14-06. イフラムド
ゲミトルードの直撃と共に、その赤黒い球体は弾けて消えた。魔力の残滓が霧雨のように降っている。悪臭を放つ巨大な水たまりも急速に縮小していた。
「これが人工魔神ですか……」
イフラムドがなおも警戒を解かずに辺りを見回している。そうだ、リクシェスがまだ見ている。俺はゲミトルードを杖にして、怒鳴った。
「リクシェス、出てこい! この卑怯者が!」
しかし、リクシェスからの応えはなかった。
それから俺は、イフラムドに助けてもらって森を出た。ヤミはベスを背負っている。真昼の陽光が痛いくらいだ。しかし、その光によって、散々に汚染された靴や衣服が浄化されていっているようにも思えた。
「後味の悪い敵でしたね」
イフラムドが呟いた。肩を借りている俺は頷く。
「リクシェスはとびきりの悪意の塊です」
「間違いないですね」
イフラムドは落ち着き払った声で言った。あんな化け物を見せられた後でこの落ち着き。数多くの修羅場を潜り抜けてきた経験があるということだろう。普通なら正気ではいられない――自分のことを棚上げにして、俺はそんなことを思った。
俺たちはグレスとオーレス、御者と合流し、再び男爵邸に向かって進む。馬車の中でベスは昏々と眠り続けた。毒の血を使った際の大量出血が響いているのだ。が、その時の深い傷は、夕方になる前にはもう完全に塞がっていた。
「レアの傷はどうなんだい」
馬車を下りて、ベスの様子を見た後で、俺はヤミにうつぶせに転がされた。問答無用で上半身を裸にされ、背中の傷の具合を確かめられる。止血の布が剥がされた時は、思わず悲鳴を上げてしまった。ベリベリと音が鳴るたびに、ちょっと受け流せないほどの痛みが走った。
「やっぱり傷が開いちまったね。まぁ、このくらいならこれ塗っとけば治るだろ」
「痛ッ!」
「我慢できないなら縫うよ」
「……我慢します」
よろしい、と、ヤミは容赦なく診察と治療を済ませて再び俺を包帯でぐるぐる巻きにした。
「無理をするなと言ってやりたいけど、今はまだそういう時期じゃない」
「わかってます、先生」
「まだしばらく痛むと思うけどね、がんばりな」
「はい」
起き上がってその他のダメージを確認する。全身に青痣はあったが、大きな裂傷はない。俺は運が良い。
「それよりベスは大丈夫ですか」
「反動が出てるだけだ。一晩しっかり寝かせてやろう。イフラムド、あんたたちで見張りはしてくれるんだろうね」
「無論です。おい、グレス、火はまだか。日が暮れるぞ」
「もう少しです、父上」
グレスとオーレスの素顔を初めて見たが、二人ともイフラムドによく似ていた。だが、若い。もしかすると俺と同じか少し下かもしれない。
「グレスもオーレスも、今回が初の任務だったのです」
服を着ている俺を見下ろして、イフラムドは言った。威圧感がすごい。
「訓練では互い以外に負けることはない二人ですが、今回の化け物を見て少しは身を引き締めたことでしょう」
威風堂々たるイフラムドだが、二人の息子を見るその視線はどこか優しかった。俺の父さんが俺の剣の訓練を眺めている時に見せていた表情に似ているな、と思った。
「イフラムドさん」
「ん?」
「あの屍竜を見て、どう思いました?」
「心の底から震えましたよ」
「そう、なんですか?」
あの戦いぶりに、恐怖は見えなかった。イフラムドは息子たちが起こした焚火を眺めながら、落ち着いた声で言った。
「私は一昨年までガラーティア要塞に、それこそ十年以上も勤めていまして。あの辺りだとだいたい毎日魔物との戦いが起きていました。その中で戦友も多くが犠牲になりました。生き残った数少ない戦友たちも、先日のガラーティア陥落によって皆、帰らぬ人となりました」
「どういう状況だったのです?」
「惨いものでした。霊話石の破壊によって生じた爆発が、要塞を消し飛ばしたのです。そこに魔物たちが入り込んだという状況でしたね。指揮系統を失った騎士たちは、なす術もなく各個撃破されていったのでしょう」
どこまでも冷静な、どこまでも淡々としたその口調だからこそ、その胸の内の無念や怒りが伝わってくる。
イフラムドは静かに訊いてきた。
「あなたはご存知ではないのですか、霊話石を破壊した犯人を」
「ジェスガルディア要塞の霊話石を破壊したのは……ハイザルク男爵です」
「!?」
イフラムドは目を見開く。
「馬鹿な、守護者たるハイザルク男爵が自らそんなことを……!?」
俺は内ポケットのゲドルタの小鍵に触れる。指先にその冷たく固い感触が伝わってくる。
「ジムレグに奪われるのを防ぐためさ」
ベスの治療を終えたヤミが俺たちに近付いてくる。ヤミは言う。
「霊話石は魔力の結晶体だ。ジムレグはアレを自らの野心のために使うことを思いついて、その手段を見つけてしまった」
「それならば、多数の犠牲を強いても……と?」
「どうだろうね」
ヤミははぐらかす。そもそもガラーティア要塞とジェスガルディア要塞は崩壊のプロセスが違うようだった。俺たちがジェスガルディアに到着した時には、要塞は蛻の殻だった。霊話石が破壊される以前に、要塞は陥落していた。
「アタシたちは確かにジェスガルディアのその場にいた。しかし、事を引き起こしたのはアタシたちじゃない。ジムレグだと思ってもらっていいだろうさ」
キケレアーナが兵士たちに手を下したわけでもないから、嘘は言っていない。
イフラムドはしばらく立ったままヤミと視線をぶつけ合っていたが、やがて「そうですか」と言っておもむろに荷物から水袋を取り出して飲んだ。
ヤミは俺の隣に腰を下ろして胡坐をかくと、いつの間にか持っていた干し肉を俺に手渡してきた。ヤミは自分の分をナイフで切り分け、口に入れる。イフラムドは立ったままだ。
「どうやら、我々が思い描いていた以上に複雑な事情がおありのようですね」
「そ。複雑な、事情さ」
ヤミは目を細めて、イフラムドを見上げた。
――そう、目も眩むほどに複雑な事情だ。




