12-04. 魔法術の祖
朝日が昇り切った頃に、俺はヤミを起こし、あの後ひと眠りしたベスを起こし、出発の準備を進めていた。俺とベスが荷物をまとめている間、ヤミは鼻歌さえ歌いながら、時々ニヤニヤとした笑みを俺たちに向けていた。
「な、なんですか、師匠」
耐えかねてベスが尋ねると、ヤミはこれ見よがしにツイと口角を上げた。
「キスくらいはしたのかい、あんたたち」
「し、してませんよ! なんでこんな奴とキスなんて!」
「おやおやぁ?」
ベスの振り回す両手を華麗に回避しながら、ヤミが俺を見る。
「さっきいいムードだったじゃないのさ。流れで押し倒すとかしてもよかったんだよ? というか、男ならそのくらいやりなよ、レア」
「お、押し倒す!?」
さすがにそれが何を意味するかを知らないほどの子どもじゃない。でもベスに対してそういう感情を抱いたことはない。
「ていうか先生、起きてたんですか」
「アタシの眠りが浅いのは知ってるじゃないか。一言一句、余さず漏らさず聞こえてきたけど、何か?」
「何か? ……じゃなくて!」
俺の代わりにベスが言う。心なしか、その金髪が乱れて見えた。
「師匠、どんな耳してるんですか。焚火挟んだ向かい側でのコソコソ話ですよ? 聞こえるはずないじゃないですか」
「アタシ、解願師」
ヤミは目を細めた。いつもは凍て付いているその水色の瞳が、なぜか今は柔らかく見えた。
「ヤミに聞こえませんように、というあんたたちの願いを解けば、そりゃなんだって聞こえるさ」
「そんなこともできるんですか」
「アタシに不可能なんてないんだよ、レア」
底知れぬヤミの能力に俺は驚いてしまう。俺の目の前にいるベスが、くるりと俺を振り返る。
「こうなったらキスしちゃおうか!」
俺の心臓が急に、聴覚の仕事の邪魔をし始める。
「いや、それはない」
「……なんでさ」
ベスが唇を尖らせ、目を伏せた。
なんでって言われても。俺は視線を彷徨わせ、ヤミに助けを求めた。ヤミは右手を軽く上げ、指を組み合わせる。まずい、解願する気だ。
「なんてね」
ヤミはそう言うと右手の平をパッと開いた。弄ばれた……。
「そもそも、アタシが解願したら、あんたはキスしたのかい? それとも、しなかったのかい?」
うっ……!?
どっちなんだろう。
俺にもわからない。キスする関係って何だ? ――そんな根本的な疑問も湧いてくる。
「師匠、もういいでしょう。レアはヘタレ。それでいいです」
ベスの刺々しい口調に、俺は幾分か傷ついた。
「さ、行きましょう。次の町は少し遠いですから、急がないと夜までに着けませんよ」
皆殺しにされた前の町からは、いくらかの新鮮な食料と水を入手した。火事場泥棒のようで気が引けもしたが、このまま放っておいても、野菜も肉もすべて腐ってしまう。そう自分を納得させて、ありがたく頂戴してきたのだ。
それから宿場町を一つ、二つと過ぎ、俺たちの旅は順調に進んだ。大深淵から離れることが最優先だ。わざわざ危険地帯に飛び込むリスクは冒したくない。どうせ危険は自分から追いかけてくる。
道々、俺は先日見た夢の話を二人にした。前国王夫妻が殺されたあの事件だ。
「ヴァレスはあの後から、聖庁異端審問局のグリードの爺さんと組んで、数多くの外道師を火刑に処した。裁判は公平公正に行われたというが、どうだろうね」
嫌悪感を隠そうともせずに、ヤミは言う。俺は「そうだ」と手を打った。
「先生はゲドルタ・ブラウって知ってました?」
「高位の魔法術師と王家だけが知っている、三人の大魔導のことさ。ゲドルタ・ヘクサ、ゲドルタ・イレグと合わせてね」
「だ、大魔導?」
初めて聞く、しかし、決して良くない雰囲気の呼称に、俺は思わず訊き返す。
「ゲドルタの名を冠してることからわかるように、ブラウたちはアタシたちなんかよりも、ずっとゲドルタに近い。その分、ダイレクトに力を行使できるということさ」
「どこにいるんですか?」
「さぁてね。そもそも実在してるかさえ確かじゃないのさ」
その言葉に、俺は少し考えて、記憶を反芻する。
「でも、ペルミナはその存在に対して、確信を持っているようでした」
「奴らが肉体を持っているとは限らないってことさ」
「概念体ってことですか?」
「かもしれない。もしかするともっと上の存在かもしれない」
それが何を意味するのかまではわからなかったが……。
「ちなみにそのゲドルタ・ブラウとか、いつから存在しているんですか?」
「アタシも父さ……前国王から聞いただけだけど、魔導大戦の頃にはすでに存在していたらしい。というより、彼らが勇者たちにゲドルタの概念を解き放ったとさえ言われているんだそうだ。ゲドルタを用いた呪術……魔法術の真の意味での開祖とさえ言われているよ――知る人ぞ知るだけどね」
また時空を超えた話になってきた。俺は一瞬、眩暈を覚える。
それと同時に、何か不吉な、肌が粟立ち、気道が塞がれるような、不愉快な寒気も。
「俺の能力も、まさか」
「わかりゃしないさ」
ヤミは明瞭に言った。
「あんたの能力が奴ら由来なのかなんてね。ただ、その能力を信じればいい。自分を疑わなければいい」
「……わかりました。確かに考え込んでも仕方ないですね」
俺は割り切ることにする。ヤミは「それでいい」と言った。
「そうこうしているうちに昼を回ったな」
影の向きを見て、ヤミは呟いた。
そしてざわざわと鳴る風音を聞いて、俺たちは一斉に身構えた。
「何もこんな暑い時間に運動させなくったっていいじゃないか」
地響きと共に、俺たちの周囲をぐるりと囲むように、俺の身の丈の五倍以上の高さのある巨大な砂の山が出現した。




