11-03. 悪は必ず滅びます
黒いヒトガタはそれ以上俺たちに近付くことができなかった。キケレアーナが右手を一振りするのと同時に弾け飛んでしまったからだ。辺りには八本の武器が残った。
『ジムレグ、あなたの脱獄により、世界はまた壊れ始めています。しかし、今回はあなたの思惑通りにはいきませんよ』
キケレアーナは顎を上げてジムレグを見下ろした。隣に立つ俺にも、その威圧感は痛いほど伝わってくる。しかしジムレグは慇懃無礼な態度を崩さない。
「キケレアーナ様、貴女とて咎人ではありませんかな。大深淵の魔神どもを解き放ったのですから」
『あの特別な霊話石たちを、あなたの私利私欲に利用されるよりはマシでしょう』
「私利私欲とは心外ですな、キケレアーナ様。儂は常に世界のためを思ってこの手を血に染めておるのです」
『あなたは昔から変わりませんね、ジムレグ。自己正当化の能力だけは高い』
キケレアーナがいるなら、俺たちでもジムレグを倒せるかもしれない。俺はベスを見た。ベスも同じことを考えたのか、俺を見た。俺たちは頷き合う。
『おやめなさい、二人とも。無駄なことは』
しかし、俺たちの踏み込みは寸でのところで止められた。
『あれはジムレグの影。ここからでは手を出せません』
「そんな」
ベスが悔しそうに呻いた。ジムレグの態度に余裕が見えた理由が分かった。
「儂はこの世界を高みに導こうとしているのですよ、キケレアーナ様」
『それが余計なお世話だというのです』
キケレアーナの冷たい声が響く。俺たちを遠巻きに見ていたカラスの一羽が、遠慮がちに鳴いた。
「そうよ、余計なお世話よ」
ベスが息巻いた。
「力による一方的な現状変更。それはどんな正義を掲げていたって許されることじゃないのよ。力が生み出すのは平和じゃなくて憎悪よ。あなただってかつては王国を支えていた魔法術師でしょう!? 王国の平和と安寧のために働いていたわけじゃないの!?」
「結果、王国は停滞し、そして衰退し、ハーワール帝国やベルヌード大帝国に版図を脅かされることとなってしまいました。王家が本来の力を取り戻すか、あるいはより強い力が動く必要があるのです。全ては王国繁栄のために、かつての力を取り戻すために、致し方のないことなのです」
「だとしても認めない!」
「強情な娘さんですね。仮に儂が何もしなければ、辺境の町は外敵に飲まれ、男は殺され、女は犯される。平和なんてものは一瞬で崩壊する。あなたは彼らを見捨てるべきだとおっしゃるのかな? じわじわと版図を奪われ、その度に王国の民が脅かされ苦しめられ殺されるのを、正しいと、あなたはおっしゃるのですかな、エリザベス様」
「そ、それはっ……!」
俺も援護をしたいと思うが、どうにも口を挟める状況ではなかった。
『黙って聞いていれば、詭弁も相変わらずですね、ジムレグ』
「詭弁とは心外――」
『国家の魔法術師たちは、本来そのためにいるのですよ、ジムレグ。国家国民を脅かす悪から人々を守る。それが王室魔法術師の至高の役割。忘れましたか?』
まるで教師ができの悪い生徒に話しかけるように、キケレアーナは言う。
『私たちの強大な力の理由をはき違えた結果生まれたのが、あなたやテスタロサのような者たちです。私がいながら、あなたたちの力の方向性を変えることができなかった。それは痛恨の極みです』
「貴女は儂らから逃げたのです」
『どうとでも言えばよいのです。結果、私はあなたよりも 少しだけマシな行動を取ることができている』
「しかし、いかに貴女であれ、儂らの動きは止められません。なぜならもう、賽は振られたのですから。投じられた小石の生み出す波紋はやがて大きなうねりとなるのです。そして、その石はもう取り戻せない」
ジムレグは幾分勝ち誇ったかのように言った。そして俺を見た。
「少年よ、その小鍵を大事に持っていてください。いずれ取りに参りますゆえ」
俺は胸元に触れた。霊話石からハイザルク男爵が取り出した小鍵が、左胸の内ポケットの中に入っている。今も間違いなくそこにあった。
「待て!」
俺はゲミトルードを構えて前に出る。ベスも俺と並んだ。
「この町の人を殺した理由は何だ、ジムレグ!」
「理由……?」
ジムレグは一瞬答えに詰まり、そして笑い出した。
「カカカカカッ、理由とな!」
「何がおかしい!」
「そんなものを知ってどうするというのですか。もっと怒りたい? もっと悲しみたい? それとも、もっと苦しみたい? となれば、それはとんだ被虐思考ですね」
「だとしてもだ。どんな理不尽なものであれ、その死には理由があるべきだ」
俺は吐き捨てた。ジムレグは、またひときわ耳に障る声で笑った。
「卑小な死に理由は要りません。それは同じく卑小な者による理由付けで十分なのです」
「ジムレグ! お前はッ!」
どこか凍り付いていたはずの心が、パリンと音を立てて割れた。頭の奥が怒りで熱くなった。
――気が付けば、俺はジムレグに斬りかかっていた。遅れてベスもついてきた。
「そう、あえて言うなら、理由はあなたたちですよ。あなたたちがここに来るから、殺しました。なに、手土産のようなものですよ」
「そんな理由でッ!」
そんな程度の理由のために人々は殺されたっていうのか……!
ジムレグはまた半笑いのまま言った。
「理由を求めたのはあなたでしょう? 儂は気分が良かったのです。楽しかったのですよ」
「気分が良かっただの、楽しかっただの!」
俺は何度もジムレグを斬った。だが、手ごたえは微塵もなかった。ベスの槍もジムレグの心臓を突いていた。しかし――。
「無駄ですよ。私の本体はここにはありませんからね」
手も足も出ない。俺は異形の魔法術師を振り返る。
「キケレアーナ、どうにもできないんですか」
『今彼を潰せば、テスタロサの陰謀も暴けません。しばらくは泳がせておくしかありません』
「でも、またこんなことが」
俺が言う。ジムレグを睨みながら、ベスも頷いた。キケレアーナは平坦な声で言った。
『私は正義の味方ではありません。全てに正義を通せるわけではないのです』
「でも、今こいつを倒せば!」
ベスが槍を脇に構えなおす。
『その結果、テスタロサがより大きな破壊をもたらす可能性があります』
「でも!」
『正義は必ずしも勝ちませんが、悪は必ず滅びます』
キケレアーナはそう言うと、右手を広げてジムレグに向けた。
ジムレグの影は、あっさりと消滅した。




