15-04. 王国中に広がる混沌
屋敷の外で待機していたイフラムドに簡単に状況を伝えてから、俺たちはジュラインの屋敷へと戻った。屋敷に着く頃には太陽はほとんど真上にきており、晩夏にも関わらずじりじりと照り付けるその陽光は恨めしいほどだった。
イフラムドに案内されて応接室に入ると、すでにそこにはジュラインがいた。相変わらず人の気配がない。彼は赤い瞳で俺たちを眺めると、円卓の上の大皿に並んだリンゴとオレンジを指し示す。
「好きに食べていいよ。持って行ってくれてもいい」
言われるなり、ヤミはリンゴを一つ取っていた。あまりにも素早いその行動に、俺は思わず苦笑する。ベスはオレンジを手に取った。俺は迷った挙句、ベスと同じものを取った。そしてジュラインに向かい合うような形でまとまって座る。イフラムドは部屋を守護するかのように今入ってきた扉の前に立った。部屋には他には誰もいない。
オレンジなんて久しぶりに食べた。一瞬の苦みの後に来る強烈な甘み、そしてこの瑞々しさがたまらない。戦いで消耗した身体に染み渡る。
「それで、フェレシダ姉さんは?」
「殺したよ」
短くヤミは言い、またリンゴを齧った。
「あんたのことを愛してたと伝えてくれって言われたよ」
「そう……」
ジュラインは一瞬、目を伏せた。
「彼女が化け物になってしまっていたことは知っていたんだ。魔力の質が変わったからね」
「化け物、か」
俺は思わず呟いてしまう。彼女は……青い唇のフェレシダは、人間ならば誰もが心の中に飼っている化け物だ。だから、同時に人間そのものであるともいえる。
「とはいえ、一件落着。ありがとう、助かったよ」
「詳しくは訊かないの?」
「必要ないよ」
ベスの問いに、ジュラインはそう言い切った。
「およそ察しはついてるし、それを答え合わせしていられるほど、僕は暇でもない。事件は終わりだよ」
あまりにもあっさりした幕引きに、俺は怒りのような、何かモヤモヤしたものを感じた。
「不満かい?」
俺の隣の空席にジュラインがいた。一切の気配を感じさせずに移動してきたのだ。思わずジュラインの呼吸の気配を確認するが、彼はちゃんと息をしていた。偽装している可能性はあるが――。
ヤミが鋭く息を吐く。
「遊んでないで約束を果たせ、男爵。ガラーティア要塞のことだ」
「ああ、そうそう。そうだった」
ジュラインはまた元の席に戻る。今度はことさらにゆっくりと歩いていた。テーブルの上に組み合わせた両手を置き、一つ頷いて水を飲んだ。
「ガラーティア要塞の霊話石を破壊した人物はフェレシダ姉さん。もっとも、本人から聞いてるとは思うけれど」
俺たちは頷いた。
「ジェスガルディア要塞の霊話石破壊と時を同じくして破壊することができたのは、ジムレグの助言があったからだ。直接、間接、どっちかはわからないけど」
「そうした方が面白いと考えてのことですか」
俺が訊くと、ジュラインは「うんうん」と頷いてみせた。
「その結果、大深淵からうんざりする数の魔物が解放されてしまった。まさに、フェレシダ姉さんの言う面白いことが起きてしまった。魔物や魔神による被害は拡大の一途。僕の領地だけじゃない。ハイザルク男爵領だけでもない。王国全土で被害が出始めている」
「そんなに……?」
ベスが言う。ジュラインは「うん」と至極あっさりした口調で応じた。
「外道師たちは書き入れ時だよ。今、王国全土が呪術師を求めているから。ピンからキリまでとにかく呪法が使える人間を囲い込もうとしている」
「やれやれだね」
ヤミはリンゴを齧りながらうんざりした声を発する。ジュラインは「まったくです」と言って、「それでね」と続けた。
「ファイヴァルレド争奪戦が始まっている」
「……!」
ベスが口に手を当てた。それを見て、ジュラインは目を細めた。子供らしからぬ表情だった。
「今、ファイヴァルレドはどこにあるんだろうねという話」
「ヴィレオリア公爵」
ぼそりとヤミが言った。ジュラインは顎に手をやって「その線はあるか」と呟いた。
「争奪戦で、いま一番兵力を動かしているのがヴィレオリア公爵なんだ。もしかするとこれ自体がカムフラージュなのかもしれない」
