14-01. 翌朝、目覚めて
あれから俺はすぐに気を失った。筆舌に尽くし難い痛みに襲われたところまでは覚えている。雨が沸騰しているんじゃないかというほど、何もかもを熱いと感じていたところまでは――。
「あ、起きた?」
ベスの声が聞こえた。目を開けているのはわかるのだが、視界が真っ白だった。どうやらうつぶせに寝かされているらしい。
「起きた、けど」
と、言ったつもりだったが、声が全然出ていなかった。擦れた呼気が出ただけだ。
「師匠、レアが起きました」
「ああ。ざっくり半日か、意外と早かったな」
何度も瞬きを繰り返すうちに、次第に明るさに目が慣れてきた。
「うう、痛い……」
特に背中だ。肉をごっそり抉られたかのように痛い。
「背中の傷は手当てしたけど、しばらく痛いと思う」
ベスが俺の顔を冷たい布で拭いてくれる。室内が蒸し暑いのでありがたい。窓を見ると空は青く晴れ渡り、南向きの窓からは陽光が差し込んで室内をじりじりと焼いていた。あの豪雨の翌日でこの晴天なのか。天気とは不思議なものだなと思ったりもした。
苦労して上半身を起こして身体を見てみると、包帯まみれだった。こんなに怪我してたっけというほどだ。
ベスの後ろにヤミがやってきた。
「レア、あんたに謝らなきゃならないことがある」
「え?」
「あれには願いがないって言っただろ」
「師匠、それは」
ベスがヤミを振り返る。ヤミは首を振った。
「奴には願いがあった。けど、アタシに解くことはできない願いだった」
「それは……」
「ジェドラングとしての最後の願は、もう殺してくれ、だった」
解くことのできない願い――。
俺は下唇を噛む。
もしその事実が伝えられていたとしたら、俺はあの首を落とせなかっただろう。
俯く俺の肩にベスが手を置いた。
「ペルミナの伝言があるよ」
「ペルミナから?」
「よくやった。悔いることはない。だって」
「励ましてくれてんのかな」
「かもね」
ペルミナって何者なんだろう。今回の戦いではペルミナがいなければ何もできずにやられていただろう。次に会ったらお礼をしないといけないな。
「はぁ……」
溜息を吐いたら、背中がずきりと痛んだ。まるでジェドラングに思い切り殴られたみたいに。
「大丈夫?」
「我慢できるレベル」
「そう。ご飯も食べられそう?」
ベスはテーブルの上の籠に入った例の美味しいパンを指し示す。その途端、俺の腹が鳴る。身体中が千切れそうなほどに痛かったが、それと空腹は別だった。俺が頷くと、ベスはすぐに持ってきてくれた。
「そうだ、ベスもケガしてたよね」
「あんなの掠り傷。頭だったから血はいっぱい出たけど」
「大丈夫なの?」
「見ての通りピンピンしてるわよ」
ベスはにこりと微笑んだ。陽光に照らされたその白皙の顔は、眩しいほどに輝いていた。
「ベスが夜通し介抱してたんだよ」
「師匠も交代してくれたじゃないですか」
「アタシは刀の手入れついでにチラチラ見てただけさ」
からかうような口調でヤミは言う。ベスはなぜか耳まで赤くしている。
「ありがとう、ベス」
「別にお礼言われるようなことしてないし」
ベスはパンを一つ掴むと俺の足元辺りに腰を下ろして、乱暴に食べ始めた。
「美味しいもの食べると不機嫌ではいられないわね」
「だよね」
相変わらずここのパンは美味しい。旅路ではどうしても保存食メインになるから……。
拳大のそれを一つ食べ終わった頃、ドアが何度か遠慮がちにノックされた。
「誰だい」
ヤミが刀を持って立ち上がる。が、警戒している様子はあまりなかった。
「ジェドラングの工房の者です」
男の声だった。ヤミは一瞬俺たちを振り返り、そしてドアを開けた。そこには薄汚れた作業服を着た男がいた。顔も煤けているので年齢が読み取りにくい。三十代半ばくらいだろうか。
