13-06. 共闘
相変わらずの豪雨だ。俺たちは宿の主人が止めるのも聞かず、武器だけを持って外に出た。宿屋の前はちょっとした広場になっていて、小さな噴水すらあった。水が出ているのか出ていないのか確認することは不可能だったが。
轟々と吹きすさぶ風、暗雲立ち込める空、閃光と轟音と衝撃を送り込む雷。たちまち前髪は額に張り付き、服は文字通りびしょ濡れになった。突き刺すように冷たい風が、体温を急激に低下させる。
噴水の前に人影があった。雨に負けそうになりながらも目を凝らしてみれば、そこにいるのは禿頭の老人だ。濃い灰色のマントを着け、右手には長い木製の杖を持っている。
「誰かと思えば、リクシェスかい」
「知ってるんですか、先生」
前を行くヤミに尋ねると、ヤミは前を見たまま答えた。
「アタシがバルーサにいた頃に話題になったことがある。女子供を攫っては、よからぬ実験に使っていたとかいう話さ。あれからもう十年か。聖庁異端審問局も血眼になって探しているはずだ」
「どうして顔を見ただけで?」
「霊話石で顔の情報も回ってきたからね」
「顔? そんなことも?」
「できるのさ」
ヤミの右手が一瞬動いた。「カチン」という音が降雨の轟音を割って響く。刀で何かを弾き飛ばしたらしかったが、俺には見えなかった。
「文字通りの外道さ、こいつは」
『それはそれは、ご挨拶なことですな。解願師のヤミ』
老人――リクシェスの声が頭の中に直接響いてきた。非常に不愉快な感覚だ。
「外道の限りを尽くしていたあんたが、今やどこぞの馬の骨に飼われてるなんて、滑稽じゃないのさ」
ヤミの毒舌が炸裂する。老人は笑みを浮かべていた。が、その感情は一切読み取れない笑みだ。辺りの暗さも相まって恐ろしく不気味だった。
『私の研究を正当に評価し援助を申し出てくださったのだ、あの方は。おかげで女も子供もいくらでも確保できるようになった』
「何が研究だ」
俺は思わず吐き捨てた。リクシェスの右目が赤く光った。ヤミが動いた。老人の背後にあった噴水の一部が砕けた。何かを刀身で反射したらしいが、やはり俺には見えなかった。
「あいつの右目は厄介だ」
ヤミは油断なく体勢を整えている。いつもの余裕がない。
『さて』
リクシェスが杖で地面を突いた。すると噴水の傍らにずぶ濡れのジェドラングが現れた。噴水の壁面に寄り掛かるようにして座っている。気を失っているのか。
『私はこれにて失礼。後はこの私の新しい玩具でごゆるりとお楽しみください』
「逃げるのか!」
俺はゲミトルードを抜いて走り出す。が、見えない壁に弾かれて尻もちをついてしまう。
「ってぇ……」
「大丈夫!?」
すぐに助け起こしてくれるベス。頼りになる。
「ケガはないよ」
「よかった」
不可視の壁は斬っても突いても壊れない。リクシェス逃走のための時間稼ぎに使われているのか。
その時、目を焼く閃光と耳をつんざく轟音が同時に俺たちを襲った。
「っつぅ……」
自分の声もよく聞こえない。周囲は静寂に落ちた。目がチカチカする。俺はすぐにベスを確認してその左手を捕まえる。ヤミは平然と立っていた。
不可視の壁が消えていた。今の雷が打ち消したのか。
そんなことができる人物は状況的に一人しかいない。ペルミナだ。
「リクシェスは!」
さっきまでいた場所にはいない。逃がしたか。
いや……。
俺はズタズタに切り裂かれた自分を見た。
咄嗟に俺はベスを押し倒す。背中に何度か激痛が走る。抉られたような痛みだ。
「レア! 大丈夫!?」
「そう、でも、ない」
俺は傷口を雨に洗われながら呻いた。シャレにならない痛みだった。未来視したのよりはだいぶマシな結果ではあるが。
「気をつけな、二人とも。リクシェスは対価をいくらでも用意できる。並の魔法術師よりも手強いと思うよ」
「先に言ってよ……」
震えながら立ち上がるが、出血量がかなり多い。長時間は動けない。
「異端審問官どもが手を焼く相手だ。そのくらい備えておきな」
手厳しいヤミ。ぐうの音も出ない。
しかし、リクシェスの姿は見えない。代わりにジェドラングがゆらりと立ち上がった。意識があるようには見えない。右の袖は破り取られており、蛇の刺青が蠢いているのが見えた。
「ジェドラングさんは俺とペルミナがどうにかします。先生とベスはリクシェスをひきつけて! 逃がさないように!」
「アタシに指図するとは、なかなかやるようになったじゃないか」
ヤミはそう言うと、右手の指をパチンと鳴らした。
「!?」
リクシェスがすぐそばにいた。杖の先端をこちらに向けて、笑っていた。
『蛇の呪いを受けよ』
回避不能だ。傷の痛みもある。
「世話の、焼ける」
割り込んできたのはペルミナだった。手にした大剣でその一撃を弾き返し、お返しと言わんばかりに斬りかかる。
『!?』
大剣とは思えない超高速の斬撃を、リクシェスはかろうじて杖で受け止めた。
「あとは私と師匠に任せて!」
間髪入れずに槍を突き込むベス。それは躱されてしまったが、リクシェスの体勢を崩させるのには十分だった。ヤミの一撃がその右腕を掠める。
「こっちには、こっちの仕事、が、ある」
ペルミナは俺の左手を掴むと、ジェドラングの方へと導いた。
「痛み、を、一瞬、忘れさせる」
そう言われた瞬間、背中の激痛が嘘のように消え去った。
「出血は、止まって、いない。気を、つけて」
「わかった」
だが、これでまともに戦える。俺はペルミナに深く感謝した。
「ジェドラングさん! 意識を強く持って!」
「無駄。今は、完全に、蛇に支配、されてる」
「あなたの結界は」
「あるから、何、も起きて、いない」
ジェドラングの瞼が開く。濁った白色の目が俺たちを見ていた。全身の刺青が稲光に照らされて一層不気味に見えた。
「彼を死なせるわけには行かない」
「善処、する。お前も、ぬかるな」
ペルミナが施した結界魔法術が解除された瞬間に発動する蛇の呪法。その魔力の糸の起源を見つけ出し、その背後にいる何者かに直接ダメージを与える。一撃でジェドラングの呪いを解かなければならない。リクシェス諸共にヒューケイアの血を引く何者かを串刺しにしなければならない。
「結界を、解いてくれ、ペルミナ」
「任せろ」
ペルミナは迷いなく右手をジェドラングに向けた。瞬間、ジェドラングの全身の刺青がバリンと割れるようにして消えた。残るは蛇の刺青だけだ。
蛇の影は見る間に巨大化し、ジェドラングの右腕全体を覆うほどになった。
俺はゲミトルードを構えて突進する。
『目覚めよ、魔神!』
リクシェスとは違う、若い男の声が聞こえた。俺は右足で急制動をかけ、ステップを踏んで方向を変えた。ヤミたちが戦っている方向へだ。
『今こそ、偽りのヒューケイアを抹殺するのだ!』
何が偽りだ!
リクシェスの全身に伸びる無数の糸にめがけてゲミトルードを振り下ろす――まさにその瞬間、不意に現れたペルミナが刀身に触れて、また消えた。
俺はそのまま魔力の糸たちを断ち切った。