「何のために?」
オレンジの皮を空の皿に置いてから、俺はそう訊いてみた。
「持ってることがバレたら全貴族が敵になるからだよ」
「でも、ヴィレオリア公爵ならそれでも相手にできるんじゃ」
「兵力だけならね。でも、政治の世界ではそうはいかなくなる。ただでさえ前国王夫妻暗殺事件で公爵の支持基盤は揺らいでいるんだ。それに王家の求心力も落ちてきている今、ヴィレオリア公爵を十分に助けられる勢力もいない。ザルメラ女侯爵もきっと助けないだろう」
難しい話だと、俺はベスと顔を見合わせる。ベスは険しい表情をしていた。
「そうそう、それで思い出した」
ジュラインは手を打った。
「ヴィレオリア公爵が近く王都に来るらしいよ。ジェミニア女王と政治の話でもするんだろうけど」
「王家と公爵が連帯しているうちは、どこも迂闊には動けないか」
ヤミがぼそぼそと言い、すっかり芯だけになってしまったリンゴをオレンジの皮の隣に置いた。
ジュラインは何かを一口飲んで、ふぅと一息ついた。
「聖庁異端審問局も動き始めているとか。ジェスガルディア要塞方面では多数の精鋭を喪失したとか聞いていたから、そんな元気もないものだと思っていたけど」
「外道師の囲い込みの話との関連ですか?」
俺が言うと、ジュラインは小さく頷いてみせた。
「うん、そうだね、多分。この機会に良くない連中が政治の中枢に入り込む可能性もあるから、聖庁異端審問局も必死さ。伴って、王国全土が、大深淵の解放でおかしくなってきた」
ジュラインは立ち上がってリンゴを手に取り、自分の小型ナイフで器用に皮を剥き始めた。
「それで、男爵。あんたの狙いは何だい」
単刀直入にヤミが尋ねる。ジュラインは手を止めずにヤミを見た。
「今の僕の願いなんて小さなものだよ。キレーネ領の安寧。これから始まる混迷の時代を無事に生き抜くこと。おっと、この願は解かないでほしいよ、解願師」
「アタシにだって限界はある」
ヤミはニヤリとした笑みを見せた。
「あんたの発言を全面的に信じるわけじゃないけど、まぁ、わかった。あんたはフェレシダのように、ティラールの血とファイヴァルレドを求めているわけじゃないと」
「冗談じゃないよ。ファイヴァルレドなんて僕が持っていたら、あっという間にあのザルメラ女侯爵の餌食になりかねないよ。いくら何でも僕らには分不相応な神器だ。ただでさえ僕らはこれから大深淵の再封印をしなきゃならないのに。ハイザルク男爵の現当主はやる気ないし」
愚痴り始めたその姿はとても十歳の少年とは思えない。ヴァレスあたりがやっているのならしっくりきそうな光景だ。
「確かに説得力はあるね、ベス」
「うんうん」
俺たちがこそこそ会話をしていると、ジュラインはリンゴを切り分け始めた。
「僕は君たちが一刻も早くファイヴァルレドを見つけるべきだと思っている。その後は神のみぞ知る、だね。ゲドルタで世界を支配するもよし、あるいはゲドルタなんてぶっ壊してしまうもよし」
俺とゲミトルードの力が合わさると、ゲドルタのない世界を実現できる――フェレシダはそんなことを言っていた。信じられないが、俺の中に流れる勇者ゲイネス・ヒューケイアの血の力には、そんなものも含まれているのかもしれない。
シャリシャリとリンゴを咀嚼しながら、ジュラインは黙って俺を見た。そして飲み込んでから呟いた。
「ゲドルタからの開示情報が日に日に増えている」
「開示情報?」
俺はヤミを見る。ヤミは「ふわっと見える情報ってものがあるんだよ」と渋々といった感じで教えてくれた。
「おそらく個人差もあるんだけど、それゆえに僕ら魔法術師は多くのことを知っているんだ。あ、僕がこのことをしゃべったのは秘密でお願い。機密事項だから」
「なんかずるい」
ベスが素直に言った。俺も同じ気持ちだ。ゲドルタから世界情勢やらの情報を横流しされているから、やたらと物知りだったのか。
ベスは不機嫌そうな顔のまま、言った。
「レアだって予知夢を見るじゃない。それと同じじゃない?」
「あ、そうか」
あれもゲドルタ由来の何かだったっけ。
「みんなずるい」
――ベスは不満顔で腕を組んだ。




