13-05. ペルミナの結界
――その夜、夢は見なかった。
「おはよ」
俺を覗き込んでいたのはベスだ。あまりに顔が近くてびっくりしてしまう。
「ど、ど、どしたの、ベス」
「どうしたのって、あんたうなされてたから、ちょっと汗拭いてあげようかと思って」
「うなされてた?」
夢を見た覚えはないんだけど。いや、予知夢ではなくてすぐに忘れてしまう普通の夢でも見ていたのかもしれない。
ベスは俺の額を濡れたタオルで拭いてくれた。
「ありがとう。大丈夫。覚えてないし」
「そう? ならいいけど」
「ヤミは?」
「まだ寝てる。頭痛がするんだって。もう朝食の時間なんだけど」
「朝食持ってくるかな。ベスは着替えでもして待ってて」
「うん、ありがとう」
そして俺は朝食のパンとスープを部屋に運んだ。
「昨日の話、結局どうなったの? ごめんね、寝ちゃって」
「ええとね」
俺はまだどこかぼんやりする意識の中、昨夜のヤミとジェドラングとの会話の内容をかいつまんで説明した。
「あんたの血縁があんたの仇ってこと?」
「そうなりそう」
「ううむ。王室魔法術師の中でもとびきり強力な彼女が根本的に潰せなかった蛇の刺青。粗雑ながらも強力な呪。そしてあんたの家に対する怨恨みたいな、逆恨みみたいな。なんかそれ、ゲミトルードの正当な後継者は俺だって言いたいだけじゃない? そんな気がするんだけど」
「あー……」
その可能性は確かにある。その程度の動機が、人を殺せるほどに膨れ上がることは理解できなくもない。
そこでベスが顔を輝かせた。
「ここのパン、めちゃめちゃ美味しいね」
「本当だ。柔らかい」
そして仄かに温かい。スープも美味しかった。きっと豊かな町だということだ。
「でさ、どうするの、これから」
パンをちぎりながらベスが尋ねる。
「老人という奴の狙いが俺だとしたら、多分向こうから仕掛けてくる。どう来るかまではわからないけど」
「この町を戦場にはしたくないね……」
「うん」
俺は寝返りを打ったヤミを見て、少し心拍を上げてしまう。毛布をはだけさせたその寝姿が、あまりにも無防備だったからだ。
「師匠、こぼれちゃいますよ!」
ベスが飛んで行って、毛布を掛けなおす。
「あ、あぁ、うん……。別にいいよ、減るもんじゃなし」
「価値が下がります!」
「レアに見られても別に……」
「だめです! 慎みを持ってください!」
なんとなく馬鹿にされたような気がしなくもないが、俺はとりあえずこの目の前の美味しいパンを平らげることにする。食欲をそそる絶妙な甘さがたまらない。
「頭痛するって言ってるだろ……。あんまり怒らないでおくれ」
「それはすみませんですけど、でも、レアだって年頃の男子なんです。気を付けてください」
「妬いてる?」
「妬いてません! 馬鹿なこと言ってないで、とっとと起きてください!」
「あたたたた……」
結局数分後には、ジト目でパンを食べるヤミが誕生していたわけである。
俺は雨戸を少しだけ開けて空気の入れ替えをし、雷鳴鳴り響く空を見上げた。
「この雷雨の中、歩き回るのは嫌だなぁ」
まだ夏の終わりだというのに、風がまるで氷柱のように冷たい。不吉なことが起きても何一つ不思議のない空模様だった。窓は南向きで、はるか遠くにはジェイルムド山脈が見える。ディーレニア王国は、どこまで行っても南にはジェイルムド山脈が見える。おそらくここからまだかなり北にある王都からでも、ジェイルムド山脈を一望できるだろう。さながら「南の壁」なのだ。
「災いは自分から歩いてやってくる」
もごもごとヤミは言った。ヤミらしからぬジト目に、俺は図らずも噴き出した。
「なにさ」
「いや、先生でもそんな表情するんだって」
「アタシだって人間だよ。あ、純粋な人間じゃないか。んー」
自分で突っ込んで考え込んでしまうヤミ。
「ま、まぁ、いいのさ。アタシだって調子崩す日もあるってこと」
