15-02. ゲドルタの番人
フェレシダは負傷をものともせずに微笑んでいる。その神出鬼没な動きも健在だ。そのあまりの速さの前に俺は魔力の糸を探せていない。俺の予想では、移動先に意識が先行し、その後に魔力によって肉体を移動させている。だが、その時間差があまりにも小さくて、追えない。
ワンピースの胸から下が鮮血によって真っ赤に染まっている。まるで最初からそうなるべきだったかのような、白と赤の衣装だった。本能が嫌悪する湿った赤を前に、俺は思わず二歩後退する。
「さて」
ぽん、と、手を叩くフェレシダ。彼女はそのまま椅子に腰を下ろした。
「今度は私の話を聞いてもらいましょうね。そういう約束ですもの」
フェレシダの赤い目がギラリと俺を見た。「座れ」と言われたのだと俺は本能で理解した。
「ベス、座ろう」
硬直しているベスの手を握って、椅子へと導く。ヤミも渋々といった様子で元の椅子に座った。
「飲み物は……要らなさそうですね。私はいただきますけど」
フェレシダはいつの間にか新しいカップを手にしていた。先ほどまで使っていたカップは床で砕けている。
「ねぇ、レア」
「どうしたの」
「フェレシダって、呼吸してる?」
「は?」
思わぬ言葉に俺はフェレシダを凝視する。フェレシダに聞こえたかどうかはわからない。
「気のせいかもしれないけど、彼女、喋る時に息継ぎしていないの」
マジか。だとしたら、それはいったいどういう意味だ。彼女はこの世の人ではないということか?
この世の人ではない……屍人だ。となればまず名前が挙がってくるのがジムレグだ。そして彼女はジムレグと繋がりがある。ない話ではない、か。
「ふふふ、聡くてかわいいだなんて、最高ね、ティラールの娘さん」
「ッ!」
ベスが槍を握りなおしたのが分かった。
「ファイヴァルレドが見つかった時からが、あなたの本番よ、かわいい娘さん」
「あなたは屍人なのか」
俺が尋ねると、フェレシダはクスクスと笑った。
「身体なんてとっくに腐って失くなったわ。お母様と一緒にね」
「じゃぁ、その身体は……」
「私の精神を核として作り上げた魔力の身体、といえば満足かしら? かわいい坊や」
フェレシダはカップを置くとゆっくりと視線を俺に向けた。青い唇は終始微笑みを形作っている。
「それで動きが読めないのか」
「まだまだ二流ね、かわいい坊や」
ずいとフェレシダの顔が、俺の顔に迫る。フェレシダは俺の頬を掌で挟み込み、俺の目を覗き込むようにして見つめてきた。良くないものを流し込まれている気がして、俺はどうにかして目を逸らそうとする。だが、フェレシダの力は強く、どうやっても動かせない。
自由になれたのはベスが槍で一撃してくれたからだ。躱されてしまったが、俺は自由になった。しかし、触られた場所がじりじりと痺れている。
俺はゆっくりとゲミトルードを抜く。フェレシダは鋭く目を細める。それだけで俺の筋肉が恐ろしく硬直する。指先一本、動かせなくなる。
かろうじて動く口で、俺は問う。
「それで、あなたからの話って何だ」
「そのかわいい娘さんが欲しいわ」
「できない相談だねぇ」
ヤミは刀に手をかけている。完全に戦闘モードだというのがわかる。その目に宿った殺気が尋常ではない。
「誤解しないで欲しいの。私はその子を保護したいだけ。ジムレグや大魔導たちから。ゲドルタの扉を開けられる、ティラールの血を受け継いだその子を」
「ゲドルタの扉……?」
俺とベスが同時に呟いた。フェレシダは「そうよ」と頷く。
「ティラールはゲドルタの番人。魔導大戦で顕現したゲドルタという概念への道の番人となったのは、魔導大戦の勇者の一人、カザスィア・ティラール。さもなくば人類は無尽蔵に魔力を使い、自滅してしまうことが明らかだったから」
