14-07. ジュライン・キレーネ男爵
翌日の黄昏時、俺たちはギリギリのところでキレーネ男爵の屋敷のある都市に滑り込んだ。男爵の屋敷は丘の頂上にあり、その周囲にはびっしりと家々が立ち並び、丘の周囲には長大な壁があった。歴史のある城塞都市という趣だ。そして守るに易く、攻めるに難い。都市としても恐ろしく大きく、もしかすると一万人を超える人が住んでいる可能性がある。
明日明るくなったら全容は判明するだろうが、都市の正門の意匠を見るに、やはり数百年クラスの古都だといってもよさそうだった。
「城塞都市ウレミレーラ、か」
ヤミが角灯で地図を照らしながら言った。
「ここには初めて来たけど、王国誕生からの千年の間、幾度も戦場となった町だね」
「そうなんですか?」
幾分元気を取り戻したベスが、ヤミの地図を覗き込む。
「内乱もそうだし、家督争いもそうだし、他の王国貴族とのいざこざもあった。だろ?」
「よくご存知で」
イフラムドは頷いた。
「しかし、ウレミレーラは難攻不落。一度とて男爵家の旗を降ろしたことはありません」
幾分誇らしげに言うイフラムドだったが、その表情はどこか暗い。
「要塞が落ちるまでは、という枕詞が付くことになるかもしれません」
「魔物が増えている……?」
「周辺貴族の工作もエスカレートしてきているのです。このままでは――」
誠実に答えてくるイフラムドは、俺を見てから、ヤミに視線を送った。
「三年前の王家と同じ轍を踏みかねません」
「……三年前、か」
ヤミが息を吐く。俺は三年前に何が起きたのかを見てきた。ゲドルタ・ブラウという存在によって襲撃を受けた前国王夫妻は死亡、その娘でありヤミの腹違いの妹であるジェミニア現女王だけが生き残った。
「我々が今一番恐れているのが、外道師なのです。いくら聖庁異端審問局が頑張ってくれていても、悪の芽は尽きません。我々も呪術師による防衛を強化しておりますが、それでも数日に一度は負傷者が出ます」
「仕掛けている奴はわからない、か」
「そうなのです、ヤミ殿。呪が送り込まれてきているのはわかるものの、どこから、誰が、何のために。それらが一切わからないのです」
「なるほど?」
ヤミは語尾を上げる。
「アタシらは容疑者だろ?」
「私の感情はともかくとして、その事実は変わっておりませんね」
「ということは、攻撃者を仕留めろと。それでチャラにしてやるって、そういうことだね?」
「話が早くて助かります」
イフラムドは頷く。ヤミは「ふぅん」と言って夜に沈んだ街並みを眺めた。明かりの一つもない町並みはいっそ不気味だ。馬車に取り付けられた大きな角灯が目に入る唯一の光源だ。その輝きも酷く頼りなく、馬車もゆっくりゆっくりと進んでいく。
男爵の屋敷に辿り着く頃には、すっかり真夜中の時分となっていた。先行していたグレスが門の中で待っていてくれた。
「イフラムド、よく戻った!」
馬車の外から聞こえた声に、俺たちは顔を見合わせる。声変わりしていない少年の声だったからだ。
「ジュライン様、ここは危険です。結界の内側に」
馬車から降りると、そこにいたのは銀髪に赤い瞳の少年――おそらく十歳くらい――だった。ヤミがイフラムドを引っ張ってきて尋ねた。
「子どもじゃないか。親はどうしたんだい」
「一昨年、相次いで病死なさいました……」
「あんたが要塞の任を解かれた時かい」
「そうです。今際の際にあったハーケル様に、ジュライン様をお守りするようにと託されましたゆえ」
病死、か――。俺は胸に引っ掛かりを覚える。
「イフラムド、あの三人が?」
いつの間にか近付いてきていたジュライン・キレーネ男爵を名乗る少年が尋ねてくる。しかし、まったく気配がしなかった。ナイフでも持っていたら、殺られていたかもしれない。何者なんだ、この少年。
「僕がイフラムドを指名したんだよ」
にこりと笑う少年。恐ろしく整った顔だということは、この薄暗い中でもわかる。
「ちょっとレア、いい?」
