02-03: 予知と襲撃
ヤミの目が爛々と輝く。表情は氷のように冷たい。
「ゲドルタという言葉をどこで知った?」
「それは、その、昨夜の夢で」
「夢……」
ヤミは俺の一足一刀の間合いに立っている。ヤミの居合術を知っている俺としては、もう完全に物理的に詰められている。身動きができない。視界の端にベスが見えたが、彼女も動けないようだった。
「夢で何を見た、ゲイネス・ヒューケイアの末裔」
「老人が、その、女の人に永遠の命を」
「まさか……!」
ヤミの表情に初めて動揺が浮かんだ。
「その女はどうなった?」
「その、生きたまま腐って……」
「その老人というのが、ゲドルタのことを口にしたんだね?」
ヤミから殺気のようなものが消えた。ヤミは後ろで手を組み、上半身を捻った。俺もようやく呪縛から解放される。俺は一呼吸置いてから尋ねた。
「ヤミは老人に心当たりが……?」
「屍霊術師ジムレグ」
短く答えたヤミの声は、低く、重い。ベスが槍を地面に置いて食料袋からパンを取り出した。面白くなさそうな表情で、その半分を俺に渡してくれる。
「それで、あの、師匠。屍霊術師って、二十年くらい前に討伐されたっていう……?」
「そうさ。ジムレグ討伐戦には、王室魔法術師たちが総動員された。けどね、甚大な犠牲を強いられたにもかかわらず、ジェイルムド山脈の古城牢に幽閉するのが精いっぱいだったんだ」
「それをこいつが夢で見た、と? 知りもしない老人のことを、そこまで鮮明に夢に見ますかねぇ?」
その疑問はもっともだ。俺にだってわけがわからない。ヤミは立ったまま水を一口飲んでから、俺を見た。
「それはそうなんだけどねぇ、この子、ゲドルタって言葉すら聞いて覚えている。どうもこれには……魔法術的な匂いを感じるねぇ」
それから俺たちはそそくさと片づけを済ませ、すぐに南へと進路を取ることにした。俺は少し唸ってから尋ねてみた。
「なんでこっち方面なんですか? 南方面はかなりの高地になるので道も気候も険しいと思いますけど……。ジェイルムド山脈にも踏み入ることになります」
「うっさいわね、私がこっちと言ったらこっちなのよ」
ベスは大量の荷物を背負いながら吐き捨てた。あの小さな身体で自分の体重以上の荷物を背負っているのだ。対するヤミは小さな背負い鞄を持っている以外、ほとんど手ぶらだ。俺はと言えば、食料やら毛布やらをごっそり背負っている。そこまで重くはないが持ちにくい。
「大丈夫なんですか、ベスは」
「本人は鍛錬のつもりでやってるからいいのいいの」
ヤミは鼻歌を歌い出しそうな雰囲気だ。
「他人に気を回すのはいいことだけどさ、まずは自分を御することを覚えないと」
「俺が?」
「あんたはまだ、両親を殺されたことを受け容れられていない。仲の良かった使用人たちのこともね」
「それは……」
そうかもしれない。理不尽に命を奪われた両親や使用人たちを思い出しても、今一つ現実感がなかった。悲しいという感情よりも、理不尽だという怒りが先に立つ。
「悲しみが来るのが遅くても、それは薄情なせいってわけじゃないよ。涙が出ないからと言って自分を責める必要もないさ」
「ヤミ……先生」
「先生ってあんたねぇ」
ヤミは左手で自分の頬を引っ掻いた。並んで歩く俺は、そのまま彼女の左顔を見つめている。
「まぁ、いいや。師匠だの先生だの、そんな大層なもんじゃないんだけどねぇ、解願師ってのは」
その時、俺の視界がスパークした。小さな森を目指して先頭を歩くベスの喉に、矢が突き刺さる――そんな映像を見た。昨夜初めて体験したのと同じ感触だった。
「ベス!」
俺は怒鳴りながら剣を抜き、そのままベスに投げつけるフリをした。咄嗟の行動だったが、ベスは意図したとおりに「何が起きたかわからない」という表情で勢いよく屈んだ。それまでベスの頭があった辺りを何かが通過してくる。
「フッ!」
ヤミが前に出て刀を抜き放った。超高速で引き抜かれた刀は、乾いた音と共に何かを弾き飛ばしていた。
「な、なに……」
状況が飲み込めないベスは、頭を抱えた姿勢のままで俺とヤミを交互に見つめている。ヤミは少し離れたところに落ちていた折れた矢を拾い上げ、壮絶な微笑を見せる。
「解願師を敵に回すとね、こうなる」
ヤミは折れた矢を器用にくるくると回しながら、ブツブツと呪文を詠唱した。
「呪いよ、しかるべき者の所へと――」
昼を前にした明るい空の色が、確かに一瞬陰った。まるで俺たちの所にだけ雨でも降るのではないかというほどに。
「還れ」
ヤミの目が青く輝いた。透き通った、しかし禍々しいとさえ受け取れるほどに歪んだ輝きだった。
ヤミの手にあった折れた矢から煙のようなものが噴き出し、風もないのに流れていく。
煙の行き先にあった小さな森が青白く燃えていた。ベスは奇怪な炎を上げる森の方から視線を逸らさずに、じりじりと後退してくる。
「な、何が起きてるんですか、師匠」
「あんたを射殺そうとした連中をまとめて焼肉にしているのさ」
「わ、私を……?」
「レアに感謝しておきな。アタシだけじゃ反応できなかったからねぇ」
ヤミは俺の右脇を肘でつつきながらそう言った。確かに、ヤミよりも俺の方が気付くのが早かった。あの怪現象のおかげだが……。
ベスは今になってようやく、ヤミの手の中にある折れた矢を認めて、状況を理解したようだった。
「敵は皆死んだのですか」
そう尋ねた俺にはまだ、人が死んだという実感はなかった。そのため、恐怖を感じることもなかった。ベスが無事でよかった――今はそうとしか考えられなかった。
森は燃えているのに、まったく熱くはなかった。ただ青く眩しく揺れているだけだ。
俺は指先でその揺らめきに触れ、やはり何のダメージも受けないことを確認した。
「無鉄砲というか」
ヤミが後ろで呆れた声を出した。
「一応これ、呪法で生み出された炎だからね。どんな呪、どんな願があるかわからないじゃないのさ」
「少なくとも俺には攻撃的なものではないと判断しました」
俺は言う。ベスを狙った者の持つ殺意という呪を返したのだ。俺には何の影響もないはずだ、と。
ヤミとベスを置いて、少し森に分け入ると、何とも言えない呻き声が聞こえてきた。それは、三人か四人分のものだった。




