13.03. 憑りつく蛇
うむ――と、ジェドラングは頷いた。
「ちょうど一月前、夏の最中の話じゃ」
今から一月前といえば……ジェスガルディア要塞の頃か。
「いつものように仕事を終え、ここで飲み、家に帰る途中でワシは奴と出会った」
「奴……?」
「大層不気味な爺さんだった。暗がりだったから顔はわからんかったが、とにかく恐ろしい爺さんじゃった」
その言葉に、俺はジムレグを連想する。
だが、ジムレグが鍛冶屋の主人に何の用だろう。
「その時じゃ。これを見てくれ」
ジェドラングは右腕の衣服をまくり上げ、二の腕を露出させた。
「刺青が動いてる……」
ベスと俺の声が揃う。その刺青は、まるで蛇のようにぐるぐると身体をうねらせながら、二の腕の外周を回っていた。
「なるほど?」
ヤミが干し魚の尻尾まで口に放り込んでから「ふーむ」と鼻を鳴らした。
「これは呪術的なものだね」
「魔法術ではなく?」
俺が暗にジムレグに言及したが、ヤミははっきりと首を振った。
「奴の作品じゃぁない。あまりにもお粗末すぎる」
「何の話なんじゃ。ワシは誰かに呪われるようなことはした覚えはないぞ」
ジェドラングはいささか憤然としたように言った。ヤミはその言葉を制するように言う。
「その前に、ご主人。それ以外の刺青はいったい?」
「ああ、これか。これはな、これまた不気味な女に今はこうするしかないと言われたんじゃ。蛇の刺青に食い殺される前に、それを閉じ込める必要があると言われてな」
「不気味な女?」
ベスがやや食い気味に尋ねた。
「それがな、どうしても顔を思い出せない。声も思い出せない。じゃが、とにかく不気味な女じゃ。それにその女が現れた時には、蛇のいる場所が痛くて気絶しそうじゃったんじゃ」
「で、その女に何かされたら、全身刺青まみれだったと」
「なんじゃ、話が早いな、小童」
その容赦のない対症療法を取りそうな、顔を思い出せない女……俺の知る限りでは、そんなことをするのはペルミナだけだ。だとすると、これは彼女ほどの大魔法術師が出張ってくるほどの重要案件ということになる。
「ちょっとその動く刺青を、よく見せておくれ」
ヤミはそう言うと、左手でジェドラングの右腕を掴み、蠢く蛇のような模様に人差し指で軽く触れた。バチッと音が鳴り、ヤミとジェドラングが同時に顔を顰めた。
ヤミは囁く。
「これは相当な願だ」
その声は雨音と酒場の喧騒に遮られ、ジェドラングには聞こえなかっただろう。
「老人というのが気になる。ジェドラングさん、その老人は何をあなたに告げたんですか?」
「ワシの家は千年以上続く鍛冶屋で、この町もワシの店を中心に発達したようなもんじゃ。じゃから、ワシの先祖が作った武器も一つ二つは伝説級のものになっておるのじゃ。例えば小童、お主の腰にある剣」
俺は思わずゲミトルードの柄に触れた。
「その剣もおそらくは魔導大戦の頃の逸品じゃろ?」
「な、何故わかるんですか」
「昨今の鋳造剣でそんなデザインは不可能じゃ。柄飾り、鞘飾りも、今のものじゃない。どんなに新しくても五百年以上昔のものじゃということくらいは、ワシにはお見通しじゃ。ここで刃を見るわけにはいかんから、これ以上はわからんが、それほど歴史のある剣が現存しているというのなら、やはり魔力を潤沢に込めることのできた魔導大戦の頃のもの、ということになるわな」
「すごいお爺さんね」
ベスが目を丸くしている。正直俺には、ゲミトルードは外見的には「ちょっと豪華な長剣」にしか見えておらず、現用の高級剣と比べて何が違うのかわからない。だが、ジェドラングはさすがは鍛冶屋だ。武器に関する解像度は俺なんかとは比べ物にならないのだろう。
「ああ、それで、その老人じゃ。奴はワシに、あのゲイネス・ヒューケイアが持っていた、ゲミトルードの複製を作れと言ってきた」
「!?」
「確かにゲミトルードはワシの先祖が作り上げた名剣! じゃが無論、実物は見たことがないし、そもそもワシには魔力を込める術がない。そう言って断ったら、この刺青を埋め込まれちまった」
俺はヤミとベスに視線を送る。二人ともすぐに頷いた。
「ちょっと部屋に来てもらえますか」
「なんじゃ?」
「見てもらいたいんです、この剣を」
俺たちは燭台を三つほど部屋に持ち込み、また、角灯も点けて極力部屋を明るくした。
そして俺がゲミトルードを抜く。蝋燭の灯りを反射して、その刃が物騒に輝いた。すると、ジェドラングの表情が分かりやすく明るくなった。しかし、かなり不気味だ。
「これはすごい……。ワシが今まで見た中で間違いなく最高の品質の剣じゃ。それにこの」
ジェドラングは俺からそれを受け取って、刀身から柄までを仔細に調べ始めた。
「この刃は鋼ではないな。鋼にしては軽すぎる。特殊な銀……いや、違うな。ええい、細かい製法は失われてしまっておるのが歯痒いわ」
すっかり職人の目になって分析をしているジェドラングを、俺たち三人はベッドに並んで座って見つめていた。
「小僧、お前は何者なんじゃ。この武器はやはりまぎれもなく魔導大戦の頃のもの。当時の武器で現存しているものなど、ゲミトルードとファイヴァルレド、その他幾つかしか記録にはない」
「その二つの武器の正当な継承者が、この子たちさ」
「なんと! ヒューケイア家とティラール家の……!? いや、しかし、両家は何者かによって……」
「耳が早いね」
「伝説の武器はどこに行ったんじゃということで、ワシらの組合内では話題になっておった。襲撃の話自体は、バルーサの霊話石での情報を横流ししてもらってすぐにここにも届いた」
なるほど――。
「しかし」
ジェドラングの表情が曇る。
「あの老人の言葉と、ここでのお主らとの出会い。あまりにも出来過ぎじゃ」
「それに」
ヤミが立ち上がった。
「その全身刺青による魔法結界を施した女。アタシの知ってる人物なら、そんな動く蛇なんざ、わざわざ結界で封じなくても簡単に消せたはず。その狙いも謎だね」
「ワシは早く元の姿に戻りたいのじゃがのう」
「もう一つ、いいですか」
俺も立ち上がった。まだ結論を聞いていない。
「悪魔がどうの、というのはいったい?」
「それが、わからぬのじゃ」
「わ、わからない?」
「勝手に喋っちまうんじゃ。ワシは必死に止めておるのじゃ。じゃが、ワシの身体は勝手に動いて、勝手に悪魔と叫びまわるんじゃ……」
それもこれも、きっとこの刺青のせいだ、と、ジェドラングは困り果てた表情で呻いた。




