03-03: 王室魔法術師長・ヴァレス
ヤミと、突如出現した黒い軍服姿の男が戦っている。
ヤミの太刀筋には一切の容赦はなかったが、軍服姿の男は腰の武器を抜くこともなく、光の障壁のようなもので斬撃を弾き返していた。双方共に全く無駄のない動きだ。街道は前にも後ろにも人影はない。だからこそ、この男が現れたのかもしれない。
「師匠、そいつ!」
「ベス、手を出すな」
ベスの悲鳴じみた呼びかけに冷静に応答し、ヤミはなおも刀を振り続ける。一撃一撃が致命傷になるほど重い。だが、男は慌てるそぶりもなく、それらを受け流し続けている。
魔法術師……それも、王室魔法術師だ――胸と襟口のエンブレムを見て、俺はそう理解した。
「そんな」
相手が悪すぎる。相手は王国最強の魔法術師の一人であるはずだ。そんな人間に刃を向けて、今後無事でいられるなんて考えは甘すぎる。
「ヤミ、そろそろ、僕の話を聞いてくれる気になったかなぁ」
男はのんびりとした口調で言った。よく見るとその額は汗に輝き、赤い前髪が貼りついていた。口調から感じられるような余裕は、どうやらなさそうだった。
「あなたは本当にすぐ刀を抜くから、毎回こっちも命がけですよ」
「二度と現れるな。さもなくば殺す」
「良くて差し違えですよ。あなたほどの血統を僕ごときの命のために使うのはちょっとね」
「なら二度と現れるな」
「そうもいかなくて。僕もね、勤め人なものですから」
男はそう言うと、俺とベスを順に見た。赤い長髪が風に靡き、そのせいで表情の全容が確認できない。空を溶かしたような水色の瞳は一見すると穏やかだったが、実際のところは考えが全く読みとれない。整った顔立ちもまた、よくできた蝋人形のように不気味だった。
「それにヤミ。僕を殺せば女王陛下には二度と――」
「殺すよ」
切っ先が男の喉元までまっすぐに伸びていた。
「ああ、その話は禁忌でしたね」
「白々しい」
「あっ、そうだそうだ! 新人君に自己紹介が遅れました。僕は魔法術師ヴァレス。こう見えても王室魔法術師長なんですよ」
「そのお偉いさんが何の用だ」
切っ先をぶらさずに、ヤミは詰問する。
「いえいえ、大した用では。ただ、あなたがなぜその二人を庇護したのか知りたくて」
「野垂れ死なれても夢見が悪かろうさ」
「それだけで?」
「それだけだ」
ヤミが動いた。まったく躊躇のない、文字通りの殺人術――ヴァレスの喉を突く一撃が放たれる。
「あっぶな」
ヴァレスの防御魔法のようなものの方が一瞬速かった。硝子が割れるような音を立てて光の障壁が砕け散る。だが、その衝撃はヤミの刀を大きく弾いていた。
「ちっ」
すぐに刀を振り戻し、正眼の構えを取るヤミ。
「ここは休戦と行きましょう。いえ、僕に敵意は最初からありませんけど」
「ふっ、どうだか。だが、まぁ、いいだろう」
ヤミは大きく息を吐いて刀を鞘に収めた。ヤミの居合術、その初撃を回避するなんて……! いったいどんな反射神経をしているんだ――俺はヴァレスをしげしげと眺めた。
「ヒューケイア家の御嫡男、オルレアス君ですね。お見知りおきを。エリザベスさんの方は何度かお会いしていますね」
「師匠の敵は、私の敵だ!」
「やめておきな、ベス。あんたじゃ絶対に勝てない」
いきり立つベスを鎮め、ヤミは腕を組んだ。俺もいつの間にか剣に手をかけていた。右手を開いて軽く握ってみたが、緊張していたせいか、指の関節が妙に重たかった。
ヴァレスは「うんうん」となぜか頷きながら、勝手に話し始める。
「最近、王国中で外道師が暴れていてですね。ジムレグの件もありますし、そもそも王宮の力が弱体化してきたこともあり」
「お前たちが何とかしないからだ」
「テスタロサ様を失って以来、王室の権勢は落ちる一方」
「二十年も前の話を未だに引っ張るとか、無能か。それに――」
「相変わらず手厳しい」
ヴァレスは大袈裟に天を仰いだ。そしてヤミに視線を戻す。
「呪術師、いえ、外道師たちの動きがいよいよ王室にも影響してきましてね。誰に雇われた連中かは未だ調べがついていませんが。もちろん、ジェミニア女王陛下はその渦中におられます」
「ジェミニア……」
ヤミのトーンが一つ落ちた。
「数多くの外道師どもが、毎日のように王宮に攻撃を仕掛けてきています。我々に落ち度が一つでもあれば、たちまち女王陛下は――」
「つまり」
ヤミが鋭く割り込んだ。
「アタシたちに何かして欲しいということだな、回りくどい」
「役所勤めのサガですよ、僕のこの回りくどさは」
ヤミの表情を盗み見ると、どこか落ち着かない様子だった。見たことがない表情だった。
「この街道をまっすぐ南に行ったところにケルグレスという大きな町があります」
「アタシたちはちょうどそこを目指していた」
「ええ、そうだと思っていました。で、そこによく当たる占い師が滞在しているそうです。僕は別件で対処できませんが、あなたたちにその占い師の調査を依頼したい」
ヴァレスが物騒に目を光らせる。ヤミが腕を組んだまま口をひん曲げる。
「占い師なんて何千といるだろう。呪術師協会に入れない程度の呪術師の飯の種だ」
「外道師にあらず、ですか。しかし、その占い師がやってきてから、ケルグレスの若い女性が五名も行方不明になっています。無関係かもしれませんが、ヤミ、あなたたちにはまずそれを調べて欲しいのです」
「報酬は?」
ヤミは目を細めた。白い髪が風に揺れ、ぎらぎらと輝いた。いくらかの間を置いて、ヴァレスは答える。
「王国金貨五十枚」
「裏があるね?」
「かないませんね。でも、もし占い師がシロならぼろ儲けですよ」
「そんな依頼を王室魔法術師が持ってくるはずがないさ」
仁王立ちするヤミからは、何か炎のようなものが立ち上っているようにさえ見えた。しかし、ヴァレスは涼しい顔のまま、口元だけに笑みを見せた。
「ははは、さすが。しかし、僕だって三年前の失態を繰り返したくないのは本当です。よってジェミニア女王陛下を巡る利害は……一致していると考えますが?」
「……アタシはあんたに手を貸すんじゃない。ジェミニアの平穏のために刀を抜く。それでいいね」
「無論です」
ヴァレスはそう応じると、不気味な笑顔のまま、一陣の風を巻き起こして消えた。
「消えた……」
俺が呟くと、ヤミが腕組みを解きながら言った。
「瞬間移動の魔法さ。超高位の魔法術師にしか扱えない危険な代物だよ」
「すごい奴ってことですね」
「あいつは前国王と王妃が殺された時の王室警備の責任者さ。まったく、胡散臭い男さ……」
三年前の失態――そういうことか。
ヤミはベスの方を振り返って声を張った。
「さ、少し急いでケルグレスに向かおう」
街道のあちこちに、思い出したように人々が現れ始めた。
「――人除けの魔法術だったか」
ヤミは音高く舌打ちした。




