12-03. 朝焼けの対話
レア! レア!
ベスに呼ばれて目を覚ました。空がほんのうっすらと白み始めた頃合いだ。まだ焚火がなければ互いの表情までは読み取れない。彼は誰時、という表現があったが、まさにその時分である。
「おはよう」
俺は目を擦って身を起こす。ベスは槍の鍛錬をしていたのだろう、少し汗をかいているように見えた。額や頬に髪が貼りついていたからだ。
「夜通し鍛錬?」
「いつも通りよ」
幾分得意げにベスは胸を張る。そして右手を広げて突き出してきた。
「あんたも出しなさいよ」
「え?」
戸惑いながら、その手に自分の左手で触れた。手のひらを合わせた格好だ。
「あんたはろくに訓練もしてないのに、こんなにごつごつした手をしてる。羨ましいな」
「失礼な。俺だって毎日素振りくらいしてる」
「量が違うのよ。私はあんたの十倍は頑張ってる。なのにまだこんな、女の子みたいな手をしてる」
「そりゃ仕方ないじゃない」
俺は言う。だけど、ベスの手は戦う女の子の手だ。
ベスは頬を膨らませて俺を睨んでいたが、やがて息を吐いて俺に背中を預けるようにして座った。
「あんたのおかげで何回死なずに済んだかわかんない」
ベスは溜息と共に言った。
「私がこれだけ訓練しても意味ないくらいの敵がいっぱい出てきて。でもあんたはいつでも的確だった。十倍訓練してる私がどうにもならない状況でも、十分の一しか訓練してないあんたの方が正しくて、私はそれに救われ続けてる」
くっそー、悔しいなぁ――ベスはもごもごと言った。
「あんたのその未来視の力、なんで私にないんだろ。私の方が相応しくない? こんなに努力もしているのに、不公平だよ」
「それを言っても仕方ないじゃん」
俺だって欲しくて手に入れた力ってわけじゃない。ゲイネス・ヒューケイアの力が発動しているに過ぎないんだから。
「持たざる者の気持ちは、持てる者にはわからないのよ」
「だから俺は……だから、俺は、ベスを守ってるんじゃないか」
「強者の論理よね」
「じゃぁ、見捨てればいいの?」
「……ううん。ごめん」
ベスの背中を背中で感じる。振り返ると、頭を垂れて小さくなっているベスが見えた。
「私、見捨てられたくない。なのに」
「心配ないよ」
俺はベスの頭に触れようと手を伸ばして、固まった。女の子の髪になんて触れたこともない。
「……撫でて」
「でも、いいの?」
「いいから撫でてって言ってるの」
俺はベスの隣に移動して座り、左手でその煌めく金髪に触れた。
ベスは俺の肩に頭を預け、目を伏せた。
「なんか懐かしいな」
「う、うん?」
「私、旅に出たのは……師匠と出会ったのは十歳の時だったんだ。その前の日まで、私はお母さんにこんな風にたくさん撫でてもらってた」
お母さん、か。
「あんた十六だっけ?」
「うん」
「羨ましい」
「う、羨ましい?」
「私よりもずっと長く家族といられたでしょ? 仲は良かったの?」
「仲は良かったよ。父さんも母さんも、厳しかったけど俺たちは嫌いあってはいなかった」
「そっか」
ベスは俺に顔を向けた。これ以上整った容姿を作り出すのは、神様でも難しいのではないかというほどに美しい顔立ちだ。焚火の赤金色に揺らされている肌が神秘的でさえある。
ベスは囁いた。
「みんなもういない。そう思うと心がじんわり痛いね」
「うん……」
じんわりと。そうなのだ。刺すような、とか、抉るような、とかではない。じわりと、しかし無視してやり過ごすことはできない程度に、痛むのだ。
「実を言うとね、私……。お母さんも、お父さんも、もうはっきりと思い出せないんだ。とっても優しかったこと、撫でてくれた手のひらの温度、教えてくれたいろんなこと――そういうことは覚えてる。だけど、瞬間的に顔が思い出せない。思い出せたはずの顔もどこか……遠いんだ」
「ベス……」
「お母さんもお父さんも、思い出になってしまったのよ。人は死んだら消えてしまう。思い出っていう痕跡だけを遺して。私はそれを忘れないようにって躍起になるけど、もがけばもがくほど、思い出に瑕がついてしまう。でも……もがくのをやめたら、思い出は消えてしまう――きっと」
その結果、残るのは――孤独感だ。
俺はまたベスの金髪を撫でた。それしかできなかった。気の利いたことは言えなかった。
「悔しい」
ベスは鼻を啜った。
「悔しい! 何もかも!」
そして、俺に抱き着いてきた。その華奢な身体を、俺は躊躇せずに抱き締めることができた。
「あんたもなんか言いなさいよ!」
「俺は……」
そう言われて、俺は吐き出すものすらないことに気が付いた。慟哭するほどに抑圧されたものがなかったのだ。ただ状況に弄ばれるがままに目先の選択肢を取り続けていた結果、俺は……。
「俺がお前を守ってやるとか、絶対に両親の仇を取ってやるとか、一生面倒見てやるとか、なんかあるじゃない」
なんか最後だけニュアンスが違った気がするが、ベスの求めている言葉は理解できた。
「俺の変な能力。さっき不公平だって言ったけどさ、多分そんなことないんだよ」
「どういう意味よ」
「俺は絶対にベスを守り抜くわけでしょ」
「そ、そうなの?」
「約束する」
「ま、まぁ、いい心がけじゃない」
頬を赤くしたベスの虚勢が、なんだか可愛く思えてしまう。ベスはとても分かりやすいのだ。
「ベスは俺の力で守られるけど、俺がベスを守ってるのは、ベスがベスだからだ」
「ちょっとよくわからないわ」
「つまり、俺は君を守りたいと思う。君は俺が守りたいと思う君。だから、俺の能力もひっくるめて、ベスの力なんだよ」
「あんた……す、す、すごく恥ずかしいこと、言うじゃない」
ベスの目が潤んだように見えたが、すぐ目を逸らされてしまったので気のせいだったかもしれない。
「で、でもいいわ、それで。あんたがそこまで守りたいって言うなら、守られてあげる」
「そういう意味じゃ」
「そういう意味なの。いいわね」
「あ、はい……」
押し切られてしまった。
「でも、守られるだけじゃイヤだから、私」
ベスはまた俺を抱き締めてきた。俺もその背に手を回す。
「――もっと強くなる」
ベスの静かな決意を聞いて、俺は頷いた。




