14-08. フェレシダ・ファーレイン
フェレシダ・ファーレインの屋敷は城塞都市の南東部のほとんど城壁に接するような場所にあった。屋敷というには少し小さい印象だったが、それでも周りの家々よりは明らかに存在感があった。いくつか並んでいる窓には、残らず大きなガラスが嵌っていて、それだけでもある程度以上の生活水準を維持していることが窺えた。
「私はここで待ちます」
グレスとオーレスを伴ってやってきたイフラムドが告げた。俺は頷いて言った。
「何かあった時は人々の誘導をお願いします」
「承知しました」
イフラムドの返事を聞き届け、俺たちはフェレシダ邸の門を開ける。鍵もかかっていなかった。だが、フェレシダが魔法術師だというのなら、俺たちの接近は探知されていると考えるべきだった。
「先生、どうするつもりですか?」
「どうって?」
「男爵の言うとおりにするのかって」
「不満かい?」
ジュラインの代わりに人を殺しに行く――その状況を俺は面白く思っていない。たとえそれが邪悪な魔法術師だとしても、彼女は俺たちに何か害をもたらしたか? いや、今のところそんなことはないし、もし今何かが起きたとしても、領域侵犯をしたのは俺たちだ。
「いずれにせよ」
ヤミは屋敷の扉に手を当てる。
「二年前の事件とやらの真相は聞かなきゃならないんじゃないかねぇ」
「し、師匠。それって男爵が嘘を言っていると?」
鞄を背負いなおしたベスが確認するように尋ねる。
「可能性の話。いずれにせよ一方の話だけでは真実は見えてこないってことさ」
「それもそうですね。でも、その結果――」
「ベス。そういうのはその時になってから考えるべきさ。もしもこうだったら、ああだったら、そんなふうに考えるのは用意周到というのかもしれない。だけど現実には目を曇らせ、判断を鈍らせる要因になっちまいがちなんだよ」
両開きの正面扉は、簡単に開いた。不用心というべきか、余裕と見るべきか。
ヤミが奥に進みながら声を張った。
「フェレシダ・ファーレイン! 領主の依頼でやってきた」
「お待ちしておりました、みなさん」
俺は左手で目を擦った。ヤミの目の前に銀髪に赤い瞳の女性が立っていた。年の頃はヤミと同じくらいにも見えたが、病的に青白い肌と、ややこけた頬、そして落ち窪んだ目がその年齢を不詳にさせていた。そして唇には鮮やかな青が乗せられていた。身に着けているのは純白のロング丈のワンピース。赤い靴を履いている。
そんな彼女がジュラインと同様に気配もなく姿を見せたのだ。
だが、ヤミには慌てたような素振りは見えなかった。
「こんにちは、かわいい人たち」
フェレシダの顔がすぐ目の前にあった。ベスが息を飲んで俺の左腕を抱きかかえたのが分かる。俺の右手がゲミトルードにかかる。
「坊や、抜いたら死ぬわよ?」
右手の上にフェレシダの左手が乗っていた。そして彼女のもう一方の手は俺の顎に伸びている。青く長い爪が凶器のように光る。身動きが取れない。
「あんたこそ首を飛ばされているところだ」
ヤミの刀の切っ先が、フェレシダの喉を掠めていた。血が一筋流れていた。こちらも一切の準備動作がなかった。
「あらあら」
そのヤミの背後に、フェレシダは立っていた。確かに移動していたはずなのに、まったく記憶に残っていない。瞬間移動したようにしか思えない。
だがヤミも動いていた。体勢を低くしてフェレシダの鳩尾に刀を突きいれる。しかしそれは虚空を煌めかせただけだ。
どこに行った……!?
「ひっ!」
ベスの息を飲む音が聞こえてくる。まったく気配がないのに、フェレシダはベスの肩に両腕を乗せていた。そのまま腕で絞め殺せるような位置関係だ。だが、俺は動けない。
そう思った次の瞬間、彼女はまたヤミの向こうに移動していた。
全く追い付けない。しかしヤミだけは反応している。フェレシダはヤミの一閃をギリギリのところで躱している。
「鬱陶しいねぇ」
舌打ち混じりにヤミが言う。フェレシダは明るい声を上げて笑う。
「あら失礼。久しぶりのお客様に少しはしゃいでしまいましたわ、あははは!」
フェレシダは一礼すると、俺たちに無防備に背中を向けて歩き出す。奥の間に先導しようということらしい。
「ジュラインは元気だったかしら」
扉を開けながら、フェレシダは言う。銀色の髪の毛がふわりと揺れる。扉の向こうは大きな応接室だった。入った直後に部屋が十分に明るくなる。窓からの明かりだけではない。部屋全体がぼんやりと明るくなったのだ。
「さて――」
質素な六人用円卓の前に立ったフェレシダが両手を打ち鳴らすと、椅子が四脚現れた。
「どうぞお座りになって」
俺はフェレシダの左に、そして俺の左にベスが座った。ヤミはフェレシダの右隣だ。
「かわいい人たち。リンゴの芳糖水でいいかしら」
芳糖水なんて、久しく飲んでいないなと思った。領内の教会が時々持ってきてくれた、果実飲料だ。香辛料が入っていて、香りも良い。だが、保存に難があるため、貴重品だった。
って違う、違う! 罠かもしれない。
「――結構です」
若干後ろ髪引かれる思いはあったがここは我慢だ。
「アタシも要らない。水分を取った後に動くとお腹が痛くなるからねぇ」
「あらあら、怖いことをおっしゃいますのね、解願師のヤミ」
「アタシの正体を知ってるなら、なぜ先に仕留めなかった?」
「言ったでしょう、お待ちしておりました、と」
フェレシダは目を細める。鮮血色の瞳から目を逸らせない。
フェレシダは青い唇で微笑んだ。
「まずは、あなたたちが訊きたいことに答えましょう。ただし、その後で私の話も聞く、という条件を付けてね」
俺の左手はベスに捕まっていた。俺は少し力を入れて握り返す。すると今度は簡単にその拘束が解けた。ベスの右手は聖槍の柄へと移動していた。
「承知した」
ヤミが堂々と応じた。危機感を覚える能力が欠如しているんじゃないか、この人――俺は背中にイヤな汗と、それが染みる痛みを感じながら、そんなことを思った。




