12-06. 悪人
夢……なのに、全身がバラバラになってしまいそうなほどの激痛が走っていた。
そう、ここは夢だ。ということは、俺は気絶したのか。
クラッドノウトがどうなったのか、今は知る術はない。だけど、俺が奴を倒せてないとすれば、ベスも、ヤミも危ない目に遭う。早く戻らなくてはと思うのに……。
薄暗い部屋の中に俺はいた。温度は感じないが、きっと蒸し暑い。小屋は隙間だらけで、そこから差し込む光が鮮烈に白かった。真夏の陽光と言っていいに違いない。
――意識が夢の中に移っていくにつれ、身体の痛みは消えていった。
その狭い部屋の中に、少年が一人座らされていた。部屋の中央にある柱に、麻縄で縛り付けられていた。顔は腫れ上がり、裸の上半身も背中も胸も、殴打の痕跡があった。
これは、誰だ?
俺は少年を観察しようと数歩近付いた。少年は譫言のように「殺してやる」と呟いていたが、その目はカッと見開かれ、部屋のドアを焼き切ろうとするかのように睨みつけていた。
その時、ぼろぼろの木の扉が乱暴に開けられた。入ってきたのは三人の屈強な男たちだ。
「飯だ、ありがたく食え」
男の一人が、スープの入った皿を少年の頭にぶちまけた。具なんて何も入っていない、ただのお湯……と言った方が良いのかもしれない。
「なんだぁ、その反抗的な目はよぉ。せっかく買い付けてやったのに、仕事はできねぇ、態度は悪い。ぶっ殺してもいいところをこうして生かしてやってる。飯まで食わせてよ」
「ぶっ殺してやる……」
「はぁ? もう一度言ってみろ!」
「ぶっ殺してやるっつってんだよ!」
その瞬間、少年の左の頬に男の拳が入った。頬骨が砕ける鈍い音がした。
「おいおい、殺したらめんどくさいぜ」
「殺しやしねぇよ、これは教育だよ、教育」
言うなり、その男は拳で思い切り少年の鳩尾を殴った。身をよじらせて苦悶する少年を見て、男たちが笑う。
「誰がご主人様か、いい加減覚えたらどうだ」
「ぶっ殺してやる」
「そのありさまで俺たちを殺せると思ってんのか、馬鹿野郎」
男は少年の濡れた髪を掴みあげ、顔を近付ける。
その時だった。男の後頭部が破裂した。
残った二人は何が起こったかわからない様子だったが、俺にはわかった。少年は折れた歯を凶器にしたのだ。男の顔面に超高速で歯をぶつけ、衝撃で頭部を粉砕してみせた。
だが、そんなことは常人にはできない。嫌がらせにしかならない。
「こ、この人殺し!」
一人が立てかけてあった角材を手に取った。だが、そこまでだった。角材は一瞬で砂となった。そして、男も。
「うわ、た、助けて」
情けない声を上げて、男がドアを開ける。
「ぶっ殺すって言ってんだろうが!」
少年は立ち上がっていた。彼を拘束していた縄も、今や小さな砂山に変わっていた。少年はその砂山を思い切り踏みつけた。
クラッドノウト……。
誰がこの夢を俺に見せているんだ。奴に同情させるためか。
そこから先は凄惨だった。ドアの向こうには村の広場があり、そこには少なくない数の人間が集まっていた。
遠くには城壁が見え、ここが城塞都市なのだということがわかる。それも小さくない。見慣れない植物が生える、乾いた砂っぽい土地だった。ディーレニアの南部都市だろうか。魔導大戦の記録に、南の方は砂に飲まれた……という記載があった気がする。
少年――クラッドノウトは、小屋から出るなり、まず逃げた男を惨殺した。およそ人間の尊厳というものを無視した殺し方だった。方々から悲鳴が上がったが、クラッドノウトは悲鳴を上げた順に殺した。たちまち広場は血の海となり、建物は次々に砂の山と化した。
「はぁ、はぁ」
クラッドノウトは痛みを堪えているようだった。奥歯を噛みしめ、拳を握りしめ、しかしそれでも遠巻きに見ている人間、武器を持って迫ってくる兵士たちを睨んでいた。クラッドノウトはこの世の全ての人間を憎んでいる――俺にはそう映った。
「ぶっ殺してやる!」
クラッドノウトの咆哮。それと共に迫ってきていた兵士の一隊が砂と化した。ゴウと風が吹く。その風が通り過ぎた後には砂が残った。人も建物も動物もない。皆、等しく金色の砂となった。
完全に魔法術の暴走――。
「違いますよ」
「キケレアーナ!?」
突如現れた一つ目の異形に、俺は腰を抜かすほど驚いた。
