きにくい。
しかしこうしてみると、ヤミと俺はほとんど同じ身長のようだ。俺は同年代の中では背が高い方だったから、ヤミは女性にしてはかなり長身だということだ。
「ところでベスの探知って呪術的なものなんですか」
さっき聞きそびれた疑問を、ヤミにぶつけてみる。
「そう、呪術。彼女は呪術師の能力があるんだけど、あまりに微細な能力だからバルーサには入れなかった。というか、所属しなくても、外道師扱いされないことになった」
「彼女にはどんな能力があるんです?」
好奇心に駆られて尋ねてみる。
「行くべき方向を指し示す、アタシが羅針盤と命名した呪法がメインかな。それが何を指し示しているかまではわからないのが玉に瑕なんだけど」
「なんか微妙な呪術ですね」
「ま、アタシみたいな根無し草にはちょうどいいさ。それにね、その方向には確かに何かがあるのさ」
そうなんだ、と、俺は微妙な気持ちのまま納得しようとした。
「ほかにもあるよ。猫を呼び寄せる呪術に、食べられるキノコを判別する呪術、とかさ」
ヤミがそう言ったその時、ベスがくるりと反転して俺の目の前まで戻ってきた。街道脇に荷物を下ろし、その中から生まれたての赤ちゃんほどの大きさの人形を取り出した。多少古ぼけてはいるが、まだまだ美品と言えた。ブロンドの髪と青い目の、ベスと同じ色合いの人形だった。着せられている服は真新しい。自作品だろうか。
「これがね、私の呪具。私が赤ちゃんの頃から一緒にいた人形よ」
ベスはそう言って大事そうに人形を抱いた。
「これがないと、羅針盤も使えない。猫も呼べない。毒キノコも見分けられない。この子は私を守ってくれているの。わかった?」
「お、おう……」
「この子は私の家を襲った連中の唯一の目撃者。だからこの子を通じて使う羅針盤の呪術は必ず宿敵に導いてくれる」
「俺と目的そのものは一緒ってこと?」
俺はそう言って人形を見た。そしてベスの顔に視線を移す。ベスは珍しく、少し悲しそうな顔をしていた。
「お父さんとお母さん、そして二人の兄さん。もう顔も時々しか思い出せない。輪郭もぼやけている。存在していたことしか思い出せない。――ここまで五年もかけちゃったから」
「ベス……」
「だからよ、あんたが気に入らないのは。きっとあんたはすぐに復讐を成し遂げるわ」
ベスはそう言うと人形を大事にしまって、荷物を軽々と担ぎあげた。
「あんたはまだ両親の顔も声も言葉も思い出せるでしょう? でも、私の記憶からは、そういう大事なものさえぽろぽろ抜け落ちていくのよ……」
――この辛さ、理解できる?
ベスは掠れた声で付け足した。
その時――小さな金属音が鼓膜を打った。驚いて振り返った俺は、すでにヤミが抜刀していたことを知った。彼女のギラリと煌めく切っ先が鋭く見据えるその先に、王国直属の黒い軍服を纏った男が、柔和な表情で立っていた。




