16-04. ハプトとキケレアーナ
ごきげんよう――キケレアーナは俺たちを前にしてそう言った。慌てて御者の方を見たが、彼は完全に眠っていた。キケレアーナの力かもしれない。となると、イフラムドたちが戻ってくることも期待できないかもしれない。
俺もベスも慌てて立ち上がった。ヤミは油断なく腰を落とし、刀に手を掛ける。
「何の用だ」
「警告をしにきました」
ヤミの詰問に、キケレアーナは金の輝きを持つ紫の髪を秋風に遊ばせつつ、あっさりとした口調で答えた。
「警告?」
俺たちの言葉が揃う。キケレアーナは頷いた。
「近い将来、ゲドルタが異常活性を起こします」
「異常活性?」
「私の見ていた未来が書き換えられ始めています。つまり、ゲドルタに強い力で直接干渉している者たちが現れたと」
「大魔導揃い踏みとか、そういう縁起でもないことを言うんじゃないよね」
ヤミが言う。キケレアーナは「ふっ」と笑った。
「現存する三名の大魔導。ブラウはもうすでにほぼ封印が解けていますが、ヘクサとイレグの封印もまもなく解けるということです。それを伝えに来ました」
「伝えられてもねぇ」
ヤミは刀を抜くのを諦めて、両手を腰にやった。キケレアーナはその一つ目で俺を見降ろしている。
「私にもゲドルタの大魔導の思惑は理解できるものではありません。しかし、大魔導たちがあなたたちの味方となることはないでしょう」
最悪はジムレグと結託することだ。だが、その最悪はおそらく現実になる。
俺は唾を飲みこんだ。胸のあたりが痛い。
「こっちはただでさえリクシェスやジルフィムで忙しいのに」
ヤミが座った。俺たちも座る。キケレアーナは炎を見下ろして立ったままだ。
「あのような連中は、ジムレグの手先に過ぎません」
「じゃぁ、あんたが始末を手伝ってくれればいい」
「可能ですよ、解願師ヤミ」
キケレアーナはそう言った。
「ですが、それは、レア、あなたの本意ですか」
「それは……」
ジルフィムを許す気にはならない。そして同時に、他人が裁いて良いとも思えない。
俺は首を振る。
「私のような強者が世界を変えるのは難しくありません。強者が世界を維持するのも、強者が世界を衰退させるのも、難しくありません。でも、それでは人は成長しない。進化できない。世界が本当の意味で成長することはできない。変革という病に打ち勝てない」
――世界の変革を止めて欲しいのですよ、オルレアス。
キケレアーナが言った言葉だ。
「私ができるのは対症療法。人は自らの痛みと苦しみの末に、強くならなければ、原因療法には辿り着けない」
「大深淵の解放も……」
「結果的には」
悪びれもなく頷くキケレアーナ。
「魔導大戦から一千年。人はゲドルタに深く依存し、世界の成長は停滞し、いえ、退化し、人々も社会も弱くなった。ディーレニア王国だけを見ても、確実に国力は低下し、ハーワール帝国やラガンドーラ大帝国に脅かされていますし、実際にオロヴェディア辺境伯の寝返りによる国土喪失すら起きました」
キケレアーナはまっすぐに俺を見下ろしている。この威圧感にもだいぶ慣れた。
「世界のこの歪んだ変革を止めることが叶わないなら、世界を初期化するのです」
世界を初期化する力を持つ魔道具、テスタロサ。
俺のこめかみ辺りに汗が浮いて、流れ落ちた。
そのとき不意に、背筋が粟立つ感触を覚えた。俺は周囲を素早く見回し、ベスの槍を拾い上げて手渡した。
「ど、どうしたのいきなり」
「何か来る」
一瞬脳裏に閃いたそれは、四枚の翼をもつ甲冑の魔神――ハプトだった。
「ハプトが来る!」
俺が声を張ると、ヤミとベスも戦闘態勢に入った。キケレアーナは腕を組んで優雅に立っている。
その一瞬後。俺たちの周囲が断続的に輝いた。
「結界か」
ヤミが冷静に言った。キケレアーナは頷く。ハプトの攻撃をキケレアーナの結界が弾き返しているという事だろう。何度も何度も結界は輝くが、壊れる雰囲気はない。
「魔神の攻撃を一人で全部弾いているというの……?」
ベスの驚愕の声に、キケレアーナは温度のない声で答える。
「この程度の力で私の防御を抜くことはできません」
やがて痺れを切らしたハプトが姿を見せる。白銀の鎧を身に着けた四枚の翼の騎士である。
ハプトはまっすぐにキケレアーナに襲いかかる。キケレアーナは両手を振る。左右の手に光る剣が現れる。
そこからは撃剣だった。魔法術と剣術を組み合わせたぶつかり合いだ。
ハプトは何事か叫んでいたが、剣の衝撃音がうるさくてよく聞こえない。
「古の魔神とはいえ、この程度。当時の人々には脅威だったでしょうが、人間は時を味方にしてきたのです」
瞬きする間に一合、息を飲む間に一合、とにかくすさまじいスピード感の戦いだった。だが、キケレアーナが敗れる未来は見えない。
「剣技も魔法術も時代遅れ。私の敵ではありませんよ」
キケレアーナの左の剣が、ハプトの剣を弾き飛ばした。そして右の剣がハプトの左腕を切り落とした。回転しながら放たれた一撃が、ハプトの胴体を薙ぐ。
『ぐっ、このようなことが!』
脳喰らいのハプトが押しに押されていた。切り落とされた腕は再生していたが、どう見てもジリ貧だ。加勢の必要はなさそうだった。
『ヒトであることを捨てた魔法術師風情が、たった一人でこの私を……!?』
「お前の攻撃は全て見えています」
『!』
優雅とも言えるキケレアーナの剣舞。それは確実にハプトを追い詰め――。
「断罪の剣!」
魔法術により力を増したその両手の剣が一つになり、日が落ちた空を断続的に輝かせた。