ベスが俺の右腕を引っ張った。俺は馬車の影に隠れるような位置に移動した。
「あの子、何なの?」
「わからないよ。ただ、気配が」
「――よく言われる」
俺の真後ろにジュラインがいた。俺は勿論、俺の背後を視界に収めていたはずのベスも気付かなかったようだ。口をパクパクさせて俺の後ろを指差している。
「でも心配しないで。僕はただの魔法術師だよ」
「魔法術師……」
「キレーネ家の人間は多かれ少なかれ魔法術師の力を持っているんだよ。ハイザルク家と同じようにね」
だから何も驚くことはない、と、少年は言った。
「で、でも、魔法術師ならこの辺の魔物問題とかすぐ解決できるんじゃないの?」
「まさか」
ジュラインはそう言って、おどけたように肩を竦めてみせる。
「まぁ、中に入ろうよ、お客人。解願師様もぜひ」
「そうさせてもらうよ」
ヤミは誰に対しても態度を変えない。その潔さは気持ちいいほどだ。
屋敷の中は煌々と明るかった。しかも俺たちのいるところが次々と明るくなっていくのだ。そして通り過ぎると暗くなる。燭台も何もないのに、なぜか明るい。
「これは僕の魔法術。便利でしょ」
「すご……」
ベスが素直に関心している。ベスの体力的な問題は解決したように見えた。すごい回復力だ。
「高名な解願師様がいるから、正直な話をするとね」
応接室の扉を開け、俺たちを招き入れるジュライン。俺たちは開いているソファに座った。ヤミは一人用のソファに、俺とベスは三人掛けのそれに隣り合って座った。一番豪華な椅子にちょこんと座ったジュラインは、小さく咳ばらいをしてから言った。
「僕の父と母は呪殺された」
「なんですと」
イフラムドにも初耳だったらしい。
「僕も狙われたけど、その時の呪術師より、僕の方が力が少しだけ上だった」
「呪返しを仕掛けたのか」
「彼女の呪に、対価以上の仕事をさせただけ」
しれっと言うジュライン。子どもの顔をしているが、その本質は底の見通せない奈落のように見えた。
「でも残念なことに、僕は彼女を殺し切れなかった」
「その彼女とやらが――」
ヤミが口を挟んだ。
「今、あんたを脅かしている、と?」
「ううん、彼女では僕を殺すことはできないんだ。実力が違うからね」
「では?」
ヤミの詰問。その時ふと、右手に柔らかな体温を感じる。見ればベスが俺の手を握っていた。腕を通じて彼女の心拍が聞こえてくるようだ。
「僕は彼女をこの手で殺したくないんだ。二年前と同じように、きっと躊躇してしまう」
ジュラインの赤い目が俺を見た。
「彼女は父の妾腹の子。いわば僕の姉みたいなものなんだ」
「そ、それは本当ですか、ジュライン様」
「間違いなくね」
イフラムドが視線を彷徨わせている。それだけ衝撃的な内容だったということだろう。
「フェレシダ様はあの事件の被害者だったのでは。あれから二年、病に臥せっていると」
「そういう事にでもしないと彼女も立場が危ういからね」
「い、今すぐ連行して参ります」
「だめ」
ジュラインは明るい声でそれを却下した。
「無駄に死人が出てしまうのは僕にとって痛手だ。そこで」
「アタシたちを捨て駒にするつもりかい」
「君たちならフェレシダ姉さんを殺せると見込んでのお願いだよ。僕はこの手を汚したくない。フェレシダ姉さんのことが好きだから。そして騎士や呪術師ではフェレシダ姉さんに歯が立たない。だけど、解願師なら、あるいは勇者の末裔たちなら可能性はある、そういう話」
何の罪悪感も後ろめたさもなしに、この子はそう言っている。冷酷で非情な、少年だ。俺もいつの間にかベスの手を握り返していた。ハッと自分の行為に気付いて手を離そうとしたが、ベスが逃がしてくれなかった。
「わかった」
ヤミが腕と足を組みなおした。
「その代わり、ガラーティア要塞で本当は何が起きていたのか、話してもらうよ」
「いいよ。ただし、この依頼をこなせたら、ね」
……いいだろう。
ヤミは沈思の末にそう応えた。




