03-04: ケルグレス
四日後の昼前には、俺たちは城塞都市ケルグレスの城壁の内側に到着していた。途中で馬車に拾ってもらえたのが大きかった。
「助かった。ずいぶん楽させてもらえた。入場手続きもね」
ヤミが馬車から降りながら、主人の商人に言った。痩せぎすな中年の男は目を細めて頷いた。
「いえいえ、こちらこそ助かりました」
後ろに続く荷馬車を見て、商人は「やれやれですな」と首を振った。
「まさか街道のど真ん中で賊に遭うなんて」
「この辺りも物騒になったもんだねぇ。見廻りの兵も少なくなった」
ヤミは行き交う人々を見ながら呟いた。城壁の外の静寂が嘘のように、内部は活気があった。
「このケルグレスも物騒な噂があると、妻から聞いています」
「占い師の噂というやつかい?」
「ええ、御存知でしたか」
商人は驚いたように言った。ヤミは「ちょっとね」とはぐらかし、問いかけた。
「その占い師の名前は何というんだい?」
「少しお待ちを」
商人は馬車の中から箱を取り出し、その中から純白の植物紙を取り出した。羊皮紙よりもはるかに高価な紙だ。羽振りが良いのだろう。
「妻からのこの手紙に確か……ああ、ありました。占い師のハルベーデラ」
「ハルベーデラ……」
ヤミは俺をちらりと見た。俺は首を横に振った。聞いたことがない。ベスもぶすっとした顔で首を振っていた。ヤミは顎に右手をやって、明るい空を見上げた。
「どこかで聞いたことがあるような、気がする」
俺もつられて空を見ながら訊いた。
「呪術師なんでしょうか?」
「うーん」
少し唸ったヤミは、物騒に目を細めて口角を上げた。
「ま、必要なら思い出すさ。その前に片が付くかもしれないけどね」
「いずれにせよお気を付けください、ヤミ様」
「ご心配、感謝するよ」
商人は一礼すると自分の支店の情報を伝えて、馬車と荷馬車を引き連れて去っていった。
「ハルベーデラ……霊話石さえ使えりゃ一発で調べがつくんだけどねぇ」
「ちょっと使わせてもらうってわけにはいかないんですか?」
「あんた馬鹿なの?」
ベスが割り込んできた。槍の接合部を何度も付け外しして、中の鎖をじゃらじゃら言わせていた。これは相当イラついているな――さすがの俺にもそのくらいはわかる。
「師匠はバルーサを追放されたのよ。なのにちょっと使わせてぇ、なんて簡単に行くと思ってんの?」
「いや、それは――」
そもそもヤミほどの実力者を追い出す理由ってなんだ? 絶対に組織にいて欲しいレベルの人じゃないか。
「ベス、そのくらいにしておけ。とりあえず今日の宿を探そうじゃないか。最悪あの商人の所で世話になるくらいはできるだろう」
「じゃぁ私、宿を探してきます!」
「俺も――」
「待ちな、レア。あんたは荷物の見張りだ」
「え、でも、女の子一人で」
「そんじょそこらの馬鹿じゃ、あの子に指一本触れられやしないさ」
それはそうかもしれない。俺は、槍を携えて駆け足で遠ざかっていくベスの背中を見つめた。
それにしてもここは人が多い。ヒューケイア領にはこんなに人口の密集した町はなかった。城壁に囲まれた、決して広いとは言えない土地に何千人も暮らしている。見渡せる範囲の外には、悪い風の吹く地区もあるに違いない。人間は数が増えると必ず負の影響力を持つ集団を生み出してしまう――父さんから何度も聞かされてきたことだ。だから領主は人の集まるところには必ず目を付けて、信頼できる人間を何度も何度も、それこそ永続的に派遣する必要があると。
信頼できる人間、か。
俺は首を振る。確かに父さんには何人もの協力者がいた。彼らは俺にも優しくしてくれた。だけど、父さんは私兵も持たなかったし、呪術師を雇ったりすることもなかった。その結果が――あの夜だ。
「ふう」
ヤミはすっかりしぼんでしまった食料袋の中を覗きこんでから、これみよがしに肩を竦めてみせた。
「あと二日持つか持たないかだったねぇ。あんたが人里には近寄らないって意地を張るから。宿場町もスルーだったしねぇ」
「だって、俺たちの巻き添えにするわけには」
「わかってるわかってる。まぁ、ここまで来ればヒューケイアの領地からは外れてる。誰かが襲ってきても巻き添えになるのは、顔も知らない人間だ」
「そういうわけじゃ!」
俺はむきになって声を張った。行き交う多くの人たちが俺に注目した。ヤミは「こら」と俺を窘め、右手の指をパチンと鳴らした。
その途端、人々は再び動き始める。
「な、何をしたんですか」
「何かが起きるという期待、つまり願を解いたのさ」
「解願、ということですか」
「そ」
「そんなに簡単に人の意志を操れる……」
恐ろしい――と、俺は身震いした。
「操っているわけじゃないさ。元に戻している、というのが正しいかもね。願が発生する少し前の状態に」
「それでも――!」
「アタシは外道師じゃぁないよ、レア」
ヤミの白髪が土埃と共に靡いた。凍て付いた青――その瞳が俺をまっすぐに見つめている。
「それに」
ヤミは「フッ」と笑った。
「よく当たる占い師とやら。今ので見つけられたかもしれないよ」
「え?」
どこだ!? ――俺は辺りを見回した。
「このあたりじゃないよ、レア。だけど、確実にこのケルグレスにいる」
「……何か感じるんですか?」
「拒絶を、ね。アタシの解願を跳ね除けた力がある」
「それって、ヤバイ相手なんじゃ――」
「ヤバイねぇ!」
ヤミは事も無げにそう応じて、「ふむ」と腕を組んだ。
「いずれにせよ、この町は奴の狩場だ」
「行方不明者が出てるっていう……。で、でも、何のために」
「呪術には必ず返しがある。呪った分だけダメージが跳ね返ってくるという仕組みさ。だからそれを受けるための呪具なんかを使う。だけど、呪が強ければ、生半可な呪具なんて壊れてしまう。人を殺すほどの呪となれば、相手によほど由来のある物を呪具にしても、もしかしたら返しで術者が死ぬかもしれない」
呪術も決して安易に使えるものじゃないということか。
「ということは……行方不明者に呪術の返しを受けさせている、ということですか?」
「それがおそらく正解」
ヤミの白い顔はさながら陶器のようで、ともすれば冷たい。
「でも、何のために」
「それはそいつをとっ捕まえて訊くほかにないだろうさねぇ」
俺はその凍れる瞳に、完全に捕われていた。
その時――猛烈な勢いでベスが駆け戻ってきた。
「師匠! あそこの宿にちょうど二部屋空きがありましたよ!」
「でかした、ベス。さっそく荷物を運ぶよ」
「はいです!」
元気よく応答しているベスを視界の端に入れながら、俺は荷物を担ぎ上げる。その時、俺は自分の手が少し震えていることに気が付いた。
俺は――恐れているのか?
『解願師』の力を……。
★第三章はここまでです。
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