15-03. 弱さは罪じゃない
はん、と、ヤミは息を吐き捨てた。
「今のアタシの目的は、この子たちを守ること。そして、あんたをあの世に送ることだ」
「できるかしら、あなたに」
「さぁね。未来は不確定なくらいがちょうどいいのさ」
ヤミは目にも止まらぬ速度で襲い来る髪を弾き返す。一方、俺は数発を被弾する。ダメージこそ大したことはないが、それでもある程度の出血は強いられる。ベスを振り返ると、彼女は頷いてきた。今ベスがターゲットになることはない。フェレシダもノーマークだ。
ベスはテーブルを飛び越え、聖槍ラグリスを振りかざす。が、それは髪の毛によって阻まれる。
「ちっ!」
ベスの鋭い舌打ち。だが、ベスのおかげでこっちへの攻撃頻度が下がった。
ヤミが怒涛の攻勢を仕掛ける。俺もそれに倣う。しかし、これでも突破口は開けない。フェレシダの動きが速すぎる。未来視で位置の予測はある程度できる。だが、それと身体がついてこられるかどうかは別の問題だ。
俺は隙をついてテーブルをひっくり返し、フェレシダへの攻撃ルートを確保する。フェレシダは俺たちから距離を取るように動き始める。これでは近接攻撃手段しか持たない俺たちには極めて不利だ。
「あんたの願、解いてやるよ」
「そうはさせませんわ」
フェレシダの攻撃対象が完全にヤミに切り替わる。
フェレシダの全身から凄まじい量の魔力が噴き上がったのが見える。髪だけではない。空中に出現した光の刃がヤミに豪雨のように襲い掛かる。
「レア!」
ヤミの短い呼び声。俺は反射的に動いた。フェレシダの左側面からゲミトルードを叩きつける。全力疾走からの斬撃だったから精度には期待できない。だが、当たればどうにかなる――そう信じることにした。
「あら……!」
ゲミトルードがフェレシダの左腕を掠る。激しく蒸気のようなものが噴き上がる。腐った甘い香りが室内を満たす。
「もう一撃!」
俺はフェレシダに向けて体当たりをするようにして剣を突き出した。
「ふふふふふっ!」
手応えはあった。フェレシダのワンピースがいよいよ赤一色に染まっていく。しかし、フェレシダは笑っている。腐った甘い臭いを傷口から吐き出しながら。
「ゲドルタを破壊し得る力というのは、こういうものなのね。なるほど、魔力で作られたこの身体には致命傷になるわけね」
直後、ヤミの一閃がフェレシダの首を落としていた。発生した衝撃波によって、俺の髪の毛も数本切れた。
「あんたの願を解く」
転がった首の前にしゃがみ込み、ヤミは言う。
「あら、ご親切にどうも」
首だけになったフェレシダがなおも笑う。フェレシダの首から下は、徐々に崩壊を始めていた。ボロボロと崩れて空中に溶けていく。
「あんたの願は、身勝手な世界への復讐だ」
「お見通しね、解願師ヤミ」
「だが、あんたの願いは、無数の願いを生む。悲しみと憤りに満ちた願いを。アタシはそれを看過しない」
「そうなるのは弱者だから」
フェレシダは明確にそう言った。
「弱者であることが罪なのよ。だからその結果泣こうが怒ろうが、そんなものは当然の帰結。強者になれなかった罪、なろうとしなかった罪。罪咎に対して対価を支払うのは当然のことでしょう?」
「それは罪じゃない」
ヤミは言う。
「弱さは罪じゃない。なぜならアタシも、あんたも、誰も彼もが、強くなんかないからさ」
俺はヤミの後ろにベスと並び立って、状況を静観している。ベスの左手が俺の右腕を捕まえている。ベスの下顎が少し震えているように見えた。
「罪人だから泣くわけでも、咎人だから怒るわけでもない。殺される方が悪い――あんたが言うのはそういうことさ。そうなれば、この世界で最後に生き残った者だけが罪なき人ということになる」
「そうよ」
フェレシダはあっさりとそう言った。
「そのための世界大戦じゃない。唯一絶対の正義を決めるバトルロワイヤル。これほど人類の終焉と復活に相応しい娯楽はないわ!」
「……お前はたった一度裏切られたその事実で、世界をそこまで憎んだか」
「お父様の援助が切られた時点で、そしてお母様が亡くなってしまったことで、私の世界は一度終わったもの。それ以後の世界に価値なんてない。聞いてみてごらんなさい、解願師ヤミ。世界は悲鳴で満ちている。もう死にたい、もう殺してくれ、そう願う人は少なくない。この世界を滅ぼしてくれ――そう祈る人だって少なくはないわ」
「自らの願を他責にするな」
ぴしゃりとヤミは言った。しかしフェレシダの顔には微笑みがあった。
「あなたの願だって他責なのではなくて?」
「……!」
ヤミの肩がピクッと動いたのを、俺は確かに見た。
「……おとなしくゲドルタに還れ、フェレシダ」
「はいはい、私はここまでね。ジュラインによろしく言っておいて。あなたの大好きなお姉ちゃんは、あなたのことを愛していましたよとね」
「……わかった」
ヤミは両手を胸の前で音高く合わせた。
「願いはおしなべて尊い」
「先生……?」
「だからこそ、ぶつかり合う。善悪はさておくとして」
フェレシダの頭部が崩壊を始めていた。
「!?」
ベスが俺にしがみついてくる。フェレシダの頭の所に、もう一人のフェレシダが立っていた。さっきまで対峙していたフェレシダとは違う、もっと儚げで優しそうな女性だった。青いワンピースを着ていた。赤い瞳はフェレシダと同じだったが、唇や爪はピンク色だった。
『ありがとうございました』
彼女は俺たちに頭を下げる。
『彼女の支配を断ち切っていただいて』
「そんなことだろうと思ったよ」
ヤミは立ち上がる。
「願を解く段になってから気付いたけど。それが、あんたの本当の姿なんだね」
『そうです、解願師さん。私もまた弱者。だから……憎しみに、絶望に、怒りに、孤独に、支配されてしまいました』
そうか。肉体の死と共に彼女は死ねなかったのか。そしてその魂を魔力で練り固めて復活したフェレシダには、その負の感情だけが反映されてしまった……ということだろうか。
青い服のフェレシダは俺たちを見た。
『ですが、先ほど彼女が述べた言葉は全て真実。エリザベス、あなたは世界中から狙われています。くれぐれも油断なきよう。オルレアス、あなたもです。世界の全てがあなたたちを利用しようとしている』
「みたいですね」
俺は頷いた。ベスもだ。
『そろそろ、時間のようです』
「ああ」
青いフェレシダの姿が薄れていく。
「さようなら、フェレシダ」
ベスが囁いた。フェレシダは微笑み、小さく一礼して、消えた。
「はぁ……」
ベスは大きくゆっくりと息を吐いた。
「何の痕跡も残さずに消えちゃうなんて、なんか寂しいね」
「生きた証は消えないさ」
ヤミは伸びをしながら言った。
「その分、彼女は幸せだっただろうよ」
そうなのかもしれない。少なくとも俺たちはフェレシダという人間の名前を憶えているだろう。そして、どちらのフェレシダの姿も記憶に焼き付いている。覚えていることが供養になるのなら、戦いの記憶も、最後の姿も、俺は忘れない。
忘れないと、誓った――。