「あれは魔法術ではありません。呪術です」
「でも、対価は……?」
クラッドノウトは支払えるものを何も持っていない。
「念、です。彼の場合は。怨や恨と呼ばれることもある、禁忌の呪法です。己の憎しみの、すなわち呪いの感情だけを糧にして、ゲドルタから分不相応の魔力を借り受ける」
「虐待の積み重ねで、彼がそれをできるようになったって……?」
「彼にはもともと呪術師としての才能があったのです。彼は誰から教えられることもなく、その能力を開花させた。これは今から十六年前の話。あなたが生まれた頃の出来事です、オルレアス」
憎しみの感情だけで、彼はこの城塞都市を砂と化した。何千人分もの命と共に。
「これが世界で最も厄介な外道師が発生した瞬間です」
「それでも」
「同情はできない、ですか」
「無関係な人を殺したことは事実です」
「それで?」
「それでって……」
キケレアーナの一つ目が俺を見下ろしていた。
「因果を辿れば、彼が恨むべきは彼を売り払った実の親でしょう」
「彼は日常的に暴力を受けていたんですよね」
「そう。町の人々のいくらかに」
「だったらやっぱりほかの無関係な人まで殺したのは間違えてます」
俺は言うが、キケレアーナは「ふっ」と笑って砂漠に飲まれた都市を見遣った。
「町の人々の多くは、このことを知っていましたよ。子供を買っては好きに使う。彼らの文化はそんな文化です。ディーレニア領とはいえ、ラガンドーラ大帝国の影響を強く受けていますから。そんな都市があるから、こんなことが起きた。それを起こしたのはたまたまクラッドノウトだったに過ぎません」
「だからって、でも、何千人も殺していい理由にはならない」
「そうでしょうか。彼のおかげで不幸な子供は減ったかもしれません」
キケレアーナはなおも反論してくる。
「では、オルレアス。あなたの正義はなんですか。彼はどうすればよかったのですか」
「それは……」
「暴行をはたらいた男たちだけを一人一人殺していけばよかった? それとも彼は黙ってこのまま死んでいればよかった?」
「俺は……でも」
「それでも無差別な殺戮は間違えている、ですか」
「ええ」
「そもそも――」
キケレアーナは右手の人差し指を立てた。
「彼には何の罪もなかったのです。ただ親に売られ、この町の男に買われ、毎日暴行され、食事も満足に与えられず、抵抗も許されず、明日の希望を持つことすら許されず、ただひたすら怨恨を募らせていった。誰に罪があるのですか」
それは……。
俺は言い返せなかった。
「悪魔を作ったのは彼らです。この都市の文化が、伝統が、思考が。そしてそれを当然として、自然なものとして、いえ、ともすれば正しいことだとして受容し続けたのは彼らです。少年に救いの手を差し伸べた者は誰一人いなかった。孤独の中でただ復讐の念だけを糧に生き抜いた少年は、果たして悪人だなどと言えるでしょうか」
「でも!」
子どもまで殺していい理由にはならない。彼らには何の罪もなかったじゃないか。少年と同じだ。ただこの町で生まれただけだ。
俺は必死に、キケレアーナの一つ目にそう訴えた。
「そうですね、あなたは正しい」
キケレアーナは頷いた。
「少年は悪人ではなかった。少年は自らを虐待した悪人たちを殺した。そして悪の都市を滅ぼした。しかし、それでも少年は元には戻れなかった。ただの誇り高き少年は、手の付けられない悪人となってしまった。これは悪人たちが、少年を悪人にしてしまった結果です」
「元がどうであっても! 犯した罪は償うべきだと俺は思います」
「罪を犯させた者たちを、自ら裁いた結果だとしても?」
「……そ、それは、でも」
「従容として死を待てばよかったと言いますか?」
それは、違う。俺は無言で首を振る。
「正義とは曖昧なものなのですよ、オルレアス」
キケレアーナは諭すように、静かな口調で俺にそう告げた。
俺は唇を噛んでから、努めて感情を抑えて尋ねる。
「俺にこの夢を見せているのは、あなたなんですか」
「いいえ」
キケレアーナは即座に、穏やかに、否定した。
「私はあなたの夢を覗いているに過ぎません。あなたにこの夢を与えているのは、おそらく……ゲドルタ」
「ゲドルタ……」
俺の声はひどく掠れていた。