「俺たち大ピンチじゃないですか」
ヤミが戦力外になんてなったら本当に非常事態だ。
「あんたたち二人でも十分戦える相手だよ」
「わかるんですか?」
「黒幕は出てこないからね」
どういうことだ? 一足飛びに話が進んでいってるようで、俺はついていけてない。ベスも首を振っている。
「老人はあんたの血縁でもなんでもないよ」
「どうしてわかるんですか?」
「ジェドラングが言っていた老人は雇われ外道師だ。昨日ジェドラングの蛇に触れた時、アタシが感じたのはもっと若い男の意志だった。それ以上はわからなかったけど」
それにね、と、ヤミは声を潜めた。
「あれからずっと呪詛の声が聞こえてる。蛇に触れたことで、先方にもこっちの接続経路が開いてしまったのかもしれない」
「それってつまり……」
ベスがてきぱきと食器を片付けながら言う。
「本体は安全地帯にいて、金で雇った外道師たちを嗾けるスタイルってことです?」
「その可能性が高いね。でもとりあえず本体の願を解かない事には、ジェドラングは救えない」
「でも、師匠。それにはまずペルミナの結界を解かないとならないですよね」
「そいつが困りものだよ。直接連絡でも取れればいいんだけど、ね」
俺はベスから食器を乗せたトレイを受け取った。
立ち上がり、部屋を出て食器を返却し、部屋に戻ろうとした時。
扉の前に黒い軍服姿の暗黒の顔の魔法術師が待ち構えていた。
「ペ、ペルミナ……?」
「結界を、解いた、ら、その瞬間に、ジェドラング、は、死ぬ」
「どうにかならないのか」
「彼に、埋め込まれた呪いは、強すぎる。今の、状態、の、ジェドラングを殺し、その呪いを断ち切るほかに、手段は、ない」
冷徹に告げられたその言葉に、俺は息を飲む。
「それじゃ、どっちにしても彼は助からないじゃないか」
「助かる術は、ない」
いや、何かあるはずだ。まして俺たちの手で彼を殺すなんて言語道断だ。
「私が、殺す、つもりだった。だが、ヴァレス様が、止めた。解願師に、委ねる、と」
「ヤミはジェドラングに呪いを施したのは、雇われ外道師だって言っていた。本体の見当はついているのか?」
「おそらく、ジムレグに保護、されている。現状、手が、出せない」
なんて厄介な……!
そこで俺は人の気配が完全になくなっているのに気が付く。室内にいるはずのヤミたちの息遣いも感じられない。
「結界、だ。心配、要らない」
「そうか」
安心していいのか、よくないのか。
「ヴァレス様の、意には、反するが、私も本件に、関わった身。ある程度の支援は、しよう」
「結界を解くこともできるか?」
「無論、だ。だが、そうなれば、蛇が暴走して、魔神が、孵る」
困ったな。
俺は顎に手をやって考え込む。
「ジェドラングの救出は最優先だ。外道師を通じて元凶を叩く」
「ほう?」
外道師を操る魔力の糸を遡れば、外道師を通じて力を放とうとした瞬間に、カウンターを浴びせることは可能だ――と思う。外道師を踏み台にして、力を流し込めば……!
「時間は、あまり、ない。そろそろ、迎撃の準備を、整えた方が、いい」
ペルミナはそう言って姿を消した。途端に周囲や階下に人の気配が戻ってくる。
「ただいまー」
俺は何食わぬ顔で部屋に戻る。ベスは床に携帯食料を広げて在庫管理中だった。
「おかえりー。遅かったね」
「ペルミナがいた」
「は!?」
ベスが勢いよく立ち上がる。
「ペルミナが!? で、どうしたのよ」
「協力してくれるって。でも、結界を解くだけだとジェドラングさんは死んでしまうらしい」
「なんであんたそんなに淡々としてるのよ」
いや、慌てたって仕方ないし……。
と言うと何か怒られそうな気がしたので黙っておいた。
「おふたりさん。奴さんがお見えのようだよ」
すっかりいつもの表情に戻ったヤミが、凄みのある笑みを浮かべた。水色の瞳が燭台の揺らめきを受けて、ギラリと光った。