「こんな格好ですみません。昨夜は師匠に言われて一晩中作業をしていたもので」
恐縮する男。
「申し遅れました。僕はキビディルと言います。フリツカ工房の主任です」
「フリツカ工房というのがジェドラングの仕事場ということだね?」
「はい。魔導大戦の記録にも出てくるフリツカ工房です」
ヤミに幾分誇らしげに応じ、キビディルは俺を見た。
「事の顛末はイーレスに聞きました。あ、この宿の主人のことです」
戦いの一部始終を見ていたという事か。なんて危険なことをするんだ。幾分憤慨したが、結果的には人的被害者はジェドラングだけだった。それは不幸中の幸いというべき……なのだろうか。
「師匠のこと、ありがとうございました」
キビディルは入口付近から俺に深く頭を下げた。
「い、いや、俺は……」
「この一か月、師匠はずっと苦しんでいました。意図せぬ奇行もそうですし、毎日悪夢を見ているともおっしゃっていました」
キビディルもどこかほっとしたような表情をしていた。
「師匠が亡くなったのは痛恨の極みですが、師匠は救われたのだと思います」
「でも……」
「憎むべきは外道師です。師匠をあんな風にした、外道師です」
リクシェス……。
そしてジルフィム。
許されない外道師たち。俺は右手を強く握りしめる。拳がぶるぶると震えた。
「このたびは王室魔法術師の方もおられたと聞きました。王国が僕たちの町を、師匠を見捨ててなかったことだけでも、僕らは救われます」
「彼女がいなければ、俺たちは返り討ちにされていたかもしれないです」
俺の言葉に、キビディルは「可能性に過ぎません」と首を振った。
「現実は現実です。起きたことに対する行動の結果だけが事実です。師匠もよくそうおっしゃっていました」
キビディルは手にした布で顔を拭いた。汚れた布で拭いているのだから、顔の煤汚れは引き伸ばされただけだ。
「それで、キビディルさんさ。フリツカ工房はどうするんだい」
「僕は師匠からあらかた叩きこまれているので、僕が引き継ぎます。一昨日の夜、師匠が、自分に万が一のことがあったらあとはお前に任せる、とも。ゲミトルードの実物を見たと、たいへん興奮しながらの発言でしたが」
苦笑いするキビディル。
「師匠は善い人間でした。師匠のような善い人間が苦しまない世界になればいいのになと僕は願っています。僕の作る武器は守るためのものです。誰かを守る力になればいいなと」
「アタシたちは世直しをやっているわけじゃない」
ヤミはいっそ冷たい口調で言った。キビディルは頷く。
「でもきっとあなたたちのおかげで、悪しき人間は減る」
「アタシたちだって世紀の大悪人かもしれないよ? たまたまその途上で悪人どもを成敗しているだけの」
「それでも」
キビディルは穏やかな口調で言う。
「救われる人間はいるでしょう。師匠のように」
キビディルはそう言って、俺たちに深々と一礼すると、ゆったりとした歩調で立ち去った。
俺は比較的自由の利く右手の指を睨みながら数え上げる。
「リクシェス、ジルフィム、そしてジムレグ……」
「リクシェスは死んだんじゃないの?」
「奴の本質は死んでいない」
俺はベスにそう断定してみせた。そして目にしたジムレグたちの会話をかいつまんで説明する。見る間にベスの表情が険しくなる。
「……とんでもない奴らね」
「ああ」
倒すべき敵だと思った。まずはジルフィムだ。あの男と俺は、同じ空の下で生きることはできない。
だが、とりあえずはこの町が狙われることはないだろう。
「今はそれでいいことにしようか……」
お腹も満たされ、俺は急にやってきた睡魔たちに意識を手渡した。




