02-02: 実感と予感
夢か。
俺は首を振って起き上がる。バサッと音を立てて、目の粗い毛布が落ちた。
「あれ?」
「私がかけてあげたのよ、感謝なさい」
焚火に枯れ枝を放り込みながら、ベスが声を張った。ベスは背中を向けているので、その表情は見えない。彼女の斜め前にはヤミが座っていた。背筋をピンと伸ばし、座っているにもかかわらず、その佇まいには微塵の隙もない。白い髪が朝のそよ風に揺れている。
昨夜の出来事が衝撃的過ぎて、俺の気持ちはまだ落ち着いていなかった。その上あんな夢だ。まったく休めた気がしないし、何ならここでこうしていることも夢であって欲しいと思っている。
「もう少し寝てなよ」
「あ、いえ、起きます。変な夢を……見ちゃって」
あの夢は非常に生々しく、一字一句書き出せるほど鮮明に記憶に残っている。今はもう寝られそうになかった。
「夢?」
ヤミが氷色の瞳を細めた。
「あんた、手が震えてるじゃない。気持ち悪っ」
ベスは自然に悪態をつきながら、俺に場所を譲った。
「震えてなんて……本当だ」
両手の指先が激しく振動していた。
「昨夜のことが現実として受け入れられてくるにつれ、身体症状も現れる。おかしなことじゃないさ、レア」
ヤミは傍らの食料袋をあさりながら言う。
「俺は……何もかも失ってしまったんですね」
「あんたは家を滅ぼした根源を突き止めたい。それはいいさ。で、その後どうするんだい?」
「それは……」
「同じ目にあわせてやる? 改心するまで説教する?」
「なぜこんなことをしたのか、知りたいだけです……」
俺の右手が大きく震えた――まるで、本心ではないと身体が拒絶しているかのように。ヤミの目が鋭く細められる。
「その問答の結果で、次の一手を決めると」
「……はい」
「できるのかねぇ」
ヤミはキイチゴを一つ咀嚼しながら、よく晴れた薄い色の空を見る。俺は知らず両手を握りしめていた。いつの間にか、肘のあたりまで鋭い痺れが走っている。
「敵が誰であるにしても、あんたの敵は強大にして狡猾にして邪悪だよ」
「なんでそんなものに、俺たちが……!」
「それはアタシにもわからない。それにもしそれをアタシが知ったら、あんたの味方でいられるかも、わからないよ」
ヤミは何かに気付いているのかもしれない。俺の知らない何かに。
その時、立ち上がったベスが、おもむろに長槍を振り回し始めた。
「あれがベスの朝の日課さ」
旅路を共にして、まだたったの数時間だから知らないことの方が多い。
昨夜は領民の家に泊めてもらう案もあったのだが、俺が拒否した。万が一にも彼らが被害者になり得る事態は避けたかったからだ。実際に昨夜、俺たちを見つけた人々は身に余るほどの協力を申し出てくれたのだが、やはり俺は拒否した。代わりにかなりの量の食料を強引に渡された。
「あんたの親父さんは慕われていたみたいだねぇ」
ヤミは彼らからもらったばかりのパンをちぎりながら、しみじみと言った。俺は頷く。父は辛めの評価をしても王国一領民に慕われていた領主だと思っている。この辺りは少なくとも曾祖父の代から幾度となく飢饉に見舞われた土地だったが、ただの一人も餓死者を出したことがない。それは父も祖父も誇りにしていた。
「一千年前からの勇者の血統ヒューケイア家。その誇りが背筋を伸ばさせていたんだろうねぇ」
「そうかもしれません。父はそのことを確かに誇りにしていました」
「おかげでアタシたちは食うに困っていない。ありがたいことさ」
「あの! ところで師匠!」
槍をぶんぶんと振り回していたベスが、唐突に動きを止めて言った。
「ヒューケイア領が空白地になっちゃうのはいいんですか? 王国から次の領主が……?」
「そうだねぇ。レア次第じゃないか。レアも十六歳、だと聞いている。家督は継げる」
迷ってはいる。このまま俺の旅を始めようとすれば、俺は領民を見捨ててしまうことになる。しかし、家督を継いで領地を治めたところで、根本的な解決には至らない。再び俺が呪法で狙われないとは限らない――というより確実に狙われるだろう。そして俺一人では何もできない。
「ヒューケイア家は俺が生きている限り終わりません。結果、この領地が誰かにとられたとしても、それは……」
「覚悟はできているってことでいいんだね、レア」
「それは昨夜――」
そこでベスがひときわ音高く槍を振った。
「師匠! こんなへなちょこ、足手まといですよ」
「あんただって最初はお荷物だっただろう?」
「お、お荷物……!?」
「それが今やこんなに頼もしい同行者になった」
「そ、それは……っ。ふ、ふふん、そうですとも。これが鍛錬の成果です!」
ベスはそう言って俺に舌を出した。ヤミを窺うと肩を竦めて立ち上がったところだった。
「ベス、あんたの戦いと同じように、レアの戦いは厳しいものになるんだよ」
「一人でどうぞ」
「あんただって助けられるかもしれない」
「そんなことあり得ません!」
意地になって言い返すベス。俺、この子に何かしたかな……。
「あり得ない、ねぇ」
ヤミは首を振る。そして腰をかがめて下草をちぎり、戯れに草笛を吹く。ヤミは本当に行動が読めない女性だ。
「アタシはいつかレアに助けられる時が来るって予感がしてる。あんたもね。何にしても使えるカードは多い方がいいじゃないさ」
「男なんて……!」
「あんたも年頃だし、事情も事情だ。その男嫌いはアタシにだって理解できる。だけど、レアもまた勇者の末裔さ。聖剣ゲミトルードを受け継いだ人間だよ。そこいらの馬鹿野郎どもとは違うよ。奴らとレアは別の種族さ。なんでも一緒くたにするもんじゃない」
「わかるものですか」
ベスは槍を担いで頬を膨らませる。黙っていればこの上ない美少女なのに、本当に台無しだ。きっとお互いの好感度はマイナススタートに違いない。
そっぽを向いて旅支度を始めたベスを見ていると、俺の肩にヤミが手を置いた。
「ま、悪い子じゃないから」
「ええ。それはそう思うんですが」
俺はそこで思い切って訊いてみることにした。
「ヤミ、ゲドルタって何ですか?」
「……それをどこで聞いた」
ヤミの目が刃のように細められた。凍て付いた視線を受けて、俺は思わず唾を飲む。
朝の風がヤミの白髪を弄ぶ――。