「それで……」
ベスがどこか上の空の口調で言った。
「ファイヴァルレドがその鍵で、私がその門番……」
「理解力のある人は好きよ、かわいい娘さん」
フェレシダは微笑する。底知れぬ恐怖を覚える。
「有力な呪術師、魔法術師、そして作った当の大魔導たちですら、ゲドルタへの直接アクセス権を手中に収めたいと願っているの。無尽蔵の魔力を得られれば、名実ともに世界の支配者となれるから」
「あなたはそれを望んで……いないと?」
「もちろんよ、かわいい坊や」
即答するフェレシダ。
「支配者なんてつまらない。私が求めるのは支配による秩序ではなく、意志による混沌。だってほら、むしろ支配者にたてつく方が面白いと思わない?」
「だったらベスをジムレグなりに差し出す方が楽しいと感じるんじゃないか?」
俺は声を絞り出す。フェレシダは微笑む。
「ふふふふ、それは考えたけれど、つまらないから却下。エリザベスを巡って、呪術師だの魔法術師だのに争ってもらった方が面白くない?」
「面白くはないだろう」
「あら、つまらない子」
フェレシダはカップを床に放った。パリンと乾いた音が響いた。
「交渉決裂なら、あなたたちを殺して、エリザベスを奪わせてもらうわ」
まずい。
無数の金属の糸が伸びてくる。それはフェレシダの髪だ。フェレシダの髪は白い金属だった。それが俺とヤミを拘束する――未来が見えた。
「先生、糸に捕まったらまずい!」
「だろうさ」
糸で絡めとれなかったと見るや、フェレシダは直接攻撃に切り替えてくる。束になった髪の毛が槍のように突き出されてくる。俺に伸びた一本はベスが弾いてくれたが、次から次へと迫ってくる。やがてそれは俺を傷付け始める――未来が見えた。
これにより辛うじて回避はできる。だが、攻める糸口が掴めない。テーブルの向こうにいるフェレシダに近付けもしない。その間にも全方位から攻撃が襲ってくる。未来視があっても、どれを優先して回避すべきかの判断が追い付かない。
「おとなしくエリザベスを置いていくなら殺しはしないわ。あなたたちは生きていた方が面白そうだもの」
「ふざっけんなっ!」
出したことがないくらいの大声を発した俺の喉が切れる。血の味がする。
「面白いだの面白くないだの! 人の命を何だと思ってる!」
「倫理観の話? なら簡単よ。人は強者に従うべきで、弱者であり続けることを選んだのなら、その責任を取らなければならないのよ。強者に従うという選択を取らなかった罪を、ね。この場合、強者というのはエリザベスを手に入れる私のことよ」
「勝手なこと言わないで!」
ベスが声をひっくり返して叫んだ。しかしフェレシダはどこ吹く風だ。
「ファイヴァルレドとあなたが揃った時、私は世界の支配権を得る。だけど支配はしないの。私を巡って人々が争い、魔導大戦を超える世界大戦が起きる。ああ、ゾクゾクしちゃう」
「で?」
ヤミが短く言った。フェレシダは目を伏せて首を振る。
「さっきも言ったでしょう? あなたたちによってゲドルタの失われた世界がもたらされると。そのかわいい坊やの力でね」
「……俺の?」
俺はヤミを見た。ヤミと視線が交錯する。ヤミは沈黙し、代わりにフェレシダへと勢いよく踏み込んだ。が、その渾身の居合抜きも空振りに終わる。
「かわいい坊や、あなたのその力は世界の脅威なの。ゲミトルードとヒューケイアの血の力は、世界を完全に変え得る手段そのものなの!」
フェレシダの髪の毛が四方八方から襲ってくる。払い除けても際限がない。
「解願師ヤミ。あなたがこの子を保護したのも、その力が目当てでしょう?」
フェレシダの血色の瞳がヤミを射抜いた。




